3.古代魔法
ポートセルミで宿を取り、鍛冶屋を見つけパパスの剣を鍛え直す。クラリスがカボチ村のことを聞いてきたが、リュカはそれに答えることはなかった。仲 間になったリンクスを紹介することで、カボチ村で何があったかは悟って欲しい、というのがリュカの願いだった。その様子にクラリスは「いつかは笑って 話せるときがくる」と言ってくれた。
鍛え直したパパスの剣は鈍い色を湛えながら、しかしその切っ先は鋭く研がれていて、今まで使っていた鋼の剣を斬ってしまえるようなほどのものだっ た。リュカはその剣を背負いこれからの戦いに挑む。
クラリスに再び礼を言い、リュカたちはポートセルミから西に向けて歩き出す。クラリスに話を聞いたところ、この大陸の南西にサラボナがあると言うこ とだった。そのサラボナへは西に進んだ後に地形に沿って南下すると言うことだったが、街に立ち寄るつもりもあっていくのならば、ポートセルミから西の ルラフェンに寄ると良いとも話してくれた。いまのリュカの目的地はサラボナだが、急ぐ必要もないとルラフェン行きを決めて、西に歩いていた。
このあたりに出る魔物はそう強い敵ではなかったが、山賊ウルフやスライムナイトの亜種、メタルライダーなどは集団で行動していることが多く、動きも 俊敏で多少の苦戦を強いられた。リュカ自身の最終目的がどこかはまだ決まったわけではなかったが、戦闘を繰り返して自分と仲間が強くなっていることが 望ましいと判断すると、リュカはその旨を伝えて、直接ルラフェンに向かわずに途中で野宿を繰り返し、戦闘経験を積んで、パーティの中で誰もが先陣に立 てて、誰もがそれぞれの方法でフォローできる布陣を敷く。基本はリュカ、ピエール、リンクス、ブラウンが前衛、同時に前衛内での回復にリュカとピエー ル、後衛ではスラリンとコドランの息や火炎による攻撃、ホイミンによる回復で展開して相手を撃破する形をとっていた。
暫くそんなことを繰り返して、戦力はポートセルミを出た直後よりも高くなる。初めは苦戦していた山賊ウルフ、メタルライダーはもちろん、ルラフェン の更に西の地域で出るパペットマンやさまようよろい、モーザと言った敵たちもあしらえるまでになっていた。
そしてリュカたちはルラフェンに入る。馬車組であるピエールたちは少し警戒してルラフェンから離れた場所で野営をする。リュカは一人で街を訪れた。 街に入って突然の眩暈にリュカは襲われて、入り口で倒れそうになるのを、たまたまその場を通りかかった宿屋の主人に助けられる。「あ、頭が痛い・・・」
がんがんと打ち付けられるような痛みと重さとで立つことも出来ないほどになってしまったリュカは誰かに手を借りたのまでは覚えているが、そのまま 気を失ってしまった。
「…魔法中りか。まったくベネット爺さんの研究もここまで来ると犯罪だよなぁ」
リュカが気づくとベッドに横になっていた。まだ頭はがんがんと痛む。かろうじて目を開けるとそこには中年の域に入るくらいの夫婦がリュカの汗を拭 いたりしながら何かをぼやいていた。
「あ、あのぉ・・・」
遠慮がちにリュカが声を上げると、様子を見ていた二人がぱっと顔を明るくした。
「あら、あんた気づいたんだね」
ベッドの横に座っている婦人が声をかけてくれる。リュカは頭を押さえながら何とか起き上がろうとする。
「ああ、無理しちゃいけないよ。重度だと精神まで来たしちまうからね。横になってて良いから」
リュカのしぐさを見て婦人がリュカの肩を押さえつけて寝ているようにと促す。リュカも頭痛に悩まされて思うように動けずに横になったままで言葉を 発する。
「ありがとうございます…こんなこと初めてです」
「だろうねぇ。ここは魔法学が栄えていたんだけど、今は廃れてね。けど一人だけ古代魔法を甦らせるって研究に熱心な爺さんが居てね。あんたはその爺 さんがやっている研究の魔法力に中っちまったんだよ」
婦人はそういってカラカラと笑って見せた。
「魔法力…?古代魔法…?」
リュカも聞いたことのない言葉を聞き首をかしげる。
「それよりあんた、名前はなんて言うんだい?あたしはルラフェンの宿の女将でビタスって言うよ。あんたを助けたのはうちの主人でトリクって言うん だ」
「あ、助けていただいてありがとうございます、わたしは旅の者でリュカと言います」
ベッドに横になったまま、申し訳なさそうな顔をして首だけ上げて挨拶をした。
「で、魔法の研究って…?」
リュカが訊ねるとビタスは嬉しそうに話を始めた。
ルラフェンの歴史は長く、昔はサラボナを守る最前線の街であったと言う。そして、サラボナを守るために、武器防具だけでなく、呪文についても研究が なされていた。攻撃系の、炎、閃光、氷雪、爆発、真空の属性から強力な呪文を生み出すのはもちろん、数々の補助系呪文をも研究していた。だが、それら の呪文も術者の精神力が高くなければ使えないような代物になってしまいがちで、それらが世に出回ることはなかったと言う。そうするうちに呪文の研究も 廃れて行き、今は戦闘に使う呪文を生活に生かせないかと最弱呪文よりももっと威力のない呪文などを研究するようになったと言うことだった。
リュカの魔法中りはこの街でも特に研究に熱心な老人の抽出している魔法の元に中り、中毒になってしまったと言うことだった。二、三日すればその魔法 の元にも慣れて中毒はなくなるらしかった。「…でも、これまで強く魔法中りしたのはリュカが初めてだよ。この宿はルラフェンの入り口にあるから、よく倒れる旅人を見つけることはあるんだけど ね。…リュカは呪文は使えるんかい?」
ビタスが興味を持ったようにリュカに訊ねてくる。
「ええ、一応旅をする者ですから、それなりには」
