1.再会 〜サラボナと炎のリング〜
ルラフェンを出て、暫くは西に進む。ベネットに依頼されたルラムーン草の散策の目標にされた台地が見えてきた頃に進路を南にとる。遠くに山脈が連 なっているのはわかったが、その先にフローラの実家のあるサラボナがあるとは思えなかった。この辺りから先はリュカは当然だが、他の仲間たちも足を踏 み入れたことのない場所だったため、場所の検討はつかないでいた。
暫く南進すると、大きな一件の建物が見える。「ほぅまだあったか。リュカ殿、あの建物は『うわさのほこら』と呼ばれているものじゃと思う。旅人が多く立ち寄る場所じゃ、話を聞いてみるのも良い かと思うぞ」
マーリンからそう言ったアドバイスを受ける。リュカはピエールとマーリンに馬車を預ける。馬車はいつもの通り近場で野営の準備に取り掛かる。
その間にリュカはマーリンから話を聞いた噂の祠に足を運んだ。
中では多くの旅人が騒いでいたが、一様に負傷している旅人たちの姿が多く見られた。「?」
リュカは不思議そうにその集団を抜けて宿に一泊の宿泊を依頼する。
そこの女将らしき人が不思議そうなリュカの顔を見て、ウズウズした様子で駆け寄ってきた。「噂」と名の付くくらいなため、この場所では文字通り噂は 絶えない。「あんた、これからサラボナに行くんかい?」
手続きをしているリュカを女将は呼び止めて質問してきた。
「ええ、親友がサラボナに居るんですよ」
「まさかフローラさんとか言わないだろうね?ま、あんたみたいな旅人がフローラさんと知り合うきっかけはないと思うけどね。そう、そのフローラさん なんだけどね」
そう言って女将は色々と情報を話し始める。女将の話では、修道院から戻ったフローラに早速婿をとろうとフローラの父が動き出したらしい。だが、そ の条件がサラボナ地方に伝わる伝説の指輪を持ってくることで、それらは難攻不落の場所にそれぞれ保管されているというのだ。この祠に立ち寄った何人か の商人や旅人たちがチャレンジしたりしていたらしいが、それでも怪我をする人間が続出していて、中にはサラボナで全治一ヶ月の火傷などを負った者も居 るらしい。
その二つの指輪を手に入れるとフローラとの結婚の権利と家宝の盾をもらえるというのだ。(たしか、海辺の修道院でその盾が天空の盾だって話をしていたっけ…)
ふとリュカはそんなことを思い出していた。
リュカの内面が男であっても姿は女、結婚は無理だろうと思っていたが事情を聞いて盾だけでも譲ってもらえないか交渉するつもりでリュカは居た。「まぁ、あんた見たいなか弱い娘っこには、その場所に行く以前に怪我しちまうだろうけどね。無理はしないほうが良いよ」
一言多い女将の言葉を聞いて苦笑いしながら溜息をついた。その晩は外で旅人たちが宿も取らずにフローラの話に盛り上がっているところで、あまり しっかりとした睡眠の取れない夜をリュカはすごした。
翌日、朝一番にリュカは噂の祠を出て、すぐに馬車に合流してサラボナを目指す。
ポートセルミ、ルラフェンなどのある大陸とは地続きにはなってなく、南進をはじめて目に付いた山脈は深い渓谷になっているようだった。そこを超える のが数百年といった昔に掘られたと言う洞窟だった。噂の祠では、この洞窟はかつて天空の勇者たちが各地を回るために掘られたとも伝えられているそう だったが、その真意は定かではない。
その洞窟に入り、行き止まりも含めて全ての通路をウロウロとしながら先に進んでいた。
暫く進むと先頭を進んでいたリュカが右手を横に出して、馬車を制して止める。同時に今まではかわいい女の子であったその表情は戦士のそれに変わり、 背中に背負っているパパスの剣の柄に手を掛ける。その様子を見てピエール、コドラン、ブラウンもすぐに戦闘態勢を整える。
張り詰めた空気が微かに動くのをリュカは感じ取る。その方向を向いた瞬間、一気に相手は間合いを詰めてきた。瞬時に剣を抜くと、袈裟斬りに動く相手 の剣を自分の剣で抑える。ピエールはその様子を見て始めの一撃はなんとか避けたものと安心していたが、それでもリュカの表情が緩まないことに少し違和 感を覚える。そのリュカには二撃目が放たれリュカの右脇にもう一本の剣が迫っている。少しだけ舌打ちをしたリュカはその場から左のほうに飛びのくが、 空を切った横薙ぎの剣とは別、一撃目の剣が執拗にリュカに迫ってきていた。
