4.狂気した人間
かつての旅で訪れ船を都合してくれた村で、再び船を調達して内海に出た四人は、早速マーメイドハープを使って船の周りに空気の層を作り上げる。そし て層が出来ると船は海中へと潜っていく。海中は海上と違って波で荒れていることもなく穏やかな水の層でできていた。内海の海底中心部に小さな神殿が作 られていた。イザとバーバラによると、ここが「ルビスの神殿」なのだと言う。
イザとバーバラの案内で、レシフェとティラルは中に入っていく。神殿の周辺は、マーメイドハープを使った船と同じく、空気の層で区切られていてその 空気の層に当たった海水は何事もないように空気の部分を侵食せずに流れていた。その神殿の中央の玉座で、レシフェと同じくらいかまだもっと若い、しか し人間とは少し様子の違う存在が座っていた。「ああ、願いが通じたのですね」
四人が姿を現すと、その存在は力なくそう呟いた。
「あなたがルビス?」
一番に口を開いたのは当然ティラルだった。その不思議そうな訊ね方にルビスも不思議そうに首をかしげながら「そうです」と返事をした。
「あなたの願いは別世界の…『精霊ルビス』に繋がりましたよ。その言葉に導かれてあたし、ティラリークスとこっちのレシフェが駆けつけました」
ティラルが精霊の名を口にすると、そのルビスも驚いた顔をしていた。
「あなたとあたしは同一の存在ではない。と言うことはルビスと言う名も偶然か、もしくは…」
「仮に世界単位ではなく、時空までもを見通すほどの存在があったら、お互いをひきつけるためにつけた名で、今回こうして繋がったのかもしれません ね」
ティラルが途中まで言うと、ルビスもまた言葉を続ける。同一ではない存在、だが異なる二人のルビスはほぼ同じようなことを同じようなタイミングで 考えているようだった。
「あなたがあたしたちを召還した、それは間違いないんだね?」
レシフェが確認すると、ルビスは一回頷く。
「私はここで世界の流れを見ていました。特別なにかが出来るわけではありませんでしたが・・・」
ルビスが言うと謙遜するようなルビスをイザとバーバラが止める。
「僕が旅に出るように導いたり、仲間たちに結び付けてくれたり…」
「なにより大魔王から私たちを守っていたのもあなたでしょう?」
イザとバーバラが言うとルビスは手を振って「そんなに立派なことではない」と慌てて否定してみせる。
「その、大魔王が打ち破られて、私の役目も終わりました。ですが、そのあとに人々が暴走してしまうと言う不思議な現象が起こったのです」
ルビスが悲しげに言うと、レシフェはその原因−七色の石を見せる。
「これ、だろ?」
「ええ、その石は『涙晶石』と呼ばれる石で、実は妖精の涙から作られるのです。本来はこんなに鈍い色の石ではなく、澄んだ七色でプリズムのように光 を増幅したりも出来るものです」
ルビスはその石の存在を知っているらしく、石−涙晶石を見てもあまり驚かなかった。だが、驚かない代わりに嘆き悲しむ。
「なんでこんなに鈍い色でしかないんだい?」
レシフェが訊ねるとルビスはゆっくりとその事情を話し始める。
「涙晶石は妖精たちが特別なときに涙を流し生まれると言う宝石。ですが、今生み出される涙晶石は妖精たちを無理矢理泣かせて生んでいるだけのまがい 物なんです。元々世界の各地で私のような存在の妖精たちが居たのですが、人間たちが涙晶石の存在を知ってからはその妖精たちは次々と狩られていき、人 間たちの欲望のためだけに涙晶石を作らされているのです」
ルビスの説明にレシフェとティラルは納得したように頷いて石を見る。
「この石にあった悲しみと淋しさはそれが原因か・・・」
レシフェは少し悔しい様子でその石を見つめる。
「それで、この世界ではなくわざわざ別世界にまで念を送った理由は?」
ティラルが石のことを納得した上でルビスに訊ねる。
「先ほども言いましたが、私の役目はあくまで大魔王のことに対して導くだけ。大魔王が討たれてからは私の力が勇者たちにまで通じなくなってしまった のです。そんな時にティラルさん、あなたの、『精霊』の存在に気づいたんです。失礼なことを申しますが、あなたは精霊の中でも異端。でも、精霊の使命 に縛られていない存在。逆にこの世界は私の力もなくなり、ゼニス王に代わって新たな監視者も生まれましたが、その監視者はまだ役不足。その間に世界の ことをお願いできる存在を導きたかったのです」
ルビスは涙を流しながらそう言って、最後には「ごめんなさい」と謝りの言葉を口にしていた。
ティラルはなるほどと納得したような顔をしていた。「…ま、確かに精霊と言う身分でありながら何もしていないのは事実たし、ルビスの言うように異端でもある」
「同じく、まだ未熟な新たな監視者に基礎を教える者も必要としていたものですから」
ティラルの言葉に続けて、ルビスが口にする。
精霊になりそびれた存在で、世界を見つめる役をこちらのルビスに代わって出来る存在であるティラルと、新しい世界の監視者に向こうの世界を監視して いたノウハウを叩き込めるだけの存在のレシフェ。向こうの世界で精霊ルビスが何かを感じて、二人をチョイスしたのは偶然では無かったと言うのだ。「けど、あたしにはこの世界を見つめるほどの能力は持ってないよ?」
ティラルは少し残念そうに、申し訳なさそうにルビスに言う。だがルビスはそのティラルの言葉に悲観した様子はなかった。
