ラインハットはデールとヘンリーが、修道院ではマリアとガーリアがそれぞれの場所でそれぞれの思いを持って過ごすことになった。それを見守り、 リュカも新たな旅に出発する。
異聞DragonQuest5 外伝 -Angel's Whispers-
「行っちゃいましたね、リュカ」
リュカが降りていった階段を見つめて、マリアがポツリと呟いた。ラインハットの謁見の間には、マリアとヘンリー、デール、ガーリアの四人が残って いた。
「見事に振られたな〜、俺」
ヘンリーは剣の柄に手を掛けて先ほどリュカと手合わせした時のことを思い出していた。実際に剣を持つのは小さな頃の稽古以外には、海辺の修道院か ら歩いてラインハットに来るまでだったが、それでも力や不意打ちで十分リュカを打ち負かすつもりがヘンリーにはあった。だが、実際に立ち会ってみる と、小さな頃から父に連れられ旅をしていてその際の戦闘経験がすでにあったからか、随分と差がついて結果、ヘンリーはリュカに負けた。驚くのはその戦 闘のセンスでリュカはヘンリーと剣を交えたとき、今まで外で魔物に対して使っていたものではない、ヘンリーも知らないような剣術を使い、時には剣術以 外も駆使して勝ちに行く、徹底的にまで勝ちにこだわった戦闘の仕方だった。また、対人間のときと対魔物のときでは明らかに作戦が違っているところから も、リュカを撃破するのはそう容易いことではないことが想像できた。
「…でも、剣が手から離れても平常心で居られるのはそれだけの覚悟と自信があるから、ですよね、ヘンリーさん」
リュカは立ち会っている間にヘンリーに剣を弾き飛ばされている。剣中心の戦法でしかない場合は剣がなくなった時点で負けが確定する。ヘンリーもそ う思っていた。
「自分の身体まで武器にする、是が非でも生き残るつもりで居ることが良くわかった。そりゃあ、俺程度の覚悟じゃ連れて行けないと拒まれても仕方ない さ。…マリアについては単純に危ないと言う理由なんだろうけど」
マリアに言われて、自分の覚悟が中途半端な状態であることをリュカには見透かされたと改めて実感する。自嘲気味にヘンリーはマリアの言葉に答える と、マリアも苦笑いをするような表情で居なくなったリュカを目で追っていた。
「マリアさんはすぐに修道院に戻られるのですか?」
皆の話が落ち着いたときにデールが訊ねる。
「そうですね。ガーリア様が準備できたら戻ろうかと・・・」
マリアはそう言ってガーリアを見た。ガーリアは修道院に行くつもりは出来ていたが、その準備はまだ何も出来ていないのが実情だった。
「でしたら、母上はゆっくり準備してもらって、一晩ラインハットでお過ごしください。ラーの鏡を手に入れるのにもマリアさんが居なかったら出来な かったところです。御礼をさせていただきたいと・・・」
デールはそう言って丁寧にマリアに説明した。そんなデールにマリアが慌ててそんなことは無いと言いたそうな仕草をして見せた。
だがデールとガーリアがマリアに一晩でも泊まるように言いだしてしまっては、マリアもそれに応じるしかすべはなかった。夕食にはまだ少し早いことか ら、デールはマリアを客室に通し暫く待ってもらうことになる。
ガーリアは修道院に行く準備を整え、逆にヘンリーは城に居つくための準備をする。デールはこの一件の事件のことと通常皇務とで手が放せなくなりそう だと言う事だった。
一人客室に通されたマリアは暫く思い出にふけっていた。わずかの期間一緒に居ただけだったが、リュカには随分と入れ込んだなぁと思ったりしてい た。恋人と言う問題ではなく、純粋にリュカと言う女性を好きになっていたのだと改めて感じた。だが、マリアではそんなリュカを縛り付けることは出来て も、旅の無事だけを祈り続けると言うことは無理であったし、リュカの心をマリアがとどめておくだけの自信も正直なかった。そうすることでリュカに嫌わ れていくのもありだったかも知れないが、マリアは時間をかけることを嫌っていた。ならばこちらから付いていかないと宣言してしまえば良い。マリアはそ れを実行して、リュカはマリアの元から旅立って行った。
