1.イタズラ
アルカパでの幽霊騒ぎを収めて、サンタローズに戻って数週間が過ぎていた。
最近、この地方では春が来るのが遅くなっている感じがするというのが、村人たちのうわさだった。そして今年もそんなうわさが流れ始めていた。ある村 人はずっと焚き火に当たったままで、仕事にならないとぼやいていた。また畑仕事をしている村人は、寒くて作物の生育が悪いと嘆いていた。
そんな気候変化のうわさと同時に、サンタローズでは、不思議な事件が起きていた。それらはひとつの特定された現象ではなくて、起こることは人によっ てまちまちだった。例えば酒場のマスターには客に出すために出したはずのグラスがきちんと仕舞われていたり、ある老夫婦には妻が食事の用意をしたのに いつの間にか食べられていた、そして疑われる夫は自分が食べたわけでもないのに無くなっている状況に目を白黒させるばかり。「あ、お嬢様」
目が覚めて階上から降りてきたリュカは、サンチョに声をかけられる。
「おはようございます、サンチョさん」
「おはようございます。ところでお嬢様はまな板をどこかに隠したりはしていませんよね?」
起き抜けに突然こんな質問をされて、リュカは少し驚いていた。サンチョからは信頼を得ていたと思っていただけに、まな板が無くなったくらいで犯人 扱いされるのは不快…と言うよりは、すこし悲しい気分になった。
いつものように食事を済ませると、サンチョが申し訳なさそうにリュカに頼み事をしてきた。「実は、先日お使いをお願いした後、お酒もどこかに無くなってしまったんですよ。まだ残っていたのに見つからなくて」
「い、いくらなんでもわたしは飲んだりしていませんよ?」
また疑われるのではないかと思い、リュカは慌ててサンチョに否定する。サンチョもわかっていると言うように笑って見せ、また先ほど疑ったりしてす まないと言った表情も見せた。
「…で、そのお酒を酒場のマスターから頂いてくればいいですか?」
「お願いできますか?」
サンチョの控えめなお願いに、リュカは笑みを返してそれに答えた。外に出る、そんな行動に移ったとき、まだ寝ていたはずだったリンクスがいつの間 にか足元に来て、リュカの足に擦り寄っているのに気がつく。
「うん、リンクスも一緒に行こう。じゃ、サンチョさん、ちょっと行って来ますね」
リンクスの頭を一撫でしてリュカはサンチョに告げると、元気良く外に飛び出して行った。
酒場に着くと、マスターが忙しそうにフロアを何かを探して歩いていた。「こんにちは、マスター。…なにかあったんですか?」
リュカが挨拶すると、マスターは困った顔をしてリュカを見つめた。
「最近、変な旅人が来たのを知っているかい?リュカちゃん」
「あ、はい。…とくに変な人ではありませんでしたよ?少しお話しましたけど…」
リュカには、突然オーブを発見されたり、家の前でそれまで物悲しそうだと言われていた表情が一層悲しそうであったと言う部分はあったものの、特別 危険視するほどの女性ではないと感じていた。なので、このときもこのようにその旅人のことは、否定する様子もなく答えていた。
マスターも特にその旅人を責めるわけではないらしく、リュカの言葉に「うん」と一回うなずいて見せた。「…関係は無いと思うんだけど、あの旅人が来てから、変なことが起こっててね。隣の老夫婦のところでは、用意した食事が無くなったとか、食材が荒ら されていたとかってこともあったみたいだし、俺もグラスセットがなかったり、酒がこぼれだしてたりしてね。今は今で、サンチョさんから頼まれた酒がど こかに行っちゃって、探して居たんだよ。リュカちゃんがお使いにくると思ってね」
マスターは軽くウィンクしながら、しかし困った表情も崩さずにそう言った。
その話の間、リンクスがどこか落ち着かない様子でリュカの後ろをうろうろしていることに、リュカは気づいていたがなにが原因でそうした行動を起こし ているのかはわからなかった。「リュカちゃん。すまないけど、少し待っててくれるかな?探してくるからさ」
マスターはそういって、酒場から外に出て行った。
それを見計らうようにして、リンクスがリュカの服の裾を噛んで軽く引っ張る。何かあるのかもしれないとリュカがリンクスのほうを向いたとき、カウン ターに座っている人影を見つけた。だが、その人影はリュカでも半分透けて見えるような感じで、はっきりとその場に居るという認識はできなかった。(レヌール城の王様とお后様みたい。…幽霊さん??)
