2.サンタローズ
途中休みを入れながら、二人はビスタの港から北上を続ける。遠くの高台に立派な教会の塔が見える。リュカはまだ幼い頃にサンタローズを離れてしまっ ていたが、この景色には見覚えがあった。「リュカが戻るのは一年半振りくらい…か。皆もここまで成長したリュカに驚くだろうな」
隣に並んで歩くリュカの頭を軽くたたきながら、パパスは満足そうに呟いた。リュカも戻ってみんなに挨拶をしたいと、いまからわくわくしていた。前 回のことはあまり覚えていないのが正直な話で、パパスが言うには、歩くことは出来たが今ほど自由に話が出来るほどではなかったと言う。その分、昔の自 分の姿と今の自分のことを聞きたくてうずうずしていた。
サンタローズの村の入り口では、一人の戦士が守っていた。パパスが声をかけると、今まで真剣だった戦士の顔に破顔したとも言えるほどの笑みを浮かべ て、パパスを招き入れる。リュカはその様子にペコリと頭を下げて通り過ぎようとしたが、その戦士はパパスに突然大きな声を上げた。「この子があの子な のか!?」と。ニコニコするパパスを見るのも、リュカは久しぶりだった。訊ねられてパパスは「ああ、良く育ったものだろう」と自慢するように、リュカ を珍しく抱き上げて、その戦士に見せ付けるような仕草を見せた。村の中ではみんながみんな、パパスのことを良く知る人たちだった。そして、暫く離れて いた間にあったことなどを次々と話していた。パパスはその一人ひとりに答えるようにして、ゆっくりと家までの道のりを歩いていく。その間も、リュカは パパスに抱き上げられていた。普段はどんなに酷い道でも、リュカ自身に危険が及ばなければ抱き上げることをパパスはしなかった。歩くことで足腰を鍛え て行くという、基礎鍛錬でもあるからと言うのがパパスの教えだった。船上でも話していたことだが、リュカは一人前の旅人として手のかからない自分自身 になりたがっていた。だから、パパスの訓練と言う話もしっかりと聞き入れることが出来ていた。
そんな指導熱心なパパスがこうして抱き上げてくれることは、やはりパパスにとっては自慢の娘であるのだと、リュカはこのときは少し自意識過剰にも なっていた。でも、心の中では「今日くらいは許してくれますよね、父様」と断りを入れているあたり、厳格な指導があって成長していることを良く物語っ ていた。
そして、ようやく二人の自宅のある場所にたどり着く。玄関には小太りだがそれが単なる肥満体と言うわけではなく、動くのにはなんら差し支えのないも のであることがわかる、年齢不詳の男性が立っていた。パパスとリュカの姿を改めてまじまじと見つめて、嬉しそうにその男性は顔をほころばせた。「お帰りなさいませ、旦那様、お嬢様!!」
これ以上に無いほど、嬉しさを爆発させた笑顔を向けて、その男性は二人に声をかける。その声から、どんなに二人の帰りを待ちわびていたかと言うの が良くわかる。
「無事に帰った。留守の間はご苦労だったな」
パパスはそう、その男性の労をねぎらうように言う。
「苦労なんてことはありません。旦那様とお嬢様の帰られるこの家、この村を守るのが私の役目ですから」
こぶしを作って自分の胸を一回たたき、男性はそう言った。リュカはその男性から頼もしい言葉を聞けて、またそれほどまでに自分たちの帰りを待ちわ びてくれていたと言うことに嬉しくなった。
「ただいま、サンチョさん」
リュカは久しぶりに見る、パパスの使用人を務めているその男性−サンチョに声をかけた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。今回の旅はまた、お嬢様にとって勉強になったようですね」
リュカの話しぶりと大きくなったその姿に、サンチョは嬉しそうに言い二人を家の中へと導きいれる。家の中の左にある、二階に上る階段から、誰かが 降りてくるのをパパスは感じたが、サンチョと自分たち以外にこの家にいるものが居るのかと、不思議そうな表情をパパスは作る。