「大丈夫です。私もそろそろ刻(とき)がきて、新しい世代に交代します。その世代は監視者とは別に、影から色々を見つめられるだけの存在です。ティ ラルさんにはその存在を見守っていただきたいと思っているのです」
ルビスは自分の命も短いと言うように、だがその声もまた悲観はしていないしっかりした声でティラルに言う。
「…なるほど、精霊ルビスがルビスの後の精霊を見守るのか。…だから不老不死か」
突然ティラルは納得したような声でそう言う。それに一番驚いたのはレシフェだった。
「なっ、ティラルは不老不死!?」
「うん。…レシフェは自分で刻を操作して年老い、死ぬんだけどね」
「縁起でもない事を言うな、事実だけど」
ティラルがレシフェの訴えを肯定して、レシフェの存在を軽く言ってみせる。レシフェは「悔しくなんかない」と言いたそうな子供の顔をして、拳を震 わせながら事実であることを承諾した。
「…色々と事情がややこしくて申し訳ありません。…ですが、さすがは向こうの世界で精霊と、監視者と呼ばれていただけのことはあります。伝説の勇者 と伝説の魔法使いをも連れてきていただけるとは。これで事も早く片付くかもしれません」
ルビスはそう言って喜びを見せた。
その言葉を聞いて、今まで蚊帳の外だったイザとバーバラは安心したような表情を見せた。「じゃあ、本題に入ろうか」
パンと一回手を叩き、レシフェはその場を引き締める。そして、本来の目的である石、涙晶石のことについて話を聞き始める。
「人間が勝手に妖精を使って涙晶石を作っているのはわかった。涙晶石の悲しさと淋しさの原因も。それについては、妖精を助け出す、人間を一度懲らし める必要があるだろう。…けど、ルビスも気づいているだろう?」
レシフェがそこまで言うと、ルビスは先ほどまでの明るい顔を暗くして俯く。
「…暗くならないで、ルビス。まずは話を聞かせて。私たちに出来ることなんだろうから、きちんとやらせてもらうよ」
バーバラがルビスの肩を叩きながら励ますように言う。「はい」と一回頷いてルビスは言葉を続ける。
「何者かわかりません。が、誰かがその涙晶石に悪しき思念を植えつけています。その思念が人々を暴走させています。皆さんには、その裏側についても 確認していただければと思うんです」
ルビスの言葉にレシフェとティラルはなるほど、と納得した感じだったが、イザとバーバラは少し釈然としない感触だった。
「裏、とは言っても見つかるかどうかは・・・」
「大丈夫、バーバラさん。仮に今回見つけ出せなくても、妖精たちを助け出し二度と同じようなことが起きないようにするつもりだから。それからゆっく り裏側を燻ってやるからさ。それで問題ないよね、ルビス」
バーバラが事態がそう簡単に解決するかといった懸念をすると、ティラルはそれをこういった言葉で打ち消していた。同意を求められたルビスもティラ ルの言葉に頷いていた。
「…そんなに時間かかって大丈夫?」
「先ほども言ったけど、あたしには未来を見たり世界を見たりする能力はないから、後手にはなってしまうかもだけど、確実に裏を叩ければ同じことは出 来ないと思う」
バーバラが長い時間をかけて解決しようと腰をすえたティラルの言葉に反論した。が、ティラルは自分がこれからやっていくことが先手を打てないこと は良くわかっていた。その上で言った言葉がこれだった。
「で、ルビス。本陣はどこなんだろう?」
ティラルが訊ねると、ルビスは落ち着いた顔をして言った。
「このすぐ上、元の魔王の一人の居城です」
かつて魔王が居城としていた城には、レシフェとティラルが感じられる悲しみや淋しさなどが確かに漂っていた。ただここに妖精を捉えた人間は、何か の術を使ってその感情などが流れ出ないように細工しているようだった。
「人間にそんな高度なことは出来ないはず。呪文でさえ一部の人間しか使えないんだから」
バーバラはそう呟くが、実際に城に入ってみると負の感情の渦が確かに存在してどこかでせき止めているとしか考えられなかった。城の中についてはイ ザが詳しく、先陣を切って歩く。魔王が居た頃は特別な細工などはしていなかったらしいのだが、今の城はトラップだらけで、普通に歩いて奥へ進むのはか なり困難を極めた。そして、全体数が少なくなったはずの魔物の姿がこの城の中では異常なほどあり、トラップと魔物に足止めされて先に進めない状況だっ た。
「…どうかしたの?レシフェ」
並んで歩くバーバラは隣で先ほど魔物を斬って捨てた剣を手に、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。その様子を見たバーバラは声をかけずには居ら れなかった。
「うん・・・なんか、魔物にしては弱い。それに魔物ほどの知能がない感じが…」
レシフェがそんなことを言いながら辺りを見回す。どこからともなく現れる魔物だったが、それらが出てくるような場所がここにはなく、かと言って徘 徊しているわけでもなかった。イザの案内で玉座の間まで来ると、その玉座には涙晶石を無数に抱え持ち、冠をつけているものが居た。
「…こんなところで何してるんだ!!」
イザが声をかけると、その人物は振り返る。そしてイザは息を飲んだ。それはレシフェとティラル、バーバラも一緒だった。数日前イザの城で別れたは ずの王の姿がそこにはあったのだ。