さすがにここまで執拗に狙っているのはおかしいとピエールが飛び出した。そしてピエールは目を疑った。見た方向に逃げているはずのリュカと敵の姿が もうなくなっているのだった。慌てたピエールが次にリュカを見つけたのは自分の右手で、相変わらず防戦一方のリュカだったが、不思議とその顔は笑って いた。「手を出すな、ピエール。これはわたし一人で大丈夫」
二本の剣が上と横から襲い掛かるが、リュカはそれを剣の刃と柄で止めて一瞬動きが止まる。「ふぅ」とリュカが一息つくとわずかだが何かを言ってい る声が聞こえる。それを確認したリュカはすぐに飛びのくとスッと手のひらをその相手に向ける。
「バギマっ!!」
向けた瞬間リュカは呪文を口にする。何もない空間に突如として竜巻がおき、その中にはいくつかの真空の刃が見て取れる。相手が詠唱をしているさな か、リュカのバギマは相手に襲い掛かった。その相手は詠唱を中断するとバギマの届く延長線上から逃げる。これで優位に立ったリュカはそのバギマを追い かけるようにして相手に袈裟斬り切りかかって行く。一本の剣で止められ、もう一本が遊んでいたがそれを確認すると対峙せずに間を保つ。再び横薙ぎに剣 を振るうと別の剣が止める。この瞬間密着する格好になったリュカは空いている手でまた遊んでいる剣に向かって手を伸ばす。掴まれると思ったのか手を引 いて逃げようとする相手に瞬時に呪文を唱える。
「バギっ!!」
小さなかまいたちが突然生まれ、それは相手の左手に命中し握っていた剣を落とす。それを見たリュカは改めて自分の剣に力を込めて握りなおすと、 残っている剣目掛けて横に一閃させる。相手は当然と言った風に剣を立ててそれを受け止めるが当たった瞬間リュカは剣を構えなおし二度三度と強く打ち付 けて行く。五回剣同士が当たったところで剣を離したのは相手のほうだった。両手から獲物を奪われた相手は落ちている剣に向かって走り出すが、向きを変 えた相手の顎先にリュカは剣の切っ先を突きつけた。
「…二本構えるのは見たことありませんけど、こうやって対応すればなんとかなります。わたしもなかなかのものでしょう?ティラルさん」
リュカが鋭い目つきから笑った目に変えて見せそう呟いた。その相手は降参と言った様子で両手を挙げてその場に止まっていた。
「…こうやって仕合うのは初めてだけど、なかなか良い戦い方だね。でも、いつあたしだと?」
リュカが警戒を解き、剣を降ろしたところでその相手−ティラルはリュカに訊ねる。
「二本目が確認できたときです。剣を二本構えるのはティラルさんしか居ませんからね」
リュカはそう言って笑って見せた。
その様子を見てピエールが(表情は見えないが)驚いた様子を見せてリュカに駆け寄る。「ああ、ピエール。ごめん、この人は知り合い。時々話しに出てくるティラルさんだよ」
リュカがそう言ってティラルを紹介する。薄暗い洞窟の中でよく顔の確認が出来ないピエールはランタンを「失礼ながら」と断って顔の横に持ってく る。リュカより少し年上のような顔立ちで、髪の長い女性。どこかリュカ…と言うよりはこの世界とは違った雰囲気をかもし出しているようにピエールには 感じられた。
ティラルにピエールたちを紹介して、今は魔物たちの陰を払うことで従ってくれるものを仲間にしていることを話した。そして、ここまでの行程とこれか らサラボナに向かうことをティラルに告げる。「そうか。ラインハットで会った以来だけど順調そうで良かった」
「ティラルさんはなんでここで待ち伏せを?」
ティラルが安堵の溜息をつくと、間髪おかずにリュカが訊ねてくる。地上で待つならばまだしも、敢えて洞窟内で待つことがどこか不自然に感じられ た。
「実は少しだけ、封霊紋と黒霊石の力を留めることに成功してね。それをリュカに届けに。この先、何があるかわからないけど、それを使うことが必要に もなると思うからさ」
そう言うティラルの言葉…封霊紋と黒霊石の言葉を聞き、ピエールは一瞬身体を硬直させた。事情は詳しく知らないが、リュカが隠しているはずの封霊 紋のことを知っているのは何か怪しく感じられたのだった。それがわかったのか、リュカはピエールのほうを向いて、いつもの休んでいるときに見せる笑顔 を見せてくれた。
「この封霊紋を隠している手甲のアクセサリーはティラルさんが作ったものなんだよ。父様の次に事実を知った人なんだ。詳しいことは知らないけど、全 面的に信用して大丈夫だよ」
リュカに言われて少しだけピエールは警戒を解くが、全てを信用したわけではないようだった。ティラルはいつものようにあまり関心のないような感じ で何かを探していた。そして手のひらに収まる程度の円状の紋章を取り出した。
