4.守護神
リュカが妖精の国から戻っているころ。
サンタローズのパパスを訪ねて一人の女性が来ていた。
外部からの訪問者自体が珍しいこのサンタローズで、実はあまり素性の知れないパパスを訪ねて、時々変わった感じの人が訪ねてきたりはしていたが、今 回のように、女性が一人きり、しかもその姿はどう見ても戦士スタイルとしか受け取ることが出来ない人物は初めてだった。「どちら様ですか?」
サンチョも初めて見たこの女性に対してはどこか他とは違うと思われる雰囲気をかもし出していて、自然と警戒せずにはいられなかった。
「…パパス殿はご在宅ですか?」
丁寧に、しかし無駄なことは話そうとしないその女性は、サンチョに軽く一礼してからそう呟いた。サンチョはそれでも警戒心むき出しのまま、なかな か家には入れようとはしなかった。
だが、ちょうど階上からパパスが降りてきて、その女性を見つけると、酷くびっくりした様子を見せた。「ティラル殿か!?」
「ご無沙汰…と言うには時間が経ちすぎましたかね、パパス殿」
「…大丈夫だ、サンチョ。この方は…リュカの恩人だ」
パパスはそう言って、警戒を解かないサンチョを制する。嫌に親しく話す二人をみて、サンチョは少し拍子抜けしたようだった。
「ここでも構わないかな?」
食卓について、パパスはティラルに訊ねる。ティラルは笑ってその場で構わないと頷いて見せた。
「旦那様、失礼ですが、この方は…」
「…今だけはその芝居もしなくて良い。リュカは…遊びに行ったまま戻らないな、リュカと村の人たちにばれなければ構わん」
サンチョが控えめに言うと、珍しくパパスは本来の『ナゾの素性』を隠す必要はないとサンチョに言ってきた。
「しかし…」
「ティラル殿と会ったのは、グランバニアでリュカのお披露目をした翌日のことだ。ティラル殿にとっては今の状態の私たちの方がおかしくみえると思う んだが…」
いつもはどんなことがあっても絶対にその姿勢を崩そうとしないパパスだった。サンチョはパパスとともに故郷の地を離れてから、初めてパパスの口か らその姿勢を崩して良いと指示を受けたくらいだった。
「…少し、時間が経ちすぎましたかね?…先ほど、リュカには会って来ました。まもなく帰ると思いますよ。…バロッキーをつけさせてもらい、感謝しま す」
ティラルはパパスとサンチョのやり取りを見ていて、一段落ついたところを見計らって話を始めた。
「いや、感謝するのはこちらのほうだ。あのままだったら、リュカがいまどうなっているかわからなかったからな。あのときに打てる手が最善だったのな らば、今はその状態が続いているだけで悪化はしていない」
安心するかのようにパパスは言う。サンチョはティラルが何をしたのか、リュカに対してどうしていたのかはまったく知らされていなかった。
「その様ですね。バロッキーも特別力が失われていると言うこともありませんでした。邪な力が開放されたりはしていないようです。リュカも大きくなり ましたね」
ティラルはそう呟いて、少し間をおく。
「…6年か。ティラル殿は変わらないな」
「ええ、これでも人間ではありませんからね。リュカは強い子に育ちそうです。…この先、なにがあるかはわかりませんが、あたしが出来るだけのことは させてもらいますね。パパス殿もお気をつけくださいね」
変わらない、その言葉が何を指すのかサンチョには理解できなかった。それ以前から、この二人がどのような関係かがわからなかった。だが、二人はそ れをお構いなしに話を進めていく。
「私にもなにか起こると?」
「…前もお話しましたが、あたしは未来を見ることは出来ないので、なんとも言えませんけど。でも、リュカ自身を強く育てると言うことは実行され、そ う育っていますからある意味安心ではありますが…」
パパスの言葉には少し言葉を控えめにしてティラルは言葉を続けた。
今のリュカがどんな姿かをまるで今見てきたような口調で話すティラルをサンチョは不思議そうな目で見ていた。「確かに、今のリュカならばたいていのことは耐えるだろう。…で、今日はどんな用で?」