リュカがその人影のほうを見ていると、その影も視線に気づいたのか、リュカのほうを見返す。お互いが視線をあわせることができて、初めてその影は 困っていた顔を明るくして見せた。
「あなたには私がみえるのね!?よかった〜、このまま誰にも気づかれないかと思っちゃった」
確かにそう言っている様に聞こえた。だが、人と話をしている感じとは違って、直接頭の中に話しかけられている、そんな違和感をリュカは感じてい た。
「あ、あの、あなたは幽霊…なんですか?」
リュカが遠慮がちに訊ねると、その影は不思議そうな顔をしてリュカを見返してきた。
「私の姿、透けていたりするの?」
「え、はい。向こう側も見えます。それと、声もなんか変な感じです」
具体的に状況を説明するのはいまのリュカには少し困難だったが、感じたことを思ったままに、その影に伝えた。それを聞いて、影はまた困ったような 顔をし始めてしまった。
「あなたは…いったい・・・?」
「しっ・・・誰か来た」
リュカが訊ねるそのとき、ちょうどマスターが降りてくるところだった。そして、マスターはリュカを見つけて声をかけた。
「お待たせ、リュカちゃん。ご注文のお酒だよ。…しかし、なんで上に酒やらグラスセットやらが行ってるんだ?…あ、リュカちゃん、気をつけて帰るん だよ」
マスターはひとしきり気になっていることをつぶやくとまた、フロアを出て行ってしまった。
「やっぱり、ほかの人には見えていないみたいね」
その影がつぶやく。リュカはどうしたものかと考え込んでいたが、どうにも解決策はない感じがした。
「ねぇ、あなたにお願いがあるの。…ただ、ここじゃ落ち着かないし、人が来てあなたが一人でしゃべってるとなると、それはそれで問題よね。確か地下 室のある家があるわよね、その地下室で待ってるから、改めて来てくれないかな?」
と、そこまで言うが早いか、その影はすうっと姿を消してしまった。あとには、小さな体に不似合いな酒の瓶を抱えたリュカが一人、リュカの足元で落 ち着かない様子のリンクスと共に残った。
「えっと・・・?」
今まで起きていた現象が、あまりに早く進んでしまったので、リュカは一瞬パニックを起こしていた。そして、ここに来てからの出来事を少しずつおさ らいする。
「地下室、ってわたしの家の地下室のこと?この酒場も地下ではあると思うけど…」
リュカはそうつぶやいて、自分とリンクス以外に居ない酒場を後にした。
自宅に戻ると、まだサンチョは探し物の最中のようで、家の奥のほうに入っていく後姿が確認できた。タイミングが少しずれてしまったので、リュカは お使いのお酒をテーブルの上において、リンクスをあやす。しばらくそうしていると、サンチョがまな板を抱えて台所に戻ってくる。
「やれやれ、なんでまな板が奥の戸棚の中に入っているんだ?…おや、お嬢様お帰りでしたか」
「はい、サンチョさん。お酒買って来ました」
サンチョに訊ねられて、リュカはテーブルの上に置いた酒をポンポンと軽く触れながら用事を済ませてきたことをサンチョに伝える。サンチョは「あり がとうございます」と丁寧にお辞儀をして、その酒を棚に仕舞う。
ちょうどそのころ、パパスが階上から降りてきた。「リュカ、帰ったか。今日は私は一日、調べ物をしているが、リュカもあまり遠くへ行ったり、洞窟や村の外に行ったりしないようにするんだぞ」
「はい、わかりました父様」
三人が三様にお互いを確認すると、パパスは階上の部屋に戻る。サンチョは残っていた酒を探そうとしているようで、また奥の部屋に戻っていった。そ れを確認して、リュカがリンクスを撫でると小さな声で「にゃ」とだけ鳴き、リュカの後にくっついて「いつでも行けるよ」とアピールしているようだっ た。それを確認したリュカは、先ほどの影の言っていたのであろう、自宅の地下室に入っていく。
地下室には、先ほどとはもっと良く見える姿で先ほどの影が、わずかに置かれている樽に座っている姿が確認できた。「ああ、来てくれたのね、慌てて出ちゃったから、ここがわからないかもと思って不安になっていたんだけど」
「大丈夫です。確か地下があるのは、わたしの家と酒場だけですから」
リュカが丁寧に返事をすると、その影は樽から飛び降りる。
「そう、ありがとう。私はエルフのベラ。よろしくね」
「わたしはリュカです、この子はリンクス。…エルフって…?」
ベラと名乗ったのは、自らをエルフだと言う。エルフは昔話や物語などで出てくるいたずら好きな妖精とも、あまり年をとらないとか長寿として有名な 存在で、それこそお伽話の中や物語では有名な存在であった。リュカも数々の本からエルフという存在は知っていた。そして、目の前に居るベラはリュカの 知るエルフの特長−幼い姿に尖った耳などといったものを備えていた。
「ええ、聞いたことはあるでしょう。妖精族ではあるんだけどね」
「妖精ですか…」
森などの緑に深く関わることが多いというエルフは、別名妖精とも言われていた。それはベラの言う言葉からも確認でき、うそではないことが確立され た。
「それより、いま私たちの国が大変なの。それで、助けてくれる人を探しに人間のところに来たんだけど、どうもほかの人間には私の姿は見えないらしく て。気づいてもらうためにイタズラもしたんだけど、なかなか…ね。そんな時にあなたが現れたってわけなの」
ベラの話では、非力なエルフがその事件を解決するためには、何かあった場合にどうしても力にある程度望みのある存在も連れて行きたい、というのが 望みだと言う。そこで人間に手助けを願おうと思っていたようなのだが、リュカでさえ半透明の状態でしか確認できなかったベラの姿を、ほかの人間が確認 できるかどうかは怪しい状況だった。
「ともかく、一度ポワン様に会って欲しいの、お願いリュカ」
「…でも、わたしなんかで役に立てるでしょうか?」
無理にでも連れ出そうとしているベラに、リュカは少しの不安感を抱いていた。だが、その辺は問題ないと言いたそうにベラは胸を張る。
「力が必要、と言っても本当に力仕事が必要ならば、ドワーフ族も一緒にいるから、その人たちに頼むこともできるの。人間に力を借りるのはどちらかと 言うと戦闘だね。私たちは剣を振り回すって言うのはあまり得意ではないし、ムチ系で少しずつだと、どうしても魔物に分があるからね」
そう言ってベラはリュカの持つ銅の剣を見つめる。エルフが振り回すのは大柄な剣ではなく、細身のものだったり、短剣やムチなどが中心だった。それ らで戦闘をした場合、ベラの言う通り敵側に分があるのは事実だった。その点ではたとえ子供でも、戦闘経験が多少あればそしてサンタローズやアルカパ周 辺の魔物とほぼ同等の強さであれば、それらを相手にすることは不可能ではなかった。
「わかりました、ベラさん」
「うん、じゃ早速行くよ!!」
言うが早いか、ベラは法術を両手のひらに展開させる、そしてリュカたちはベラの発した光の中に溶けて行った。