「じゃあ、弱くて中ったんじゃなさそうだね。…あんた、この子ベネット爺さんに会わせて見ようか?」
ビタスが嬉々としてトリクに言う。
「古代魔法は精神力が強くないと使えないらしいからな。それはそれで面白そうだな、爺さんもそのほうが張り合いがあるかも知れんしな」
トリクはそう言って笑う。リュカはそんな二人を不思議そうに交互に見つめていた。
トリク・ビタス夫妻の計らいでリュカは夫妻の言う「魔法中り」が治るまでそこで治療をさせてもらうことになった。
魔法中りは、精神力の弱い者が精神力の強い者から呪文をかけられたときや、強い者がより強い呪文にかかったとき、湯中りのように体調などを崩すもの だと言う。また稀に強い潜在能力が目覚めることもあると言うが、そのときも体調などを崩したりするらしかった。夫妻はリュカの精神力についてはわから ないとのことだったが、普段使う者が魔法中りするのは、この街に強い魔法を研究する者が居るからだと言うことだった。また、潜在能力が高くてもそれが 反応して魔法中りになることがあるそうだった。
三日ほど経ちリュカの体調は戻った。ようやく起きられるようになったリュカは夫妻に顔を見せると、二人は魔法の研究をしている老人が居ると言うこと を教えてくれた。その老人が今となっては唯一の古代魔法の研究者だと言う。そして「魔法中りしたくらいの精神力だから、きっとその老人の求める人材に 近いものを持っている」だろうと話し、それからビタスに連れられて来たのがベネットと呼ばれる老人のところだった。「ベネット爺さん、邪魔するよ」
ビタスは遠慮なくベネットの家の中に入っていく。
「前から言ってた、精神力の強そうな人連れてきたよ」
「…また適当なやつを連れてきたんじゃなかろうな?」
中から老人にしては若く聞こえる声が聞こえた。
「ルラフェンに着いた途端、魔法中りになるような娘さんだよ?!今度は間違いないよ」
「フン、そう言って何人に騙された・・・・・・」
そう言いながら老人が階段を下りてくる。そして、リュカを見つけるとそれまでぼやいていた口が止まり、その老人も立ち尽くす。
「この爺さんがベネット爺さんだよ。…この娘、旅の人らしいけど、入り口で突然・・・・・・」
「おおー!!こ、こりゃすごい潜在能力の持ち主じゃわい。ビタスには無理じゃろうがわしには見えるぞ、その娘さんの潜在能力が満ち溢れているの が!!こりゃ、呪文だけじゃなく技もいくつか使えそうじゃな」
ベネットはそう言って満面の笑みを浮かべ、リュカに駆け寄った。リュカもビタスもベネットの豹変に何事かと驚いていたが、当のベネットはリュカに 見えるらしいその魔法の潜在能力を褒め称えていた。暫くベネットの興奮は収まらず、リュカとビタスはその場に立ち尽くしていた。
「いや、すまんかったの」
ようやく落ち着いたベネットはそう言いながら頭をかいて照れるように二人に謝り、家の隅にあるテーブルに付くように促した。
「で、どうだい、今度の人材は」
ビタスが訊ねるとベネットはまた、少しの興奮状態になる。今回はそれが自分でもわかったのか、少し落ち着いてからビタスの質問に言葉を続ける。
「うむ、この娘さんはすばらしいものを持っておる。わしなどは抽出した魔法力をこの目で見ておるから、実際に潜在能力自体もなんとなくわかるもんな んじゃが、この娘さんは体中に魔法力があふれとる。魔法中りにならないほうがおかしいほどじゃ。のう娘さん、何でも構わん、あの石の像に向かって攻撃 呪文を唱えてくれんかのぅ?」
ベネットは一息つく間も惜しんで一気にしゃべる。そして、ベネットの家の奥にある古びて壊れかかっている石像を指差してリュカに頼み込む。
「何でも良いんですか?」
「ああ、一番得意な攻撃呪文で構わんぞ」
リュカが確認するようにしてベネットに言う。するとベネットは笑顔のまま、子供が何かを楽しみに待つようなそんな仕草でリュカが呪文を唱えるのを 待つ。
ベネットに促されてリュカは座っていた椅子から立ち上がると、十分に距離をとってその場に立つ。「・・・バギマ!!」
正面にある石像に向けてリュカは右手を上げ、手のひらを向けた。そして口の中で何かを呟きすぐにバギマの言葉を口にする。向けていた手のひらから は突然真空の渦が生まれて、その渦の中には無数のかまいたちが生まれる。音を立ててその渦が形成されると、リュカが構えた手のひらから一直線にその石 像に向かってかまいたちは突進していく。石像と真空の渦がぶつかった瞬間、その石像はまるで発泡スチロールで出来ていたかのようなもろさで、かまいた ちに細かく刻まれていった。
それをみてリュカは呆気にとられて暫くその場に立ち尽くす。通常のバギマでも石像を削るくらいのことは出来たと思ったが、ここまで細かく粉砕するほ どの威力はないはずだった。自分の手のひらと粉々になった石像を見比べて、リュカはその場に再び立ち尽くしてしまう。「いや、お見事じゃ。バギマでこの石像を砕くとは。…娘さん、名は何と言う?」
「・・・リュカ、です」
見守っていたビタスもバギマがどの程度の呪文で、威力がどの程度だったかは心得ているつもりだった。だが、その想像を超えるリュカの一撃に口を開 けて動きを止める。一方のベネットは別の意味で想像以上と言いたそうな満足そうな笑みでリュカに名を聞いた。リュカはまだ信じられないと言った様子で 呆気に取られながら短くベネットの言葉に返答した。
「そうか、リュカか。ルラフェンがどんなところかはビタスから聞いたと思うが、魔法の研究をしておるのも今はわし一人になった。それでもルラフェン 中にあふれる魔法力は抽出できるほどの腕は持っておる。そして、今のリュカのバギマはその魔法力で基本魔力が底上げされておるのじゃ。単純に考えて、 一段階は上がっておるはず。が、リュカは潜在能力も高いようじゃ、それでバギマでも石像を砕くほどの威力を持ったわけじゃ」