「…くくく、イザ、お前もこの石がほしくてここに来たのか?ここは天国のようだよ、これだけの石があるのだからな」
王はそう言って再び無心になってその石を見つめている。
「イザ・・・なんで?」
バーバラがイザに聞くがイザは何も答えなかった。確かにイザの父である王が居るのは事実だった。
溜息をついたイザが無視して先に進もうとすると、突然剣を構えた王はイザに突進する。それを確認したレシフェは瞬時に剣を抜くと、城でやったのと同 じように峰を返して王の背に一撃を入れる。
だが、予測していたのか王は振り返るとレシフェの剣をしっかりととめる。背を見せられたイザは王の背に回し蹴りを放って気絶に招こうとしたがそれを も王は止める。レシフェとイザがこう着状態に入ったそのとき、バーバラがイオナズンの呪文を唱え、涙晶石を粉々に打ち砕く。続けてティラルも火炎系の 法術を展開して粉々になった涙晶石の欠片を一つ残らず焼き払う。その様子を見た王は少しずつ表情をゆがめ怒りだしていく。強引にレシフェとイザを振り 解くと焼けた涙晶石のところにいく。しかしもう涙晶石は欠片も残っていない。それを見て王が狂ったようにバーバラに切りかかる。「・・・!!バーバラ、それは父じゃない!!何者かが化けてるだけだ!!」
狂った表情を見たイザが叫ぶ。わずかだが呪文で化けている瞬間を見取ったようで、それはイザにとっては確信だった。バーバラはその言葉を聞くと最 大級の呪文を唱え、焼き尽くした。
「・・・メラゾーマっ!!」
バーバラのメラゾーマの前に生き残るものなどは無いが、それでも歪な形の骨がその場に残る。これが人間ではないことを物語っていた。レシフェはそ の骨を見て何か違和感を感じている。三人は気にせず奥へ行こうとするが、それをレシフェは止めた。
「・・・レシフェ?」
そのレシフェの行動が少し気になったティラルは、真相まではわかっておらずにレシフェに問いかける。「うーん」と唸るような声を出しているレシ フェだったが、少しずつその表情は暗くなっていくのがわかる。
「…もしかすると、ちょっとした禁忌を犯したかもしれないよ、ティラル」
骨を見ながらレシフェは言う。その言葉にティラルは一瞬息を飲むが、レシフェの言葉を信じることが出来なかったのも事実だった。
「レシフェとティラルの禁忌、ってなに?」
バーバラが首をかしげて訊ねる。レシフェが何かを言いながら骨を手のひらに出来た光の玉で包み込む。そして次に現れたのは、紛れも無い人間の骨 だった。
「…な、人間・・・!?」
バーバラはレシフェのしている行動を見ていたが、一通り終わったところで驚きの声を出す。魔物たちは異形の骨格や獣に近いものが多く、人間の骨格 とは少し違っていた。なによりこれまでの魔物たちの骨の中で脊髄は直線かそれに近いものであったが、今目の前にある骨は組み合わせるとS字になってい た。他にも手は指が長い五本で構成されていたり頭蓋骨が限りなく球に近かったりといったものだった。
「うそ、でしょう?」
バーバラは自分が焼いたのが魔物ではなく人間だと気づき、少しの恐怖に襲われる。
「…あたしたちの禁忌、って言うのは、単純に殺人をしてはいけないってこと。レシフェは見守るものだし、あたしは創りしものだからね。それらを破壊 することは一応、禁忌なんだ」
ティラルは静かに言う。だが、バーバラほどの恐怖などには襲われていないようだった。その様子にレシフェも不思議そうにティラルを見返した。
「…いま、一応、って言ったね?どういうつもりだい?精霊ルビス」
嫌味っぽくレシフェが聞き返す。ティラルはそのとき少しだけ暗い表情の中に笑みを浮かべていた。
「もう、その呼び方が通用しない存在だってこと。創るのは出来るとは思うけど…あたしは精霊ではないし、レシフェは竜の女王ではないってこと。…も う人間だってこと。過った道に進む同じ人間を斬って捨ててもそれは禁忌にはならないって事」
ティラルはそう言って小さなレシフェの頭に手を置く。レシフェはその言葉に納得できないと言ったようにティラルを睨み付けていたが、ティラルのほ うもそのくらいでひるむほど軽い気持ちで言ったつもりは無かったようだった。
「怖く・・・ないの?」
バーバラが素直に訊ねる。するとティラルは場に不似合いな笑顔を作る。
「全然。むしろ禁忌を持っている状態で人間を『誤って』殺してしまうことのほうが怖い。だから今は怖くない」
ティラルはポツリとそう言う。顔は笑顔だったが、ティラルの内心は正直葛藤しているのは事実だった。レシフェもそれを見抜くことは出来たが、そこ までは敢えて突っ込んだりはしなかった。
「…バーバラもイザも、この先人間を相手にしなくてはならない可能性が高くなった。引き返すならばいまのうちだよ」
そう言ったのはティラルではなくレシフェだった。頭の上に置かれていたティラルの手を握ってレシフェは言葉を続ける。
「…こだわりすぎだとは思っていた。だから、なにかはっきりしたものが欲しかったんだ。…あたしたちはかつてのあたしたち側の者を助けるために殺人 することになるわけだ」
レシフェがティラルにそう言うと、ティラルは滅多に見せない優しい笑顔でレシフェに答えた。
