2.希望の卵
「っ!!なんなんだ、この場所は!!!!」
大声で文句を言いながら次々に襲い掛かってくる、それまで居た世界から比べると異形ともいえる魔物たちをなぎ倒していく。
「ティラル!!聞いてないよ、こんなに苦労するなんて話!!」
「…悪いレシフェ、あたしも聞いてない。母上のことだから、下調べも何もしてないんだと思う」
黒髪を後ろで一つに束ねて、細身の片刃の剣−刀、天叢雲剣を手に太刀回りを演じているのは、元竜の女王こと、人間に生まれ変わった少女レシフェ。 そのレシフェと背中合わせで肩で息をしながら、レシフェの文句に素直に従い謝りを入れているのはティラルだった。
竜の女王の城に出来た、別の時空に繋がる穴。それは旅の扉に比べると禍々しい色で安易に飛び込めるほど冒険心を誘うものではなかった。だが、レシ フェとティラルはティラルの母である、精霊ルビスからここを通り行き着いた場所での事象を片付けてほしいと言われていた。
よくよく確認すると、その事象と言うのは、誰かがルビスたちの世界に呼びかけていると言うのだ。そして、その呼びかけている者はなんらかの理由で力 を無くしたようで思うように行動が出来なくなっていると言うことだった。
そのため精霊ルビスは自分の血族−直接の娘であるティラルを従者に、竜の女王に旅に出てもらうようにと依頼したのだった。
そこまでは良かった。時空の裂け目に飛び込んでからまともに先に進めた時間はあまり無い。ティラルの世界でも、レシフェの世界でも見たことの無い魔 物たちが次々に襲いかかってくる。「仕方が無い、一掃できるかな?」
ティラルが呟く。それを聞いたレシフェもまた頷いてティラルに指示を出す。
「法術を展開しな、あたしが増幅してあげる」
レシフェはそう言って刀を鞘に納める。ティラルも両手に持っていた細身の剣を素早く鞘に収めると、上下に手を構えて、宝玉を掴むように円を作る。 瞬間何かの文言を唱えると、そのティラルの両手の間に無数の稲光が現れる。それは無数の龍が走っているようにも見える。ティラルが少しだけ余裕の笑み を浮かべてその法術を展開−両手を開放すると、異次元の空間であるこの場所に突然雷雲が現れる。
その間に襲い掛かってくる魔物たちは、レシフェの手にある、見えない棒のようなもので追い払われていく。魔物たちはそのレシフェの動きに近づくこと が出来なくなっていた。
その法術の様子を確認したレシフェは軽く息を吐く。その息を右手で包み込むと、ティラルと同じく高速で文言を唱える。再び手のひらを広げると、小さ な真っ白な綿のようなものが手の上に乗っていた。「フッ」と、その綿を天に向かって息で飛ばして見せる。「いいよ、ティラル!!」
「…神龍雷撃!!」
レシフェの声に応じたティラルは右手で天を仰ぐ。そして具現化の文言とともにその右手を振り下ろす。無数の稲光から成る龍が一気に地面に向かって 翔け巡る。その場一帯にいる魔物たちだけでなく、地に着いた雷龍はその地面を這い、隣、その隣と電撃を魔物たちに叩き込んで行く。
本来ティラルの使うこの法術は良くて二、三匹程度の魔物を相手にするものだったが、レシフェが「増幅」した力はこの辺り一帯に影響を及ぼし、二人を 取り囲んでいた魔物たちは一様に電撃に痺れていた。「す、凄い・・・」
ティラルがその増幅の幅に感動している。レシフェはティラルに向かって得意げな笑顔を向けて見せた。
「伊達に竜族をしていたわけじゃないし、この程度のこと、世界を見守った一人としては出来なくてどうする?さぁ逃げるぞ!!」
自慢をして見せたがその行動自体は潔く、ティラルの手を引っ張ると雷にしびれている魔物たちを横目に、更に奥へと走り出す。あくまで隙を突くため の攻撃であって、倒すためではない。だから広範囲であっても魔物は倒れない。そう言った効力の増幅だった。