「いえ、たいした用ではないのですが…リュカに突然会ってしまったものですから、彼女の警戒心を解いてあげてもらえればと思いまして。パパス殿の知 り合いと言えば、あの子も安心するでしょうから」
本題を訊ねるパパスにティラルは手を振りながら、そんなに大げさではないと言いたそうに笑いながら言葉を続けた。
「『ヤツ』らは動き出しているのか?ティラル殿」
少しの間をおいて、パパスは気になっていたような口調と少し険しい顔でティラルに訊ねた。
「…まだ、動き自体は確認できていません。だけど、ここ一連の出来事がなにかの方向に進んでいるのは事実だと思います。また裏をかかれそうで正直怖 いです、なのでこうして動いているのですが…」
ティラルはそれまで崩さなかった妙に自信ありそうな態度をここに来て初めて崩す。それをみてパパスは何かを思い出しているようだった。
「…もう後手は踏みたくないのですが」
「しかし、事がこちらの都合では動いていない分、後手を踏んでしまうのは仕方ない。起きてしまった事象については、その後からフォローしていくしか ないだろう。実際それで私もリュカも、グランバニアも助かっているんだ」
ティラルが苦しそうに言葉を搾り出して言うと、それを慰めるようにパパスはティラルに言って見せた。
「先手を踏もうとして失敗しても仕方ない。後手から先が見えればそれで良いと私は思う」
パパスはそう言って、軽く溜息をつく。ティラルはそんなパパスの様子を見て、申し訳なさそうにうつむく。
「それでリュカが…いえ、リュカも含み他の人々が苦しむのを見たくはないんですけどね」
うつむいたまま、自信なくティラルは言った。パパスはそれを見て優しい笑顔をティラルに向けた。
「…今までが長かったんだろうな、それがティラル殿に与えられた試練、か」
「だとするならば、あまりにも過酷過ぎる試練です。戦って勝つか負けるかするだけの試練ならばいくらでも耐えますけど…人の悲しみや苦しみを見てい くのは…自分が怪我する以上に傷つきますから…」
パパスが優しい声で、子供を慰めるような口調で話すと、ティラルからは訪ねて来たときのような絶対的な自信がなくなって年相応とも言える幼い声で パパスに訴えた。
「…すみません、取り乱して。まだまだ時間は流れるのですから、こんなところで立ち止まっても仕方ないのですけどね…。あたしの方は正直まだ、事情 は進んでいません」
「時間はある。終いが見えているわけではない。だからティラル殿は出来るペースでことを進めればいい」
少しだけ、顔に先ほどの自信のようなものが戻ってきたティラルに、パパスは背中を押すような言葉をかけた。
「ありがとうございます、パパス殿。…では、これで失礼します」
「ああ、気をつけて。無理だけはしないようにな」
「パパス殿も」
ティラルは立ち上がり一礼すると、パパスを見つめる。パパスに声をかけられて、少し苦笑いをして同じ言葉をパパスにも返す。次にティラルはサン チョに向き直って、再び一礼する。
「…もし、無礼があったらお許しいただきたい」
ティラルがそう言って再び顔を上げたとき、もうその顔はこの家に訪ねてきた時のティラルの顔に戻っていた。
「旦那様、あの方は…」
「自称、始祖の右腕。どこまで本当かは知らんが…しかし、リュカを魔の手から救ってくれた恩人だ」
村を出て行くティラルの後姿を見つめながら、サンチョはパパスに訊ねた。パパスもどこか不思議といった様子を纏っているティラルを見つめて、曖昧 なことを言う。
「…始祖の…?伝説に出てくるあのティラル様ですか!?」
「確認する術はないがな。しかし、ティラル殿がいなかったら、リュカにかけられた呪いがどこまで災いを起こすかわからなかった、それだけでもずいぶ んと助けられたものだ」
パパスは呟くように言いながらティラルの背中を追っていた。
その後パパスは少し外に出ると言って出て行く。入れ替わりに地下室からリュカが顔を出した。