「はい、リュカ。これは『ルビスの守り』とでも呼んでもらおうか。リュカの呪いを解くのに必要なもの」
そう言ってティラルはその円状のものをリュカに手渡す。
「完全ではないし、封霊紋自体が良くわからないからどの程度の能力かはあたしにもわからない」
ティラルは渡してからそう付け加えた。
「これは…どう使えば?」
「使ったら最後、かも知れないよ?回数なんて数えられるか…」
ティラルは少し不安に駆られながらリュカの質問に答える。リュカはそれでも笑ったままティラルの言葉を待っていた。
「両手で持って、封霊紋と黒霊石がなくなることをイメージすれば大丈夫。それで両方消えてくれるのが一番なんだけど…わたしもその封霊紋については 全てをわかっているわけではないからね」
ティラルがそう言うとリュカは一回頷いてティラルを見つめ返した。
両手でルビスの守りを包み込み、リュカはゆっくり目を閉じた。そして暫くすると、そのリュカの両手の隙間からまばゆい光が溢れ出した。溢れた光は 徐々にリュカを包み込んで行くと、リュカの全身が光に包まれた。そしてその光が再び収束していくと、そこに居るリュカが少し雰囲気の違う格好で立って いた。「成功・・・?」
ティラルが呟くと、リュカは自分の身体の変化を手で触って確認する。身長や髪型、顔つきはあまり変わったところはないが、でも目鼻立ちがすこし はっきりしていたり、なにより今まで比較的あったほうの胸がなくなり、筋肉なども先ほどからするとはっきりと見て取れるような感じになっていた。
「…一応、成功ですね」
そうしゃべったリュカの声は少しだけ低い声になっていた。
「あはは。頭の中は何も変化ないから違和感が・・・」
服を着ているのに恥ずかしいのか、服の上から自分の身体を抱きしめるようにしてリュカは言う。
「でも、一応って?」
先ほど言ったリュカの言葉にティラルは不思議そうに言う。
「瞬間耳を触りましたけど・・・」
髪をかき上げて右耳を見せる。小さめの耳たぶには、漆黒とも言えるような真っ黒な石のピアスがその耳にはあった。そしてそれを確認した後、リュカ はティラルに左腕をだしてアクセサリー−バロッキーを取ってみせる。その腕には中が同じ漆黒の色で、それを縁取りするようにどす黒い血の色で書かれた 紋章が見て取れた。
「…そうか、完全に取り払えないか、やっぱり」
それを見た段階でティラルは溜息をついて呟いた。その様子を見て、リュカが中性的である意味魅力的な表情の中に少し悲しげな表情を浮かべてティラ ルの手をとった。「それと…」小さくそう呟いて今度は手の中にあったルビスの守りをティラルに見せる。そのルビスの守りは真ん中で二つに裂くようなひ びが走っていた。
「・・・っ!!」
声にならない衝撃のようなものがティラルに走る。奥歯をかみ締めてぎりりと音を立てる。
「この状態に戻れてあと、二回でしょうかね?」
うつむき、少し寂しそうな声を出してリュカが呟く。ティラルは「そうだね・・・」と力なく呟いてうなだれてしまった。
「あいつを・・・ゲマを甘く見ていた。思ったより強い呪いだ。ごめんリュカ。完全を期待していたわけじゃないけど…でも、どこかその想いは抱いてい た」
リュカの肩に両手を置いて、ティラルが呟いた。俯いているので表情まではわからなかった。だが、一方のリュカは絶望した感じはなかった。ティラル の右手に自分の右手を重ねて目を瞑ってリュカは言った。
「大丈夫ですよ、ティラルさん。状況が悪くなったわけではありません。それに、ゲマを倒せばなにか起こるかも知れませんから。そこまで女のままでも 構いません。…いえ、実際は女のままのほうが良いかも知れません」
「それはダメだよ。リュカは残さないといけないんだ、その血を。…今のままじゃ、子供は作れない」
女のままでいいと言うのはリュカも本心ではなかったが、ここまで女として育ってしまっている以上それを払拭して男として生きるのは少し無理を感じ ていた。
しかしティラルはそれを納得しなかった。前に言っていた「残し導く者」としてリュカを導かなくてはならない、ティラルにはその使命がある。絶対に譲 れないことだった。
近くで見ていたピエールとマーリンがリュカの変化を目の当たりにする。しゃべらないで居れば、男とも女とも取れる中性的な美しさを持ったリュカは、 誰にでも好かれるような雰囲気だった。「…女性でも、子供を残すことは・・・」