イザとバーバラが立ち尽くしているその間辺りにレシフェは来て、二人に言う。「…人間が大事か、妖精や精霊が大事か。そこは自分たちが決めることだ。あたしとティラルはあくまで妖精側につく。それに、人間を正すには、少しだ けの異端を排除するのが手っ取り早い。そんな異端を斬って捨てるのはやっぱり・・・」
「異端がお似合いってわけだ」
レシフェの言葉にティラルが続ける。少し前、ルビスに言われた「異端」と言う言葉を初めは受け入れなかった二人だったが、今はやっていることが精 霊や監視者のものとは既に違っていることを自覚していた。
「なんで二人はそんなに・・・」
バーバラはこの潔さが理解できないといった様子で言葉を出すが、それも混乱してしまったようで、言葉は全て発せられることなく止まってしまう。
「理由は色々あるけどね。…レシフェの言った人間が相手と言うのはちょっと間違いかな」
ティラルはそう言ってレシフェを見る。レシフェはそんなティラルに降参と言った感じで目を伏せて首を左右に振った。
「言い方を変える。今は魔物の元人間が相手になる。操られているにしろ、悪に魅了されているにしろ、魔物のレベルまで心が堕ちてしまったのは事実だ からね。人間として元に戻ってもらうのはちょっと困難」
レシフェはそう言ってまた骨の方に歩み寄る。
バーバラはそのレシフェを恐怖の対象を見るようにして見つめている。骨のところにしゃがみこむと再び先ほどのような光の球を作り出し、骨を包み込 む。骨は先ほどの焼け焦げた魔物のものに変わる。「…余計なことをした。悪い。けど、あたしも禁忌であった事をすぐに実行できないから、確認のためにこんなことをした。…時にこんなことをするのも また、必要だろうよ」
レシフェが悲しそうな笑みを浮かべて、小さな声で言う。人間を殺さない、それが自分の今までの一番の禁忌だった。それが別の時空に来たことで許さ れるものになるとは思えなかった。だがそうする以外に道がないとわかったとき、自分に問い詰めた。その答えは至極簡単なものだった。今は竜の女王では ない。人間で過ちも犯す。それが確認できれば十分だった。
レシフェはこの場でイザとバーバラにも自分で決断するように促していた。流されることで後悔して欲しくないと言うのがレシフェの想いだった。「僕は行くよ。元人間でも今は魔物。もしくは何かに魅了されてる悲しい人間。ならば呪縛から解き放つしかないよ。そのためだったら、魔物を討つよ」
イザは剣を構えてレシフェ、ティラル、バーバラを見て言った。
バーバラはそのとき少し迷っていた。だが、人間を模る魔物であることに変わりなく、元々が人間でも今は違う、と言うこともまた真実だと感じたのだっ た。このことがその場の言い訳と言われても反論は出来ない。が、間違ったことをしているのがどっちか、それを正すと決めたら後は進むだけだった。「…私も行くよ。間違ったことをずっとして欲しくないからね」
迷いを振り切るようにしてバーバラも三人に賛同する。
改めて「涙晶石に狂った人間を駆除、その背後に居るものを暴く、そしてとらわれている妖精の開放」を確認した三人は、玉座辺りで隠されているであろ う通路や階段を探す。それは導くためか偶然か、簡単に地下への階段を見つけることが出来、四人は階段を降りていく。
階段を下りた先は左右に牢が作られ、中には数多くの、そして異種多様の妖精たちが捕らえられていた。「なんてことを・・・」
感受性豊かに言葉を表現するバーバラはこの状況を見て、驚きと同時にただ私利私欲に走る人間を信じられないと言った感情になる。
「レシフェ、ティラル。ここにいる全ての妖精たちが涙晶石を作り出すの?」
イザはその数の多さに辟易していたが、疑問が浮かび訊ねる。レシフェもティラルも「うーん」と唸ったりしていたが、答えは近くの妖精から聞けた。
「…あなた方は…あの人間たちとは違いますね」
まだ狂乱までは行っていない者の方が多く、平常心でこちらの様子を探ってくる妖精も数多く居た。
「僕たちはここにいる妖精を助けに来たんですよ」
「それと、間違った人間の駆除」
イザの言葉にバーバラが躊躇しながら、しかしここにいる妖精の数に苛立ちを覚えてその言葉を発した。
「先ほどの質問ですが、涙晶石は一部の妖精しか作り出せません。ここにいる妖精は作り出せないことがわかってしまったもので、後は殺されるのを待つ だけです」
その妖精はそう言う。涙晶石を作り出す妖精は既に別のところに隔離されているとのことだった。そして、残された妖精たちは狂い魔物と化した者たち の残虐な欲望−殺しのための標的にされるとの事だった。
その話を聞き、四人は城の妖精から聞いた城の最深部に行く。
そこでは涙晶石を作り出す妖精たちが拷問に近いことをされ、無理矢理涙を流させられていた。その涙からは確かに七色の涙晶石が生まれてはいたが、レ シフェの持っていた鈍い七色のものでしかなかった。だが、ここにいる元人間たちはたとえその鈍い七色の涙晶石でも役に立つとばかりに、次々と生み出さ せていた。中には涙も枯れ果てた妖精もいるらしく、そういった妖精は先ほどの妖精たちのように死を待つしかない運命だった。「ふ・・・ふざけてる!!」
その状況を見て怒りをあらわにした四人だったが、中でもバーバラが一番怒っていた。バーバラは人間がすることだから、多少酷いものであっても、こ こまで徹底的にやっているとは想像していなかった。その実態がわかるに従って徐々に無口になったが、ここに来てとうとう怒りは爆発した。