その階上から階段を使い降りてきたのは、リュカの黒髪に対照的な派手過ぎない金髪を、左右二つのお下げにした少女だった。「お帰りなさい、パパスおじ様」
少女にそう言われたが、パパスはそれが誰だかまだわからない。
「…君は、誰だったかな・・・?」
パパスは抱いていたリュカを降ろしながら、金髪の少女に問いかける。だが、その少女は意味深にクスクスと笑っているだけだった。ほんのわずかの時 間が過ぎて、もう一人階上から降りてくる姿をパパスは見つける。
「あたしの子だよ、パパス」
恰幅のいい、とても人付き合いのよさそうな女性が姿を出す。パパスはその声に聞き覚えがあり、そして自分をこうして呼んでくれる、サンタローズ以 外の場所に住む友人を何人か知っている。その中でも特に親しい女性であることにすぐに行き着いた。
「やぁ、ダンカンのおかみさんじゃないか。…と、するとこの子は、ビアンカ?」
パパスは不思議そうな顔をして、その少女−ビアンカを見つめた。リュカもビアンカの名に聞き覚えはあったが、こんなにも清楚っぽいイメージは持っ ていなかった。
「はい、おじ様。私も大きくなりました…けど、リュカがこんなに大きくなっているのには、私も驚きました」
返事をしながら、ビアンカはリュカのほうに歩み寄る。二人が並ぶと、少しだけリュカの方が小さい程度で、身長差はあまりない。身体に至っては、同 世代の子よりも旅慣れして戦闘経験も持っていることから、明らかにリュカの方が引き締まったいい身体をしていた。
「お久しぶりです、ビアンカ姉さま」
「うん、久しぶりだね、リュカ。…でも、もう二年近くなるのに、私のこと覚えててくれたんだ」
リュカはビアンカであることを再確認する意味で挨拶をする。以前は会ったのは、まだ小さく片言の言葉しか話せない幼い頃のリュカだったが、旅に出 る前からビアンカのことは実の姉のように慕っていた。その意味も含めお互い知り合ったときから、リュカは姉のビアンカに対して「姉さま」という言葉を 使っていた。
ビアンカもその呼び方で、そこに居るのが紛れも無くリュカ本人であることが確認できた感じだった。最後に会ったときは、ビアンカの服の裾を持って くっついて来るのがやっとだったリュカが、ここまで大きくしっかり育ったことに、ビアンカ自身も嬉しく感じた。
二人がそうしてお互いを確認しているうちに、お互いの両親は思い出話と土産話に花を咲かせ始めていた。「・・・さて、リュカ。前にした約束、覚えてるかな?」
突然改まってビアンカはリュカに言った。リュカもその言葉に対してニコッと笑うと、一回元気良く頷いた。
「ならば、久々にしようか。組稽古」
ビアンカがそう言って、リュカを連れ出そうとしたが、その二人の前にサンチョが立ちはだかる。
「ビアンカちゃん、その気持ちはわかるけど、お嬢様はまだ帰ったばかりだし、それに二人の組稽古は寸止めなんかしないから、見ているこっちが痛くな る。出来れば控えて欲しいんだけど…」
遠慮がちにサンチョが言うが、ビアンカはともかく、リュカまでが口の端を少し吊り上げてイタズラ好きの子供のような笑みを浮かべている。サンチョ はこうした表情をする二人が、次にどんな行動を起こすかは十分に知らされていた。そして、自分もパパスの従者であり戦闘などの経験があるため、多少の ことでは動じない自信はあった。
後ろで「組稽古」の言葉を聞いたパパスも驚いた顔を見せて、ビアンカとリュカを見る。ちょうど、サンチョが止めに入った頃だった。だが、サンチョが 止めに入りリュカとビアンカが笑顔を返すまで数秒、それから二人が次の行動を取るまでは刹那と言うべき瞬間だった。
その場で軽くビアンカは跳躍し、サンチョと同じくらいの視線の位置まで飛び上がる。そして、寸止めの正拳を繰り出す。今まで下に下がっていた腕を、 ガードのために顔の前面に持って来ようとサンチョが腕を上げた。だが、その腕は右腕しか顔の前には来ていなかった。左腕は上がる途中、リュカによって 掴み止められていた。”トン”と床にビアンカの両足が着いた音がした瞬間サンチョの視界は、突然反転してそれまで見えていた床が天井になる。同時に腰 から床に落ちていく感覚に襲われた。リュカはサンチョの左腕を絡め取ると、そのまま一本背負いに近い投げ技を繰り出していた。床に腰がつく瞬間、リュ カの右足がサンチョの腰を支えるように入ってくる。そうして、サンチョはあっけなく、まだ幼い少女二人に翻弄されて、床に大の字にさせられた。「よし、門番は片付けた!行くよ、リュカ!!」
