6.狂いだした −もしくは定められた− 運命
西に向かうに連れて、少しずつだが草が長く伸び始め、人が掻き分け歩いたあとが見て取れる。リュカはそれを追ってリンクスとともに進んでいく。半 日ほど進んだ辺りで西日が陰ってきてその草の様子もわからなくなってくる。リュカは父に追いつくために普段の自分より相当早い速度で歩いていた。その 甲斐あってか、日が陰ったおかげか、草原の中で途方にくれるパパスを捕まえることが出来た。
「父様、まだ殿下は見つかりませんか!?」
「リュカか、良くここまで来たな。いや今はそのことではない。まだ見つからん。男たちが西に向かっているらしいことはわかったのだが、この辺りで足 跡が見分けられなくなってな…」
パパスはそう言って、ガサガサと草を音を立てて掻き分ける。だが、草のあしが長くなっているせいか、掻き分けた後が元に戻ってわかりづらくなって いた。
「こまったな・・・」
パパスはポツリと呟く。このままヘンリーが行方不明になってしまったら、大惨事どころではない。何が何でも見つけ出す必要があった。リュカはしば らく考え込むが、何かを思い出したかのようにリンクスにしゃがみこんで話しかける。
「リンクス、少しのにおいでも嗅ぎ分けられるかな・・・?」
リュカがそう訊ねて、背中を向ける。その意味がわかったのか、リンクスはリュカの背中…ちょうどヘンリーの部屋で押されていた辺り嗅ぎだす。しば らく鼻をひくひくと動かしていたが、そうしているうちに今度は草むらの中のにおいを嗅ぎ始める。「にゃー」とリュカのほうを見て、いつもとあまり変わ らない鳴き声を出した。
「父様、こっちのようです」
リュカはそう言ってリンクスのあとをついて歩く。パパスは半信半疑のままながら、リュカの信頼感を宛てにしてリュカたちについていく。それからし ばらく草を掻き分けながらあるくと、正面に小さな規模の祭壇のようなものが見つかった。
昔の遺跡の後らしいその場所は、通路やらかつての庭や池の跡らしいものが見て取れる。パパスはリュカに離れないように言い、慎重に進んでいく。中は 複雑に入り組みすぐ下にいけそうな場所も実は高い橋のような構造になっていることが行ってみるとわかる。その辺りで、下に何人かの見張りがいることに 気づく。「…どうやらここで間違いはなさそうだな」
パパスはそう呟く。初めは一気に階下へと行ってしまおうと言うつもりもあったようだったが、見張りの様子と、感じるよりも実際は高かったことなど から、素直に先に進むことにしたようだった。 幸いなことに、道自体は分岐もなく一本道のようで、先にどんどん進んでいく。
途中、家のような構造の場所があった。中からは下品な笑い声などが聞こえていた。パパスは唇に人差し指を当て、静かにとリュカに目配せする。そして しばし中の様子を探っていたが、突然パパスの顔が険しくなる。何が発端だったのかまではリュカは判断できなかったが、明らかにパパスの逆鱗に触れてし まっていることだけは確かだった。
だが、パパスはその怒りの状態を保ったままで、しかし何もしないようにリュカとともに先に行くように指示を出す。「と、父様・・・?」
「…ヘンリー王子をさらったのは間違いなさそうだ。『人質を渡した後の金で何をするか』などと馬鹿な話をしているからな」
丁寧な言葉を使うパパスがこのときはあまり丁寧ではない口調で答える。それだけでも相当に怒っていることはうかがい知れた。リュカたちはそのまま さらに先に進むと、小さい規模だが祭壇のようになっている場所に着く。それが先ほどの橋のようになっている部分であることはすぐにわかった。見張り役 が人間だと思っていたが近くで見るとそれは魔物たちで、その先には誰も進ませないようにとしているようだった。
「リュカ、少し待っていなさい。あいつらは私が片付ける」
相手が魔物だと確認できた後でもパパスはまだどこか怒りを収められないでいる。いや、人間が魔物と結託して人攫いなどをすること自体にパパスは 怒っているのかも知れなかった。
