1.絶望の淵 〜謎の神殿〜


 遺跡の中で、ベビーパンサーの左目を、父を、そして自らと一人の王子の自由を、魔族のものに奪われてから十年の年月が流れた。

 

 坑道のようになっている場所から、通るのに邪魔になっている岩の数々が掘り返され、それらは近くの石切り場で綺麗な直方体に切られていく。それら をあるものは背負い、あるものは押し、階上に続くベルトコンベアまで運ぶことを強制させられている。
 別の場所では、木材を運ばせられ、仮の小さな小屋などをつくり、ある時は坑道の補強のために使われる、しっかりした木材の移動を強制させられてい る。それらの坑道の上では、立派になるであろう神殿と呼ばれる石造りの建物が建設されていた。掘られて切り出された石はこの神殿のために積み上げら れ、鏡のように反射するまで表面を磨かされた。
 そうした中では男女関係なく誰もが酷使されていた。中には幼い少年、少女や力の出ない老人の姿も見て取れた。
 その中に黒髪を腰まで伸ばした、華奢な身体の少女が居た。栄養などは取れず成長期と思われる年齢であっても十分な食事などにもありつけず、華奢とは 名ばかりでただガリガリに痩せているだけの姿だった。その少女はそれまで運んでいた資材を決められた場所まで運び、力の思うように入らない手を見て溜 息をつく。カサカサになり、皮と骨だけとも取れなくない手をさすり、少しでも疲労を和らげようとする。手をさすってもカサカサと乾いた音と、まともに 洗われていない皮膚から垢が落ちるだけだった。自慢であろう黒髪も、艶を失い一本ごとに靡くなどとは到底思えない状態だった。
 身長、体格、髪型、顔つき。個の区別がつけられるのはこの程度で、身体そのもの、姿そのものは誰もが老人のように疲れきり歩く足取りもやっと踏み出 すような状態だった。

「おい、そこのお前!サボっているとまた鞭が飛ぶぞ!!」

 誰もがそんな状態になっているのに、監視官は誰よりも肥えた身体を見せて、力いっぱい鞭を振るっていた。

「すみません、すぐに戻ります・・・」

 目をつけられた少女、十年前に全てを奪われた奴隷としてのリュカ、その人の姿だった。
 戻るとは言うものの、しかし疲れが出てしまっている身体は思うように動かない。そうしたとき、リュカはただ一つだけ許されている自由−空気を吸う、 深呼吸をするために少し現場から離れることにしていた。リュカが作業をしていたのは、神殿になると言われる場所の階下で空気も淀み、粉塵でまともに吸 うと咽ることは必至だった。その場所から階段を上った場所、神殿の建設場所はどことも確認の出来ない高い山の頂上らしかった。唯一空気も淀みなく、新 鮮な空気に触れられる場所だった。

「よぉ、深呼吸も良いけど、あまり現場を離れるとまたサディスティックな監督どもに目付けられるぞ」

 階段を上り、あまり監督たちに見えない場所で少しだけ深呼吸をしていたところに声がかかる。その声の主もまた、リュカと同じくガリガリに痩せ細っ ていて健康そうな少年には見えなかった。声だけがそれが少年であることを物語っていた。

「ヘンリーだって、毎度のようにサボってるじゃない」

 リュカと同じく自由を奪われ奴隷の身となった、ラインハット第一王子のヘンリーも例外ではなく他の奴隷たちと同じような状況下にあった。
 二人とも、絶望の中で生き抜くのは困難で、当時は誰もが数年も持たずに二人は死んでいくものと思われていた。しかしこの二人は強い何かを失うことな く今日まで行き続けてきていた。

「・・・もう、約十年か、ここに連れられてきてから。短くもあり、長くもあり…か。お前の親父さんには悪かったと思ってるよ。それとリュカ、お前に もな」

 澄んだ空を見上げて、ヘンリーはもう遠い記憶になってしまっていることを思い出してみる。ヘンリーにとっての強い何かとは、リュカの父・パパスの 存在であり、今目の前に居るリュカの存在だった。この二人の存在があり、そしていつかは自分を考えてくれた二人に恩を返そうと、是が非でも生き抜こう としていたのだった。