そうして、襲い掛かる魔物は一撃を与え怯ませては、その隙を突いて逃げ出すといったことを繰り返していた。
二人は暫くそうして走り続ける。見たことのあるダンジョンを抜けていくが、そこがどの辺であるかはまったくわからない。感覚的なことで話せば、たぶ ん丸一日程度は走り続けているに違いなかった。「ちょっと待った、ティラル」
小柄な身体を駆使して魔物の隙ばかりを適格についていたレシフェが、魔物の攻防が落ち着いたところで立ち止まる。
「…やっぱり、そうなのか」
ティラルも立ち止まってレシフェを見る。続けて自分たちの後ろを見た。その後ろにはずいぶん前に自分たちが入ってきたと思われる時空の裂け目がま だ見えていた。
「ったく、何だって言うんだ。…先に進めてないんじゃない?」
レシフェが少し苛立ちを見せて、その裂け目を見る。裂け目の中は特別何かが見えるわけではなく、ただ暗黒の時空が渦巻いているだけだった。ティラ ルもその時空を見るが、それが入っていたものと同一かどうかは確認できない。ただ、位置的には入ってきた裂け目と寸分違いないものだとしかいえなかっ た。
「…ここ、入ってみようか」
ティラルはそう言って裂け目を指差す。レシフェはあまりいい顔をしなかったが、逆に先の方向に何かが見えるかと言うと、そう言うわけでもなかっ た。
「ま、疑うとしたらこの時空自体なんだよな。与えられた条件の全てを試さなきゃ、可能性と言うものが残る。…はぁ、気は進まないが入るしかないか」
ティラルの申し出にレシフェは文句を散々言いながら、不承不承応じることにした。
二人は納得できない顔をして、その時空の裂け目に飛び込む。
「う・・・ん?ここは?」
どのくらい気を失っていたかはわからない。レシフェはふと気づいて頭を上げた。下はふわふわした綿菓子のようなものが敷き詰められた場所だった。 近くには同じようにティラルが放り出されて気を失っていた。
「…信じたくないが、走りまくったアレは損だったのか」
先ほどのことと思いたい、異次元の空間のことを思い出し、レシフェはうんざりした様子で毒をつく。暫くキョロキョロしていると、ティラルも気づい て上半身を起こした。
「レシフェ?・・・ここは?」
ティラルがぼんやりとしながらレシフェに問いかけたが、レシフェは「わからない」と言った表情をして首を振る。ティラルも回りを見つめるが、靄が かかっているような状態で回りはあまり視界がよくない。
二人は暫くその場で周りを見回していたが、レシフェが先に歩き出したのを見てティラルもそのあとに続いた。足元は相変わらずただふわふわとしてい て、いわゆる地面とは違った感触だった。そうして歩いていくと、突然目の前が開ける。そこは一面の青空で、どこまでも続いているような感じだった。綿 菓子の地面はここで終わっているようで、下を見ることが出来た。するとそこは空中で、はるか下に地面が見えていることが確認できた。「なんだ、こりゃ」
レシフェは突然のことに呆然としながらそれだけしか言えなかった。ティラルはただはるか下にある地上と、いま自分の居る上空とを交互に見渡すしか 出来ないでいた。そして二人が後ろを振り返ると、今までは何も無かった場所に城とも神殿とも取れる建物が出現していた。
「…空中にある城?」
レシフェはそう言うと、ティラルの手を引いてその城の方に進んでいく。城の入り口には警備の人間が居たが、特別二人を警戒する様子も無く、中に勝 手に入っていく様子を見せても引き止めたりはしなかった。
そして、出来ている道順に従って階段を上ったりしていくと、玉座の間にたどり着く。そこには真っ白な、先ほどの綿菓子の地面のような髭を蓄えた王が 座っていた。「…おお、その様子からすると、別時空の方だな」
その王は二人を見るなりそう言い出す。