疾風、そう呼ぶにふさわしかった。パパスは足音も立てずに魔物の群れに近づくとそのまま、風を斬るかの如く音無く急所に一撃を叩き込んでいく。そう して、その場に居た魔物たちはリュカが息を飲んでいる間に片付いてしまっていた。「・・・父様」
リュカは遠慮がちにパパスに近づく。息さえ切れぬ状態でパパスはその場に立っていた。
「…先を急ごう、リュカ」
それだけ言うと、魔物たちが守っていた奥の間に続く道を進んでいく。奥に行くにしたがって、そこは遺跡と言うよりは洞窟に近くなっていく。そし て、地下水脈が流れ出しているのか、徐々に足元には水が溜まってきていた。なおも先に進むと、行き止まりになってしまっていた。水脈をはさんで反対側 に通路らしいものはあったが、それでも水脈自体が何年もかけて川を作り上げたように、その水深もまた、パパスの身長でも届かないのではないかと思われ るほどだった。
「むぅ、困ったな・・・」
パパスが立ち止まって暫く思案していた。リュカもその場で何か策は無いかと考えてみる。だが、その場に居ただけではどうにも埒が明かなかった。
「父様、少しこの辺りを探してきます。なにかあるかも知れませんから」
リュカがそう言って動き出そうとしたときパパスはリュカの右腕を取りそれを止める。
「単独行動はやめたほうがいいかも知れん。一緒に行こう」
この遺跡に来てからあまり笑顔を見せなかったパパスだったが、ようやくその一言を言った後に笑顔を見せ、リュカはどこかほっとした感じがあった。
先ほど魔物たちが守っていた場所を通り過ぎ、今来た道とは逆のほうへと進んで行く。道があるが先に進んでも明かりも無いような状態だった。だが、誰 かが通った跡は見受けられ、何かがあるのではないかと感じさせる部分はあった。リュカとパパスは暗い足元に注意しながら先に進んでいく。先が行き止ま りになっている部分まで来ると、小さなボートが一艘止まっていた。「父様、これ…」
「どうやら、賊もここまで来て使っていたようだな。よし、父さんが漕ぐからリュカはリンクスと前を守ってくれ」
「わかりました」
二人と一匹が乗るともういっぱいになってしまうのではないかと言うほどの大きさのボートだったが、とりあえず水脈をさかのぼって、先ほどの対岸、 さらにその奥に進む程度のことは出来そうだった。
パパスが漕ぎ、リュカが突然現れる魔物をリンクスとともに倒していく。少し前のリュカに比べ、力も戦闘能力もついてきていて、以前のように囲まれた からと言って何も出来ない、ただ叩かれるようなことはなくなっていた。また状況をしっかり見ることも出来ているようで、リンクスを先鋒で送り込み、 リュカが後から状況判断して残りの魔物を叩いていく。パパスはリュカの成長を見て頼もしく感じていた。
先ほどの行き止まりの場所まできて、さらにその奥にボートで進んでいく。すると、そこはかつての牢獄だったのか、牢が三つ並んでいた。牢の前の岸に ボートを止め、リュカたちはその牢の前に降り立つ。降りてすぐの牢の奥で、ぐったりとしている緑の髪を持つ少年が一人見えた。「へ、ヘンリー王子!」
パパスはその牢に駆け寄るが当然の如く、牢には鍵がかけられて入り口は開かなかった。だがパパスはそのまま力いっぱい込めて牢の入り口を開けた。
「ヘンリー王子、無事ですか!?」
パパスが駆け寄るとぐったりとしていたように見えたヘンリーは特に弱っている様子も無く、胡坐をかき上半身だけを起こして、パパスの方に向き直っ た。
「なんだ、こんなところまで助けに来たのか」
ヘンリーはそう言って迷惑そうな顔をした。退屈だっただけと言いたそうな表情だったが、逆に助けに来られたのも迷惑のようにパパスを見つめ返して いた。
「…俺なんか別に、今のラインハットには必要ないんだ。だから、このまま失踪したほうがいいんだ。王位はこのままデールが継げばいい」
ヘンリーがそこまで言ったときパパスはヘンリーに近づくと、ヘンリーを平手で打つ。
「なっ・・・殴ったな!?親父にも殴られたことは無いって言うのに…」
ヘンリーは突然の出来事で少しパニックを起こしたようだったが、すぐにパパスに打たれた頬を手で覆い、パパスに抗議の声を上げた。だが、パパスは その声にも特に動じる様子も無く、ただ静かにヘンリーを見つめていた。