「…お前は親父さんの遺言を信じてるんだろう?母親を救い出すこと。…いつかは必ずそうさせてやるからな」

 リュカの強い何かもまた、パパスの存在であり、パパスが死の間際に残した、母はまだ生きていると言う遺言が、どんなに苦しくとも生きていくだけの 気持ちにつながっていた。
 ヘンリーはこの脱出不可能な場所から、なんとかリュカだけでも脱出させられないかと常に考えていた。攫われて来て間もなくのまだ小さな時はただ漠然 とした思いだけだったが、大人の考え方が出来るようになってきた頃から、奴隷の中にネットワークを作り、色々な情報の収集と脱出の方法を練っていた。 いまだ、ヘンリーは脱出の方法だけはどうにも探り当てることは出来ないで居た。

「さて、あまり話してると本気で監視たちにムチ入れられるからな、そろそろ戻ろう」

 そう言ってヘンリーは自分の持ち場に戻っていく。リュカと同じ老人に近い姿であっても、ヘンリーはどこか頼もしくも力強い後姿のように、リュカに は見えていた。

(脱出…か、ヘンリーはその可能性を捨ててないけど…実際にそれが実現するのかな。確かに母様を見つけ出したいとは思うけど…この場所からじゃ…)

 時々リュカはこんな風に考えてしまう。今のこの神殿を作る者たちに何をさせて、崇めようとしている神殿を作っているのか、そうしたことがどれほど のことなのか、全ては立派になるであろう神殿にかき消されてしまっていた。

(光の教団…いつかわたしが、この神殿に屈服して祈りを捧げる時があるのかな?…いや、証人を生かすはずはないか、出来たと同時に殺されるか)

 先は見えなくどう考えても行き着く道は「死」でしかない。リュカは何度となく考えるが、最終的にはその死を受け入れるしか手段はないと感じてい た。
 十年経った。状況は変わらない、身体は弱っていく一方、気持ちも沈み、希望は失われる。そんな過酷な状況で生きることに何の得があるのか。そう考え ずにはいられなかった。

(父様、わたしはこんなところで終わってしまいそうです…)

 色々考えても滅多に弱音をはかないリュカだったが、どうしても同じ考えにたどり着き、堂々巡りになってしまう状況に、時々音を上げてしまうことが あった。

 

 リュカとヘンリーの欠けた地上では、数年前から光の教団と言う宗教団体があちこちの大陸で布教を始めていた。いつか復活するとされる大魔王から身 を守り、唯一生き残ることが出来る方法が教団への入団だった。
 宗教と言うものが特別決まっていない国々でも、一人、また一人と入団し、その数は世界人口の三分の一とも言われている。そして、その三分の一のうち の半数は突然姿を消し、二度と戻ることがないとも言われていた。…戻らない者、教団を信じて出家した者たちの行く末は、この場所での過酷な労役だっ た。

 

 その光の教団とは別に、数々の街から子供が行方不明になる事件が多発していた。誘拐犯は空を飛べる魔物と言うのが最有力情報で、その魔物たちは大 魔王復活に支障の出る「勇者」と言う存在を摘み取ってしまうつもりであると言う噂だった。
 リュカたちが働くこの場所には、老若男女問わず居たが、中でも子供の数が多くリュカやヘンリーたちの少し上から遊びたい盛りの小さな子までが存在し ていた。
 誰も、そして奴隷として働かされている人々さえも気づいていないが、教団と誘拐犯は、裏では密接につながり用のない人間は全てこの場所で労役させら れているのが実情だった。

 

「この神殿が完成すれば、お前たちの苦労も終わる。建設の功績で信者として迎えてくれ、世の終わりが来ようとも身を守ることが出来るのだ」

 監視官たちはいつも、こうして奴隷たちにたきつけている。

「そのためにも、今は精一杯働け!」

 後の快楽のため、今は苦労しろと言うのが鞭を振るうものたちの言い分だった。リュカやヘンリーたちのような長い時間ここにいる人間と、まだ連れて こられて希望が折れていない人間とは、この言い分に対しての考え方が変わってきていた。

