2.神の塔 〜リュカの真実〜
神の塔は古い時代に立てられたものらしく、外壁などは多少崩れかけた部分も多い。だが外から見るだけでもその規模は大きく、見上げると口を開けてし まうほどのものだった。崩れかけている部分があるがしかし、それでもその塔が強固に作られていると言うことがわかるほど、外壁はしっかりと作りこまれ ていた。
そして、その塔の一階部分には、外周をくるりと回っても入り口が存在しなかった。「ここから既に、神の試練ってわけか」
ヘンリーが腕を組みながらその入り口の無い塔を見て言う。外壁の頑丈さでは、いくらブラウンが石でできたカウンターを壊したと言っても、その木槌 で壊せるほど軽く創られたものではなかった。ブラウンとスラリンも意気込んでリュカとヘンリーを助け、マリアを守ろうとついて来ていたが出鼻を挫かれ た感じだった。
リュカもぐるぐると外周を回ったりしているが入り口は探せない。
そのとき、マリアが動き出す。「神の試練を受ける塔であるならば、一番近いのは私ですね」
マリアはそう言って塔の外壁の前に跪く。両手を胸の前で組み、目を瞑って祈りを捧げる。
(悪しき力に立ち向かう方たちに、聖なる力を。神々のご加護とともに聖なる法具をお授けください)
マリアにとっては長い時間のようにも、一瞬のようにも感じた瞬間だった。神の塔の外壁、マリアの正面に光の筋が縦に一本入っていく。そして、光が 広がると同時に、その筋は両側へと開いていく。入り口のなかった神の塔にマリアの祈りで入り口が開けたのだった。
「…私のしていたことも、無駄ではなかったようです、リュカ、ヘンリーさん」
マリアは安心したような落ち着いた表情を見せて、リュカたちの方を振り返る。リュカたちもマリアの祈りが届いたことを祝福して、その場で思い思い に喜ぶ。
喜んでいる時間も程ほどに、一行は神の塔の攻略に乗り出す。中に入るとそこには中庭が整備されていた。外観からすると、随分時間の経った建築物のよ うに見えたが、中庭はまだ整備されてばかりのように見て取れた。中庭の中心に来て見ると、上は吹き抜けらなっていて、最上階であろう場所に真ん中の途 切れた渡り廊下があるのが確認できた。
塔自体は四方に円柱の塔があり、そこを外壁が結んでいるような形状だった。「あれ、途切れてるよね?」
吹き抜けの塔の最上階のほうを見て、リュカが誰にでもなく確認する。回廊が途中で途切れているように見えるのを見てリュカが口にしたのだった。ヘ ンリーやマリアも見上げたままで軽く頷いて見せただけだった。「見上げてても仕方ない」とリュカは先陣を切って塔の中を歩き出す。四方の円柱の部分に 階段が配置されていて、それを登り外壁部分の通路を通って隣の円柱部分に辿り着くと言った感じの造りだった。途中で魔物も襲ってきたりもしたが、リュ カとヘンリーの前では敵でもなく、ブラウンとスラリンにとっても自分の力を高めるためのよい場所になっていた。
そうして塔を上っていき五階部分、あの途切れた渡り廊下の部分までやってきた。リュカたちはその途切れた部分まで確認に来たが、どう見てもそこは吹 き抜けを落ちてしまうように途切れていた。「まいったな・・・」
ヘンリーは再び腕を組んで考え込む。全員がその途切れた場所に集まっている状態になったとき、運悪く魔物たちが追い詰めるように現れる。マリアを 庇い、ヘンリーとリュカが前衛で、スラリンとブラウンは後衛から隙を突いて飛び出すようにと陣を取る。ここまで比較的楽な戦いだったが、なぜかここで 出た魔物たちは妙に手ごわかった。リュカは陰を見極めて叩いてはいたが、それでも簡単にその陰が払える状態ではなかった。そして意表をついてスラリン が飛び出したとき、魔物たちはスラリンを吹っ飛ばした。飛んでしまったスラリンをリュカたちは慌てて回収しようとしたが思ったよりも遠くへと飛ばされ て、ちょうど渡り廊下の途切れた辺りに落ちていった。