「な、なんだよ」
「ヘンリー王子、あなたはお父上が何を考えられているかを、考えたことはありますか?陛下は王子を次の王位に就けるつもりでおられます。それと…先 ほどの平手は、私ではなく、お父上からのものだと思っていただきたい」
パパスの言葉に、ヘンリーは少し考え込む。だが、考えて正解を導く前に、パパスは言葉を続けた。
「前の王妃が亡くなった後、甘やかしすぎたと陛下は言われました。しかし、いまの状況で陛下自らが手を上げることもできずに、私に代わりをとおっ しゃいました」
「…うそ、だろう。俺を王位になんて。まして、そこまで考えて平手打ちをしようなんて。ただ、にくいだけ、邪魔なだけだから・・・」
ヘンリーの言葉をパパスは眼力だけで止めた。ただ悪い方向に考えるのは良くない、そのことをわかってもらうため、今度は手を出さずに目だけでヘン リーに訴えた。ヘンリーもそれがわかったのか、言葉に詰まると、そのまま黙り込んでしまった。
「…王位のことだけでなく、その他の事も、じっくり時間を取って話が出来なかったことを悔やんでおられます。戻ったら陛下ではなく、お父上とゆっく り話をなされてはいかがでしょう」
パパスの言葉にヘンリーはその後の言葉をなかなか出すことが出来なかった。そんなヘンリーを見て今度はリュカが話し始める。
「殿下、城のみんな、街のみんなは殿下を見られていますよ。殿下がさらわれたとき、一部の人は殿下の姿を目撃されています。そして、わたしと父様が 助けに行くと告げると、必ず助け出すようにとお願いされました」
リュカがそこまで言うと、ヘンリーはもちろんだったが、パパスも驚いていた。パパスは事を荒立てないようにと、自分だけで動き出したつもりだった が、後を追ったリュカは街の人に手掛かりを確認するとき、すでにばれていたことを知った。
「父様、大丈夫です。さらわれたことは口止めしてきましたから。…殿下、皆さんの思いに答えるためにも、一度戻られ陛下とお話しを。そして、王位の ことを考えてください」
リュカは近づくことは無かったが、しかし年上であろうヘンリーを優しい目で見つめて、そう諭す。ヘンリーは先ほどのパパスの言葉のときから考え込 んでいる様子だった。リュカの言葉を聞き、少しばつが悪そうに軽く溜息をつくと、わかるかわからないか程度に軽く頷いた。
「…わかったよ。帰ったら親父と話してみる」
ヘンリーはそう言ってとりあえず戻る意思があるように、場を動く仕草をみせた。
「では、賊が来る前に・・・」
パパスがそこまで言うと、牢の前には数匹の魔物が待ち構えていた。
「もう、ここまで来たか!リュカ、王子を頼む。ここは父さんが任された」
そう言ってパパスはいっぺんに魔物を相手にすべくかかっていく。同時にリュカたちの退路を作り、その隙に逃げるように促す。リュカは無言で頷く と、ヘンリーを連れてパパスの横をすり抜けていく。その行動に驚いたのはヘンリーだった。
「おい、お前の親父さん、置いていくつもりか!?」
「置いていくのではありません。父様は必ず追いつきます。わたしたちが居ては返って分の悪い戦いになってしまいます。今わたしたちは逃げることだけ が先決です!!」
リュカは力強くそう言うと、ヘンリーにボートに乗るように指示する。リンクスも素早い動きでボートに乗り込むと、リュカはそのボートを精一杯の力 で漕ぎ始める。
「…そこまで、親父と分かり合えるなんて・・・俺が漕ぐ、代わろう」
ヘンリーはそう言って、やや力不足だったリュカからオールを受け取りボートを漕ぎ始める。リュカは小声で「ありがとうございます」と呟くと、リン クスとともに舳先に立ち襲い掛かってくる魔物たちに向かう。
ボートで行けるぎりぎりの場所まで行くと、リュカたちは急いで降り、遺跡の入り口を目指す。だが、あと少しで出られるところには初めて見る人影が あった。「ほっほっほ、私たちから逃げられるとでも思っているのですか?」