「だから、お前たちは甘いんだよ、俺たちを働かせる口実に決まってるじゃねーか」

「だけども、本当に完成すれば、もしかしたら…」

 昼間の労働が終わると、いくつかの穴を掘った奴隷たちの部屋に全員が戻される。そして、その中で粗末な食事を取り、そのまま寝ることになってい る。それらのどの部屋でもあると言うのが、こう言った期待をもっている者とすでにその期待は偽者とわかっている者との言い争いだった。
 ヘンリーはそんな言い争いをするだけ無駄とさっさと部屋の隅に陣取って寝る準備に入っていた。リュカは言い争う奴隷たちを止めて、寝る支度をさせる ことが日課になっていた。

「けどよぅ、リュカちゃん。いくらなんでもそのまま放置することはねぇじゃんかよ」

 まだ希望のある者はそう言って口を尖らせる。

「けっ、そんなんだから監督たちに踊らされるんだよ。勇んで働かなくとも鞭は飛んでこねぇ、だったら少しでも体力を保つのが賢いんだよ。…まぁ、体 力を蓄えても、逆らえばたいてい死刑だけどな」

 先に光を見出さない者はそう言って悪態をつきながら、だがリュカには同情するような目で儚く笑って見せた。

「…リュカなんか、もう十年も働いてるのに、何一つとして変わってやしねぇ。完成なんてことがあるかさえ怪しいぜ」

 なぁ、とリュカに同意を求めるように言葉を続けた。
 たしかに、完成する日の目などがあるのかどうかさえ怪しかった。リュカもそのことに同意しないわけにはいかなかった。少しだけ、神殿らしい場所の外 壁が出来、地下通路は奥に延びてはいた。それがどんな役割になるのかまではリュカたちには到底想像の出来ないことであった。

「…なぁ、リュカ。お前ここの奴等に親父さんを殺されたって言うじゃねーか。で、ヘンリーと一緒に連れてこられたんだってな。その悔しさ、忘れるん じゃねぇぜ。なにかの拍子ってのは絶対にある。それがここを出られることかも知れねぇ。だとしたら俺たちの分まで悔しさをばねに動き回ってくれ」

 リュカのか細い手を握って男は望みの光のないこの場所にではなく、女性陣でも先に見込みのあるリュカに自分たちの無念の願いを預けていた。

「…わたしにだって、それが出来る保障はないんだよ」

 リュカはそう静かに言って、男の手を解く。「ふぅ」と溜息をついてリュカはその部屋を見回す。
 部屋の端のほうで居辛そうにしている、奴隷にしては血色のいい、リュカと同じくらいの少女が居た。どうやら新入りで、この部屋でも面倒見のいい年配 の女性に色々と話を聞いているようだった。

「リュカちゃん、聞いとくれよ。このマリアちゃんね、教祖が大事にしているって言う小さな皿にひびを入れただけで殴る蹴るの暴行を受けて、挙句奴隷 にまで堕とされたんだよ」

 マリアと呼ばれた金髪の少女はそれまでは教団の信者とのことだった。

「いいんです、最近の教祖様の教えにはついていけないところもあったし…なにより、この教団の裏でこんなに多くの方々が奴隷として酷い扱いされてい たなんて知りませんでしたから。数ヶ月牢屋の中で過ごして、どうしても教祖様についていけないと言ったらこの有様。だけど、それで初めて目が覚めた感 じがします」

 マリアはそう言って涙を流す。リュカもマリアには同情したが、ここに来たらもうどん底まで落ちたも同然だった。

「でも、悲しみだけでどうにかしようとしても仕方ないです。…外からこの教団を暴くことが出来ればと思うのですけど・・・」

 マリアもまた、まだ希望を失っていない一人だった。が、リュカはそれまで言い争う男たちの希望にすがる文句より、マリアの言葉に打たれた感じがし ていた。そして、先ほどの男の言葉を思い出す。

(悔しさや悲しさ、憎しみだけでは生きていけない。父様の仇、母様の敵を見つけ出さないと。…間違った者を正さないと・・・!!)