「ここまでだ!もう勝手なことはさせない!!」
四人の先陣に立ったのはもちろんバーバラだった。怒りに反して自分は落ち着いてる、それがわかったバーバラはまず人間の排除からはじめる。だが、 バーバラの言葉に何が起きたかも理解しているらしく、妖精たちから涙晶石を作り出していた人間たちは次々に手に武器を持つと、たった四人で乗り込んで きたのを後悔させてやるとばかりに大集団で襲い掛かってくる。
「・・・バギクロスっ!!」
その集団めがけてバーバラはいきなりバギクロスを唱える。大きな真空の竜巻は数々の刃を作り出し、わらわらと集まってくる狂った人間たちを切り刻 んでいく。だが、通常の人間ならば耐えられないほどのバギクロスを喰らっていてもひるむ様子も無く向かってくる。
その行動自体が異常と感じられた。そして、四人も武器を構えるが、それにもまったく物怖じしない。数で包めば勝てるとばかりに四人を取り囲みじりじ りと間合いをつめる。「メラゾーマ!!」
呪文の詠唱なしで突如と発生させたレシフェの巨大な火炎球は集団の中に落ちていく。ただのメラゾーマでは怯まなかった相手も、ドラゴンの火炎にも 似た火炎球は少しは効いたようで、少しだけ集団に混乱ができる。その瞬間をレシフェは見逃さなかった。
「散って、薙ぎ倒せ!!」
他の三人の背中を押して、集まっていた四人をバラバラにする。そうすることで大集団になっていた人だかりを四等分にする。ここで効果を発揮したの はティラルの二刀とバーバラの鞭だった。
ティラルは左右の剣を巧みに使い、切りかかってくる者の剣を一本でまとめて受け止めると同時に、もう片方の剣で腕や腹を薙いで行く。そうして通常一 対一で相手するところを一対多で相手していく。
一方のバーバラも、冒険で使っていたグリンガムの鞭を巧みに操ると、その場に居る者たちを躍らせる。足を、腕を、身体を鞭で巻きつけては隣接してい る人間にぶつけていく。そうすることで混乱は更に増し、同士討ちも多くなっていく。バーバラはその合間にも、冒険で覚えた最上級の呪文を唱え、自分、 イザ、レシフェ、ティラルまでもをフォローしていった。
イザもまた、勇者と呼ばれるに相応しい動きをしていた。手に持った剣で相手を牽制すると、バーバラほどではないにせよ、呪文で巧みに攻撃する。その 呪文の中でもギガデインはその威力を増し、次々となぎ払っていった。
剣だけに頼ってしかし、一刀ながら流れるように剣を捌いていくのはレシフェ、あまり慣れていなかったはずの刀−天叢雲剣を手に瞬足で駆け抜ける。一 振りでその場に居る五、六人を一気に薙ぐ、傷は少ないもののそれが瞬時に二つ三つと増えていく。またレシフェの狙う場所は腕の筋や足の腱と言った要所 だったため、斬られた者たちは次々と武器を落とし、倒れこんで戦闘不能になっていく。それでもなお向かってくるものに対しては、刀を両手で構えて深く 息をすると強烈な一閃を放つ。その一閃から生まれたかまいたちはバギで出来る無数の刃に対して、巨大な一つの刃だった。その刃から避けられないものは 無残にも身体を二つに切られていった。
だが、それでもなかなか取り囲んでくる者たちは減らないで居た。辺りは血生臭い臭いが立ち込め、足元は血脂ですべるようになっていた。「ったく、何でこんな無数に出てくるんだ・・・!!」
レシフェは色々と可能性を考えながら斬っていくが、それでも埒が明かないと思ったのか、一人抜け出す。それを見たティラルたちも集団の中から抜け 出す。追いかけてくるものも居るが、追いつくものを斬っては逃げてを繰り返し、更に奥へと進んでいく。
「レシフェ、何か感じる!?」
バーバラの声にレシフェは一回頷いた。奥からは人間の悪しき心ではない、大きな憎悪などが感じ取れていたからだった。鉄で出来た大きな扉が四人の 前に立ちはだかる。
「邪魔だ!!」
しかしレシフェの刀の一閃で鉄の扉はあっけなく斬り開かれた。
「ほっほっほっ、随分と勇ましいお嬢さんですねぇ」
そこで血のようなどす黒い酒の入ったグラスを片手に、宝玉を見ていたのは赤茶色のローブとフードを身につけた、血色の悪そうな青白い肌をした中性 的な顔立ちをしたものだった。
だが、この人物がただの人間ではないことは、レシフェやティラルだけでなく、イザやバーバラにも容易に知ることが出来た。「…貴様が黒幕だな!?」
レシフェが刀身の血を振って落とし、それだけで綺麗になり深い蒼色を湛えた刀身をその人物に向けた。
「ほぅ、そう思われても仕方ないですが…まぁ、そんなことはどうでもいいでしょう」
そのフードの者はそう言ってグラスの中身を飲み干した。そのグラスには小さいが七色に輝く石が入っていた。そしてそれを見た後ろに居る者たちが騒 ぎ出す。
「それが本当の涙晶石か」
レシフェが言うと、グラスを口につけてその涙晶石をそいつは口に含む。そして飴を砕くようにして口の中に広げ、飲み込んでしまった。
「な、なにを・・・!!」
バーバラがその異常な行動に驚くが、そいつは微動だにしない。レシフェの刀の切っ先が鼻先に突きつけられているが、それでも動こうとはしなかっ た。
「なかなか、人間と言うのは面白いですねぇ。心の中の欲を開放するとこうも狂うのですから。なのになぜ、魔王と言う存在を潰すのでしょう?」