ベネットが嬉しそうに説明したが、リュカはその半分ほどしか理解できなかった。ただ、この街にあふれているらしい魔法力のおかげで威力が増したの だけは理解できた。
「うむ。リュカ、旅は急ぐのか?」
ベネットは嬉々としてリュカに訊ねてきた。リュカはまだ衝撃に驚きながら椅子に座りなおし、んー、と考え込む。
「いえ、特に急ぐ理由はありません」
「ならば、わしの研究を手伝わんか?なに、ずっとここに縛り付けるつもりはありはせん。わしも歳でな、どうしても必要な材料があるんじゃが取りに行 けんのじゃ。代わりに取って来てもらえると助かる。かわりに、研究が上手く行ったら古代魔法の一つをリュカに授けよう」
ベネットは真剣な顔をしてリュカに頼み込む。リュカもそんなに急いで先に行くこともないと感じていたので、ベネットの研究を手伝うことにした。
そのことを確認したビタスはベネットにリュカを預けると自分の宿に戻っていく。「さて。リュカはキメラの翼を知っておるな?」
「はい、旅では随分世話になっています。前の街に戻ることができるので、急いでいるときなどは重宝しています。…それ以外はあまり使いませんが」
二人になった途端、ベネットはそれまで以上に真剣な顔になる。基本的な部分は取っ払って話を始めたが、リュカもパパスと共に旅をしていた頃は、各 地で文献などを読みあさり呪文のことについてはパパスよりも知識は豊富になっていた。古代魔法については文献が存在しないことが多く、伝聞でしか聞い たことは無く、キメラの翼が関わってくる呪文・魔法と言うものはリュカも聞いたことはなかった。
「…ならばもし、自在に街を行き来出来たとしたらどうじゃ?」
イタズラ好きの子供のような笑みを見せてベネットがリュカに訊ねてくる。リュカは突然のことで一瞬何を聞かれたのかわからないといった表情を見せ るが、ベネットの自信満々の笑顔をみてそれが今は出来ないが、可能性のあることだとわかり、表情を緩めた。
「もし出来るのでしたら、随分と旅が楽になると思います。…わたしの旅も親友たちの協力などを必要としていて、その親友のところに瞬時に行ければ助 かります」
リュカはそう言いながら、ヘンリーやマリアのことを思い出す。特にヘンリーには国家レベルでないと調べられないようなことを期待していて、再びラ インハットに行く必要性を感じてはいたが、仮にそれがキメラの翼を使ったときのように瞬時に移動できるようになるならば、それはすごいことだとリュカ 自身も感じていた。
「使用条件はいくつかあるが、一番おさえねばならんところは、『一度行ったことのある場所』と言うことじゃ。記憶が魔法力に乗って流れ出る、それを 捕まえて希望の街へと自在に移動する。古代魔法でそれが出来たものがあるんじゃよ」
少しずついまベネットが研究している呪文が明らかになっていく。キメラの翼のように一度行った街に瞬時にいける、そしてキメラの翼では不可能な一 度行った事のある街ならば別の街であっても、どこでも自在に行ける呪文。概要はそう言ったことのようだった。
「…キメラの翼の力を使うんですか?」
話の流れから推察してリュカが訊ねると、干からびてしまっている多くのキメラの翼をベネットはリュカの前に差し出した。
「これは…?」
「魔法力の部分を取り出したものじゃ。取り出すことは出来るのじゃが、それはその古代魔法の一回分にも満たない量。継続して使える魔法だけに、一回 使い切りと言うわけには行かないんじゃ。が、キメラの翼では力が足りん。何か変わるものがあるはずでな。今は少なくなった文献を読み漁っておったの じゃが…」
ベネットはそう言って古びた本の数々をリュカに見せた。リュカもそう言った本の類は大好きなほうなので、文献を見せられて目を爛々と輝かせてその 文献の様子を見つめる。その仕草にベネットは満足そうに頷いた。
「なにか、代わるものがあるんですか?」
言葉を止めているベネットの続きが聞きたくてリュカは思わず先を促す。ベネットはその子供のようなリュカの好奇心に嬉しくなりながら、ある文献の ひとつを手に取った。
「リュカは記憶力は良いほうか?」
「はい、今まで読んだ剣や呪文の文献の内容は一通り覚えています」
とことん焦らすようにベネットは話をする。リュカも早く知りたい反面、その古代魔法の内容についても知りたくて、焦らされることを逆に楽しみなが らベネットの質問に答えていく。
「…人間の記憶の部分と同じ作用をする、薬草が昔は存在したんじゃそうだ。ただ、それは自生していたのではなく、ダーマと呼ばれる特別な神殿で栽培 されていた薬草でな。風景や瞬間の出来事などを紙などに焼き付けるだけの強い光を発光するものなんじゃそうだ。古代の人はそれを使って自分の記憶など を呪文に乗せて書物として作っていったのじゃそうだが…」
そこまで言うと、ベネットはフムと考えるようにリュカを見る。リュカはそんなベネットを不思議そうに見返す。手には小さなメモを持って、要点を書 き取っていた。
「良い心がけじゃな、自分を過信せずにメモを取るのは。そのメモなどに代わって実際に『深く覚える』ことができ、必要な情報だけを取り出すといった 効果も持っていたそうじゃが、わしの持っている文献はそこまでの情報は載っておらんかったんじゃ」
「…と言うことは、記憶の部分を抽出出来る薬草の正体と、その薬草を使った転移の魔法はつかめているんですね?」
わくわくしながらリュカは自分がとったメモを見返し、ベネットを見たりメモを見たりしながら要点を取り出す。