「…無理にでも付いていくのがよかったのかな?だけど嫌われたら修復は難しいし。これが最善の方法なんだよね。・・・うん、きっとそう」
目を両腕で覆いポツリと呟く。マリアの目の端からは涙の筋が出来ていた。
仮の居室としてヘンリーに与えられたのは、以前子供のときに使っていたあの部屋だった。部屋の様子は変わっていなかったが、帰ってきたときを予想 してなのか机やベッドなどは大人用のものに変えられていた。簡単な片付けをしながらヘンリーは先ほどの仕合を思い出してみる。ヘンリーはもちろん、全 力でリュカにぶつかって行った。だからこそ卑怯とも言われる手を使ったりして仕掛けたりしていた。結果は逆転を経てのリュカ優勢だった。ヘンリーも好 きになっていたのはリュカと言う人物で、対象が女性だったからという理由ではなかった。だが、ヘンリーもリュカ自身に色々と悩ませることは出来ても、 近くに居ることで手助けしたりすることが出来るかは疑問だった。それ以上に、リュカは封霊紋と言った呪いで本来は男であった性別は、女に変えられその まま育ってきているのだ。男であるヘンリーが居ることで余計に気を遣わせてしまうことは必至だった。
二人がそれぞれ自分の行動でリュカを悩ませたりすることにならないようにとした結果は、自分に納得の行く形でリュカとの関係を友達までの仲で留め ることだった。そうすることが二人にとっては精一杯出来ることだった。
ヘンリーもマリアもそれぞれの部屋でそんなことを考えていた。一方的に感情を爆発させても、釣り合わなければ結局は何にもならない。それが二人の行 き着いた答えだった。
その夜、ヘンリーは久しぶりに王族の着用する服を身につけた。そして食堂には豪華な食事が用意されていて、マリアの労をねぎらう為の簡単な食事会が 開かれた。
ガーリアに巣食っていた魔物の陰を取り除くために必要だったラーの鏡は、修道女が鍵だった。そしてその修道女としてラーの鏡のある塔の鍵役を買って 出てくれたのがマリアだった。塔の中の攻略も、マリアが読んでいた修道院の古い書物に書かれていたことが試されることにもなっていた。マリアがリュカ とヘンリー以外でなくてはならない存在であったことは言うまでもなかった。マリアが居たからラーの鏡を入手できたと言っても過言ではなかった。
そんなマリアにヘンリーはもちろんのこと、デールもガーリア自身も感謝していた。それがこの日の食事会の形になっていた。四人で食事をしただけの静 かな会ではあったが、その行為でラインハット関係者がマリアに謝意を示しているのは良くわかるものだった。
翌日、マリアとガーリアは修道院に戻る準備をして、デールに挨拶に来ていた。デールの隣には正装に身を包んだヘンリーの姿もあった。
「マリアさん、今回は本当にお世話になりました。おかげでこうして玉座に安心して座れるようになりました。色々と御礼もしたいのですが・・・」
デールが丁寧にマリアに挨拶する。マリアは照れる仕草を入れながらその礼の言葉を受けていた。
「でも、当然のことをしてまでです、そんなにデール王がかしこまらないでください」
マリアはそう、頭を下げようとするデールに言った。身分的に対等であれば気持ちの良いことではあるが、王という立場の人間に頭を下げられるのはあ まり気持ちの良いものではない。そんな感情がマリアにこんなことを言わせていた。
「すぐに旅の扉で南の地へ行かれるのですか?」
「はい、デール王のお手を煩わせるわけにも行きませんし、南の地まで行ってしまえば修道院までは近いですから」
デールは最終確認としてマリアに訊ねる。マリアもそれが引き止めの言葉ではないのを十分に承知しながら答えた。
「ではマリアさん、母のことも合わせてお願いいたします」
マリアから出立の言葉を聞き、マリアに同行して修道女になると言うガーリアのことも含んで言う。マリアはそんな優しさを見せるデールに微笑みうな ずいて承諾の意思を示した。
「兄上、ではお願いします」
マリアが承諾したのを確認して、デールが一言言う。それに応じたヘンリーは腰に剣を携えて、簡単な旅の支度を整えていた。マリアと少し後ろで控え めにかしこまっているガーリアのところにヘンリーはやってきた。