「!?ス、スラリン!!」
リュカが魔物の攻撃の手を受け止めつつスラリンの行方を見守ると、スラリンはポンポンと跳ねてちょうど途切れた部分に来てしまった。リュカ・ヘン リー・マリアが落ちるスラリンの姿に息を飲むしか出来なかったとき。…スラリンはその空中に着地していた。
「えっ!?」
三人が声を上げるが、すぐに魔物の攻撃が出てくるため、リュカとヘンリーは再び戦闘に戻った。その直後に苦戦しながらなんとか魔物を退けられた。 そして、スラリンが着地した辺りには代わってマリアが立っていた。
「マ、マリア、大丈夫なの!?」
リュカが慌てて声を上げたが、マリアは笑顔を作ってリュカとヘンリーを見つめていた。そして、その胸にはいつの間にかスラリンが収まっていた。
「目で見たものだけが全てではない。目だけで感じるのではなく、自分の気持ちを、心を信じろ。と言う言葉が修道院の古い書物にありました。それと、 神の塔では心の想いを映し出すことがあると言います。鏡を欲する気持ち、向こう側へ渡りたい気持ちを念じ、願えば道は開かれるのでしょう。今私はラー の鏡の元に立ちたいと願い、足を踏み出しました。これは、そう言うことなんだと思います」
マリアは両手を組み、器用にスラリンを抱きかかえて祈る姿勢をとる。その間マリアは心の中で願っているのだろう、何もない空中にしっかりと足をつ きその空中で落ちることなく留まっていた。リュカたちも恐る恐るその空中の回廊へと足を踏み出したが、落ちることなく鏡のあるほうへと渡ることができ た。
「…スラリンのおかげでもありますね、この子が空中で止まったりしなければ、私があの言葉を思い出すこともなかったんでしょうから」
マリアは鏡の前に来て、抱えていたスラリンを離した。ポンと跳ねるようにして地面につくと、スラリンは「ぴきー」と嬉しそうに一回鳴いて見せた。 そして、リュカたちはラーの鏡の前までやってくることが出来た。
「これがラーの鏡か」
ヘンリーがその鏡に更に近づく。鏡は中心に納められていて縁にはルーン文字のような独特な文字が書かれていた。マリアにもこの文字を解読すること は出来なかった。
「・・・覗く前に、リュカ。地下牢で会ったあのティラルと言う人、知っている人か?」
ヘンリーが神妙な顔をして、ラーの鏡の前に立ったままリュカに訊ねる。リュカは少し困ったような顔をしたが、何も話さないで事態が進展するような ことはない。軽く息を吐いてリュカは話し始める。
「うん、知り合い。わたしが小さなときから、あの姿のままの人」
「…小さな頃からあの姿!?俺たちが会った頃の事か?」
リュカの言葉にヘンリーは驚きを隠せずに居たが、リュカは動じずに一回頷いてヘンリーの言葉を肯定した。
「ヘンリーに会う少し前に会った人だよ。何があってもくじけるなって言ってくれた人なんだ。父様も信頼していた人。…わたしの事もわたしが知らない 部分まで知っているみたい」
リュカは少し俯いてそう言う。その言葉の意味が理解できないとヘンリーは難しそうな顔をする。マリアに至っては何の話かわからなかったが、ただ リュカの本質がわかるであろうと予測して、何も言わずに静かに聞き入っていた。
「リュカが知らないこと・・・だと?」
ヘンリーがリュカの言葉を繰り返して聞き直すと、リュカは一回頷く。そして、自分の左腕を見つめた。
「この左腕のことは、父様しか知らないと思っていたんだけど…実はこのアクセサリーはあのティラルさんがわたしに渡したものなんだって」