「その通りじゃ、以前は魔法力ではなく、文献の記録だけに使われてしまって、数も絶滅寸前まで行ってしまった様なんじゃが、ある地形に自生する特性 があると言うことなんじゃ」
「ある地形?」
言いながらベネットは別の文献を手に取り、しおりの挟まっている部分を開く。そこには緑色に輝いている苔のような草が描かれていた。
「…それ、絵ではないですね?」
その薬草であろう物を見て、リュカは呟く。それは描かれたものではないようで、周りの明かりや中にあるものなどがごく自然に存在し、今にも手に取 れるのではないかと思われるほどにリアルだった。
「さすがじゃのぉ。これは『写真』と呼ばれるそうじゃ、先ほどの記憶を紙に焼き付ける技術の一つ。そして、ここに映っている自発光している草こそ、 『ルラムーン草』じゃ」
そのルラムーン草の発光は控えめながら、蛍の発光のようにごく自然にやわらかい光を帯びていた。
その写真と言う技術を目の当たりにしてリュカは古代には随分と進んだ技術があったものだと感心していた。「写真は残念ながら普及はしなかったんじゃ、と言うのも、この技術だけで、大量のルラムーン草を必要とし、この写真自体を残すのに、栽培していたも のの九割を消費しないといけなかったらしいからの。これは最初で最後のものだと言っても良いかも知れん」
写真の事実を聞き、リュカは少しがっかりした仕草を見せる。そして、九割と言う言葉を聞き、このルラムーン草の写真を取ったときは既に絶滅寸前 だったのではないかと言うことが、当時の人間でなくとも容易に想像できた。
「で、ルラムーン草の自生する特殊な地形とは?」
「うむ。これを見て想像できんか?」
リュカが聞くとベネットは意地悪そうに聞き返してリュカに質問返しをする。顎に手を当て、ルラムーン草であると言われる写真を見つめる。
「苔の類のように見えます。けど、その写真はたぶん、陽の光も当たっています。苔が生えるような場所で且つ、陽の当たる場所・・・?」
「当たらずとも遠からずじゃ。湿った場所に苔は生え、適度な湿気の場所に草は生える。水辺にある洞窟などがその絶好の場所じゃ」
なるほど、とリュカは頷きながらメモにペンを走らせる。その様子を見て、リュカの手が止まるまでベネットは次の言葉を止める気遣いを見せていた。
「そんな地形がこの近くに?」
「近くではないが…ここから北北西に進んだところに切り立った台地がある。そしてその台地の上には湖があるそうじゃ。その湖を過ぎて台地を下り、南 に進むと小さな半島のような地形に出る。台地から流れた水が更に湖を作っているようなんじゃが、その半島の地形に小さな洞窟…いや、祠のようなものが あるそうじゃ」
ベネットの話す特別な地形をメモに取りながらリュカは話を聞く。
「中がどうなっているかはわしにもわからん。ただ、ここに立ち寄った旅人が、夜風を凌ごうと祠に入ったところ、一面が緑色に光っていたと言うん じゃ。自分で確認したわけではないが、おそらくそれはルラムーン草に間違いない」
そこまで言ったベネットは言葉を止める。リュカもメモを走らせ、必要な部分が書き取れたら顔を上げてベネットを見る。「皆まで言うな」と言いたそ うにリュカはにっこりと笑って見せた。それをみてベネットも嬉しそうに笑顔を返した。
「それをわたしが取ってくれば良いんですね?」
「そう言うことじゃ」
満を持してといった感じでリュカは最後の言葉を口にした。リュカから発せられた言葉にベネットも嬉しそうに力強く頷くと、それに同意した。
「…ちなみに、その古代魔法の名は?」
「…まだ、内緒じゃ」
言葉を最後まで止めずに流し、リュカはそんな事を聞いた。自分が文献で見たことのある魔法かどうかを確かめたかったが、ベネットもその辺は心得て いるようで、しっかりと断られてしまった。嬉しそうな残念そうな複雑な顔をしてリュカは小さく舌打ちしてみせる。それがまた可愛く見えたのかベネット は今まで以上の満面の笑みを見せた。
「ああ、そうじゃ。ルラムーン草は夜の時間に光るそうじゃ。陽の光を感じられるんじゃろうな」
最後に一つつけたしたベネットは満足そうにリュカを見つめる。リュカもまた、納得したようにベネットを見返した。
ベネットの家で少し休ませてもらい、日が暮れる少し前にリュカはルラフェンを出る。街から少し離れた場所にピエールたちが野営をしている場所があ る。リュカが姿を出すと、時間が中途半端なことにピエールたちは首をかしげた。
リュカはベネットから依頼されたルラムーン草の採取の件を伝え、暗くなる前に出発するよう指示を出す。手馴れたように出発準備を整え、リュカたちは ルラフェンを出発する。
ルラフェン到着以前に多少の訓練をしていたおかげか、魔物たちに会ってもたいして苦戦することもなく、ベネットの言っていた台地と言うのを確認でき た。「あれがベネット老人の言っていた台地ですか。ここから見ても断崖絶壁ですな、間近で見るともっと険しいかと」
「うん、でもベネットさんの言ったルートが一番近いんだろうし…地理に疎いからどう回るといいのかもわかんないしね。多少険しくても登ろう」
ピエールの言葉にリュカも少し弱気になる。だが、復活させると言う転移の魔法が手に入れば随分と楽になるのは事実で、またリュカ自身もラインハッ トとサンタローズの様子が気にもなっていた。魔法が仮に手に入ったらまずはラインハットに飛ぶつもりでリュカはいた。
台地に近づくと、そこはまさに絶壁だった。そして、台地の上にあるのであろう湖からは、大きな滝が流れ出ていた。滝の横には細いが馬車も通れる程度 の道が整備されていて、まったく誰も通らない場所と言うわけではないようだった。数日かけてその台地を攻略して、目的の半島のような地形に出る。そこ には人工的に作られたのではないかと思わせる祠が一つ存在した。「…時間配分、ミスったね」