「お、お嬢様、地下室にいらっしゃったんですか!?身体冷えたりしていませんか?」
「あ、サンチョさん。大丈夫です、遊ぶのに夢中になっていましたし…。それより、なんかちょっと、暖かくなった感じがしませんか?」
リュカは不自然なところから出てきたことでサンチョに変に勘繰られないように話題をそらす。ドアを開けて外を見ていたサンチョは外に手を伸ばし、 空気を手で触るような仕草を見せた。
「言われてみればそんな気もしますね?」
ふとサンチョがそこまで言ったとき、再びこの家を訪ねて来た人物がいた。制服を身に纏った礼儀正しい挨拶をする兵士だった。
リュカは邪魔をしないようにと、リンクスを連れて二階に上がった。
しばらくして、階下からサンチョがリュカに、話が終わったので降りてきて構わないと言う言葉がかかる。リュカは来ていた兵士が何者かを知りたくて、 階下に急いだ。「サンチョさん、さっきの人は誰ですか?」
「ああ、ラインハットの兵士でした。旦那様に手紙をと言うことでしたが、一緒に言伝も頼まれまして…」
サンチョはなんとなく困ったような顔をして、リュカに説明する。その困ったような顔がなんとなく、リュカには良くないことの前触れのような気がし てならなかった。
「父様に・・・?どんな内容かは、その手紙の中ですか?」
リュカが少しの不安となんとも言えない気持ち悪さのような感触を持ちながら、サンチョが手にしている丁寧に封をされた手紙を見つめた。
そのサンチョの後ろに、先ほどまで外出していたパパスが帰ってきて姿を現す。「私がどうかしたのか?」
「あ、旦那様。ラインハットの兵士がこの手紙を旦那様にと。それと、国王陛下直々の依頼とのことで、断るようなことはしないようにと釘を打たれまし た」
サンチョは先ほどの兵士からの話を簡潔に話し、同時に言われたことを伝える。パパスはその手紙を受け取りながら家の中に入る。そして、その手紙の 封を丁寧に取った。
中身を熟読して、固唾を呑んで見守るリュカとサンチョに笑顔を返した。「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。どうやら、ラインハット王は王子の教育係をさせたいと言うことだ」
緊張しているリュカとサンチョに笑ってパパスは言う。だが、サンチョはあまり納得したような表情を見せることはなく、むしろ面白くないと言った感 じの表情を浮かべた。
「どうかしたの?サンチョさん」
リュカはそんなサンチョの表情を不思議に思い質問したが、サンチョは何も言わずに軽く溜息をついた。
「…まぁ、今の身分相応の依頼だ。それに、ラインハット王は知らぬ仲ではないしな」
サンチョのあまり歓迎しないと言った様子にパパスは苦笑しながらそう言った。リュカはそんな二人を不思議そうに見つめる。パパスと目があったと き、パパスは一度頷いてリュカに言う。
「リュカもついてきなさい。大きな城に入るだけでも勉強になる。それに、仮にこの依頼を受けることになれば、城で何かとしなければならなくなるかも 知れん。手伝ってもらえると助かる」
パパスは少し離れたところにいるリュカに近づいて、リュカの頭を撫でる。リュカも「はい」と元気な返事をして、嬉しそうに撫でられていた。
「それと、この依頼が済んだらしばらくは旅は休むつもりだ。今まではあまり相手が出来なかったが、これからは剣の稽古や気晴らしなど、一緒にしてや れるからな」
「本当ですか!!父様、嬉しいです」
パパスの言葉に、リュカが両手を挙げて喜ぶ。そのとき、パパスとサンチョにリュカの左腕のバロッキーが目に映る。サンチョは釈然としないと言った 表情を、パパスは仕方なしとあきらめた感じの軽い溜息交じりでリュカを見つめた。
「どうか、しましたか?」
そんな二人を不思議そうにリュカは見返した。
「…リュカ、ティラルと言う人に会ったことはあるか?」
突然パパスから質問されて、リュカは驚いて両目を見開く。それが夢のような場所でも、会ったことは事実だったが、そこまで話すかどうか、リュカは 躊躇していた。