「はい、ビアンカ姉さま!!」
冗談半分で、リュカとビアンカはねじ伏せたサンチョを見て、リュカは両手を合わせて「ごめんなさい」と言う表情を、ビアンカも舌を出しウインクし て「ごめんね」と言うような表情をして、先ほどまでサンチョが立ち塞いでいたドアを開けると、外に駆け出していった。
リュカとビアンカの組稽古と言うのは、空手のそれに近い形のものでその型は昔からこの世界に浸透している「武闘家」と呼ばれる人たちが主に使う、 いろいろな技の型を持った武術だった。もともとリュカもビアンカも、武闘家としての鍛錬を積んでいたわけでもなければ、その道に進もうと考えていたわ けではなかった。だが、広い世界の中では魔物が武器類を使い、自分たちを襲うことがあるとも言われている。現にサンタローズや、ビアンカの住むアルカ パ近辺には、おおきづちと言う、巨大な木槌を担ぎそれを武器に襲ってくる魔物も居る。おおきづちに関しては大打撃かミスかと言った感じではあったが、 別の場所では状況によっては武器が使えなかったり、奪われたりすることも考えられる。そうしたときに自分の身体を使って敵を叩きのめすことを覚える必 要があると、二人は子供ながらに学んでいた。
そのための簡単な武術…のはずだったのだが、実際小さな子供たちの組み稽古と言うには、レベルの高いものだった。二人は羽織っていたマントを外す と、両手を目線の位置まで挙げて対峙する。
二人の指が緊張で張り詰めた空気の中でピクッと反応する。その瞬間二人は、お互いの左側頭部に対して、右のハイキックを繰り出す。これに一瞬早く反 応したのはリュカのほうだった。半分ほど軌道を描いた右足を無理に下ろすと同時に、わずかなバックステップをして、再び右のハイを繰り出した。
そして、お互いの右足は空中でクロスして競り合う形で止まる。「…いつのまに、そんな高度な技術を?」
飛び出した二人が構えを取って対峙していたのは5分くらい。その間に手の空いたサンタローズの村人が二人の周りに集まっていた。もちろん、その中 にはパパスと投げられていたサンチョ、ビアンカの母も含まれていた。
構えから右のハイキックが出たというのは誰もが認識していたが、リュカの取った行動まで見えた人間は、パパスを除いては、正面でその行動をまざまざ と見せ付けられたビアンカ以外にはいなかった。「いつ、と聞かれると困ります。自然と癖になったものですから。父様との稽古では、その振り出されるものは「足」ではなくて「剣」の場合が多いで す。その場合は足を無理矢理にでも下ろさなくては、それこそ一刀両断されてしまいますから」
にやっと少し笑みを浮かべたリュカは、丁寧にビアンカに説明してみせる。
「なるほど、対戦士用の技術か。そういう点は私は未熟だね。で、ここからどうするの?広がった間合いを再び詰めるのは難しいんだよ?」
ビアンカは上がっている右足の力をグッと入れる。それに呼応してリュカも力を入れる。ビアンカにとってはまだ、攻撃範囲の間合いを保っていたが、 リュカはビアンカに比べてリーチが短く、先ほど開けた一瞬の間合いで攻撃範囲外の間合いにまで広がっていた。
ビアンカのクロスしている右足の力が少しだけ、力が抜ける。ビアンカはここから正拳か、上がっている右足を大きく後ろに回し振り子のようにして繰り 出す、右手のバックブローを準備していた。が、力を抜いたのはビアンカだけではなかった。リュカも同じように少し力を抜く。が、ここでリュカとビアン カに差が生まれる。二択を選択したビアンカは、それを考える時間分ロスしている。リュカはその点馬鹿正直に一択しか用意してなくて、すぐに攻撃に移っ た。