「あの…ヘンリーさんは・・・?」
「修道院まで護衛します。聖水があるとは言っても仮に魔物が出てきたら危ない。強引にシスタールキアからマリアをお借りしたのだから、きちんと返さ なくてはね。義母上のお見送りも含めて」
ヘンリーはそうマリアの前で言った。マリアはそれは必要ないと言おうとしたが、ガーリアの見送りと言われては断れなくなってしまった。
そして改めて挨拶を交わし、マリアとガーリアはヘンリーの警護を受けながら旅の扉を通り、海辺の修道院に戻っていった。
旅の扉を通り、一気に南の地まで戻ってくる。そこから北に進みオラクルベリーの南の海岸を西に進む。暫く進むとマリアとガーリアが居ることになる 海辺の修道院は見えてくる。
「…まだ数日のことだけに、あまり懐かしさとかはないな。親しみは随分と出てきたが・・・」
ヘンリーは修道院の塔が見えはじめてそんなことを呟いた。謎の神殿からマリアの兄の手引きで脱出して気づいたときはこの海辺の修道院に居た。ここ で体力を取り戻し体調を整えること数ヶ月。修道院と言う特殊な場所だがヘンリーはラインハットと同じくらいの実家と言う思いが強くなっていた。
「初めはまさか、私もこの修道院で神にお仕えすることになるとは思っていませんでした。リュカも含めた三人の二つ目の故郷ですね」
マリアもヘンリーの言うことに同調しながら、修道院を嬉しそうに見ていた。
「しかし、光の教団と言うのがそこまでの悪事をしていたとは…。三人とも酷い目に遭ってしまって。特にヘンリーとリュカ殿にはつらい思いをさせまし た」
「でも、だからこうして俺はまたラインハットに戻ることになり、リュカは旅を続けることになり、マリアとも出会えたんですから、悪いことばかりでは ありません。人との縁はどこに転がっているかはわかりませんからね」
ガーリアが静かに言うと、湿った状況にならないようにヘンリーは明るい声を出してガーリアに言った。
「…それに、義母上もこうして正気に戻せたんですから、結果、丸く収まったと言うことですよ」
ヘンリーは少し照れているような仕草をしながら、ガーリアに言う。そんなヘンリーを見てガーリアは、少しだけ瞳に涙を浮かべながら、ヘンリーに笑 顔を返していた。
海辺の修道院に来ると、マリアはガーリアに周辺のことを色々と説明し始める。生活全般のことについては追い追いと言っていたが、でもマリアはここで 過ごしていた間のことを自分がそうしてもらったようにガーリアに教え込んでいく。一通り外のことが説明し終わると中に入っていく。
中では数人の修道女は祈りをささげていたり、訪れた者たちの話を聞いたりと通常の勤めをしていた。花嫁修業と言いこの修道院で作法などを学んでいる 少女たちはそれぞれ自分たちに割り当てられた仕事をこなしていた。「シスタールキア、遅くなりました。ただいま戻りました」
祭壇の前で訪問者たちを温かく見守っていたのがこの修道院の一番位の高いルキアだった。位が高いと言ってもルキアはそのことを権力にはせず、どん なことでも自分も代わりに出来る、または手助けできると言ったスタンスで修道院内の人間とは接していた。
マリアが戻ってきたことに笑顔を見せてルキアはマリアに言う。「お疲れ様でした、マリア。その様子だと無事に役目は果たせたようですね」
ルキアの言葉にマリアは笑顔で答えた。
「マリアが居てくれたおかげで、ラインハットの闇も取り除くことが出来ました。この度は本当にありがとうございました」
ヘンリーが何かを言おうとしたのをとめたのはガーリア。ガーリアは色々あることの詳細を話そうとしたものの、簡潔に挨拶を交わした。その様子にル キアも微笑んで事が順調に進んだことを確認できた。
「申し遅れました、わたしは元ラインハット大后でガーリアと申します」
丁寧に挨拶をしたガーリアは、ヘンリーたちが見ていたデールをも押さえ込むような高飛車で権力を笠に着たような態度が一切ない、改まった様子で自 己紹介した。
「…元、ですか?」