先ほどのティラルの言葉を不思議に感じたマーリンは言うが、リュカとティラルはマーリンを見つめると力なく首を振った。
「わたしは…女性に本来あるはずの生理現象はない」
「ついでに言うと、卵巣もないことを確認している」
リュカとティラルは小さな声でマーリンに言う。女性が子を残すための生理機能が働かず、肝心の生殖機能もなくなっていては無理でしかなかった。
「…男ならばそれが可能じゃと?」
「…男性としての生殖機能はきちんと残っている…いや、残るというより元々リュカは男だからね。男に戻れば男としての全てが戻るんだ。新しい命を生 むためのものは機能している」
相変わらず、力なくティラルは言う。マーリンは不思議そうにリュカを見つめていた。リュカはティラルを抱きしめて「大丈夫ですから」と耳元でささ やいた。
「…あと二回使えるのならば、瞬間でも男に戻れば良いんですから」
ぎゅっと抱きしめられたティラルはがっくりと肩を落として溜息をつく。情けなく笑顔を作りながらリュカの頭を撫でた。
「ホントにリュカは強いね。パパス殿も自慢の娘だろうな…」
ティラルはそう言うとリュカを見つめる。そのリュカはどこか不思議な雰囲気の瞳をしていて、だがその瞳をティラルは見たことがあった。
「あたしが一緒に冒険した、リュカの先祖にそっくりの瞳だ。…その先祖の意思があるから、みんな強いんだろうな・・・」
ティラルが言うとリュカは微笑んでティラルを見つめ返した。
「そう思うならば、わたしたちを見守ってください。全てが悪いほうばかりに動くとは限りません」
リュカがそこまで言うと、再び光がリュカの全身を覆う。それが元のリュカに戻ることだというのはその場に居た皆が理解していた。光が消えると、い つもの小柄なリュカが居た。
「…違和感とかない?」
慌ててティラルが訊くがリュカは笑顔で首を振った。
「男のほうが違和感ありますよ。ないものがあったり、その逆もあるんですから」
「…大丈夫そうだね。リュカ、それは預けるよ。どこでどう使うかは任せる」
「はい、ではお預かりします」
いつもの声でリュカは言う。ティラルは少しばかり居づらそうな表情をして、そのばに立ち尽くす。
そのティラルに近寄ったのはリュカだけではなかった。ピエールやマーリン、馬車に居た皆もティラルに近づき、表情を緩めたり、楽しそうに身体を動か していた。「ティラル殿とお呼びして良いか?」
マーリンが訊ねるとティラルは頷いた。
「リュカ様にある封霊紋の呪いを解けるだけでもたいしたものです。我らは封霊紋の前で無力ですから。それに…稽古をつけていましたな?」
ピエールがそう言うとマーリンも頷いていた。もちろん当事者であるリュカもわかっていてその言葉に頷いていた。ティラルは少し恥ずかしそうにして いた。
「わしらも魔物の力はあるにせよ、それでなにかをするとしたら、旅を手助けすることしか出来ぬ。その点でティラル殿はリュカ殿にとっては力になる味 方。これからもわしらが気付かぬところを助けてくだされ」
マーリンが頭を下げてティラルに言うと、他の皆も頭を下げた。
ティラルはこんな仲間に囲まれたリュカが少しうらやましく感じていた。「あたしでよければ、いくらでも助けるよ。リュカ、たとえ遅れてもあたしは必ず駆けつけるから…絶望しても、絶対に・・・」
「はい、諦めません。母様を探し出すまでは絶対に。わたしを取り戻すまで、絶対に」
洞窟の中での出来事が収束するとティラルは再び姿を消した。
リュカたちも洞窟から出ると、更に南進してサラボナに向かう。
そのサラボナは色々な人々で賑わっていた。誰もがおそらくはフローラの結婚相手に立候補すべく来ているのかと思ったが、話を盗み聞きしてみると、す でにギブアップした人たちがだれが目的のものを持ってこられるかを期待して待っているという状況だった。
サラボナの街の近くには見晴らす為だか、警戒するためだかの塔があったがリュカはその塔の近くに馬車をとめ、野営するように伝えた。
リュカがサラボナの街に入ると、祭りのような賑わいで人々があちらこちらで噂話に花を咲かせていた。
その人々を縫うように早足で歩く見慣れた姿があった。リュカは声をかけようとしたが、向こうはまったく気付いていないようだった。その後をつけて行 くと街外れの一軒家に入っていった。リュカもその後を追って入って行く。「フローラ?」
家の人に了解を得てフローラを追うと二階の一室に居ることがわかる。ゆっくりドアを開けて中に入ると、中では一人誰かがベッドに寝ている様子がわ かった。