 その夜、リュカはマリアと色々と話をした。マリアは教団に来るまでは小さな教会で幼いながらシスターから数多くの教えを受けて育ってきたのだと言 う。だが、突然そのシスターが光の教団に入団すると言い出し、マリアもまた一緒に連れてこられて、そのシスターから半ば間違いに近いやり方の教えを仕 込まれるようになっていた。それに少しずつ反抗するに従い、シスターのそばには置かれなくなり、最終的には雑用係りのような扱いになっていったと言 う。その雑用の中での事件で、ここに行き着くことはすでに約束されていたのも間違いなかった。
 マリアからここに来る前の教えをいくつか聞き、リュカは改めてただの憎悪では、悔しさでは、生きていても意味がないと悟る。逆に光の教団はそれらの 感情に漬け込んで活動している事実も知ることになり、飲まれないようにしようと心に誓ったのだった。

 

 それから数週間、リュカとマリアは同じ場所での労働に当てられた。リュカはつい人の良さでマリアをかばってしまいがちになっていた。

「…ま、確かにマリアが俺たちと違って労働に不向きなのはわかるけど、それでリュカが潰れたんじゃチャンスがあってマリアも庇わなきゃならないとき に何も出来なくなるぜ」

 ヘンリーはこのごろのリュカの様子に心配して、労働後にそんな話を持ちかけていた。

「わかってる。…マリアさんが何も出来ないわけじゃないし、わたしも全部肩代わりするつもりはないよ。けどね、やっぱりただの憎しみとか憎悪、悲し みだけじゃダメなんだよ。マリアさんからそれを感じ取って…今は正直、ちょっとだけ気持ちがいいの」

「そりゃ、単なる自己満足だって」

 リュカは久しぶりに笑顔を見せる。だが、ヘンリーはぶっきらぼうにリュカに返答する。そんなヘンリーもまったくマリアの考えがわからないわけでも なく、リュカが言っていることがわからないわけでもなかった。

「・・・昔、ラインハットの教会で誰かの助けになれて、初めて一人前になれるって聞いた覚えがあるな。…リュカが言うのはそう言うことなんだろう? だけどまずはスキを付くのが優先だよ。潰れるなよ?」

 ヘンリーは困ったような顔をしていたが、忘れていた気持ちを取り戻したような気持ちになった。助け出せる目処が立ったわけではない。だけどリュカ 自身が倒れたらどうにも出来なくなる。ヘンリーはそのことをリュカと再確認した。
 だが、そのリュカの体力も既に限界が来ていたようだった。
 今まではあらゆるものを運ばされていて、リュカはマリアの代わりに重いものを持っていたが、時間を見て軽いものを中心に運んでいたりして、うまく調 整しているつもりだった。
 この日の朝突然たたき起こされると、それまでの石切り場には数多くの岩があった。岩盤が崩れ落ちたとのことでそれまで作っていた坑道が全て埋まって しまったのだった。だが、建設を促す者たちはこれを好機として、石を多く切り出す作業にほぼ全ての人間を割り当てた。そして切り出す速度も今までの倍 以上に稼動させるようにした。
 運ぶ全てが石になってしまい、リュカはもちろんだがマリアも苦労する羽目になる。二人で運ぶことなど到底許されることもなく、リュカとマリア、もち ろんヘンリーも石運びに四六時中あたることになる。リュカはそれまでは上手く調整していたが、この状況になってそれは突然現れる。石を持った瞬間、そ れまでマリアに代わってやっていたぶんの疲労が膝にでた。ガクンと膝から崩れると、そのまま担ぎ上げた石をその場に落とす。幸いけが人などは出なかっ たのだが、監視はリュカが働かないと見るや突然鞭を振るいだした。

「こら、女ぁ!」

 その声の直後、リュカの背中に激しい痛みが走る。鞭が当たったその場所は、既にぼろぼろになっている服を破き、白い背中に真っ赤な蚯蚓腫れを走ら せる。

「貴様!!よりによって俺に石をぶつけるとは!!」

 監視官をどうみてもリュカが落とした石が当たった様子はなかった。地面にうつ伏せに倒れているリュカの鼻先に監視の妙に良く磨かれた黒い靴があ る。そこに小石ともいえないほどの石が当たったようなほんの少しの後がある。小石が飛んできたことを良く見ていたと言うべきだが、それを見ていたこと をいいことに、普段は地面ばかりを叩く鞭で人間を叩ける喜びに満ちたような顔をして、監視官はリュカに鞭を振るっていく。

