3.小さな冒険
サンタローズの村の北東には、村の中に川の流れ出る洞窟があった。洞窟の中は複雑ではなく、魔物もこのあたりに出没する、大人であれば脅威ではない 魔物ばかりだったので、人々はこの洞窟を物置的な形で利用していた。
しかし、奥に行けばそれなりに魔物は出現する。前にパパス、その後ろにリュカが付いて洞窟を奥に進んでいく。「父様、薬師の親方がこの洞窟に入ったのは、さっきの助手の方の話でわかりました。でも、この洞窟の奥に薬になるようなものがあったんですか?」
ごく手前のほうでは、物置として利用してはいたがそんなに深層部まで入って物を置いておくとは思えないリュカは、この洞窟に何かがあるのだろうと 判断したが、日の当たらない場所で薬草の類が育つとは考えられなかった。
「…特別なものなのかも知れないな。私も詳しいことはわからない。だが、以前親方がここに出入りしているときに話を聞いた限りでは、大量に取った薬 草などの生育を止めるのに洞窟の闇が適しているのだそうだ。光を当てないで生育を止める、と言うことなんだろう」
パパスもこの洞窟には時々足を運んでいる。そんなときに薬師の親方と会い、話を聞いたときにこんなことを聞いていたのだった。
洞窟の中は、川が流れていながらも湿度は高くなくひんやりとした空気が心地よい風になって肌を撫ぜていた。時々、スライムや蝙蝠が魔物化したドラ キーなどが襲ってくることがあったが、前衛にいるパパスはあっけなくそれらの魔物を倒していた。時々リュカに先頭を任せ、リュカは先ほど外で見せた武 闘術では無く、より実戦に近い武器を使った攻撃と呪文を織り交ぜた中・近距離の間合いでの戦いを行っていた。
二人が地下1階へ来て周辺を見回っているとき、リュカは地面に開いている大きな穴を見つけた。まだ周囲から地盤の破片が落ちているところを見ると、 まだそんなに時間の経たない間に崩れたものだと判断できた。自分が落ちないようにとリュカは慎重に進むと下から声が聞こえた。「父様、ここで地盤が崩れたようです。下から誰かの声が聞こえます」
リュカはその場を一旦離れて、パパスに報告する。
パパスはそれを聞いて、慎重に地盤の崩れて出来た穴に近寄って耳を済ませてみる。うめき声と、「誰か」と呼びかける声が聞こえた。だが、地盤を良く 確かめると、今パパスとリュカがいる場所でさえ、すぐに地盤が崩れかねないほど緩い状態になっていることがわかる。「…親方、か?済まんがもう少し待ってくれ、ここからでは助けに行けないようだ。別の道から行くからそれまで耐えてくれ」
パパスはそう言うとすぐにその場を離れて、下の階に続く階段を探しに走り出した。
「ま、待ってください、父様・・・」
突然走り出したパパスにビックリして、リュカは尻餅をついた。そして、立ち上がっている最中にはパパスの姿は洞窟の闇の中に消えていった。
「うう。父様に置いて行かれたの、何回目だろう・・・?」
事が急を要するときほどパパスはその目的のことしか頭になくなるようで、このようにリュカのことを放り出したまま目的のものに突っ走ることが良く あった。逆に言えばこのようなことが度々あるから、リュカは実戦についてもその場でどうしたらいいかの判断が瞬時に付けられ、また自分ひとりの力を過 信せず場合によっては撤退すると言う考えもつくようになっていた。
リュカはパパスの消えた暗闇のほうに向かい、躓かない様に注意しながら奥へと急いだ。
幸い魔物は出ずに、そして親方とそれに手を貸すパパスの姿を見つけることが出来た。「おお、リュカ来たか。すまんな、またやってしまった…が、親方のほうにも早く駆けつける必要があったからな」
パパスは何かと理由をつけて、置き去りにしたことを謝る。リュカは「まったく…」と言いたげな表情を浮かべてパパスを見るが、そのパパスが手を貸 す親方の姿を見てすぐに駆け寄る。
「…この子がリュカちゃんかい?ずいぶんと大きくなったもんだ」
「ありがとうございます、親方さん。…でも、今はわたしのことより、ご自分のことを考えてくださいね。上から落ちたんですか?」
こういった相手が負傷している状態のときは、大雑把にことを進めるパパスに対してリュカはずいぶんと大人っぽい対応をしていた。街中などで怪我を した人などがいたときはすぐに場を変えようとするパパスを制して問診などをリュカはして、状況に合わせた判断をすることが多かった。
「ああ、まさか、地盤が緩んでいるとは思わなかったものでね。骨折まではしていないだろうが、足を挫いてしまったようなんだ」
親方の言う言葉にリュカは「失礼しますね」と断った上で、親方の靴を脱がせる。確かに足首辺りが酷く腫れているのがわかる。それと一緒に、足の甲 もまた少し腫れているのが確認できた。
「…親方さん、ここは痛いですか?」
リュカは足首より先に、足の甲を触ってみる。だが、特に親方は反応する様子が無かった。
「父様、もしかすると、痺れてしまっているかもしれません。足の甲は骨折の可能性があります。一度戻ってから、シスターに見てもらったほうがいいよ うです。…ホイミでの治癒だけでは完治は無理なようです」
リュカが丁寧に状況を見てパパスに報告する。一度パパスは頷くと、親方の手を取り自分の背に背負い上げる。