「?」
声に反応してフローラがきょろきょろと部屋を見回す。わずかに開いたドアから覗くリュカの姿をフローラは見つけると、ベッドに寝ている誰かを心配 する表情から、少しの安心と、もうすがるものがないと言った表情でリュカに抱きついてきた。
「リュカさん!!・・・よかった、このタイミングでリュカさんが来てくれるなんて・・・」
フローラはそう言って暫くリュカに抱きつき泣いていた。
「なにがあったのさ、フローラ」
少し落ち着いたフローラにリュカが訊ねる。フローラはようやく顔を上げて、ベッドで眠る一人の青年を見つめる。
「この人は?」
「私の幼馴染でアンディと言うの」
フローラは少し悲しそうな顔をしてリュカに告げると、ベッドの横にしゃがみこみ彼の名を呼ぶ。
「…火傷してるみたいだね?」
「思ったより酷くて…ベホイミだけでは完全に回復しないの」
リュカは腕を組んで何が起きているのかこれまでの旅の中でのヒントを探す。それはそう苦労せずに見つかる。
「…このアンディって人も、フローラの婿に立候補したの?」
不思議そうな声でリュカが訊ねると、知っていることが意外そうな顔をしてフローラはリュカを見た。
「サラボナにくる以前でも結構噂話になってる。なんでも、指輪を見つけてきたらフローラの婿になれるらしいじゃない」
リュカが言うとフローラの顔がまた悲しげな表情になる。そして小さな声でボソボソと話し始める。
「指輪は二つ。炎のリングと水のリング。初めに炎のリングを探すようにとお父様が指示したんだけど…リングのある場所は南にある活火山の洞窟内で、 その火山自体、『死の火山』と呼ばれる場所なの。昔はそのリングがサラボナを守ると言われて、神殿まで作られたんだけど…その伝説も廃れて、今は魔物 の住処。溶岩も間近を流れて危ない場所なの」
「・・・火傷をしている人たちは準備もなく、その死の火山に踏み込んだってわけか。アンディさんもそのうちの一人ってことだね」
説明するフローラはとても苦しそうにしていた。その様子を見ながらリュカは状況を推察して話をする。だがフローラの説明を聞けばアンディがどう なっているかは容易に理解できた。
「お願い、リュカさん。皆を止めて欲しいの。私は…こんな危ない思いをされても結婚を素直に受け入れられない…」
そこまで言うと、急に部屋のドアが放たれる。そこには派手目の服や髪飾りをつけたリュカと同じ黒髪の女性が立っていた。
「デボラお姉さん・・・?」
その人をフローラはこう呼んで驚いた表情をしていた。デボラはその場に居るリュカは目に映らない様子で、つかつかとフローラに近寄ると優しくフ ローラを包み込んだ。
「父さんも酷いことを言うもんだね。安心しな、少なくともこの街から指輪を取りに行く連中は説得したから。フローラが一人で苦しまなくてもいいんだ よ」
そう言いながらデボラはフローラの髪を優しく撫でた。
「誰にもフローラは渡さないよ」
静かに言って、デボラはリュカを睨み付ける。リュカはぎょとんとした表情で、何がどうなっているのか把握するのに時間が掛かった。
「…デボラお姉さん、この人が修道院で知り合ったリュカさんよ、奪いに来たわけじゃないわ」
フローラが言うと、怪訝そうな顔で尚もリュカを睨み続けた。
「あ、前に修道院で話してくれたお姉さんがこの人なのね?」
修道院で寝食を共にしていた頃に、サラボナには両親と姉が待っていると言う話をしてくれたことを思い出した。その姉、デボラはどうやらフローラを 大切に思っているらしかった。
「あんた、本当にフローラをあたしから奪おうって考えているんじゃないだろうね?」
「…結婚話は聞きましたけど、わたしはフローラをどうこうするつもりはありません。…ただ、家宝だと言う盾を譲っていただければ・・・」
デボラに質問されて素直に答えたリュカだったが、家宝の盾と口にした途端、デボラは長く伸ばした爪をリュカに突きつける。その瞬間リュカも身体が 反応してすばやく一歩退くとそのまま両腕を胸の位置で構えていた。
「その盾はフローラと一緒に家を継ぐものがもつ資格がある。突然やってきて譲れと言われたって父さんがそれを許すはずはない」
デボラがそう言って少し間合いを詰めると、リュカも全身を緊張させて戦闘態勢をとって行く。
「待って、デボラお姉さん、リュカさんは酷いことをする人じゃないわ」
フローラがデボラの腰に抱きつき騒ぎを収拾する。止めるフローラを見てデボラは軽く溜息をつきながらリュカへの攻撃の手を緩めた。