ルキアはその言葉に不思議そうに首をかしげながらガーリアに言う。言葉を続けようとガーリアが息を飲むと今度はそれをヘンリーとマリアが止めた。
「今までのラインハットの状況は院長様のご存知の通りです。が、そこで暗躍していた大后と言うのはあくまで操り人形でしかなかったのです。義母上に 魔物を巣食わせてまであんな国にしてしまった黒幕は当時の大臣でした。これからラインハットは新たな形で生まれ変わります」
「ガーリアさんはそれでも、国のことは息子たちに任せて、自分は今までの罪を償いたいとおっしゃいました。修道女になり、神に仕えることでその罪が 少しでも償えるのならと私も思い、ここにお連れしました」
ヘンリーが今の国の内情を、マリアがガーリアを連れてきた理由をルキアに言う。ルキアは一度うなずきガーリアを正面に見据えた。
「そうでしたか、償うことも必要ですが、あなた自身にはそれ以上にラインハットの人々、そして属する街や村の人々への償いもしなくてはなりません。 それは、覚悟されているんですね?」
ルキアは特別大后と言う身分としてガーリアを見ることはなかった。ガーリアにとっても「元」と自分で言ったことはそれだけの覚悟が出来ているこ と。それを汲んでくれたルキアに一回頭を下げ、相応に扱ってくれたことを感謝して言葉を続けた。
「それは覚悟の上です。それに私には大后などと言うのは相応しい位ではありません。ですからここで、一から出直すと言うつもりでマリアさんにお願い して付いてきました」
ガーリアの目は真剣だった。その目を正面から見たルキアは暫くガーリアを見つめていたが、やがて納得したように頷いてみせた。
「わかりました。シスターマリア、ガーリアのことは全て任せます。皆への挨拶から始めてあげてください」
ルキアにそう呼ばれたマリアの目が瞬時に切り替わる。真剣な瞳の中に明るい光を宿しているマリアは、ルキアの言葉に頷く。
「シスタールキア、それとマリア。義母上をよろしくお願いします」
その様子をいつの間にか一歩引いて見ていたヘンリーが、受け入れを了承したのを確認してルキアとマリアに頭を下げた。
「…ところで、リュカはどうしました?」ルキアはいつも居る三人でないことに疑問を投げかける。マリアは少し寂しそうな顔をして俯く。
「ラインハット解放後に一人で、母上探しの旅に出ました。…リュカ自身にも秘密があり、自分も知らなかったその秘密がラーの鏡で暴かれました。それ が直接関係しているかはわかりませんが、私もマリアも同行を断られました」
ヘンリーが言うとルキアも驚いた顔を見せた。だが、ルキア自身何か気づくところがあったのか、納得したように頷くと小声で「そうでしたか・・・」 と呟いた。
「それでヘンリーさんはどうするのですか?」
少しの間を置いてルキアはヘンリーに訊ねてきた。
「私は現王の弟とともに、ラインハットの建て直しをしていきます。同時に前にラインハットによって壊滅したサンタローズの復興もしていきます。その 先も王の意見役として傍に居るつもりです」
ヘンリーはリュカに同行を断られたときなどは心底がっかりした様子を見せていたが、そのあたりはたとえ奴隷生活をしていても王族の一人、今は何の 迷いもなくまっすぐにルキアを見つめてそう言った。
「…こちらにも、ご迷惑をおかけしましたし、義母上も居ますので都度報告に伺わせて頂きます」
ヘンリーはそう言葉を続けた。その言葉には色々な意味で関わっている現状が含まれていて、その一端がガーリア自身にあると気づくと、ヘンリーにも ルキアにもマリアにも頭を下げていた。
「…では、ガーリアさんはお預かりいたします。ヘンリーさんも国王陛下も気軽にこちらに立ち寄りくださいね」
ルキアはそう言ってヘンリーの言葉に答える。
ここから、ヘンリーはデールとの二人三脚で国の復興にあたり、ガーリアはマリアに習い、今までの犯した罪を償っていくことになった。
城に戻ったヘンリーはデールと復興の計画などを練り、それぞれの計画を手早く実行に移していった。