リュカは舌を出して馬車のほうを見る。みんなもそれをわかっているかのように小さく笑って見せた。
今はちょうど昼くらい、頭上に陽がかかっていて、ルラムーン草を発見する条件の「夜」には当然当てはまらないような状態だった。「夜まで休もう。みんなも馬車から出てくつろいで良いよ」
みんなが馬車から出てくつろぐと言うことは滅多に出来ない。街の近くで野営するときなどは特にそうだった。だが、ここであれば旅人に見られはして もそれが原因で何かが起こってしまうようなことはない。
ピエールとブラウンはいつも外で作業する係だったが、今日は作業らしい作業もなくのんびりとくつろぐ。滅多にリュカに甘えられないリンクスは、人里 離れた場所で野営するとき、必ずリュカに身体を預けて、リュカからも身体を預かる。その周りにスラリンやホイミン、コドランと言った仲間が集まってき て、みんなで草原に身体を投げていた。
昼寝をする形になって数時間。陽がようやく西に沈んできて回りを闇が支配してきた。
リュカは一人起き出してその祠のほうへと近づいてみる。祠の入り口中りには苔が生えているのがわかったが、それがルラムーン草かどうかはわからな かった。時間が過ぎればその真意がわかる。そう思ってリュカはその祠を離れようとしたときだった。突然ギラの閃光がリュカを襲う。不意打ちだっただけ にリュカも完全に防御をしきれたわけでもなく反動で大きく弾き飛ばされた。「誰!?」
リュカが声を上げるが、その呪文の主は姿を現そうとはしない。瞬時にリュカの表情も安心していた顔から戦闘時の真剣な表情に変わる。剣に手をかけ てあたりの様子を探る。生憎一人で起き出してしまったため、ピエールたちからは離れた場所で戦闘が始まってしまい、仲間を呼ぶことが出来ない。一人で なんとか出来る程度だと考えていたが、仮に様子見のギラだったとすると、それ以上の高位呪文を使われたときに不利だった。
暫くじっとしていたが、相手が仕掛けてくる様子もなく、また姿を現す様子もなかった。リュカはゆっくりとその周辺を調べる。『ひたっ・・・』
濡れた地面に足を付く微かな音がする。リュカは神経を尖らせていたので、それがどこから聞こえてきたかがわかった。何も言わずに左手でバギの呪文 を、右手には背負っている剣に手を掛け振り返る。背後の影はリュカのその動きに呪文を合わせてきていた。リュカもバギを素早く展開させて、そのギラと の相殺を図る。呪文が炸裂しているその中を縫ってリュカは人影に斬りかかる。が、その人影は思ったよりも小さく、見るからに弱っている状態だった。
「えっ!?」
リュカは振り下ろした剣を慌てて止めて、その人影を切りつけるのを止める。武器らしい武器も持たずに、素手で止める気だったのか、無駄な肉のない 筋と皮だけの腕を構えている状態だった。
「…まほうつかい・・・?」
リュカが呟く。この辺にも魔法使いは出ていたが、皆リュカが見ることの出来る陰があり、その陰を払って行ってもなかなか仲間になる様子はなかっ た。ここにいる魔法使いはその陰もなく、今まで見てきた魔法使いたちと比べると随分と歳を取っているように見られた。
リュカの剣から助かったことを確認したその魔法使いは腕を下ろして、その場に座り込む。ちょうど座り込んだのは祠への入り口付近だった。「…おぬし、ここに何しに来た?」
魔法使いは険しい顔をしてリュカを睨みつける。
「ここにルラムーン草って薬草があるようなので、それを取りに」
リュカはごまかしも聞かないと思い、ありのままを言う。そう言うリュカに魔法使いは警戒を解こうとしない。
「…ルラムーン草を持って帰って何をする気じゃ?」
「わたしが、ではないのですが、古代魔法の研究をしている方がいて、その人に届けるんです」
リュカがそこまで言うと、ようやく魔法使いの表情が和らぐ。だが、入り口からどく様子はなかった。
「…あなたはここで何を?ルラムーン草を守っているんですか?」
困った顔をしていたリュカだったが、ただ黙っているだけでも埒が明かないと思ったことを口にする。
一方の魔法使いは攻撃の手を止め、自分に世間話までしてくるリュカを不思議そうな顔をして見ていた。たいてい「まほうつかい」と判れば魔物として排 除されるのが常で、彼自身もなんとか逃げ延びて今に至っているだけだった。そして、リュカと対峙した時、正直リュカには敵わないと思い覚悟を決めて素 手で挑んでいたのだった。「ここにあるのが本物のルラムーン草とは限らぬぞ」
「それはもちろんです。だから、持って帰って、その研究をされている方にお渡ししたいんです。…ただ、その方のところで見せていただいた『写真』と 言う資料では、ここにある苔と同じものだったので、確立は高いです」
リュカは少し間合いをつめて、今まで構えていた剣は鞘に収めて魔法使いに言う。魔法使いは『写真』と言う言葉を聞き目を見開く。
「…写真を見たのか?」
「はい。絵とは違ったので、その方もそれが『写真』であることに間違いないと」
写真の言葉に驚きを隠せない様子で魔法使いが訊ねる。リュカは平常であるように落ち着いた様子で魔法使いの言葉に返答した。
「…その研究者、名はなんと言う?」
「ルラフェンの街のベネットと言うおじいさんですよ」
悩む様子もなくリュカはそう告げた。終始険しい表情をしている魔法使いだったが、リュカはそんな様子を気にすることもなく、訊かれたことに対して 素直に答えていた。
「おぬしはなぜそこまでわしと普通に話が出来る?まほうつかいと判っておるというのに」
「…あなたには、邪悪な陰がありません。それだけで理由は十分です」