その影は血色が悪そうな青白い肌をしていて、顔は中性的なもので一概に男とも女とも言えない姿だった。そしてその頭と身体を取り巻くように、赤茶 色のローブとフードをつけていた。
「言うことを聞かない子供たちにはお仕置きが必要ですね」
そのフードの影は言うと、突然、呪文を唱える。構えた手のひらからは、とても並とは思えない大きさの火の玉が出来上がる。さすがにこれは自分たち でも耐えられない、リュカとヘンリーはそう感じていた。だが肝心なときに限って身体は言うことを聞かない。
「・・・メラミ」
ゆっくりと静かに影は唱える。声とは裏腹に激しく燃え盛る火球はリュカたちの方へと一直線に飛んでくる。避けるのはおろか、ガードさえままならな い状態でリュカたちはメラミの火球に燃やされる。
かろうじてリュカたちは立っていられるだけの体力を残していた。だが、逆にそれは相手の影が体力を全て奪わないようにしていたのかもしれなかった。「くっ・・・」
リュカは何も出来ない悔しさと、ヘンリーを無事に連れ出せない可能性が高くなってしまった現状を悔やんだ。だが、どうにもそしてなにも、今のリュ カたちには出来なかった。
リュカの悔しそうなその声を聞いて、唯一動くことの出来るものが居た。真っ赤な鬣を逆立たせて、その影を威嚇する。影はまったくひるむ様子は無い が、それでも威嚇の後には確実性のある素早い攻撃を繰り出した。「邪魔、ですよ」
突進してきたリンクスに影は冷たく一言言うと、軽く手を払う。そうして出来た風は強くリンクスの身体を叩きつける。しかし、その程度でリンクスは 倒れることは無く、何度と無く立ち上がる。
「リンクス!!もうやめて、リンクスが死んじゃうよ!!」
リンクスは野性の本能か、初めは影の喉笛を噛み切りに行っていた、それがかなわないとわかると、まずは払われる腕を処理しに喰らいつく。だが、何 度牙を立てようとも噛んだ感触は無く、そのまま放り出される。「こうしている時間分だけでも、リュカが回復できれば」リンクスはどこかでそんなことを 考えていたのかも知れなかった。
「…しつこいですね、主人思いもいいですが、あなたは魔物の端くれですよ?それさえ忘れ人間に忠義を立てようと言うのですか?」
影が言うが、まったく意に返さない、またはその影の言葉を肯定しているのか、叩きつけられても何度も立ち上がる。その度に腕に喉笛に狙いを絞って 噛み付きに行く。
「リンクスどいて!!」
後ろから突然声がかかる。リンクスは突進している最中でも、その声を聞くとすぐに回避に転じる。
「・・・バギっ!!」
リュカが渾身の力を込めてバギの呪文を打ち込む。その真空の刃は、今までの竜巻程度ではなく、嵐の如くに荒れ狂い、その影を襲う。少し油断してい たのか、その影はリュカのバギを正面から喰らい、ローブの一部が裂ける。
「…子供如きが私に傷をつけるなど。許せません!!」
影は言ってリュカに近づく。手でリュカを凪ぐように、だがその手は力がこもり勢いもついていた。人間業ではないことが容易に見て取れた。
「リュカッ!!」
突然のことで再び動けないリュカを今度はヘンリーがかばう。代わりにヘンリーはその影の強い払いに吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられる。ズルズルと 崩れて、ヘンリーは気を失う。
「ヘンリー殿下!!」
「他人の心配などしている場合ではありませんよ?」
リュカが叫んだ瞬間、影は今度こそ外さないとばかりに、リュカの直前に迫っていた。手を振り上げたとき、今度はその腕に再びリンクスが喰らいつい た。これには影も平常心ではいられなかったらしく、リンクスを足元にたたきつけた。
「貴様のような出来損ないの魔物が、私に逆らうなど」
いいながら影は右腕で宙を撫でる。そこには、不気味に光る死神の鎌が現れた。
「・・・良く頑張った褒美です」
そう言うと、倒れているリンクスの左目に鎌の切っ先を突き立てた。
「や、やめてぇぇぇーーー!!」
リュカが叫んだが、無情にも影の持つ鎌はリンクスの左目を確実に奪っていた。
「そのうるさい金切り声もいい加減聞き飽きました」