「パパス殿が帰ってきていてくれて助かったよ。それとリュカちゃんの的確な診察にも恐れ入ったよ」
親方は恐縮したようにそう言うと、パパスに世話になる。
「そう言えば、薬の元は見つかったのかい?」
ふと、戻ろうとしたときにパパスが親方に尋ねる。親方は「あぁ」と思い抱いたような声を出し、近くに落ちていた道具袋をリュカに拾うようにお願い した。
「この中に、保存しておいた少し特殊な薬草が入っている。…戻る途中に、あの地盤崩れに遭ったんだよ」
まいったと言った表情と力ない声を出して、親方は少しだけ笑ってみせる。
そうして、親方を担いだパパスは、リュカを前にして来た道を戻り始める。地上までの間で何度か魔物にも遭遇したが、リュカが繰り返し唱えるバギの真 空波の前に、生き残るものはいなかった。無事にサンタローズに戻った三人は、まず教会に親方を連れて行く。教会では、村の中などで怪我をした人々の治 療などもしていた。この教会にいるシスターは以前、怪我の治療などもしていた経験があり、村の人々からは重宝がられていた。「どうですか?シスター」
状況と仮診断の結果を報告したリュカは、シスターに親方の怪我の様子を見てもらいこう訊ねた。シスターはリュカに優しそうな顔を見せると、リュカ の頭に手を軽く乗せ左右に撫でた。
「リュカちゃんが心配したほど酷いものではないわ。確かに腫れて痺れているけど、骨にヒビが入っている程度でしょう。…親方さん、走り回ったりは厳 禁ですけど、少し歩くのであれば問題ありませんから。でも、痛みで歩けないかも知れませんね。痛みが引くまで無理はしないでくださいね」
シスターはそう言って、親方の足の甲に薬草をすりつぶしたものを塗り、包帯を巻きつける。片足立ちなら何も支障が無い状態ではあったので、親方は パパスに肩を借りて、工房まで戻っていく。
「いや、パパス殿、リュカちゃん、ありがとう助かったよ。これで、ダンカンさんに薬も作れるしね。おかみさんには、明日には出来るからと伝えてもら えるかな、パパス殿」
「ああ、わかった。親方もあまり無理をしないようにな」
自宅に戻り事の詳細を伝え、ダンカンの妻とビアンカは改めて明日になったら薬師の親方を訪ねようと言うことになり、二人は宿屋に戻った。
「お嬢様、今日は帰って早々、ビアンカちゃんに連れ出されたり、親方の捜索に出たりでお疲れでしょう、夕食までの間、少し休まれますか?」
パパスが二階に行き、食卓のテーブルでボーっとしていたリュカにサンチョが声をかけた。
リュカが知る限りのサンチョは、いつもこうして自分のことを目上的な扱いで接してくれ、大抵の事をしても、怒る事は少ない。リュカが物心つかない頃 はリュカを抱えた上で、父・パパスの従者として戦闘までこなしていたらしいが、今はそう言われても到底想像出来なかった。そんなサンチョを見て、リュ カはクスッと笑ってみせる。「・・・?なにかありましたか?」
「あ、ううん、なんでもないのサンチョさん。…久しぶりに少し、村の中を散歩してきます。お手伝いはしなくても大丈夫ですか?」
リュカはそう言って立ち上がる。サンチョは「お嬢様に手伝っていただくなんてとんでもない」と言いたそうな仕草を見せて、玄関のほうに招いてくれ た。
「少し行って来ますね。外には出ないし、洞窟にも入らないので安心してくださいね」
サンチョの顔に少しだけ陰りが見えたリュカは、先にサンチョの懸念を晴らそうとそう言ってドアの外に出た。後ろからサンチョの「お気をつけて」の 声がかかる。少しだけ、こうしてお嬢様扱いされることがくすぐったく感じるリュカは、通る声で言われて恥ずかしくなった。
リュカがサンタローズに来たのはやっと立ったくらいの頃だったと言われている。リュカ自身は4歳くらいから父について、各国を回ってはいたが今回 ほどの長旅をすることは無く、頻繁にサンタローズに戻ってきていた。そうした中で度々パパスが土産話をしにいくのが、隣町のアルカパだった。そのアル カパでビアンカの父、ダンカンとパパスは時には酒を酌み交わし、話に花を咲かせることが多かった。その間にリュカはビアンカと共に、武闘に冒険に、時 には女の子っぽく花を摘んだり愛でたりと色々なことをしてきていた。
サンタローズの村を歩くと、誰もがリュカに声をかけてくれた。リュカは特別何かが出来ると言う訳ではなかったが、パパスの娘と言う存在は少しだけ特 別なものだった。パパスがサンタローズでも人気のある存在だったのがその理由だった。マスコット的な存在としてのリュカはその誰もを笑顔にすることが 多かった。リュカ自身は小さかった所為もあり、特別どの人がと言ったことを覚えているわけではなかったが、それでも面影や、何をしていた人などと言っ た抽象的な覚え方で覚えている人がたくさんいて、歩いているだけでまだ小さかった自分とのシンクロが簡単に取れる気がしていた。
ぶらぶらと歩き回り陽がくれかけてきた頃、リュカは自宅に戻った。
自宅ではサンチョが無事に長旅から帰ってきたのだからと、豪勢な夕食を用意していた。その夕食の間は、これまでの旅の様子やリュカの成長の様子、旅 した先々での人々のことなどを話した。そして、食後の団欒も終わった頃リュカは眠気に襲われ、一足先にベッドの中に入り込んだ。