3.グランバニアの創成王
それは史上に残っていない大戦のあった後の出来事。
「再び会えた事を嬉しく思うぞ、ティラル、レシフェ」
マスタードラゴンはそう言って二人を天空城に迎え入れる。
ティラルとレシフェはその大戦の中で、マスタードラゴン側につきマスタードラゴンに歯向かう敵たちを一掃していた。本来であればそれは、マスタード ラゴンが全てを鎮めて平穏を取り戻すべきだったが、マスタードラゴンも看過できない状態に発展していた。そして、後に分かったことだったが、手引きし ていた敵方の一部には、かつて涙晶石(るいしょうせき)のことでもあったように、魔族が関わりを、そして手引きをしていたことがわかる。
その事実が確認できたことで、ティラルとレシフェはすぐにマスタードラゴンと連絡を取りまずは敵方の様子を探ったりしたのち、その敵方の殲滅のため にマスタードラゴンと手をくんでいたのだった。「しかし今回のことは信じられない出来事ではありますね」
かつては少女の姿をしていたレシフェだったが、マスタードラゴンが成長するのと一緒に大人の女性の姿になっている。まだ若い年齢の外見だったが、 実は数百年の時をティラルの手によって越えている。
「まさかこの天空城まで、天空の塔を使わずに攻め込んでくるとはな・・・」
レシフェの考え込む仕草を見て、マスタードラゴンも少しばかり困った様子を見せた。
「今回のことで、この天空城自体もそれなりに被害にあっている。ゼニス王から引き継いだものとは言え、天空城自体は我ら天空の一族の象徴。落とされ るわけには行かなかった。・・・が、これでよかったのだろうか?」
敵方を退けることは出来たものの、それにより敵方はほぼ全滅状態。マスタードラゴン側も数多くの関係ない天空人の命を奪う結果となってしまってい た。そして、天空城自体にも乗り込まれて、部分的に破壊されている箇所も多く出ていた。
地上を、人々を守り統治する立場のマスタードラゴンだったが、それでも今回のように魔族が加担して攻め込まれてはのその力を持って対抗するしかな い。そうして敵方を殲滅させたが、そのことで心を痛めていたのだった。
それはティラルもレシフェも一緒だった。敵方が敵方だっただけに。「しかし、仕方のないことと言うのもありますし、歯向かうものが予想外の者だったりするのはやはり仕方のないことです」
ティラルがマスタードラゴンにそう言う。
「全てを知る存在となったはずだったのだが…ゼニス王やバーバラに教えられたことをしていても思い通りになることはないのか」
マスタードラゴンはそう言って少しばかり落胆したような声で呟いた。
「ところでティラル。一度仮死から目覚めたわけだけど、この先また仮死状態で刻(とき)を越えることはできるのか?」
レシフェが訊ねると、ティラルは少し困ったような顔をする。レシフェ自体は前世が竜の女王であっても、今は一介の人間、十九歳の身体であるが、数 百年を生きることは到底無理だった。一度数百年前にティラルの手により仮死状態にされたレシフェは長い時間を眠って過ごし、いまマスタードラゴンの呼 びかけで目覚めていたのだった。
「できないんだな?別にその事についてどうこうと言うつもりはないよ。あたしは人間なんだから」
困っているティラルを責める様子もなくレシフェはそう呟いた。そして暫く考え込んで、レシフェはマスタードラゴンに訊ねる。
「マスタードラゴン。『ドラゴン』はマスタードラゴンだけが名乗れ、崇高な存在として定着しているが、どうだろう?あたしにもそのドラゴンの名を分 けてもらえないだろうか?」
突然レシフェがこう言い出してティラルとマスタードラゴンは少し困惑していた。その様子を見ながら、レシフェは言葉を続けた。
「いや、直接ドラゴンと名乗るつもりはない。ただ人間として名を与えるとき、一族の名にあたしが竜の女王であった名残を残したいって言うのと、他の 人間とは少し違う血を残しておきたいと思ってね」
レシフェがそう言うとマスタードラゴンは少し呆れたような言い方をする。
「人間として血を残すのか、ただでさえ人間離れしておると言うのに・・・」
それを聞いてレシフェは少し笑って言葉を続ける。
「だけど、今回だって精霊の端くれと特殊な人間の手を使ってことを鎮めたのは事実じゃないのか?」