ズッとリンクスの左目から鎌の切っ先を抜く。その瞬間、鎌の峰をリュカに凪ぎつける。ドスッと言う鈍い音とともにリュカの体がくの字に曲がり、そ のままガクッとその場に倒れた。ちょうどそのとき、パパスが駆けつける。
「リュカ!!ヘンリー王子!!リンクス!!」
三者三様にその場に倒れ、気絶していた。パパスはその様子をみて怒りに顔をゆがませる。だが、目の前にいる影を見て、パパスは血の気が引いていっ た。
「き、貴様はあのときの・・・」
「お久しぶりですね、まさかあなたの子だとは思いませんでしたよ」
静かに影が言うが、パパスは絶句したままその場に立ち尽くす。何から言っていいのかわからなくなっている感じだった。それを悟ってか影はパパスに 語りかける。
「マーサは良い働きをしてくれていますよ。ですが人間たちやあなた方は邪魔です、働きすぎなんですよ・・・。ジャミ!ゴンズ!」
その影が言うと影の横に奇怪な姿の魔物が現れる。片方は馬面の魔物、もう片方は斧を構えた鬼面の魔物。呼ばれたことが合図であったかのように、影 が指示を出さずとも二匹の魔物はパパスに襲い掛かる。だが、百戦錬磨のパパスがそう簡単にやられるはずも無く、ジャミと言う馬面の魔物の肉弾をかわ し、ゴンズと言う鬼面の魔物の斧を自分の剣でかわして行く。暫く膠着状態だったものの、戦歴の差は確実に強さの差になって返ってくる。パパスの動きと 剣はジャミとゴンズを行動不能まで追い込んだ。
「ほほう…さすがは屈指の戦士と肩書きを変えていただけのことはありますね。その強さに免じて素性まではしゃべらないでいてあげましょう。ですが、 そこにあなたが立っているのは間違いなんですよ。…さて、こうすると・・・」
フードをかぶった影がそこまで言うとパパスの視界から一瞬消えた。次の瞬間、リュカのすぐそばにその影は来ていた。パパスは慌ててリュカに近寄ろ うとする。
「おっと、そこまでです」
影が言うとリュカを操り人形のように糸を手繰るかの如く空中で仕草を見せて起き上がらせた。気絶しているリュカだったが、うっすらと目を開けて現 状を確認していた。声が出ないのとまだ完全に意識が戻らずにぼやけてしまっているのとで、その影からは逃げることは出来なかった。
影は直立したリュカの後ろから、死神の鎌をリュカの顎の下に沿わせた。皮膚に当たる寸前でその刃は止まっている。「こうすると、あなたはそこに立っていられますか?何かをすることは出来ますか?」
そこまで言うと、先ほど倒れたジャミとゴンズが立ち上がる。足元がふらついている二匹だったが、それでも自分の仕事を遂行しようとパパスに近寄 る。一方のパパスは影がリュカに突きつける鎌の刃で身動きをとりたくても取れないでいた。
「それが賢明です。動いても構いませんが、あなたの子は永遠に地獄と闇を行き来することになるでしょう」
その言葉が引き金になったように、ジャミとゴンズはパパスに飛び掛る。先ほどまでやられた仕返しとばかりに、無抵抗のパパスを二匹は痛めつけてい く。暫くはその場で耐えていたパパスだったが、例えどんなに鍛えられた戦士でも、攻撃を与えられそのまま立ち続けるなど到底できることではなかった。 当然パパスも例外ではなく、暫くすると膝から崩れて行き、最終的には地面を舐める結果となった。
「と、父様!!」
その時になってリュカは自分の置かれた状況がわかったのか、鎌を避けパパスのところに駆け寄ろうとする、しかし影にしっかりと押さえつけられてい るのか身体はピクリとも動くことはなかった。
「くっ・・・リュカ、良く聞くんだ」
「ほう、まだしゃべるだけの力が残っていますか。子を思う親の気持ちと言うのはいつ見ても良いものです」
パパスは地面に拳をつきながら、何とか上半身だけは起き上がる。だが、体が痛めつけられていて言うことを聞かないのは無理もなかった。
「・・・良いものですが、やはり、それを引き裂くのはもっと素晴らしいものです」
そこまで言うと、影は先ほどリュカたちに喰らわせたメラミの火球を作り出す。間髪無くそのメラミはパパスに攻撃として与えられる。