「うぐっ・・・す、すみませ・・・・・・あぐぅ・・・」

 リュカの背中には何本もの蚯蚓腫れが走るが、その場でリュカを助けようとする者はいない。仮に助ければ自分も同罪になってしまう。そうした恐怖が 奴隷たちを支配して、リュカをただ見つめるだけに追いやっていた。

「くっ・・・リュカ!!」

「リュ、リュカさん・・・!!」

 そんな中で、二つの影がゆらりと動く。一人は持っていたスコップを高く振り上げると、自分とその隣で同じように声を上げた影の左足についている拘 束用の鉄球につながる鎖を叩き切った。

「リュカっ!!もう我慢できねぇ!!」

「いま、助けます、リュカさん!!」

 ヘンリーとマリアは人ごみの一番前にいたこともあり、その監視官とリュカの元にすぐ駆けつけることが出来た。
 一瞬だけ早く動いたマリアは、いままさに鞭を振り下ろす監視官からリュカを守ろうとリュカに覆いかぶさる。そして来るであろう鞭の激痛に耐えるべ く、歯を食いしばった。だが、音は「どさっ」と乾いた音しか聞こえなかった。
 ヘンリーはそのまま手に持っていたスコップを掲げると、背中を見せている監視官の肩口に向けて縦に振り下ろす。鎖骨を叩き折ったスコップはそのまま 背中の中ほどまで深々と刺さり、乾いた音を立てて監視官は倒れた。

「き・・・貴様ら、そんなことをして許されると思ってるのか!?」

 人だかりの中から別の監視官や兵士たちがぞろぞろと姿を現す。リュカとマリアを守るようにしてヘンリーはスコップを片手に対峙する。

「うるせー!リュカたちに手ぇ出すやつらは許せねぇ!!」

 ヘンリーは大声で叫び、リュカとマリアを守る。兵士たちも容赦なくヘンリーに襲い掛かってくる。
 奴隷として働かされていた者は、当然のことながら重たいものを持たされるのが常だった。当然そのウデには華奢ながらも筋肉は付き、腕力は上がってく る。槍を使う兵士たちに対して、ヘンリーは血にまみれたスコップ一本で応戦していた。周りの状況がようやくわかったリュカはマリアの助けを借りて立ち 上がった。
 ヘンリーがそれを見届けて安心していた瞬間、不意をついて倒されていた兵士の一人が下から槍でヘンリーを突きに行く。それが見えたリュカは何とか身 体を動かすとヘンリーを強引に後ろに引っ張る。同時に突き上げてきた槍の先端を避け、柄を右脇に抱え込んで動きを封じた。同時に、倒れている兵士の喉 下に左足を高速で振り下ろす。ゴキッと鈍い音がして、その兵士は大きく痙攣すると力が抜けた。

「リュカ、大丈夫か!?」

 ヘンリーが駆けつけると、そこにはヘンリーとリュカの作り出した二体の死体が転がっていた。奴隷たちはその状況にざわつき始めた。リュカはヘン リーの声に振り返って無事を確認すると、笑ったまま気を失った。マリアがそのリュカを抱きとめるが、マリアでさえも軽々と持ち上げられてしまうリュカ を見て、マリアは悲しそうな顔をしてリュカを見つめた。
 そこに、石切り場の区画を監視している兵士長がやってくる。