魔法使いが訊ねるとリュカは当然とでも言うように答える。それを聞き、魔法使いのほうが逆に拍子抜けするほどだった。
「おぬし、なにもの・・・」
魔法使いがそこまで言うと、突然リュカと魔法使いの間の空間が爆発する。
「リュカ様、お離れください!!」
その爆発はピエールの放ったイオだった。リュカの姿がなくなっているのに気付いたリンクスがピエールを起こし、コドランを加えてリュカのところに やってくるところだった。
ピエールたちからすれば、リュカが魔法使いと対峙している様にも見える。そう判断したピエールが先制をかけようとイオを放ったのだった。
人間の下に駆け寄る魔物の姿を見て、魔法使いは自分の目を疑った。しかもただの魔物だけではなく、地獄の殺し屋であるキラーパンサーまでもが駆け 寄ってくるのだ。この人間が只者ではないことは、それを見るだけでも十分に判断できた。「ピエール、それ以上攻撃しないで!」
リュカは先制攻撃をしたピエールに対して魔法使いを庇うようにして言った。そうしているうちにリンクスが俊足を生かして真っ先に到着する。鬣を逆 立てて魔法使いを威嚇するが、それをリュカが止めていた。
「な、なんじゃ、おぬし。キラーパンサーを従えておるのか…!?まさか魔族か?」
魔法使いは絶句したとも取れるような態度でリュカに訊ねた。するとリュカは目の前のキラーパンサーの頭を優しく撫でながら魔法使いの方に向き直っ た。
「…わたしは大丈夫、ありがとうリンクス。・・・わたしは人間ですよ。ちょっとした縁でこの子達と一緒に旅をしています」
リンクスに優しく呟いて、魔法使いに対して言葉を続けた。
遅れて来たピエールはまだ事態を把握できてなく、剣を抜くとその切っ先を魔法使いに突きつけた。「わが主に手を出すと、痛い目に遭うぞ!?」
ピエールが言うが、その剣を持つピエールの手をリュカが押さえ込む。
「リュカ様!!」
「大丈夫だよ、ピエール。この人は陰を背負ってない、無害の人だよ」
リュカはそう言ってピエールの手を下ろさせる。コドランもそれに習い警戒を解いた。
「…人間が魔物を仲間に、じゃと!?」
魔法使いはそう言って再び絶句する。キラーパンサー、スライムナイト、ドラゴンキッズと戦闘力だけでも十分に持っている魔物が仲間になっていると 言う事実が信じられないで居た。
「魔物使い、と呼ばれる人間も存在するのですよ、ご老体。そして我々はリュカ様に邪気をはらわれた魔物たち。こうして旅を共にするものも存在するの です」
ピエールがそう説明すると、「くぅ」と肯定するようにリンクスが言う。
そうしているうちに辺りは日が暮れて闇が支配する。魔法使いの後ろの祠の中では、狭い空間にいっぱいの光が満ちていた。「…やっぱり、ルラムーン草ですね」
リュカがそう言って祠の中を覗くように見る。魔法使いはそれでもその場を動こうとはしなかった。
「ルラムーン草がどんな薬草か知っておるのか?」
「話を聞いた限りでの推測ですが…たぶん、何かの事象を覚えるだけのことが出来る物だと。この光は昼間の陽の光を覚えているのではないでしょうか。 また、呪文の力が加われば、記憶をたどって映し出したりも出来るようなものだと思っています」
ベネットから話を聞き、リュカなりに解釈したことをその魔法使いに話して聞かせる。魔法使いはリュカのその話を聞き、うんうんと頷いて見せてい た。
「なるほど、知ったかぶりではないようじゃな。元の話はそのルラフェンの研究者のものか」
「はい、そうです。光のことと映し出すと思ったのはわたしですけどね」
余計かもしれないとリュカは思ったが、自分とベネットの言葉を一緒にされるのはどこか納得できず、一言加えていた。
「…その研究者、もしや転移の呪文を研究しておるのか?」
「ええ、呪文の名までは教えてくれませんでしたが、『一度行ったことのある場所に瞬時に行ける』物だと言っていました」
リュカが言うと、その魔法使いは納得したように頷いていた。
「キメラの翼では戻ることは出来ても、記憶を辿れん。それでは『ルーラ』にはならん」
ポツリと呟くように魔法使いが言う。それを聞きリュカが言葉を続けた。
「ルラムーン草を大量に使用すれば、記憶を紙に画像として焼き付けることも出来る。その記憶の部分を魔法力と結びつければ、一度行った場所を覚えら れる。転移自体はキメラの翼と同等の能力があれば大丈夫なはず。あとは、そのキメラの翼の能力をどう維持するか、ですが・・・」
「その点でもルラムーン草が使えるのじゃ、覚えているものを探り出すことが出来る効果もある」
「そうでしたね。その探り出した場所と同じ場所に転移させることが・・・?」
リュカはそこまで万能な草があるのかと半信半疑になってきた。すると魔法使いは首を振る。
「ルラムーン草だけでそこまでは出来ん。が、古代魔法で解明が簡単なものに『バシルーラ』と言う呪文がある。これはリレミトの呪文を活用し、その場 から敵を吹き飛ばすものじゃが、そのバシルーラとリレミトを応用し、ルラムーン草の記憶の部分を結びつければ、瞬時に自らを飛ばす呪文が出来るの じゃ」
魔法使いの言葉にリュカの顔がぱっと明るくなる。
「なるほど、リレミトの応用でしたか。話を聞く限りではそこまで考え付きませんでしたから、なにがトリガーになって転移するのかと考えていたんです が…」
リュカがそこまで言うと、魔法使いは重い腰を持ち上げるようにようやく立ち上がる。
「のぅ、わしも連れて行ってはくれぬか?そのベネットと言う老人にも会ってみたいし、おぬしとも色々と話がしてみたくなった」
魔法使いはそう言ってリュカに手を差し出す。