「…ま、あんたみたいな小娘がフローラと結婚なんて無理だけどね。…あたしとなんかもっと無理か」
デボラはそれだけ言うと相変わらずリュカを睨んでいたが、暫くそのままで何かを考えているようだった。そして、ぱちんと指を鳴らすと、今度は警戒 心なくリュカに近づき、さらされている腕を取ってじっと見つめた。
「ふーん。背中の剣が立派だからいくらかやるのかと思ったけど…この傷からすればなかなか実践は積んでいるようね。リュカ、と言ったかしら?フロー ラをもし助けるつもりがあるならば、あたしに一枚乗らない?」
リュカを見つめてデボラが言う。リュカは少しの警戒心を見せていたが、フローラを引き合いに出されて少し拍子抜けをしていた。また、デボラの言葉 にはどこにも邪気に似たものがないのにも驚いていた。
「なにをしようと?」
慎重にリュカがデボラに訊ねると、デボラはニッと笑って見せた。
「あんたが指輪を取ってくれば良いのよ。そうすればフローラは結婚しなくて済むし。それにこの際だから変に名ばかりが先立つ盾ってやつも持って行っ ちゃってよ」
デボラはリュカを指差しながらこう言った。
「えっ!?」
リュカがデボラに一番初めに発した声はただの驚きだった。リュカの了承もなしに話は進んで言っていて、状況がわからないで居るリュカだった。
「ったく、物分りが悪いわね。いい?そもそも女同士の結婚というのは認められていないはずよ?それ以前にそんなこと聞いたこともない。そこであんた が炎と水のリングを回収してきて、父さんに差し出す。フローラはこれで結婚は出来なくなるけど、ただ苦労するだけじゃあんただって骨折り損でしょ?そ の代償に盾を持って行っちゃって欲しいのよ」
そう言ってデボラは作戦の始終を説明する。フローラの結婚を回避するには、同性が指輪を持ってくるのが一番手っ取り早い。その点はリュカも同じ意 見だった。だが、それで家宝の盾がもらえるかは少し疑問だった。
「…盾の話は、デボラさんからも話していただけますか?」
リュカが慎重に訊ねると、デボラは困ったように深い溜息をついた。
「それは働き次第。…その辺のことはあんたが考え付いたくらいのことを言っても良いじゃない」
首を振りながら、まったくと悪態をつく様子でリュカに言った。
「…もしかしたらわたしがフローラを連れ去るかも知れませんよ?」
「そんなことをしたら殺すわ、容赦なくね」
少しだけペースを取り戻したリュカがそう言うとデボラは再び鋭い目つきでリュカを睨んだ。
結局リュカはデボラの案を呑み炎のリングを探すことになる。
「…リュカさん、大丈夫ですか?」
フローラは出発の準備を整えたリュカに心配そうに訊く。そのフローラの隣にはデボラも居て、リュカを見送ろうとしてくれていた。
「大丈夫だよ。ここには居ないけど、仲間も居るしね」
「そうそう、話によれば炎の指輪は魔物が守っているらしいから、それなりに覚悟して行くのが良いわよ」
リュカが軽くフローラの心配を返して見せると、そこに横槍を突っ込むようにデボラが一言付け加えた。しかしリュカはそれでも別に恐怖を持ったりた じろいだりする様子はなかった。
「…なかなかの度胸ね、あんた。その辺は評価してあげる」
珍しくデボラが他人を評価している様子に、フローラが驚いた様子を見せた。
「じゃ、行って来るよ」
リュカはそれでも特別態度を変える様子なくそう告げて、サラボナを出発する。
死の火山はサラボナの南東にある。リュカはサラボナの外で待つ仲間たちに合流して、早速死の火山に向かう。
そこまでにメタルハンターやキメラと言った魔物が襲ってきていたが、無理せずに少しずつ先に進むことで自分たちの経験値も上げて行く。そうして、死 の火山に付く頃にはそれぞれが十分に戦闘に対して余裕を持てるくらいになっていた。
活火山であるが、まだ噴火には至らない死の火山。山自体は岩山のようになっていて、外から登るのは困難と思われた。その麓にはぽっかりと洞窟の入り 口が口を開けていた。
リュカたちは全員でこの死の火山に挑む。洞窟に入ると、人工的にとも自然にとも取れるような通路と、その脇を流れる溶岩流が目に入る。「これは…普通に歩くだけでも、気温で火傷しそうだね。…アンディさんは溶岩に当たったのかな?」
リュカが呟くと、荷台からマーリンが顔を出す。
「…おそらくそうじゃろうと。わしらは一応トラマナを使って動けるものの、それでもリュカ殿は要注意ですぞ」