胸を張ってレシフェは自分とティラルを指差してマスタードラゴンに言う。それを聞いてマスタードラゴンも少し痛いところを付かれたように笑って見 せた。
「あたしの血を残して、場合によっては人間に対して覇を称えようかと。…と言うのは大げさだが、かつて天空人に残された勇者の血は人間と交わり、再 び覚醒した。その覚醒した勇者の血は地上に現れた大魔王を倒している。今度は人間に混ざり覚醒のときを待つ形になった。が、必ず血が醒めるとは限らな い。そのときあたしの一族がせめて勇者の血が見つかるまで、地上をまとめられればと思うんだ。それが駄目なようならば、そのときこそマスタードラゴン の出番と言うわけ」
レシフェは色々と言葉を変えながら、自分がしたいことをマスタードラゴンとティラルに伝える。
まだ時の浅い過去、地獄の帝王までもを目覚めさせた大魔王は、天空人に継がれた勇者の血は人間の血と混血となって地上で目覚める。早い段階で特別に 血が宿ったその勇者はマスタードラゴンの意で、ゴッドサイドの一部の人間が隠れ里を作り上げてかくまうことに成功した。だが、それも短い時間で、本当 の勇者として覚醒するには幼かった。そこに集った導かれし者たちとの冒険の中で勇者は目覚めて、大魔王を討った。
だが、討った後の勇者の行方はマスタードラゴンでさえも見つけることが出来なくなっていたのだった。
勇者の血が醒めると限らない理由は、人間と混ざりすぎた血がそれだけの力を秘めるかどうかが分からなかったからだ。
そのときの少しの時間稼ぎ程度にでも、レシフェの常人離れした力で異なるもの、魔なるものを留めることができればと、レシフェ自身は考えていた。
それを理解したマスタードラゴンは納得したように頷くが、代案をレシフェに示してきた。「…レシフェ、今からでも遅くない。天空人になってここで時間(とき)をすごさないか?」
それはかつて、マスタードラゴンが天空城を治めるときにティラルとレシフェに訊ねたことだった。
「そうだ、天空人になれば刻(とき)を重ねることが出来る。地上で子孫を残さずとも生活できるよ」
ティラルもマスタードラゴンの言葉には賛成だった。
「いや、それはダメだよ」
だがレシフェはその申し入れを断った。
「なぜ、そこまで人間に固執するのだ、レシフェ?」
不思議そうにマスタードラゴンは訊ねるが、レシフェも判らないと言った様に首を振った。
「よくわかんないけど、天空城に集うものの全てが万能であってはいけないと思うんだ。今は天空にマスタードラゴン、地上に天空の勇者、海底に精霊 ファルスとティラル。それぞれ役目が出来ている。だけどこの中で一番揺らぎそうなのは、地上の天空の勇者。あたしの予想ではたぶん近いうちに…いや、 『もうすでに』かも知れない、天空の勇者の血は人間に混ざり行方が分からなくなる。となると地上は余りに無防備だ」
レシフェはそこまで言って少し考え込む。マスタードラゴンもティラルもそんなレシフェの言うことに真剣に聞き入っていた。
「勇者の血が家を、一族を残していない以上、これは仕方のないことだと思う。だけど紛れ込むが故に、血が醒めるとは限らないと言いたいんだ。そのと き、勇者ほどではないにせよ多少の時間稼ぎの出来る『人間』を残す必要がある。そこで別世界のドラゴン族であるあたしが血を残せば、と思ったんだ」
「しかし、それであれば・・・」
レシフェが何とかややこしくなりがちの考え方を正しながら説明した。
それを聞いてすぐにマスタードラゴンは口を開く。それを止めたのはティラルだった。「マスタードラゴン、今回のことは全て看過できることではない。攻めて来た敵の内容についてもそうだし、全ての万能が天空城にあったとき、今回のよ うなことがおこり、仮に天空城が落とされるようなことがあれば、マスタードラゴンはおろか、わずかの我々の望みであるレシフェの血もなくなる。それは 回避した方が良い」
ティラルはそう言ってマスタードラゴンをじっと見つめた。
「天空人じゃなくても、家訓として伝えれば、それはきちんと成ると思う。そうして人間は人間の手で、事態を収束するのが本当なんじゃないかな?」
レシフェはそう言ってマスタードラゴンに近づいた。