「何の騒ぎだ!?」

 何人か、ヘンリーに吹き飛ばされた兵士や監視官たちが小傷を作りながらやってきて、兵士長に告げる。

「そ、そこの二人が突然歯向かってきまして・・・」

「…気を失っているのか」

 報告する声を聞きつつ、兵士長はリュカを見る。続けてヘンリーとマリアを見て軽く頷いた。

「気を失っている女は反抗してきたので懲罰を与えていたところであります」

「…そうか、この件はこちらで預かろう。気を失ってる女の手当てをして、三人とも牢に入れておけ」

 兵士長はそう言って何事もなかったかのように場を収める。だが、兵士や監視官たちはあまりいい顔をしなかった。立ち去ろうとする兵士長に弱々しく 訊ねる。

「あの、兵士長殿・・・牢に入れるだけなんですか?」

「…預かる、と言ったんだ。こちらの指示に従え。…それとも、説明が必要なのか!?」

 兵士長は少し凄みを利かせてその場を取り仕切る兵士や監視官に言う。だが、兵士も自由に事が運ばないことに少し機嫌が悪いのか、兵士長の言葉に頷 いて見せた。

「・・・ふぅ。お前たちの落ち度は拭えない。奴隷に二人も殺されてはな。それに力だけで押し倒せると思われたら、奴隷たちの反乱がいつ起こるともわ からん。落ち度がある以上、上の階級の人間が全てを収めなくては示しがつかないだろう。…奴隷たちにもだが、少し気の緩んだ兵士・監視官のおまえたち にも、良い見せしめと言うわけだ」

 兵士長はそう言うと、部下の兵士たちに、リュカたちを牢に連行するように指示を出した。

「まだ、他に必要か?他にあるとすれば、貴様らの処罰くらいだが…」

 兵士長がそこまで言うとその場の兵士たちは突然顔色が変わる。

「…処罰は回避できないと思え。小規模とはいえ、奴隷たちにとっては反乱のきっかけを成功させたのだからな。大きなきっかけと言うのは事実だ。…処 罰の内容はおって報告しよう」

 兵士長はそれだけ言って、その場を離れた。残された兵士や監視官たちは不安そうな顔をして兵士長が立ち去るのを見守っていた。

 

 騒ぎを起こした厳罰として今は留置されているが、いつ罰が実行されるかはわからなかった。リュカは手当てをされて今は落ち着いて寝ているが、回復 力も低くなっているその身体は熱を持っていて、リュカは時々苦しそうなうめき声を上げていた。

「…マリア、あの場面で手伝ってくれたのは助かったが、なんでこんな馬鹿なことを?」

 ヘンリーはリュカの額の汗を襤褸切れで拭っているマリアを見つめて小さな声で呟いた。いくらリュカが良くしてくれたからと言っても、それだけで命 さえ差し出すのは無謀とも言えた。

「…何ででしょうね。隣にあなたがいたから、かも知れませんよ、ヘンリーさん」

 マリアはそう言って、ヘンリーが奴隷になってから見ることもなくなった清々しい笑顔を向ける。

「と、したらもっと馬鹿だよ。俺はマリアに何もしてないんだぜ、ただリュカの逃亡のことだけでいっぱいなのに」

「でしたら、私も一緒です。私が仮に開放されてもただ、祈ることくらいしかできません。が、ヘンリーさんやリュカさんだったら、なにか行動も起こせ るでしょう。それを願ってはいけませんか?」

 ヘンリーの申し訳なさそうな声に、マリアは明るい声を出して言ってみせる。

「それに、私のことを気遣ってこんなことになったのならば、あのムチは私が受けるべきですから。代わりにリュカさんが受けた分、私が守っても良いで しょう」

「一緒に居ると移るモンなのかな。…兵士を殺したリュカもずいぶん馬鹿だけど…。実はマリアまで馬鹿だったとはな」

「…ヘンリーさんほどではないと自負していますけどね」

 マリアとヘンリーはそう言って笑う。ヘンリーは久々に笑顔を作った気がしていた。

「しかし…脱走は難しくなったか。リュカが可能ならばマリアも一緒にとは考えていたけど…」

「私まで!?ヘンリーさんはそんなことを考えていたんですか?」

 ポツリと呟いたヘンリーの言葉にマリアが声を上げる。

「…俺はどうとでもなる。が、女性はそうもいかない場合があるからな」

「少数『精鋭』が一緒な方が良いと思います」

「…その精鋭は、気分的に強いほうが良い。俺とリュカはちょっと色々とありすぎてな。リュカがどう思ってるかは知らんが、少なくともリュカと一緒に 居ると、俺はリュカを苦しめは出来ても安らげることは無いだろう」