マーリンはそう言ってトラマナをかける。外気との隔たりを作ることでトラマナの呪文の範囲内はある程度快適な空間を作っていたが、それでも真夏の 気温より暑い状態だった。溶岩をよけながら先に進むが、その間もキメラはもちろん、炎の戦士と言った火山の中だけに出てくる魔物も居た。それらの相手 をしながら、普段の歩みより随分と遅い速度で歩いて行く。
洞窟は徐々に地下へと進んで行くように作られていて、進むごとに溶岩の量と暑さは増していった。「…神殿があると、リュカ様はお聞きになられたと?」
「うん。サラボナを守る地形の一つがこの活火山。高い山脈で外敵から身を守れる。それとルラムーン草のところにあった大きな滝。あれがもう一つの地 形なんだって。それで、随分昔にサラボナを訪れた賢者が火山と水の力を引き出すリングを作って奉った。それが炎のリングと水のリングらしいんだ」
ピエールの質問にリュカはフローラとデボラから聞いた話を皆に聞かせる。
「しかし、そのようなある意味、魔力をを使ったリングとなると、守護者が勝手につく恐れも考えられるぞ」
「神殿があるくらいだから、それは予想の範囲内。問題はこの溶岩のほうだよ」
マーリンが警戒するように促すが、リュカは自分なりに予想して、話半分を聞き、もう半分は自分の考えを主張する。そうして地下へともぐって行きあ る階にたどり着く。
そこは石で作られた立派な神殿があった。その奥に祭壇があり、炎のリングはそこに奉られているのがわかる。だが、リュカは逆に慎重になっていた。そ れはリュカ以外の仲間も一緒だった。周りは溶岩に覆われ浮島のように神殿は作られている。その神殿までは一直線の通路だけが延びている。マーリンの言 う話が正しければ、どこかで守護者が見ているに違いない。警戒しながら緊張の糸を張り詰めて行く。「・・・リングは渡さぬ」
案の定、その通路の中ほどまで行った時に声が響く。そしてその通路は突然音を立てて崩れ、リングのある祭壇は完全に孤立してしまう。そしてそこに 現れたのは溶岩原人とキメラ、炎の戦士だった。
「ここから先へは行かせん。進みたくば全力で掛かって来られよ」
キメラと炎の戦士が言う。よく見るとキメラも炎の戦士もどこかこれまで見てきた魔物たちと雰囲気が違う。溶岩原人にいたってはそこに居るだけです でに周りの溶岩の全てを操れるような強さが見て取れた。
「リンクスとピエール、ブラウンは前衛に!スラリンは中盤で全員をフォローしてマーリンとホイミンは後衛から援護!!相手は今までと違う奴ら、油断 しないで!!」
リュカの指示が飛ぶ、同時にそれぞれが指示通りの位置に付きスタンバイする。リュカが背中の剣を抜き放つとそれを合図に前衛が飛び掛って行く。
炎の戦士とキメラは溶岩原人を守るようにして立ちはだかると、皆の攻撃を一斉に受け止めて行く。同時に溶岩原人は、案の定周りの溶岩を操って隕石の ごとく溶岩を頭上から降らせて行く。溶岩で軽い火傷を負った者はリュカ、ピエール、ホイミンの回復魔法で即時に傷跡を消して行くが、それでも溶岩原人 の攻撃は容赦なかった。そして炎の戦士とキメラを先行して倒そうとしても、深い傷を作る前にキメラの回復魔法で瞬時に回復して行った。「長期戦になります、リュカ様」
「ピエール、イオラで全体にダメージを。リンクス、力をためて一撃を確実に。ブラウンは私とリンクス・ピエールを援護!!」
的確にリュカが指示を出すことでそれぞれが単独で与えていたダメージが一極集中する。各自が目標とした相手から、全員で同じ相手に攻撃を仕掛け る。それにより少しずつダメージは蓄積されていく。魔物たちの回復役はキメラだけだったため、そこを始めに倒して行き、後から炎の戦士と溶岩原人を倒 す作戦に出る。尚も溶岩原人の溶岩の攻撃や炎の戦士のギラや火炎の攻撃で、リュカたちは全体的にダメージを受けてはいたが、後衛からのフォローなどで その勢いが衰えることを知らなかった。
暫く一進一退の攻防を繰り広げていたが、それも回復役の数と攻撃役と役割の出来ていたリュカたちに軍配は傾く。「貴様らは一体・・・!?」
まだ息のあるキメラが声を上げる。それを見下ろすようにリュカとピエールが立っていた。
「なぜ、人間などの味方をしているんだ!?魔物は人間を貶めてそれらの人間を各地で捧げることに意義があるはず」
その声を聞いてピエールが振り返り馬車に集合している皆を見る。そこにいる仲間たちは皆一様にピエールが言おうとしていることに対して同意してい た。それを確認したうえでピエールが話し始める。