その復興の中で、ヘンリーが最重要視しているのがサンタローズの復興だった。リュカに託されたことと言うのもあるが、子供の頃の少しの身勝手で誘拐 と言う事態を起こしてしまい、ラインハットだけではなくそしてパパスとリュカの親子だけでなく、無関係であったサンタローズまでもを滅ぼす結果になっ てしまったのだ。
ラインハットの再興は二人で成すべきことではあったが、サンタローズについてヘンリーは自分一人に指揮を取らせてほしいとデールに願い出た。
だが、デールにとってもサンタローズは守りきることの出来なかった唯一の場所だった。もし偽りの大后を止めることが出来ていればサンタローズはやは り滅びることはなかったはずだったのだ。デールは渋い顔をして、一様には認められないと言った意見を出す。
最終的にヘンリー主導の下でデールも含めてサンタローズの復興を行うことになった。
デールは城で国を重点に、ヘンリーはほぼ毎日サンタローズまで行きその様子を監視し指揮していた。
一方、ガーリアは海辺の修道院でそれまで噂されていた、ラインハット圧制の首謀者としての顔はまったく見えず、日々神に祈りを捧げ、懺悔をして許 しを請うて居た。朝は他の修道女たちと同じ時間に起きてはいたが、仕事のわずかな隙を見ては祈りを捧げる姿を目撃されていた。夜は他の人々が寝静まっ た後でも必ずガーリアは祈りを捧げていた。
「…マリア、どうですか?ガーリアの様子は」
マリアはガーリアの教育係をルキアから指示されていた。だが、基本的に修道院で生活している中でマリアが直接指導などをしたのは初めの一週間程度 で、そのあとは自分で時間割を作り行動していた。
「圧政を強いたあのラインハット大后とは思えません。まぁ、魔物がその心も蝕んでいたので、ガーリアさんの意思ではなかったんでしょうけど」
マリアは今もまた祈りを捧げているガーリアを見てそう言った。
「…あるいは魔物に付け入る隙を与えてしまった自分を悔いているのかも知れませんね」
ルキアは時々、ガーリアから直接懺悔の言葉を聞いたりしていたが、それらは今までの自分の行いよりは、結果的にラインハットを間違った方向に動か してしまったことへのものだった。
「実際にお話してみると、随分王室離れした考えの持ち主でもありますね。皆のこと、ラインハットに於いては国民にも気を配れる良い方だとは思うので すが…」
ガーリアが修道院に慣れるにつれてマリアはガーリアと世間話のようなことをするようにもなっていた。そこでこんな感想を持っていたのだと言う。ル キアもマリアの言葉に頷いて見せた。
「あのようなことがあってからは、自分が諸悪の象徴になってしまった、それがラインハットを出た理由でもあるのでしょう」
そんなことをルキアは言っていた。
ラインハットにとって今必要なのはかつて魔物に操られたガーリアのような独裁の指導者ではなく、今のガーリアやデール、ヘンリーと言った国民を助け る指導者だった。そう言ったところからも、ガーリアという人物は脅威にも感じられてしまう存在であったのは事実であった。王家に居ても隠遁生活を送る しかないガーリアは良い選択をして修道院に出てこられたのではないかと、ルキアもマリアも感じていた。
ある日の午後、勤めのいくつかが片付いたマリアは、鐘の掛かる塔に登り、一人ぼんやり海を見ていた。
海辺の修道院は文字通り海辺、海岸際に建っているような修道院だった。少し高いところや、海から命なく漂着する者たちを弔った墓地のある丘などから は、その目前に広がる海が一望できた。「リュカ殿のことを考えてるのですか?」
静かな潮騒の中に突然澄んだ声がマリアにかけられる。飛び上がりそうなまでに驚いていたが、平静を装って振り返る。その声の主が誰であるかは振り 返らなくてもわかっていたが、無視することもなく振り返った。
マリアの予想通りそこにはガーリアが立っていた。「…リュカだけ、と言うわけでもないんですけどね」
少し儚げに笑みを浮かべてマリアは言った。ガーリアはその様子を見て、目を伏せて一回頷いてマリアの隣に同じように立った。暫く二人はそのままの 時間を過ごしていた。