マスタードラゴンの喉元をそっと触りながらレシフェはマスタードラゴンに語りかける。「人間もなかなか捨てたものじゃない。昔あたしが見てきた人間は血筋とか関係なく勇者の血が生まれ、魔王を討ったことがある。だからわざわざあたし が血を残さなくてもきっと大丈夫。ただ…ここと向こうでは少し違う。全能のマスタードラゴンを攻めるなんてことを考えるなんて無いと思っていたから ね。だから最善の案として、人間は人間で片をつけるようにすべきだと思うんだ」
レシフェはそう言ってポンポンとマスタードラゴンの硬い皮膚を叩く。少し唸ってマスタードラゴンはレシフェの固い意志を認める。
「ならば、残すドラゴンの名を私がやろう」
マスタードラゴンはそう言って考え込む。
「ドラグレイエム、と言うのはどうだ?」
天空城から地上にやってきたティラルとレシフェは未開拓の地を目指す。そこは高い山脈と長く深い大河、そして森に囲まれた特殊な地形だった。
「また、特殊な条件の地形だね」
「かつて住んでいたところが森の中でね、その頃のことを思い出してさ」
ティラルが困ったように言うと、レシフェも笑いながら困っているような声を出して言う。
全ては一から、人間の手で、と言うのがレシフェの想いでその場所に城を構えて街を作ることを始める。とは言え、二人だけで出来るはずもなく、ティラ ルとレシフェはまず、聳え立つ険しい山脈に道を作ることを始める。その山脈には山岳民族も住み着いていて、二人はその村を経由するように道を作って 行った。
初めは単に二人が歩ける程度のものだった。そしてその二人はその道から世界各地を旅する。
過去、マスタードラゴンが卵から孵って間もないときの世界とは随分変わっていて、少し前に大魔王が支配したと言う世界も部分的に改変されまた、人間 による移動や開拓、新たな街の創設などで随分と様変わりしていた。
世界を二人で旅するうちに、街人で移住を望む人やなにか新しいことを始めたいと願う人、旅人でも故郷を忘れた者や追われた者、滅んでしまって居る者 が新たに居付きたい街を探していることを知る。二人はそんな人たちに人里離れた場所ではあるが、これから街を作り発展させていくのだと言う噂を振りま いた。
世界をくまなく一周した二人が出発の地に戻ると、噂を聞きつけた者たちがすでに街に来ていた。「若くて武芸が達者な女王が新たな地に居を構える」
そんな噂まで付加されて、街づくりが始まる。統率が取れにくいと思われた街だったが、レシフェと言う指導者とその指導者の親友ティラルがそれぞれ 指揮して街づくりは順調に行われていく。
三十年ほど経ったとき、その街は他の国々の街と比べても遜色なく出来上がっている。
「でもまだ、肝心の女王の居城が出来ていないのはどういうことなんだ?」
少しやつれた感のあるレシフェが笑いながら呟く。
そこは街の中心に作られた噴水で、街の人々が行き交っていた。度々レシフェはこの噴水にきてティラルと話をしていた。「レシフェが最後で良いって言ったから、まだ誰にも着手させてないってば」
あのときからまったく姿の変わらないティラルが呟く。そんな二人のやり取りを見て一人の街人が言う。
「レシフェ様は欲がなさ過ぎます。女王なんですから、我々を使って凄い居城を作ってしまえばよいのに」
「あはは。それはそうだが、それで反乱分子は作りたくないぞ?」
街人と気さくに話す女王、レシフェはこの街では有名な存在で、誰彼隔てることなく話をする。そして仮にレシフェを叩き伏せて自分が権力者になろう とするものには自らの刀で立ち向かう。過去に街造りの中で反乱分子も生まれはしたが、それは全てレシフェ一人の手で叩き伏せられていた。叩き伏せられ たものはそのまま街で淋しく暮らすもの、近衛兵や親衛隊を結成するもの、他の街に旅立ち再び帰って来てレシフェにたたき伏せられるものと色々な者がい たが往々にしてレシフェの力で静かにことは収束していることが多かった。
そんな中、レシフェはある一人の青年と結婚していた。
唯一、レシフェの油断で街の中での殺人を起こしたのは、レシフェの夫の死一件だった。