ティラルはなぜかその王の姿を見て、足が震えだした気がしていた。レシフェも震えまでは行かないがどこかでかつての自分と同等かそれ以上の存在感を 感じていた。「…あたしはレシフェ、こっちはティラル。あなたの言うように、別の時空からやってきた」
「レシフェとティラルか。わしはゼニスと言う。この城はゼニスの城。特殊な場所にあって驚いたじゃろう?」
レシフェが簡単に自己紹介すると、その王はにこやかに笑って自己紹介をした。
「わしたちが念じていたのは、お二人に届いたと言うわけか」
「…ゼニス王、でよろしいか?正確には別のものが感づき、あたしたちを送り込んだんだ」
ゼニス王が言うと、困ったような顔をしてレシフェは話す。だがどこまで真実を伝えたものかなど、まだ謎に包まれている部分は多かった。その困って いる様子を察したのか、ゼニス王は嬉しそうに話し始める。
「わしはもともと、この世界の夢を守っていたんじゃ。じゃがその夢に魔王が目をつけてな。現実と夢の二つの世界を作られてしまったんじゃよ。ゼニス の城は夢の世界に留まったんじゃが、一部の夢が司る国や城が封印されてな。人間は夢と現実が区別つかなくなってしまった者も居る始末。わしの力もそん なに強くは無かったと言うことが良くわかったんじゃよ。幸いにして、勇者にまでなった青年のおかげで魔王を打ち破り、出来てしまった夢の世界は一応ま た夢の中だけに留まることができたのじゃ。そのとき、わしらは現実世界を見守りたいと願い、そうして夢の世界からこのゼニスの城だけが切り離されたん じゃ」
そう言ってゼニス王は言いたいことを並べ立てた。だが、レシフェもティラルもまだ、事の事情さえ飲み込めていない状態で話されて、余計混乱してい た。
「まぁ、そのことはどちらでも良いんじゃ。実は少し前に、この城の外れに卵が現れていてな。なにが入っているかはわからぬが、わしはその卵を『希望 の卵』と名づけてこの城の一部で育てておる」
そう言ってゼニス王は二人を別の部屋に案内する。
そこには斑模様の大き目の卵が一つと、その卵を見守る一人の女性の姿があった。「バーバラ、どんな感じじゃ?」
「ゼニス王、特に変化はありません。でも、アレは偶然ではないようです。時々、確かに動きます」
バーバラと呼ばれた女性は頭のてっぺんで橙の髪を結っていて、紺色で統一された服を身につけ、腰には鞭を装備していた。
時々動くと言うその卵を見て、レシフェは驚いていた。それは自分が以前、竜の女王であったときに産み落とし、精霊ルビスの作った新世界に送り込んだ 卵と同じようなものだったからだった。「…その卵、もうすぐ孵りますね」
レシフェはそう言って卵に近づく。バーバラが警戒したような態度をとるが、それをゼニス王が止める。
「この人たちが、別時空の…?」
レシフェを見ながらバーバラがゼニス王に疑問を投げかける。ゼニス王は満足そうに頷いて、レシフェの様子を見守る。レシフェは優しくその卵を撫で るとそっと卵を抑えてみる。すると、少しだが卵が左右に揺れた。
「レシフェ殿、ただの人間ではないですな?」
ゼニス王がレシフェの様子を見ながら聞く。レシフェはその卵を割らない程度で揺らしたりしていたが、一通り自分が納得できるまで触ったら、その卵 から離れた。そして、ゼニス王に向き直る。
「…これでも、元はドラゴン、竜の一族の女王だったんです。今のあなたと同じく、あたしの時空の世界を見守っていた存在なんですよ」
レシフェはそう言って自分の姿を見直し、少し溜息をつく。
「ま、なかなか信じてはいただけないでしょうけど」
苦笑いを浮かべてレシフェは再び卵を見る。
「この卵はドラゴンの卵です。それと、高度な知能を持っているようですよ」
レシフェが精霊ルビスの新世界に送り込んだ卵は、今まで自分がしていた世界を見守ること、人間を見守ることの全てを、そしてレシフェ自身が持って いた全ての知識を詰め込んだ、文字通り希望の卵だった。その卵がここにも現れていて、自分は本来の卵ではなく、別時空の卵が孵るのを見守ることにな り、少し複雑な心境だった。