「…戦闘は勘弁させてもらうぞ?出来る限り後衛から支援はするが、この老体に鞭打つのは酷じゃからな」
リュカは差し出された手を握り、握手を交わす。
「わしはマーリンと申す。一応昔からここでルラムーン草を育て、同時に研究してきた者じゃ」
言ってマーリンは後ろの祠を振り返る。先ほどから随分光があふれていたが、今は更にその光の強さは増し、周りが漆黒の闇に包まれるに従い、祠自体 はどんどんと光を増していくようだった。
「ここまで数が増えれば問題はなかろう。それに長年ここにいるが、ルラムーン草を求めて来た者はおぬしが始めてじゃからな」
「…これからは自生していくことが出来ると?」
マーリンの言葉にリュカが訊ねる。マーリンは笑顔を作ってリュカの方を見る。
「ああ、自然繁殖の力が付いているのを無理にここに留めていただけじゃ。まずはこの周辺から、次第に群生地は広がっていくじゃろう」
自分でも納得するようにマーリンはそう言う。そしてリュカに改めて頭を下げた。
「改めてよろしくお願い申す、・・・」
「あ、わたしの名前はリュカ。魔物使いと名乗れるほど立派なものではありませんが、魔物の背負う陰を払うことの出来る者です」
マーリンが言い留まったのを見て、まだ名乗っていなかったことを思い出す。リュカは自己紹介をして、マーリンの手を改めて握り、握手をした。
「うむ、楽しい旅になりそうじゃな」
一株のルラムーン草をそこから取り、リュカは馬車の方に戻る。
馬車ではスラリンたちが心配そうにリュカとピエールたちの戻りを待っていた。リュカはルラムーン草を取ったことと、ここで知り合ったマーリンが旅の 仲間に加わったことを報告し、マーリンは全員と挨拶を交わした。
マーリン自身は魔法使いとしての腕は経験からなかなかのものだったが、すでに人間で言う寿命を迎えてもおかしくないほどの年齢だと言う。その点から も最前線での戦闘は酷と思われた。リュカは基本的にマーリンからは知恵をもらうことと後衛での状況判断を依頼した。この形であれば、馬車から外に出て 危ない目に遭わなくても済むし、マーリン自身の体力も温存できるものだった。
再び大きな滝と湖のある台地を攻略して、今度は行きより遅いペースで十日前後をかけてルラフェンに戻る。
ルラフェンに戻ると街の入り口ではビタスが心配そうな顔をして誰かを待っているのが見えた。リュカとマーリンはそんなビタスに声をかける。
「どうしたんですか?ビタスさん」
リュカの声にはじかれるようにしてビタスは笑顔を見せる。だが、口調は少し怒っているようだった。
「どうしたじゃないさね!突然ベネット爺さんに依頼されたからって動き出して。魔法中りが治ってばかりなのに無茶するんじゃないよ!?」
どうやら治ってすぐにベネットの家にこもり、説明もなしにルラムーン草を取りに行ったリュカを心配しているようだった。リュカ自身魔法中りがどん なものかはさっぱりわからなかったが、そんなに異常視するほど重たいものだとは思っていなかった。ビタスの言葉を聞いて驚いたのはマーリンだった。
「魔法中りじゃと?リュカ殿、魔法中りに遭っていてあの場所に来たのか?」
「え?…あ、はい。魔法中りって、ちょっとした体調不良とは違うんですか?」
あっけらかんとしてリュカは答えた。その様子を見てビタスとマーリンが頭を抱えて溜息をつく。
「魔法中りが酷くなると、そのまま寝たきりになったりする。場合によっては呪文自体が使えなくなったり、呪文に遭遇するたびに発作のように症状が出 たりするんじゃ」
「だから、よく症状がなくなったかどうかとかを見極めてから魔法を使ったり、旅をしなくちゃいけないんだよ」
マーリンとビタスからなぜかお説教をいただきながらリュカは魔法中りの症状を認識する。ただ、そう言った症状になっていても、二人が言うほどの重 度な中毒になっては居ないと自分でも判断していた。また、ベネットが送り出したのだから、そのあたりも心配はないと踏んでいた。
ビタスはベネットに文句を言うとリュカに同行して、三人はベネットの自宅に行く。中に入るなりビタスはベネットに怒鳴りつけて、リュカが魔法中りの 病み上がりだったことを言う。そして何か気にかけたりしていたのかとビタスが訊ねると、ベネットは不思議そうな顔をして言う。「何もなかったような顔をしておったから、そんなことになっているなんて知らんかったぞ」
よくよく話を聞くと、リュカが気にしていてくれたと思っていた部分もベネットは、まったく意に介さずに健常者だと思っていたらしい。その話を聞 き、今度はベネット以外の三人が頭を抱えて溜息を付いた。
「リュカを連れて来た時に『街に入ってすぐに魔法中りになった』って言ったじゃないか。まったく、何聞いてるんだろうね、この爺さんは」
ビタスが毒を吐くがそれも余り気にする様子もなくベネットは話を別の話題に移す。
移った話題は当然ルラムーン草のことだった。まだ夜も更けては居なかったが、暗い夜空の元でルラムーン草は仄かに光を湛えていた。「おおう、そうかこれがルラムーン草か」
ベネットがリュカからルラムーン草を受け取ろうとすると、それをマーリンが止めた。そして、転移の呪文のことを話し始める。リュカと話していたよ うな基本のところから、どんどんと内容は難しいものになっていくが、二人は話に花が咲いてしまい止ることなく話を続けていた。
文献に転移の呪文が出ていたところから話が始まり、キメラの翼の魔法力抽出、同じく古代魔法であったバシルーラの研究、写真の話、ルラムーン草の特 殊な生態など話が尽きることは知らないと思わせるほどだった。「で、何故リュカ殿にその呪文を授けようと?」
マーリンが話の締めくくりと言いたそうな感じでベネットに訊く。