 ヘンリーの言葉にマリアは息を飲み、小声で「すみません」と謝る。ヘンリーは気にするなと言った風に手を振ってマリアに答える。マリアもこの数週 間の間で、ヘンリーが何者か、リュカとはどんな関係なのかを一通り二人から聞いていた。それだけに、少し失言だったとマリアはうつむいてしまった。

「気にするなよ。…どっちにしたって、俺はこれで死刑だろうからな。せめて、マリアとリュカだけでも、と思うんだが…」

「・・・残念だが、三人とも死刑確定だ」

 ヘンリーが言うと、その声に聞き覚えのある声が響いた。
 ヘンリーとマリアが声のほうを向くと、そこには昼間事態を収拾した兵士長が立っていた。

「てめぇ、昼間の偉そうな兵士か!?」

「偉そうか…、ま、間違ってはいないがな」

 ヘンリーの勇ましい声に、兵士長は自嘲気味に言葉を繰り返した。

「それより、三人が死刑って…、俺はともかく、二人には重すぎだぜ」

「…そっちの女は兵士を殺したからな、殺す意思を持って。でなくば、首を踏み込んだりはしない」

「だとしても、じゃあマリアはどうなんだ、リュカを庇っただけだぞ!?」

「女を庇ったのが理由、あとは背信者として名が挙がったんでな」

 そこまで聞くと、マリアは息を飲む。背信行為は即死を意味するとこの教団に来てから言われていたが、少しだけ考えを変えただけで背信になるとは 思っていなかった。

「…見せしめ、か」

 ヘンリーはそんなマリアに手刀を切って謝りながら、兵士長の言う真実を口にした。それを聞いてマリアと兵士長は頷き、二人ともそれぞれが納得した ような仕草を見せた。

「・・・お前、ここから脱走したいんだろう?」

 突然兵士長から言われて、ヘンリーは驚いた顔を見せる。だがその兵士長はもともと知っていたと言いたそうな目でヘンリーを見つめていた。

「その女を連れてついて来い」

「…どこまで信用したもんだかな」

 兵士長が言うが、ヘンリーはあくまで敵の手の中に居る状態に変わりないと、警戒を怠る様子はなかった。兵士長が口だけではなく行動で示したとき は、ヘンリーも一瞬自分の目を疑った。兵士長は静かに牢の鍵を開けていた。

「…なに考えてるんだ、あんた」

「理由が出来たから行動しているだけだ」

 ヘンリーの警戒心むき出しの言葉に、兵士長は静かな声で呟いた。
 意味深な言葉を聞きヘンリーは真意はともかく、乗ってみても損はないと判断してリュカをその背に背負う。

「…ヘンリーさん、この人、私の兄なんです」

 その告白は突然だった。リュカを背負い歩き出すとき、後ろで突然声がした。マリアがそう告白したのだった。その瞬間、ヘンリーは背筋に寒気を感じ ていた。まさか、兵士長とマリアがグルでこのまま殺そうとしているのではないかと考えたからだった。もしものときはリュカだけを守る、その意思をもち ヘンリーはゆっくりとマリアの方を振り返った。
 マリアはうつむきなんとも申し訳なさそうな表情をしていた。その理由はその兄から語られる。

「私はマリアの兄でヨシュアだ。お前たちを逃がすのはいくつか理由があるが、兄としては、妹を庇ってくれる人間が居ることで、妹を逃がしても守って くれるだろうと勝手に期待しているからだ」

 ゆっくり歩き出したヨシュアはヘンリーにそう言いながら誘導する。

「…外界でのボディーガードか?」

「…まぁ、そんなところだが、それよりお前たち二人には他の奴等とは違う、強い意志が見れたんでな。でなくば普段から世話を焼いたり、あの場面で他 人を助けたりはしないだろう。他の奴隷たちは我が身可愛さで他人事に巻き込まれるのを嫌うしな。それを自分で確認して、お前たちならやってくれると 思ったからだ」