刀を突きつけられていることを一切介さずに平然と話をしてくる。四人はこの異常さに少しだけ、冷や汗に似たものをかいている感じがした。
「…人間に害を与えるから。違う?」
そいつの問いかけにバーバラが答える。首を縦に振り、「うんうん」と納得したように頷く。
「でも、魔王を潰さなければ魔物を好きなだけ斬り、好きなだけ呪文で焼くことができるんですよ?」
そう言われて四人がドキッとする。確かに言っていることは間違いではない。しかし・・・。
「…残念ながら、魔物や人間を斬るのが好きなわけじゃない」
レシフェが声を低くして言う。同時に突きつけていた刀を下ろした。
「なら、死んでいただけますか?」
「イヤだね、死なないために斬っているんだから」
突然訊ねられたがレシフェもその質問に対して間髪置かずに答えた。レシフェ以外の三人も武器を手にレシフェに賛同する。
「なるほど・・・意志の強い人間というのもなかなか楽しいものですね」
「なんでこんなことをした?」
話題が反れてしまった内容をレシフェが修正する。
「人間と妖精を滅ぼしたいのです」
そう言いながらフードの中はニヤニヤと笑い続けている。
「と言ったら信じますか?」
どこか焦点をつかませない物言いで、本題からするりと抜けていく。レシフェを初めとした四人は不機嫌そうな顔をして溜息をつく。
「お前、魔族か?」
再び刀を鼻先に突きつけてレシフェは聞く。そいつは相変わらずニヤニヤと口元だけで笑っていた。
「何が目的!?」
我慢できずにバーバラが問いただす。手にはグリンガムの鞭を構えて、ふざけたことを言ったらいつでも攻撃できるような状態にしていた。
「人間と妖精を滅ぼしたいと言うのは事実ですよ。それと、少し前にあなた方によって討たれた大魔王がどこまで頑張れるかを見ていたのですが、とんだ 茶番でしたね。あれだけ厳重に施設などを封じたと言うのに、全て封印を解かれ、魔界−狭間の世界への侵入も許してしまった。途中でダメだとは思ってい たので、手を引かせてもらいましたが、案の定と言った感じでしたねぇ」
そう言って口元を更に歪ませて笑ってみせる。
「貴様が居ると、この先また、何が起こるかわからないな」
レシフェは落ち着いてそう言うと、瞬時に刀を構えなおし、最上段からフードの者を斬った。
「無駄ですよ、それは実体であり実体ではない。とりあえず今のところは手を引きましょう。でも、残った人間たちをどうします?殺せますか、あなた方 に・・・ほっほっほ・・・」
フードの中にあったと思われた姿はたちまち空気に溶けて無くなる。バサッとフードだけがその場に残った。
「待て!!」
「レシフェとティラルと言いましたね、あなた方は存在が面白いので、こちらも名を教えておきましょう。『ゲマ』といいますよ、よろしくお見知りおき を・・・」
そう言ってゲマは闇に姿を消す。
「くっ!?」
直後、レシフェとティラルは頭痛を感じた。
(私は人間を狂わせて、どんなことをするのか見てみたいのですよ、いろいろなことで狂わせてね。涙晶石は手段の一つでしかないですよ。人間が人間 に、物に、人間以外のなにかに、食って掛かるのが楽しいのですよ。それと狂った状態で地団太を踏む姿、逆境を乗り越えようとする姿。それらの者がどこ まで頑張り、どこまで辿り着けるか見てみたいのです)
フラッとレシフェとティラルはよろめく。時間にして一秒かからない間にゲマは直接頭に話しかけてきた。
(この先、人間の運命を操っていろいろなことをしてあげたいと思っているんですよ。楽しいでしょうねぇ、人間が狂う様は・・・ほっほっほっ・・・)
瞬間全ての言葉を叩き込まれて、レシフェとティラルはめまいを覚えるがすぐに立ち直る。そして二人して溜息をついた。
「逃げられた・・・」
残念そうにレシフェが呟く。その後ろでは狂った人間−既に魔物の域に達している者たちが溢れ返っている。
「どうしよう・・・」
バーバラが途方に暮れた様子で呟く。その声にイザも困ったような仕草をするが、レシフェとティラルは既に気持ちは固まっていると言いたそうな感じ だった。
「滅ぼすしかない…な。さっきのゲマってヤツが手引きしなくても、妖精を探して涙晶石を創らせようと試みるだろう。それは避けなければならない」
ティラルが苦しそうな声を出してそう呟いた。レシフェもそれに同意する。イザとバーバラはそこまでの決意は無かったが、ティラルの言葉にやむを得 ないと頷いた。
「…いっぺんに片付けよう。私がやる」
バーバラはそう言って後始末を買って出る。
四人は再び魔物と化した人々の群れの中を通り過ぎ、全ての妖精たちを開放する。それを確認して外へ出ると、入り口を堅く閉ざした。「…無理しちゃダメだよ?」
レシフェがバーバラを気遣う。「大丈夫」と口ごもるような声でバーバラは言う。そして呪文を詠唱する。バーバラが持つ最大級の呪文が炸裂する。
「・・・マダンテ!!」
バーバラの今持てる全ての精神力を使って最大の攻撃を引き出すこの呪文で、かつて魔王が居たと言う城一つを完全に包み込む。その空間だけに特殊な 重力がかかっていき、ドンっと激しく地面が揺れる。同時に今までびくともしなかった城が突然音を立てて崩れだす。地響きを轟かせて城が崩れていく、そ の中には涙晶石に固執していた魔物たちも一緒にその城の瓦礫に飲み込まれていった。