力を抜いた右足を、ハイキックを出した軌道を戻るように戻し、一瞬両足を地面に揃えるような形を取る。が、その右足は勢いを殺すことなくリュカの背 面を回り、初めの右ハイの回し蹴りとは逆に、ビアンカの右側頭部にリュカの右かかとが入っていく。「・・・んなっ!?」
流れる動作と同時に、半ば強引な動きにビアンカは声を上げた。慌てて右足を下ろして両手でガードの形をとる。
暫く、ビアンカは衝撃に耐えるだけの力を蓄えていたが、来るはずの衝撃が来ない。うっすらと目を開けると、リュカの足首をがっちりとつかんでいるパ パスがビアンカの横に立っていた。「まったく・・・武闘もいいが、本気で入れようとするんじゃない。特にリュカ。お前は実戦経験があって、力だって同い年の子供たちに比べて格段に強 いんだ。無茶をするんじゃない」
見るとパパスはリュカの放った重たい一撃をしっかりと左手で掴んで止めていた。
「…それと、あくまで今のは、ビアンカや同年代の話であって、実戦ではまだ、魔物たちには敵わないんだ、まずは基礎から学んでいくことが必要だぞ」
パパスはリュカにそう諭して、掴みあげていた左足を離した。
さすがのリュカも今の一撃が止められるとは思ってなかったようで、しかしパパスはあっけなく止めてしまっていたことに驚きと、まだ自分の力は子供の 中でしか突飛していないことを知らされた。「それはそうとリュカ、洞窟に行く用事が出来たのだが、リュカも一緒についてきなさい。…強くなりたいのならば、な」
パパスは父親ではなく指導者として、リュカに笑ってみせる。
まだまだ戦闘はおろか、人間としても全く足元にさえ及ばない。それをまざまざと知るリュカだった。少し負けず嫌いの気があるのか、パパスの一言に少 しムキになって、付いていくことを申し出る。「私も付いて行っていいですか?」
そう言ったのはビアンカだった。だが、パパスはそれまでリュカに見せていたような笑顔ではなく、真顔でビアンカに言う。
「ビアンカにはまだ早い。危ないから、お母さんと待っていなさい」
パパスに諭されると、ビアンカはプゥッと頬を膨らませてパパスに抗議する。
「リュカは問題なくて、私は問題ありなんですか?おじ様」
「…まぁ、そういうことになるな。いくらリュカと対等とは言っても、まだビアンカは接近戦だけの力しかない。その場合、自分が弱ったときにどうして も分の悪い賭けにでなくては無くなる。…逃げることだ。が、リュカは中・長距離の間合いでも、実戦で対応できる呪文を心得ている」
ここまでパパスが言うと、ビアンカは右手の人差し指を出し、そこに意識を集中する。
「…メラ、ですね。ビアンカ姉さま」
まだ呪文は発動していなかった。だが、指先に集まったのであろう空気の中の少しの燃焼物質を見抜いたのか、リュカはいともあっさりとそれが火炎系 呪文のメラであることを見抜いた。
「これが、今のビアンカとリュカの差だ。呪文を唱えることは出来てもその時間がかかること、そして見抜かれては意味が無い。…娘自慢ではないが、 リュカはその瞬間で呪文は発動できる。私より早くな」
今のパパスも一部の呪文は使えるが基本的に戦士である自身は、ホイミも詠唱用の文言を口の中ですばやく唱え、それからホイミを発動している。文言 の詠唱はほぼ刹那だったが、リュカはその文言なしに、ホイミもバギも唱えられた。攻撃魔力と治癒魔力の底がまだ浅いため、たいした威力は期待できない が、不意に使うものであれば十分すぎるほどに対応できた。
その点、ビアンカは呪文の文言は無くとも、発動までに時間がかかりすぎていた。そして、まだ呪文についても勉強を少し前に始めたリュカに見抜かれて しまっては、実戦では使えない部分が多い。「わかったかい、ビアンカ」
「…はい、おじ様」
ビアンカの頭を撫でながらパパスは、今度はいつもリュカに見せる優しい笑顔で一言言った。ビアンカはまさかリュカに見抜かれるとは思っていなかっ たため、少し自信をなくしかけたがっかりした気分で、パパスの言葉には、頷くしかなかった。