「何を・・・?」

 ヘンリーはリュカを気にしながらゆっくり歩き、ヨシュアの話を聞く。

「この教団を暴いてくれる…それだけじゃない、裏で子供の関わる事件が起こっている、そのことも解決してくれそうだからな。もっとも、それはお前た ちの目的の途中でいい」

 ヨシュアの言うことは納得できるものだった。ヘンリーも外界の事件については噂レベルだったが話を聞いてはいた。仮に脱出できたらそのことも考え る必要はあると思っていた。
 牢のあった場所から更に奥へと進んでいく。少しずつだが水の流れ出る音が聞こえ始めた。そして行き着いた場所は、無造作に樽がいくつも転がっている 場所だった。

「ここは何するところだ!?」

「…いい気はしないと思うが。奴隷の死体を海に流す場所だよ」

 ヨシュアが言いながら一つの大きな樽を転がし始める。ヘンリーはリュカを降ろしてマリアに預けるとヨシュアを手伝った。

「荷物は集められたものを用意した。それとここに連れてこられて取り上げられたものも。あとは当座の必要資金としての金を入れておいた。自由に使っ てくれ」

 ヨシュアはそう言って、大きめの荷物をヘンリーに渡した。

「やけに用意がいいじゃないか。…この計画、マリアが奴隷になる前から考えてたのか?」

 ヘンリーはそう感心したようにヨシュアに言う。

「ああ。だが、マリアを守ってくれるような意思の強いのがなかなか現れなくてな。水の泡になるところだったよ」

 この時のヨシュアの笑顔は、それまでの兵士長としての固いものではなく、本心で安心しているやわらかいものだった。

「ん・・・うぅん?」

 準備が整った頃、リュカが声を上げる。まだ苦しそうだったが、状況が違うことだけは把握しているようだった。

「気がつきましたか?リュカさん」

「マリア・・・さん?」

 まだ辛そうに顔をしかめながらリュカはちょっと苦しそうにマリアの名を呼んだ。

「…リュカ、すぐにここから脱出するぞ」

 ヘンリーの言葉にそれまで朦朧としていたリュカの意識が完全に戻る。身体の違和感があるのか動きは鋭くなかったが、それでも真意を確かめようと、 ヘンリーに駆け寄ろうとした。

「詳しい話はまたあとだ。今は脱出することを優先しよう」

 何かを言おうとしたリュカを見て、ヨシュアがそれを止めた。ヨシュアの姿をみたリュカは一瞬戸惑ったが、すぐに戦闘態勢を取ろうとする。

「大丈夫だリュカ、マリアの兄貴だそうだ。マリアを逃がすのに俺たちにボディーガードになれと言うことだよ」

 ヘンリーが簡単に事の次第を伝える。それだけではリュカも全てを理解できては居なかったが、戦闘態勢は解き、少し安心した表情を浮かべた。

「さ、樽に入ってくれ。三人だと窮屈かもしれんが、ここを出るためだ我慢してくれ」

 そう言ってヨシュアに促され、三人は樽の中に入る。

「…あの、一緒に行きませんか?」

 リュカが何とか声を絞り出しヨシュアに言う。だが、ヨシュアは笑顔でそれを拒否する。

「その気持ちだけで十分だ。…お前は傷が原因で死亡、他の二人は後追い自殺、と言うことにしておこう。…マリアを頼む。それと…」

 ヨシュアがそこまで言うと、ヘンリーが少しだけ顔を出す。

「光の教団についての糾弾。確かに引き受けたぜ…だが、あんたは大丈夫なのか?」

「…さぁな。とぼけられるところまでとぼけてみるさ。残念だが、二度と会うことはないだろう」

 ヨシュアはそれだけ言うと、早く中に入るようにとリュカたちを促す。そして、蓋を閉めて樽を川に浮かべた。

「…どうか、三人を無事に外界まで導いてくれ…、俺の信じる本当の神がもし、いるのなら・・・!!」

 そう言ってヨシュアは堰の開放のスイッチを押した。
 樽は川の流れに乗って、山頂付近から外界へと飛び出した。

  次のページに進む / 目 次に戻る  / 二 次・三次作品群メニューに戻る / TOP ページに戻る