やがてガーリアが静かに語り始める。「…こちらに来てから、不思議と私はヘンリーとリュカ殿のことをよく考えます。特にヘンリーは小さな頃に実の母を失っていましたからね、新しい義母 で役に立てるかどうかと言うことをよく考えたものです。その思いもデールが出来て薄くなりもしましたが・・・」
ガーリアはそう言って遠い目をしてみせる。
「デールが一国の王になり、私が正気を取り戻してからはデールのことよりヘンリーのことばかりです」
「…ガーリアさんにとってヘンリー殿下も自分の子供ですか?」
ガーリアの言葉にマリアは不思議そうな声を出して訊ねる。ガーリアは少し複雑そうな顔をして、だが笑顔を見せて頷いてみせる。
「それはもちろん。特に苦労をかけてしまいましたからね、せめて私が居ないことで自由に過ごしてほしいのと、デールが兄を思って優遇してくれること を願っていますが。それでも私の子であるのは間違いないですよ」
ガーリアは先ほどの複雑そうな顔を否定するような言葉を発する。マリアはそんなガーリアの言葉に少し驚いていた。
「義母とは言っても、母であることに変わりはないですからね」ガーリアは少し悲しげな笑みでそう言う。
「…実は、リュカのこともなんですけど、ヘンリー殿下のことも考えていまして」
間を置いてマリアが静かに話し始める。その言葉にヘンリーの名があり、ガーリアは少し不思議に思った。
「マリアさんはリュカ殿に惚れていたのでは?」
「…いずれにしても適わない恋でした。現実的…と言いますか、人間を見据えたところで話をするのならば、ヘンリー殿下かデール王が対象になるものだ と思うんです」
首をかしげて不思議がり、驚きの声も交えてガーリアがマリアに言う。その疑問にマリアは普通ならば、と前置きをするような形で話をした。
「リュカは憧れでしかありません。特に私なんかは女同士と言うことに抵抗がないとは断言できませんから。…ただ、それはヘンリー殿下も同じで、男だ と言うリュカに対して本当に恋愛感情を抱いたりしていたのかと言うのは疑問です。だから、多分負け戦とわかっていてあの場で仕合ったのだと思うんで す。そんな二人ですもの、何かが芽生えたりしないほうがおかしいとは思います」
マリアは少し困ったような顔をしながら、ガーリアに言った。ガーリアはその言葉を聞いて、なんとなくだが儚く適わない憧れの恋と、より現実的な恋 を区別しているのだと感じていた。
「…デール王は私にすればまだ、年が足らないと感じてしまいますし。それに苦難を乗り越えたヘンリー殿下には別の恋心も浮かんできます。…まだ好き とかって言う感覚はないかもしれませんが、でも気になっているのは事実です」
マリアは軽くため息をついて、はっきりとした言葉で断言していた。
ちょうどその頃、ラインハット城の屋上では、ヘンリーが昼食を食べ終わり寝っ転がって空を見つめていた。
「リュカ、元気かな・・・?」
サンタローズの復興に足を運んで自ら参加しているヘンリーだったが、根本原因の一つであるヘンリー自身の失踪がサンタローズでは気にされてしま い、正直なところ自由に動き回るのは困難なことが多かった。そしてそんな時は、事実を聞いた後でも受け入れてくれたリュカを思い出すことが多かった。
ヘンリーの小さな呟きを聞いていたのか、姿を出さずに近い場所から声がする。「でも、リュカさんは複雑のようですよ?男に好かれるというのは」
突然声が掛かってヘンリーは飛び起きたが、その場所には自分ひとりだけしか居ない。梯子を上ってくるこの場所はそんなに広い場所ではなく、二人ほ どが寝るといっぱいになってしまう程度のものだった。ヘンリーはその上ってくる梯子のほうに顔を出す。そこには声を出した張本人が隠れるように体を小 さくして梯子につかまっていた。
「あ、見つかりましたか」
「ここで俺以外の声がしたとすれば、梯子で登ってくる誰かしか居ないだろう?声を聞いても聞き覚えはあるしな、特定できないほうがおかしい」
「てへへ」と照れながら笑うデールにヘンリーも釣られて笑いながらそんなことを言う。
「それに兄上、あの仕合は負け戦覚悟でやったものでしょう?女性としてのリュカさんを思うのもいいですけど、一番の親友であるリュカさんを心配して あげてくださいよ」