リュカはそう言って左腕のアクセサリー−バロッキーを外してみせる。その下には禍々しい形の紋章が入っている。それを見て、マリアは「ひっ」と驚 きと恐怖の声を漏らした。ヘンリーもまた、リュカの腕に刻まれた文字とも紋章とも取れない独特の形が黒く刻まれ、どす黒い赤で縁取られたその紋を見 て、顔をしかめる。
「この紋章がなんだか、わたしも知らないんだ。けど、父様とティラルさんは知っているみたい。父様はティラルさんを『リュカの守護神』と言う呼び方 をしていた。確かに、何かのときに姿を見せてくれてる人だね」
リュカはそう言って腕の紋章を一撫でする。そうしたところで何かが変わることはないのだが、なんとなくそうしたい感じだった。
「ティラルさんが言う『真実』が何なのかはわからないけど…ラーの鏡越しに別のわたしを見ることが出来るのならば、確認したいと思ってる」
ラインハットの地下牢で、ティラルはリュカに「全てを捨ててでも自分を取り戻したいのならば、鏡を見ろ」と言っていた。リュカはそれに対して考え るとは答えたが、既にその時に答えは決まっていたのだった。
「だけど、未来にまで影響のあることだと、あのティラルってヤツは言ってたんだぞ!?」
ヘンリーは何か胸騒ぎがしてならず、リュカがラーの鏡を覗くことがリュカ自身を壊してしまわないか不安で仕方なかった。止める様な仕草をしていた が、それでもリュカはヘンリーが止めても聞くつもりがないように、真剣な顔をしてヘンリーを見つめ返していた。
「わたしは自分のことを奥深くではわかっていない。この紋章が影響しているのならば、真実を見たいと思う。わたしはわたしを取り戻したいと思う」
リュカはそう言ってヘンリーに近づく。ヘンリーの後ろにはラーの鏡がある。それに自分の姿を映したとき、何が起こるかはリュカにもわからない。だ が怖いとは不思議と感じていなかった。ヘンリーの正面まで来て、リュカは立ち止まる。そしてヘンリーの肩に右手を置いて、その場から動くようにと手を 動かす。しかし、ヘンリーはその場からは一歩も動かないつもりでいた。リュカに促されてもそのままラーの鏡の前に立っていた。
「ヘンリー、どいて。こんなところで言い合っているうちにも、ラインハットで何が起きているかわかんないよ、確認してすぐに戻らないと」
「…嫌だ、と言ったら?」
リュカが静かな声で呟いた。落ち着いている、覚悟は出来ていると言った風な口調だった。ヘンリーもリュカに真実を知らせない覚悟が出来ている、と 言いたそうにその場を動こうとはしなかった。
「誰も、わたしを拒めないよ。鏡を見る、それは必然だよ」
リュカはそう言ってヘンリーの肩に置いている右手に力を入れた。それにもヘンリーは応じようとはしなかった。
「ヘンリー、こんなことで言い合っている場合じゃないんだよ?デール王が待ってるんだから」
「ならば俺が持ち帰る」
ヘンリーは頑なにリュカが鏡を覗くのを拒んだ。そしてリュカの姿を映さないように鏡を抱え込もうとした。そこで言葉を発したのはリュカではなくマ リアだった。
「ヘンリーさん、リュカが変わってしまうかも知れないと思うのは私も同じです。けど…リュカも言ったように、それを拒む、邪魔をすることは誰にも出 来ません。リュカが見たいと言うのだったら、見せるべきです。例えそれでリュカ自身が壊れてしまうとしても、本人が望んだことなのだから。だから、 リュカに真実を見せてあげてください」
マリアは静かな声で諭すようにヘンリーに言う。ヘンリーの鏡を覆おうとする仕草は途中で止まっていた。少しだけ、ヘンリーは震えていた。その肩を リュカは今度は両手で掴んだ。優しく、そっと触れる感じで、掴むと言うよりは置いた感じだった。