それを見届けて、捕らわれていた妖精たちは自分の居場所に戻っていく。「…弄ぶのも許せないけど…結局、そんな欲望に飲まれる人間の心の弱さが原因か」
瓦礫を見つめて、切なそうにバーバラは言う。そんなバーバラの肩にティラルが手を置く。ティラルもイザもレシフェも、城の瓦礫を見つめてやりきれ ないといった表情を作り溜息をついた。
「いま、戻りました、ゼニス王」
ゼニスの城にバーバラとティラル、レシフェが戻り、一緒にイザがついてきた。
「おお、無事済んだようだな、マスタードラゴンから話は聞いた」
ゼニス王はそう言って、随分大きくなったマスタードラゴンの姿を見せた。
「無事なのかどうかは正直疑問ですよ。葬った相手は元人間ですし、魔物と化していたとは言っても結局は心の濁った人間に変わりは無かったのですか ら」
バーバラはそう言ってかぶりを振る。そのバーバラの言葉に他の三人も言葉無くその場に立ち尽くした。
「善もあれば悪もある。そして、どれが正しいかと言うのはその場では出ないし、必ずしたことが正しいとも限らない。誰かが止めなければ、被害にあう ものもまた出てくるのだ。辛い思いではあったと思うが…こうするしかなかったのだと思う。バーバラたちの決断は、少なくとも今は正しかったと言えるだ ろう」
苦悶の様子を見せた四人に言葉をかけたのは、ゼニス王ではなく、マスタードラゴンだった。バーバラとイザはその言葉に納得していた。ティラルとレ シフェはどこか虫の居所が悪そうな表情をしていた。
マスタードラゴンの話では、現存する涙晶石はそう多い数ではなく、暴走を引き起こしていたような状態はもうなくなったと言うことだった。また、その 大半はティラルとバーバラの呪文で塵と化しているとの事だった。マスタードラゴンが見ることの出来る地上の大半ではもう、涙晶石に絡んだ事件などは起 きていないと言う報告を聞き、どこかすっきりしない表情ながらも、四人とも納得するしかなかった。
それから暫く、レシフェ、ティラル、バーバラはイザとの話はもちろん、マスタードラゴンの育成に力を注ぐ。世界を見渡せると言うことで、マスター ドラゴンが気になったことや理解しきれない部分は、バーバラを中心に話がされて、考え方については三者からそれぞれの意見を聞き色々な知識をマスター ドラゴンは得ていった。
地上では短い期間だったが、ゼニスの城では半年近くが経っていた。
その間イザもマスタードラゴンに人間から教える事のできる知識を与えたりしていた。あまりに長い時間地上で行方不明になっていてはそれはそれで問題 でもある、イザはそう言って早々にゼニスの城を立つと言う話をした。バーバラが送ると言うが、少しくらいの礼がしたいとマスタードラゴンも送ることを 提案する。そして、更に育ったマスタードラゴンの背にバーバラとイザを乗せて、地上に帰って行った。
そして、その異変をティラルが感じ取ったのは、イザが地上に戻ってから暫くした日のことだった。
一人の女性がその身体の中に新たな命を授かっているのがわかる。
外見は特に異変なども無かったが、創造を司っていた精霊、ティラルにはその異変が人間になった今でも感じ取ることが出来た。「なんでまだわかるんだ?」
その女性の世話などをしながら、レシフェがティラルに膨れながら訴える。
「…少なくとも、海底の神殿に居たルビスではない、母上である精霊ルビスの力がまだ及んでいるか、あたし自身の精霊の力がまだ残っているといったと ころだと思う。新しい命については正直、近くに居ればわかるんだよ」
ティラルはそう言ってレシフェに説明する。
ティラルの説明では、間違いなくイザとこの女性との間に生まれる子供らしい。だが、それについてティラルはイザには知らせないほうが良いと、もしく は知らせてもゼニスの城で育てるべきだと進言する。誰もが、そしてその女性が一番、イザには知らせたいと言うが、そのことで勇者の血筋が途切れること が何よりティラルにとっては不安だった。また、地上にはゲマを初めとして魔を抱くものもまだ多く残っており、それらからも守らねばならないと言うのが 理由だった。
これに対してはバーバラも同意見で、出来るだけ隔離して育てるべきだとマスタードラゴンに進言する。それと同時に、地上を見守る役をゼニス王から引 き継ぎ、マスタードラゴンがこの先担っていくこと、ゼニスの城自体が既に特徴のある状態であったが、崇高なものとして存在するように変えていくことな どをあわせて進言していた。
イザの子が産まれ、イザには連絡がなされる。だがそのときイザはもう、地上で二児の父であり一国を治める王でもあった。ティラルやバーバラの進言 である血筋をゼニスの城で育てると言うことはイザ自身も願いそのようにされる。
マスタードラゴンはこのゼニスの城自体が天から地上を見守る城として「天空城」と名付け、いまゼニスの城にいる一部の人間には、マスタードラゴンか ら特別な力を授けられる。その人々は背中に白い羽を持ち、人間では持つことの出来ない数々の能力を持つことになる。天空城に住まう人々、「天空人」が 生まれ、勇者の血筋の一つは天空人に代々継がれていくことになる。