「…リュカは常人よりも呪文の潜在能力がある。魔法力自体を見られるわしには、泉の如くあふれている魔法力が見えるのじゃよ。…そうじゃ、リュカ」
数時間、ベネットとマーリンは話しこんでいて、すでに周囲は寝静まっていた。ビタスもいつの間にか自分の宿に戻っていた。そしてやっと話に区切り が付いたと思ったところで、今度は話がリュカに振られる。
「呪文を唱えるとき、具現の詠唱をしておったな」
呪文を唱えるとき、誰もがすることが一つある。それがこの世界の呪文学の中では『具現の詠唱』と呼ばれている。人それぞれの内容であるが、展開す る目的の呪文の形などを口に出し、それを思い浮かべて手のひらに具現化する。それが自分の魔法力と結びついて、実際の呪文になるのだった。例えばリュ カは、バギの呪文を唱えるときには荒ぶる風をイメージして呟く。イメージと言葉が完全にリンクすると手のひらに風と同時にかまいたちが生まれる。そこ で初めてそれが『バギ』として生成され、呪文が発動するのだった。
「その詠唱、リュカほどの潜在能力があれば無視できるぞ」
ベネットはさらっとリュカにそんな事を言って見せる。「えっ!?」とリュカは息を飲むが、もう一人の研究者、マーリンもベネット側について頷いて いるだけだった。
「具現の詠唱はイメージし難い者が楽に呪文を使うために行うものだが、リュカならばいらぬ。以前、石像を破壊したときリュカはその石像を切り刻むこ とをイメージしたのではないか?」
ベネットが言うと、リュカは図星とばかりに言葉を失う。ベネットもその様子を確認して言葉を続けた。
「そこまでイメージが出来れば、発動しても勝手に呪文が威力を増していく。…その上、これからルラムーン草の力で意識、記憶の具現化が増す。間髪置 かずに呪文を唱えても問題ない」
そう言ってベネットは手に持っているルラムーン草をリュカに見せた。
「今度から、呪文は頭で瞬時に想像し、それを手のひらで展開せよ。随分時間の短縮が出来るはずじゃぞ」
ベネットはそうアドバイスしてくれた。そして、正面に向き直って、今まで話し相手をしてくれたマーリンの方を向いて嬉しそうな笑顔を見せた。
「…すっかり話し込んでしまったの。マーリン殿なかなか楽しい話でしたぞ」
「いや、こちらこそ良い話を聞かせていただいた。また機会があればゆっくり」
ベネットとマーリンはそう言いながら堅く握手を交わした。
「さて、では魔法の抽出を始めるか」
部屋の真ん中にある大きな釜の中では、何かが煮えたぎっていた。ベネット曰く、これが転移の呪文の大元なのだそう。それからルラムーン草以外の何 かを的確に時間を計りながら投入していき、時にかき混ぜ、時に濾して純度の高いその液体を精製していく。
「ここまでは問題なしじゃ」
ベネットは小さな時計を片手に、時間を計りながら呟いた。材料と思われるものはあとはルラムーン草だけになっていた。
「よし、もう少し・・・・・・このタイミングじゃ」
自分で納得した時間とタイミングを見計らって、ルラムーン草を大きな釜の中に投入する。そして、じっくりとかき混ぜていく。暫くするとその釜から 向こうの見えない真っ白な煙が上がってくる。ベネットはそれでも構わずにぐつぐつと言っている釜の中身を混ぜている。するとその煙は次第に濃度を増し て、光を反射し赤や青、緑、黄と言った七色の光を生み出していく。綺麗だとリュカが思っていたのも束の間、綺麗な七色はどす黒い赤や青の色に変わり、 次第に周りが煙の闇に包まれていく。目の前にベネットが居たはずだったが、その姿も見えず、マーリンの姿もまたない。
『パン』
何かが破裂するような音がする。その音に、それぞれ姿を確認できない三人はわずかに身じろぎする。
「うおっ!!」
ベネットのその声が発端だった。パン、パンと連続して音がするようになると、それはボン、ボンと大きな何かが破裂する音に変わって行き、終いには バン、バンと言う爆発音に変わるあたり一面は銀色の煙に覆われて、自分の手さえ見えない状態。徐々にその破裂音が耳を支配し、銀色の煙は黒く暗転して いく。
そして、三人は気を失っていた。
「ちょっとリュカ、しっかりしとくれよ!!」
「ベネット爺さん!また失敗か?夜に実験するなってあれほど言ってるのに何やってんだ、まったく」
翌朝、ベネットの家は街の人々でいっぱいになっていた。内からカギがかかっていたが、トリクが無理矢理蹴破って中に入る。明け方近い時間に爆発音 がすると言うことで、皆がベネットの家に集まってからもう数時間が経過していたが、ようやく中に入れて、その家の中ではリュカとベネット、マーリンの 三人が気を失っていた。
ビタスにがくがくと揺さぶられてリュカは目を覚ます。「あれ?ビタスさん?」
「『あれ』じゃないよ。まったくどれだけ心配かければ気が済む気だい!?」
リュカがとぼけた声でビタスに答えると、呆れ顔でビタスはリュカに言い返した。
「ほら、しっかりしろ、ベネット爺さん!!」
リュカの向こう側では、ベネットとマーリンが起こされていた。
「何してたんだ、夜に実験するなって言ったじゃないか」
ベネットにトリクが叱責するが、あまり効果はない。
「失敗か?」
起こされたマーリンもベネットに近づいて言う。だが、ベネットは絶対成功していると言う確信を持っているようにあれこれと調べ始める。
「うーむ、成功していれば『ルーラ』と言う転移呪文が出来たはずなんじゃが。少なくともわしに身についたわけではないな。魔法力の強い者に自ずと導 かれると言うからな、新たな魔法は。リュカよ、行きたい場所を念じて呪文を唱えて見てはくれぬか?」
ベネットに促されてリュカは半信半疑の状態で頷く。
行きたい所はラインハット。
そして呪文を唱えた。「ルーラっ!!」