「どうしてもと言うなら、ヘンリーも見てよ、わたしの本当の姿」
ヘンリーの背中にもたれかかるようにしてリュカはヘンリーの右肩越しにラーの鏡を覗き込んだ。
そこには今の姿と寸分違わないリュカとヘンリーが映っていた。しかし少しずつラーの鏡は光を帯びていく。そして縁を囲むルーン文字も光で満たされて いく。鏡が真っ白になり、光源もないのにラーの鏡は光を反射して、その光はリュカを照らしていた。「くっ・・・!?」
光に照らされたリュカは少しだけうめき声を上げる。左腕がズキンと痛んだからだった。
光が少しずつ引いていき、ラーの鏡には再びヘンリーの姿が映し出された。そして、そのヘンリーの右肩から覗いていたのは間違いなくリュカだった。だ が、少し髪形が違い、目鼻立ちは少しだけはっきりとした感じだった。女の華奢な部分も残っているが、女と言うには少しだけ肉付きが良かった。
ヘンリーは何が起こっているかわからなかった。少しだけ、本当に少しだけしかその変化はなかったからだった。だが、リュカ自身はその少しの変化が具 体的に何なのかわかっていた。「ふーん・・・そうなんだ」
リュカはそれだけ言う。鏡から姿を消したリュカは再びヘンリーの後ろに立つ。ヘンリーは慌てて振り返ると、そこには今まで知っているリュカが立っ ていた。
「な・・・なにもないのか!?」
ヘンリーが言うと、リュカはニコニコと笑顔を作っていた。
「リュカっ!!」
「…鏡に映っている間だけ、わたしは今のわたしじゃなくなってた。ラーの鏡は映し出したものの真実を映し出して、化けの皮を剥ぐって効力があるみた いだね。…わたしは、この腕の紋章があるから映っている間だけ化けの皮が剥がれた感じなのかな」
ヘンリーが何も言わないリュカに強く言うと、リュカは少しだけ声のトーンを落として話した。
「なにが起きたんだ!?」
「あはは。わたし、・・・男なんだってさ」
リュカは切ない声でそう言った。それを聞いてヘンリーは言葉を失う。
別の角度から見ていたマリアは、鏡の光に照らされたリュカが少しだけ変わったことに気づいていた。一般的に言うところの優男、中性的でどちらかと言 うと女性に近い男性。それがリュカの本性であることを確認していた。が、マリアは不思議とそのことでがっかりすることは無く、かえって妙に納得できた 部分があった。リュカを好きになった理由−単純な同性愛とは違う感触を抱いたのはこれが理由だったのかもしれない。マリアはそう考えて一人納得してい た。「お、男だと!?」
「・・・・・・うん、この腕の紋章は封印みたいなもんなんだね、きっと」
ヘンリーの言葉にリュカは答えたが、その声は涙声になっていた。
今まで女として育ってきていただけに、それが全てまやかしであったと言うことが悔しくもあり、今までの自分が全て崩れ去ってしまった感触だった。
リュカは涙を流してその場に崩れ落ちる。ヘンリーはそんなリュカをどうすることも出来ずにその場に立ち尽くしていた。マリアがリュカに近寄り、その 肩を抱く。リュカは少しばかりの慰めなど要らないと言うようにマリアの腕を振り解こうとしたが、マリアも簡単に解かれないように必至になって抱きしめ 続けた。
しばらくそうしていた時間が過ぎる。「……なんでこんな風になるのかなぁ」
ぐすぐすとすすり泣きながらリュカが声を出す。その声はどこか落胆の色の濃い声だった。ヘンリーもマリアもすぐには答えを出せるものではなかっ た。
「わたしは…なんで、女、なのかな。まだ、魔物とかの方が楽だったかも知れない」
リュカが再び口を開く。どこか自分を攻撃しているようで痛々しい言葉ばかりが出てくる。