デールは梯子を上り、ヘンリーの横に同じように横になる。お互い、城の中での正装を着ていたが、汚れを気にせずに二人とも横になって空を見上げて いた。
「そうだなぁ。断ち切ったつもりでいたんだけどな〜」
「より、現実的な恋愛を考えたほうがよいのではないですか?」
ヘンリーが溜息を声に出しながら言うと、デールも仕方ないと言った様子でヘンリーに答えた。その答えを聞き、ヘンリーは不思議そうな顔でデールを 見つめる。
「なんですか、兄上?」
「ん、俺のことばかり心配するが、俺は天涯孤独だって全然問題ないんだぜ?お前が結婚とか言った話を考えるのが筋だろう?」
ヘンリーはとぼけた顔をしているデールを見てそう言った。だがデールはあまりそのあたりを深く考えているような様子はなかった。
「僕はまだ、結婚なんて早いですよ。それに…正直、子達に王位継承のことで揉めてほしくないんです。だから、兄上に結婚の意志があるのならば、僕が 天涯孤独で過ごすつもりで居ますよ」
結婚は考えていない、だがその先のことはしっかり考えている。デールはヘンリーにそう言ってみせた。それを聞き、ヘンリーは驚きの声を上げる。
「王が后を貰わないだと?そんな話あるかよ、俺は罪もない一番の親友を一番傷つけた。その親友のためだったらどんな事だってやってみせる。だが、そ れは幸せになることとは違うと思うんだ。だから王位継承の権利はお前がきちんと後世に引き継ぐんだ」
説得するような声で、ヘンリーはデールに言う。いつでもリュカのことを考えているのはよいことではあったが、そのことで自分を卑下した言い方をし たり、不幸になってほしくないとデールは感じていた。
「兄上には兄上なりの考え方があると思います。ですけど、その一番の親友が一番願っていることを考えたことはありますか?」
少し真剣な顔をして、デールはヘンリーに言う。どきっとした驚きの顔を見せながらヘンリーはデールの言葉をかみ締める。
「そうは言うが償いをしなくちゃいけないんだぞ、それが誰かと結婚したなんて言えるはずがないだろう?」
「でもきっと、リュカさんは兄上には幸せになってほしいと願っていると思いますよ。…こうして、旅に同行させないで実現してほしい、そう思っている と思うんです」
ヘンリーはそんな馬鹿なことがあるかと言いたそうな口ぶりでデールに応えるが、デールのほうはより真剣みをましてヘンリーを見据えて言った。
「リュカさん自身、幸せになれるかは正直微妙だと、ご自分でも感じていられるはずです。だから、自分の幸せの分も兄上に託したいと思ったりするので はないでしょうか」
デールの真面目で的を射た言葉に、ヘンリーはそれまでとっていた軽い態度を少し改める。
「そうは言うが…」
「それに兄上が何も考えていないなんて、僕が思っているとでも?」
ヘンリーが何かを言おうとしたところでデールが口を挟む。その言葉を聞いてヘンリーは目を見開いた。
「なんで・・・なにを・・・」
「マリアさん、でしょう?」
しどろもどろになっているヘンリーにデールは更に追い討ちをかけるように一言つぶやいた。その言葉を聞いてヘンリーはカーッと顔が熱くなる感触を 覚えた。
「まぁ、どう考えているかまではわかりませんが、兄上が気を遣っている方のうちの一人がマリアさんだということは言わなくてもわかることです。兄上 は自分の思うようにするのが言いと思います。マリアさんのことならば、海辺の修道院で聞けば状況もわかるでしょうし、母上に聞いてもわかると思います よ」
口元に少し、いたずらっぽい笑みを浮かべてデールは言う。誰にもばれていないと思っていたヘンリーだけに、デールからこの指摘を受けて目が眩むよ うな衝撃を受けていた。
「なぁ、デール・・・男と女って何なんだろうな?確かにお前の言うとおりマリアが気になってる。まぁ仲良くできればくらいに考えていたけど…リュカ に負けて、マリアのところに駆け込みたくなったのは事実だなぁ」
ヘンリーは少しとぼけた声を出して、そう答えた。まだ自分でその感触がわかっていない。が、それでも思っていたことも間違いないと言いたそうな様 子だった。