「ぐっ・・・リュカ、いいか。母さんは生きている。生き抜いてこの父に代わって母さんを探し出してくれ」
「しぶといですね、これだけ攻撃をしていると言うのに…」
影から放たれる複数の火球は容赦なくパパスに叩き込まれる。だが、炎の勢いにも負けないパパスの声が、リュカには届いていた。
「・・・そして、母さんをさらったのはそこのフードの影だ!!」
そこまで言うと、上半身だけでなんとか耐えたパパスは、両手を地面について肩で息をする。
「…そこまで言われては仕方がありませんね。あなたには文字通り冥土の土産を持たせましょう。私の名を教えて差し上げます。私の名前は『ゲマ』、あ なたたちの運命を弄ぶ者ですよ」
影−ゲマはそう名乗り、愉快そうに口元をゆがませる。その口元をリュカは複雑な心境で見つめ、同時に二度と忘れることの無い顔として焼き付けるこ とになった。
「では、冥土に旅立っていただきましょう・・・メラゾーマ!!」
ゲマは言うと容赦なく最大級と言われる火炎系呪文のメラゾーマをパパスに向けて放った。
「とうさまーーーーっ!!」
リュカが叫ぶが、それがパパスに聞こえていたかはわからない。メラミの比ではない火炎の業火は容赦なくパパスを包み込んでいく。
「リュカ、後は頼む・・・」
リュカにはそう聞こえた気がした。
「と・・・・・・とうさま?」
先ほどまでパパスが居たはずの場所は、灰さえも焼き尽くしたのか、床が焦げているだけで後には何も残すことがなかった。
「う・・・うそ、そんな。父様、父様・・・いやあああぁぁぁ!!」
気丈にそして、時に大人っぽく背伸びをして応対などをするリュカだったが、それでも最強であろうと謳われた父を目の前で、しかも跡形も無く焼き尽 くされて、一瞬何が起きたか判断できなかった。無意識で叫んだとき、初めて父を失ったと認識した。そして、その認識は幼いリュカには大きな傷を作り、 それ以上傷つかないために本能と身体は機能自体を停止−リュカはそのまま気を失った。
「ゲマ様、お手を煩わせ申し訳ございません」
「二度とこのようなことが無いよう気をつけます」
ジャミとゴンズが言う。
「二度と?いいえ、その次はありませんよ。…それより、この子供たちは例の場所に連れて行きます」
そう言うとリュカとヘンリーをジャミとゴンズが抱えあげる。
「ゲマ様、このキラーパンサーの子はいかがいたしましょう?」
左目を失ったリンクスはぐったりとして倒れたままだった。
「出来損ないですが…放っておきなさい、いずれ大きくなれば、その魔性に目覚めるでしょう」
ゲマはそう言って、リンクスを捨て置く。そしてリュカとヘンリーを改めてみる。
「…特にこの娘は、我々にとっては良い力の源を与えてくれることでしょう。憎悪、怒り、仇敵、その想いの全てが我らの力になるのですから。・・・お や?」
リュカの心に渦巻く気持ちを読み取るかのごとく、ゲマは口元をゆがませたままそう言った。だが、リュカが腰につけている道具袋に目をやり、しばし 考え込む。
「・・・これは…まさか。でも、仮にそうだったとしても、ここで無くなってしまえば…」
そう言って、リュカが持っていた黄金の宝玉を手にする。そして両手で強く握り締める。するとその金色は徐々に色を失い、濁っていく。完全に色がな くなったときには宝玉にひびが走り、次の瞬間には粉々に砕け散った。
「これでよいでしょう。では行きましょう」
ゲマはそう言うと、転移の法術を使い、リュカとヘンリーをいずこともなく連れ去った。
暫くした後、リンクスは目覚めたがその目の違和感が何であるかまでは自分では判断がつかなかった。
隻眼になったベビーパンサーはその場所で、今までずっとそばにおいてくれて、魔物であってもかばってくれた主人がいなくなったことを知る。においは 突然途絶え、そこからは何処へとも無く散ってしまっていた。違和感のある左目を時々撫でながら、不自由になった目であたりを見回す。その広間のような 場所の端に何か光るものを見つけると、リンクスはそれを口にくわえ、散ってしまった匂いを追って歩き出した。
自分が怒っている、そのことに気づくのはリンクスが再び闘いの本能に目覚めるときだった。