マリアはただリュカを抱きしめていたが、リュカの言葉に抱きしめていた腕を解いた。「理由はたぶんあるんだと思う。誰かがそうした、だからその腕の紋章が残った、女になった。他の理由は、リュカが男であると困る理由」
マリアはポツリポツリと話し始めた。当のリュカが聞いているかはわからなかったが、それでもマリアは言葉を続けた。
「だけど、真実はその目だけでなく、気持ちで、心で見ろってことなんだと思う。リュカが女でなくてはならない理由が誰かにあってそうなった。その封 印は強力なものですぐには解けそうにない。…ならば、今は女としてリュカは目だけでなく心で色々と見ていくことが必要なんじゃないかしら?」
マリアは先ほど、途切れた渡り廊下の部分を渡る時に言った言葉を繰り返す。
「…ラーの鏡を覗くと言うことは、目で見るだけではなく心の目で、気持ちをそして本質を見抜くと言うことを言いたいんだと思う。…ここの途切れた廊 下もその一つ」
マリアはそう言って途切れている渡り廊下を見つめた。神の塔と言う場所で見つめるべきは、その目だけで見るものではなく、気持ちを信じ、心で見つ めることも必要と教えるための場所なのではないか。マリアはそんなことを感じずには居られなかった。
マリアの言葉を聞き、リュカは都度頷いてはいた。自分で何かを言い聞かせるためにそうしていることはマリアにもわかった。しかしさすがにすぐには立 ち直れず、リュカは暫く脱力したままその場に座り込んでいた。そのままの状態が暫く続き、リュカが小さな声で話し始める。「・・・・・・マリアはわたしが男ならば嬉しいんだもんね」
納得しようとしていたリュカだったが、突然思い出してしまった言葉にマリアが正当化しているのではないかと疑いたくなってしまったのだ。その言葉 を聞いたマリアは一瞬表情が固まったが、力なくその場で首を振った。
「そんな事を言ったのは覚えてるし、取り消すつもりもないよ。だけど…私はリュカが男だろうと女だろうと、好きと言う気持ちに変わりはないよ。実際 に男であるとわかって、けど、どっちが好きかってことは逆に考えられない。言い訳がましいけど、私が好きなのはリュカであって、男とか女とかにこだわ る気はないよ」
「でも・・・!!突然男だと言われたところで素直に信じられる!?男のわたしが好きって言ってた人がそれを否定してすぐに信じられる の!?・・・・・・わたしはそんなに都合よく物事を考えられない、わたしは……」
マリアに当たって何かが変わるとかをリュカが考えているわけではない。それは当たられたマリア自身がよくわかっていた。そして当たってしまった リュカもそれで解決できることだとは考えていない。でも今まで女として生きてきた自分にとってそれを根底から覆すようなことが起こり途方に暮れている のも事実だった。
どのくらいの時間が流れたのか、三人と二匹にはわからなかった。気がつけば日が傾き暮れようとしていた。リュカの涙は尽き果てたのかすっかり乾いて しまっていた。マリアとヘンリーはその場に足がくっついてしまったのではないかと感じられるほど、同じ場所から動けなくなっていた。「・・・・・・なんとなく、わかってはいたんだよ」
静寂を破ったのはリュカ本人だった。がっくりと肩を落として俯いたままだったが、か細い声で話を始める。
「そうでなきゃ、ティラルさんとシルフィスさんがそこまで注意して決心しろなんて言わないもん」
力のない声だったがリュカのその声は先ほどのような動揺や投げやりな感じはなくなっていた。
「そのティラルとかシルフィスとかを恨んだりはしないのか?」
ヘンリーはその真実を隠していた二人のことをリュカがどう思っているのか聞く。