「はい、あります。不思議な感じのお姉さんでした」
とりあえず場所については聞かれたときに話せば良いと、パパスの質問に必要なだけの返答をする。
「その女性からはなにか言われたか?」
「いいえ、特には。ただ・・・」
そこまで言って、リュカは自分の左腕にある、バロッキーと呼ばれると言うアクセサリーを見つめた。
「そのバロッキーだがな、実はティラルと言う人がお守りにとリュカが生まれたときに渡されたものだ。前に話した、聖と悪が宿ると言うこと、その悪を 抑えるためのものだとティラルは言っていた。あの人は父さんの知り合いだ。もし、今後会うようなことがあり、疑問を持ったことなどがあったら何でも訊 いてみるといいだろう」
パパスはそう言ってリュカの左腕を取る。バロッキーは赤子のリュカにちょうどよかったはずだが、今のリュカもつけていて苦しそうな部分はなく、幾 分余裕のある感じだった。ただのアクセサリーと言うには少し大げさな装飾だったが、それでもこのくらいの力がないと、その悪をとどめることが出来ない のだろうとパパスは感じていた。
「その、ティラルと言うお姉さんは警戒しなくても大丈夫なんですね?」
リュカが神妙な面持ちで、静かな声で聞くと、パパスも切なそうな笑顔を向けて一回頷いた。
「ああ、ティラルについては心配ない。本当に困ったときは頼るといい」
何かを悟っているようにも聞こえたその言葉が、本当の意味でパパスが頼れなくなってしまう存在になるとはこのとき、誰も信じる由もなかった。
「ティラルはリュカの事をいつも見ているはずだ。以前、自分に起こることをきちんと受け入れるよう言ったが、それがどんなにつらいことでも、ティラ ルだけはきっと、リュカを見ていてくれるし、なかなかその手を差し伸ばしはしないかもしれないが、いつかは必ずリュカの味方になってくれるよう動くは ず。私のときもそうだったからな。リュカの今後を左右する人と言っていい。だから、その分リュカも人一倍の負けん気と努力を欠かさないようにな」
パパスはそう言い謎の人物がリュカにとっては絶対的に味方であると言った。
「わたしがそんな不幸に見舞われることが、この先あるのでしょうか?」
リュカはパパスの大げさな言い方に少しだけ心配と不愉快さを感じていたが、パパスはその表情を崩すことなく、そして、狙われてからここまでが順調 であったことに感謝さえしていた。
「未来は誰にもわからない。だから、リュカは負けてはいけないんだ。何があってもな。そして、ティラルはリュカを必ず生かす。リュカもそれに応える ようにしなさい。…守護神、そう言っても良いかも知れないな。その神は少し行動が鈍いかも知れん。が必ず助けるし、リュカは助かる。リュカの運命の一 部をティラルは悪から聖に引き寄せてくれる。それを待ち、そこから踏み出すんだ、いいな」
ポン、と頭に手を置かれ、軽くパパスに頭を撫でられる。リュカは複雑そうな顔をしていたが、全面的に反対する意思はなかった。
「…でも父様、いなくなってしまうようなことを、リュカを一人にしてしまうようなことを言わないでください」
泣きべそをかきながらリュカが呟く。それを聞いてハッとした顔のパパスはそのまま黙って、娘を抱きしめた。
(ティラルが動き出したのは、なにかがあるから。最悪の形でなければ良いが・・・)
リュカの言うのはもっともだったが、過去ティラルが動いたときに起きたのは最愛の妻の誘拐だった。今回は誰がどうなるかわからない。その不安を抱 えながらしかし、目の前の道は歩まねばならないと言うつらさをパパスとリュカは、守護神と呼んだ人物や自分たちを取り巻く聖悪によって与えられること になる。
その夜は忙しいパパスとリュカに力をつけてもらいたいと、サンチョは奮発して豪華な料理を用意した。そして三人で談笑を交えながら食事を済ませた。 珍しくパパスはリュカと一緒に寝ることを提案して、その夜は親子で同じベッドで眠りについた。