「我らは主に邪気を払われた者。そして、主の意思に共感して従う者。それぞれ最終的な目的は違っていても主を守り旅を続けるのが我らの使命。主の命 であれば人間を守ることさえ容易い」
そう言うピエールの姿がキメラには不思議に映っているようだった。
「炎のリングを囮に欲に満ちた人間たちを貶めることが使命だと言うのに、なぜこんなときにやられねばならんのだ・・・」
悔しそうにキメラが言うとその言葉を肯定する意見が出る。
「別に人間の全てを守ろうとか考えているわけじゃないよ。わたしだって個人の目的のために旅をしているだけだから。自分が気に入らなかったり欲だら けの堕ちた人間を救う気なんて全然ない。…なにかを欲してそのために炎のリングを奪いに来たのは事実だけど…必ず欲に目が眩んだだけの人間が来るとは 限らない。意思が強ければそれなりに生きようとする力も強くなる。わたしたちはその意思が強かっただけ、あなたよりも・・・」
リュカが静かにキメラに言う。その言葉を聞いてキメラは最後の力を振り絞ってその場で顔を上げる。
「なぜ欲のある人間なのに、地に堕ちない?」
「欲望、私欲に埋もれていないから。目標が出来ているから。それだけだよ、きっと」
リュカはキメラの理解できないと言った言葉に静かに答えた。
「もし、気になるならば炎のリングをこのまま守り続けてもよいのではないか?我らと行動を共にして」
ピエールがスラリンを見つめながらそう呟く。スラリンは「ぴきー」と鳴いてその場で飛び跳ねているが、何かを言っているようにも見えた。
「…天空の剣を守護していただと!?」
そのキメラの声でスラリンが何を言っていたかは皆に理解できた。キメラの言葉にリュカが続ける。
「天空の剣がどう使われるか。それを見据えるためにスラリンはわたしについて来ている。…邪悪のためにそう言った黒い人間を集めて居たんだろうけど ね。そう多いものじゃない。競い合って炎のリングを手にしに来る者も居るけど、それで邪悪がはびこれるような状態になるとは思えないな」
静かな声でリュカが言う。それを聞きキメラは少し脱力した感じになる。
「もともと炎のリングは魔族の持ち物。それを人間が強引に奪い、魔物も人間も手の届かぬ場所に納めたのがここだ。人間は確かに寄り付かなかったが、 火に強い魔物はこうしてここに辿り着いた。だが炎のリングは何かに反応していて取り出せなかった。いつか持ち主に相応しい者が現れるまでこうして守っ ていたのだが…」
そこまで言うと、ピエールはキメラにベホイミを唱える。その行動に不思議な顔をしてキメラは起き上がる。
リュカやピエールは奥にある炎のリングの方に歩み寄る。真っ赤に燃え盛るような赤を湛えた意思のはめ込まれているリングだった。キメラがとることが 出来ないと言ったそのリングをリュカはゆっくり手を伸ばして触ってみる。特に何の拒否反応もなくリングはリュカの手に収まった。「…もともとここに安置したのは人間らしい。その人間が何かの意思を法術にしたんだろうね」
人差し指の先にリングをかけてリュカがキメラに言いながらそれを見せた。
「わたしたちはこの指輪が必要なんだ。いただいて行くよ」
その言葉を聞いてピエールは馬車に戻り、リュカもその馬車の後に付いた。だが、二歩も歩まぬうちにリュカの背後から声が掛かる。
「わたしも連れて行ってくれないか?おろかな人間たちを見てきたが…そのリングを本当に必要として、そこまで意思を強く持った人間を初めて見る。あ なたの行く末を見てみたい」
キメラが背の羽を羽ばたかせてリュカに近づく。戦闘の意思を感じなかったため、馬車から誰かが飛び出すことはなかった。
「…フローラの結婚相手になる人たちには、このリング取れなかったかもしれないね」
御者台に戻るピエールとその後ろから顔を覗かせたマーリンにリュカが言って見せた。
「ある意味、私欲でしょうからな」
ピエールが答えてマーリンが頷く。リュカはキメラの様子を暫く見つめてやがて笑顔を見せた。
「いいよ、ついて来て。戦力としても期待しているからね?」
リュカがそう言ってキメラにウインクをしてみせる。キメラは少し照れたように下に俯く。
「わたしはリュカ。仲間のみんなの名前は後で確認して」
「わたしはメッキーと言います」
メッキーは改まって名乗り、リュカに頭を下げた。新たな仲間を加え、炎のリングを奪取したリュカたちはリレミトとルーラで早々にサラボナまで戻っ た。