「ドラゴン…とな。実を言うと、わしはその監視者としては失格じゃと思っておるのじゃ。レシフェ殿、このドラゴンに世界を任すことは出来ぬじゃろう かのぅ?」
ゼニス王は落胆したような深い溜息をついて話し始める。その言葉を聞いて一番驚いたのはバーバラだった。
「ゼニス王、何を言ってるんですか!?高い知能を持ったドラゴンかもしれませんが、だからと言って…」
バーバラが反論するが、それをゼニス王自身が止める。そしてレシフェの方を見る。
レシフェもまた、ゼニス王を見て伏目がちに成りながら一回頷く。「可能ですよ。けど、それには長い時間をかけてゼニス王が心得を与えなければ成りません。いくら知能があると言っても、生まれてすぐに全てがわかる わけではありませんからね。きちんと育てれば全知全能の神とも言えるような存在が出来るはずです」
レシフェはそう言って卵の様子を見る。そのレシフェは少し淋しそうな顔をして微かな声で呟いた。
「あたしはそれを放棄した、せざるを得なかった。あの子はきっと・・・」
「レシフェ、言わないとは言ったけど。…新世界の卵、竜王は一度間違いを犯す、けどちゃんと更生できるし、王に、世界を見守る存在になれなくても、 竜王は自分の仕事を全うするから大丈夫」
ティラルはレシフェの小さな呟きを聞き、いまや見ることも叶わない竜の女王が産み落とした卵のことを語る。そうして、レシフェを安心させた。
「…わし如きが育てられるかわからぬが、やってみよう。…レシフェ殿にも、お願いできんか?別の時空での心得を生まれるドラゴンに躾けて欲しいの じゃ」
ゼニス王は自信なさそうな声を出して生まれるドラゴンに教え込もうと宣言する。同時に、別の時空のドラゴンであるレシフェにもそのことを願い出 る。レシフェは初め、信じられないような表情をしたがティラルとアイコンタクトをするとゼニス王のほうを向いて一回頷いた。
それから暫く、レシフェとティラルはバーバラとともにその卵を見守る。間もなく孵るその時を待つ間、レシフェは小さくなった身体で自分ほどの卵を 優しく抱き、常に何かを語りかけていた。ティラルが何をしているのかと訊ねると、卵の段階で既に教育を始めているのだと言う。
そうして時が経ちその卵は孵る。中からはレシフェの言うように可愛いドラゴンが生まれてきた。身体はグレーのうろこで覆われ、その背には二翼の翼を 持っていて、小さいながら既に飛ぶことを覚えていた。またドラゴンは自由に話は出来ないが、レシフェやティラル、ゼニス王、バーバラの言っていること は理解しているようで、まだ赤子の段階で相当な能力を備えていた。「あんなに賢いドラゴンが生まれるなんて・・・」
バーバラはいつもそのドラゴンの子を見て溜息をついていた。ゼニスの城にある書庫内の書物については生まれてわずかの段階で、レシフェやバーバラ が聞き教えて全てを知識として吸収していた。
「…ドラゴンの子は両極端に生まれてくる。大体はあの子のように高い知識を有し、世界の基軸を担うような存在になることが多いもんなんだ。こちらの 世界で知能の高い『ドラゴン』は珍しいみたいだけどね」
バーバラが感心する横で、少女のレシフェが身体に似つかない高度な知識を展開する。バーバラにとっては別世界から来た少女でしかなかったため、こ う言ったレシフェの規格外の知識や行動には度々驚かされていた。
「…両極端、と言うと知能を持たないものも?」
「ああ、そう言うものが、魔族に育てられて魔物と化す。この世界に居るドラゴン族は大体魔物の事を指すだろう。かつてのあたしやあの子の様に竜族を 名乗るほどの者は、ゼニス王やバーバラの話からすると、この世界には居ないに等しい」
レシフェはそう言って口元で少しだけ笑ってみせる。