リュカはそのヘンリーの言葉に力なく首を振った。「ティラルさんたちは恨めない、恨まない。隠していたと言う事実はあるけど…よく考えれば、子供のときに『刻(とき)ではない』って言わないで居た んだ。…脱力して発狂しても、立ち直れる状態まで待ってくれたんだと思う。今でもこのあとでも、この真実はいずれ知ることになるわけだし、結局は同じ 事なんだよ。気遣ってくれただけ感謝しなくちゃ・・・」
リュカはそう言うとようやくうなだれていた頭を上げる。涙の筋が残ってしまっていたが、それでもどこか晴れやかな顔をしていた。その顔を見てヘン リーは驚き、マリアは妙に納得した感じだった。
「…恨むのならば、この紋章を残した相手。わたしを女にした張本人」
「だけど、それが誰かはわかるの?」
リュカがやっといつものリュカに戻ってきた。それをみて安心したマリアはもう心配は要らないとばかりに、普段どおりの接し方で話を始める。
「わたしはわからない。けど、ティラルさんとシルフィスさんは知っているはず」
「その…ティラルとシルフィスって一体・・・?」
リュカが確信を持って話をするが、マリアは先ほどから自分の知らない名を出されて少し戸惑っていた。
「…わたしの守護神。父様がむかしそう言ってた。そして、何が起こっても必ず助けてくれるんだって」
リュカはそう言って言葉をあいまいに濁した。「ウン」と一回頷くと、リュカは元気良く立ち上がる。
「もう、大丈夫?リュカ」
マリアが少し心配そうに訊ねた。それにリュカは笑顔を返す。
「うん、まだ色々混乱してはいるけど、とりあえずは大丈夫。それにいつまでもここにいるわけには行かないからね」
リュカはそう言って立ち上がる。ヘンリーの立っている場所の後ろにはラーの鏡がある。ヘンリーの横を抜けてリュカは自分の手でラーの鏡をその手に 取る。中には先ほど見た中性的な男性とも女性とも取れる姿をしたリュカが居た。
「…男にも女にも人気の出そうな顔してるね、わたしって」
リュカはそう言ってラーの鏡を道具袋の中に納めた。不思議とリュカはもう涙が流れなかった。むしろそんな自分をもっと良く見たいと感じていること に自分でも驚いていた。
「リュカ・・・・・・」
「ヘンリー、元気出してよ。性別が変わったって、大親友であることは何も変わらないんだから。さ、デール王が待ってる、早くラインハットに戻ろう」
無理に元気な風を装っている、そんな感じにも見えるリュカに、どう言葉を掛けたらいいかヘンリーは少し戸惑っていた。だが、リュカはいつもの元気 の良い振る舞いをしていた。
「ごめん、心配かけたねスラリン、ブラウン。あなたたちのマスターだって言うのにこんな弱いんじゃ離れたくなっちゃうよね」
リュカがそこまで言うと、スラリンとブラウンはリュカの足元に来る。スラリンは身体を揺らして、ぼよんぼよんとリュカの足に身体をつけていた。ブ ラウンは木槌を置くとその小さな手でリュカの足をポンポンと叩いて、心配するなと言いたい様な仕草を見せた。それを見て、リュカはスラリンとブラウン を撫でて「ありがとう」とお礼を言っていた。
ヘンリーが脱力感から脱して、リュカたちは再び旅の扉までやってきた。日が暮れる直前だが、旅の扉は通ることが出来るようだった。ラインハットを旅 立って五日ほど経ってしまったことに幾分慌て気味の態度を示してリュカはその旅の扉まで戻ってきた。「…さて、ラインハットはどうなっているかな」
リュカはそう言って旅の扉を覗き込む。ヘンリーは脱力していた身体に力を入れなおしていた。念のためと言ってマリアもラインハットまでくると言 う。院長に報告することも考えているのだろう。
そしてリュカたちは旅の扉に飛び込んだ。