レシフェと青年の間には、一人の王子と二人の王女が出来ていた。その三人の子たちはレシフェとティラルにより色々と知識を得られて立派に成長してい た。今では母レシフェを助けて街づくりに励んでいた。「母上、そろそろ居城を考えてもよろしいのではありませんか?」
子たちもレシフェの欲のなさを良く知っていたが、それでも街の整備がほぼ終わった頃には頻繁にこういった進言をしていた。
「ふむ。それもそうだな・・・が、そんなに仰々しいものでなくても構わんかな?」
とにかく欲のないレシフェはこればかり呟いていたが、街が完成したあるとき、レシフェは城の建設に着手する。城壁は街全体を囲い、その城壁と一体 に城は築城されていく。十五年程度で初期の城の形が出来る。
「さて、最後の大仕事だけど・・・」
王子と二人の王女、ティラルと側近を勤める街の人々にレシフェは言う。
「この国の名を決めよう」
それまで移民の街と世界中では呼ばれていた。
「…名は『グランバニア』、我らはドラグレイエム・グランバニアを名乗ろう」
ごくシンプルに名は決められた。レシフェの中に「グランバニア」の名の由来があったとは思われていたが、それが実際に明かされることは、レシフェ の口からはなかった。亡き夫への名だとも、過去に冒険していた時にあったであろう街や城の名とも、色々とささやかれていた。
「天空人になれば、こんな苦労はしなくて済んだのに」
グランバニア城の屋上で、街を見下ろしながらティラルが呟く。そのすぐ隣には少ししわが深くなったレシフェの横顔がある。
まだこの時のレシフェは誰にも戦闘で負けたこともなく、王子や王女たちであってもレシフェには敵わないでいた。ただ、知られてはいないが本気のティ ラルとレシフェが仕合ったとき、勝ったのはティラルだったと言う。「いいんだよ、これで。子も作ったし、グランバニア家も成った。マスタードラゴンからもらったドラグレイエムも名乗れたし。あとは子々孫々あたしの 想いが継がれていくのが願いだよ」
レシフェの声は相変わらず若い頃のままで、ティラルと遜色ないほど若々しい声をしていた。
考え方も常に民を引っ張り、先陣に立つようなやり方だった。「だけど、これでレシフェが亡くなったとして、そのあとには血しか残らないんじゃない?」
「…なにかをきっかけに、有事の時には目覚めれば良いんだろう?隔世遺伝でも出来ればそれで問題ない」
ティラルが疑問を投げかけるが、レシフェは簡単そうにその質問に答えた。
「ただ、あたしのような万能は生まれないと思う。あたしの血を更に残すもの、その残された血にあたしの本当の力が宿る。…ただ、『ヤツ』はあたしと ティラルを危険視してる」
「そうだね。…逆に『ヤツ』が目をつけたものが・・・」
「残し、導く者、と言って良いと思う」
レシフェがいつになく慎重な言葉でティラルに言う。ティラルも少しの不安を抱えその言葉を聞く。
「もし、後手に回ってしまったら…?」
ティラルがその不安をぶつける。それでもレシフェは手を振ってあまり重要な感じを見せる様子はなかった。
「そのときは、精霊ルビス様の力を信じるよ」
「・・・投げやりだな。ここでその名を出すかねぇ」
レシフェが言うと、ティラルが呆れたように言った。
「ティラルには分かるはずだ、きっと。後手でも良いさ、そこから後の先を取れれば。それに常に先手先手を狙うのは大変だから。後の先であれば、宿 命、使命を背負っていても立ち向かえるし、立ち向かおうとするはず」
レシフェが少し真面目な顔をして言う。
「…信じるよ、レシフェの血を」
ティラルが言うとレシフェは笑顔を返してみせる。
「ああ、信じて良いよ、大丈夫だから」
その後のグランバニアの歴史書には、グランバニア創家の名として、レシフェ・ドラグレイエム・グランバニアの名が、その右腕として絶大に威力を 持っていた親衛隊長として、ティラリークス・ルビーサナートの名が残る。
こうしてグランバニアが出来て数百年。
当代の王、パプスエリケア・ドラグレイエム・グランバニアは何かの危険を感じ、城の拡張を命じる。大規模な工事ながら想定外の数の職人たちによっ て、グランバニア城はその城下街を抱え込む特殊な形に作りかえられた。
しかし、魔族の手はのび、子は呪われる結果となる。
ティラルは数百年を越えて産まれた、レシフェの言う『残し、導く者』を守護するようになる。