天空城には多くの人々が居たが、そのうち半数が天空人となり、もう半数は天空城を地上で守る役を担わされる。人としての存在は変わらないが、天空に 最も近い街をマスタードラゴンは作り出し、そこに残りの人々を移住させた。その人々は簡単に人間が天空城に辿り着けないようにと、かつて聖なる天馬が 封印されていたと言う塔を更に高く作り上げ、天空に届くほどの塔に作り変えた。同時にこの塔に入るには、特別な装備を整えた者とその仲間だけしか入れ ないように細工をする。こうして、天空に一番近い街ゴッドサイドと天空への塔が出来た。
かつての勇者−イザがその昔に伝説であった勇者の装備を揃えてゼニスの城を訪問したことは、天空の塔が出来たことによって二重の警備がなされること になる。そしてイザが持っていた剣、盾、鎧、兜はマスタードラゴンの元に納められた。これらは四つの神器として扱われ、後々天空の剣、天空の盾、天空 の鎧、天空の兜と呼ばれるようになる。
「バーバラはこの先どうするつもりだ?仮に天空人になると言うのであれば、そうさせるが…」
あるとき、ゼニス王がバーバラに問いかけた。マスタードラゴンが世界を見守るようになったものの、まだその大半はゼニス王が判断などをして、マス タードラゴンに教育をさせていた。バーバラはその間もマスタードラゴンとゼニス王につき、側近としての役を立ち回っていた。
「…私如きが天空人など恐れ多い。私はあくまで、魔法使いバーバラで結構です。既にこの身が滅び、夢にだけ思いが残ってもいつかは消える運命ですか ら。それに、伝説の呪文はかなり危ない。私がそれを守り、仮に使える者が居たらそのものに授けることにします」
バーバラはそう言って天空人になることを拒んだ。バーバラの気持ちの中のひとつには、たとえ魔物に近くなっていても人間を殺したことに対しての罪 悪感が多少残っていると思われた。
この頃、レシフェとティラルも天空城でマスタードラゴンの教育係として、バーバラとともに知恵を授けていたが、やはりこの二人も天空人として天空城 に残ることは拒んでいた。「あたしはこっちの世界では単なる人間だから。ティラルによっていろいろなことはしてもらえるけど、実際年老いて死んでいく運命にあるから、その点 は人間で構わない」
かつてティラルの腰辺りまでの身長だったレシフェも天空城での時間を過ごし、ティラルと同じくらいの身長になっていた。人間で言うと十八歳くらい に成長していた。一方のティラルはまったく変化が無く、不老不死であることが事実だと言うことをその身体で証明していた。
「ルビスは既に跡継ぎを生んだ。その跡継ぎが精霊と言う存在になる、力が有ろうが無かろうが。何人もそう言った存在はいらない。だからあたしはティ ラリークスと言う個人として、世を忍んで生きていくことにします。基本はルビスとその子、ファルスに仕えて手足になれればと思っていますよ」
こう言って二人は天空人とは少し離れた場所に位置を置くことにした。
更に時が流れ、マスタードラゴンが世界を見守る体制が出来た頃。
バーバラは天空城に残り、どれまで続くかわからない年月、マスタードラゴンの側近を続けていくと言う。レシフェとティラルはいつまでも天空城には居 られないと城から離れていく。マスタードラゴンはどこか希望するところに連れて行くと言うので、二人は迷わず海底にあるルビスの神殿を選択した。
そのルビスの神殿に居たのは、ルビスからいろいろなことを受け継いだ次代の精霊、ファルスだった。「レシフェ様、ティラル様。わざわざこのようなところまで来て頂いて・・・」
「堅苦しい挨拶はなし。二人ともあまりかしこまったのは嫌いだからさ」
ファルスが挨拶をすると、途中でティラルが笑いながらそれをとめる。
ここでファルスは人間が不穏な動きをしていないかを見守っているのだと言う。それとあらゆる教養を身につけようと書物や歴史などに干渉して知識を身 に付けていく。その中で、ティラルの持っていた精霊の考えなども身に付けていく。ファルスはその役を相当の時間続けるつもりがあると言う。その間、 ティラルにはそばに居て欲しいとファルス自身が願い、ティラルもそれに答える。「…この先、長い歴史が続くんだろう?ファルス」
レシフェはそんなやり取りをしている二人を傍から見守っていた。その話の中でそんな言葉を発していた。
「そうですね、レシフェ様。どこまで続くかわかりませんし、いつ、不穏が動くかもわからない。それだけ不安定であることは間違いないです」
ファルスの口癖は「いつもいつでも不安定」だった。そのために自分が居て、仮にどうしても人間だけで解決できなければ、ティラルとレシフェに動い てもらうだけの覚悟をしているのだと言う。
「ん。…ティラル。あたしも一緒に居てもいいんだが…このままだと、何もせず歳くって死んじゃうかも。で、相談なんだが、あたしの刻(とき)を止め ることは出来る?」
突然のレシフェの申し入れに、ティラルは驚きを隠せないような顔をしたが、今現在が特別動き回るほどの事件も起きていない状態で、ただ時間が過ぎ るのが嫌だったのかも知れなかった。
「…身体の活動を止め、仮死の状態を保つことは出来る」
「今後何かあったときに起こしてくれればいい。あたしは少し眠ることにするよ。ファルスを頼むよ」
レシフェのその言葉だけで、ティラルはレシフェの考えがわかったような気がしていた。特に何も反論することなくティラルによってレシフェはこの 先、数百年の時を飛び越えることになる。