1.「左」の秘密

 ビスタの港に到着したパパスとリュカは、そこから北上して、居を構えている小さいながらも活気のあるサンタローズを目指す。サンタローズまでの道の りは広い平原を半日程歩いた距離だが、それでも今の世は魔物が横行し、一人旅などは危ない事が多かった。
 港を管理する夫婦と話を始めたパパスは、積もる話などもあり長話になってしまっていた。リュカは港の中を自由に見ていて良いと言われていたが、誤っ て港から外へと出てしまった。その時この周辺でも大して手のかからない魔物、スライムの群れが現れたのだった。手がかからないとは言うが、それはあく まで旅慣れした大人の話であり、これまでパパスと旅をしてきたとは言え装備もまともに揃っていない今のリュカに、三匹が束になっているスライムはまだ まだ危険な存在だった。

(しまった、少しくらいなら大丈夫だと思っていたけど…)

 リュカは心の中で、自分が迂闊に飛び出してしまった事に後悔をしていた。戦うか、逃げ出すか、選択は二つに一つ。だが、逃げ出したとしても確実に 逃走できる保証はない。「遭遇してしまったんだから仕方ない」と言った表情を浮かべて、リュカは三匹のスライムに対し臨戦態勢をとる。
 体力の少ないリュカにとって、スライムとは言え一撃は重たく容赦なく体力を奪っていく。反撃もしていたが、それでもスライムが自分に与えるのと同じ 程度の体力しか奪う事は出来ていない。持久戦になれば、明らかにリュカが不利である事は戦い慣れしていないリュカでも容易に想像は出来た。逃げ出して も、今の自分とスライムでは足の速さは同等かスライムに分がある。

「逃げても、回り込まれればそれまで…」

 リュカはポツリと呟く。リュカの攻撃でスライムも少しずつではあるが手数が減り、また攻撃もリュカに当たらなかったり仮に当たってもダメージを受 ける事は少なくなりつつあった。リュカは手にしている檜の棒をギュッと握り締めて、スライムに飛びかかろうとした。だが、その隙を計ったのかまたは偶 然か、スライムはリュカのわずかな隙に飛び込みリュカにとっては痛恨の一撃とも取れるほどの攻撃を仕掛けてきた。「しまった!!」リュカは声にしない で頭の中で叫んでいた。ここで通常より強い一撃を食らっては、自分が倒れる確率が高い。しかし、いまから回避行動を取るのも難しい。
 そんな状態でリュカがわずかに硬直したとき、目の前に見覚えるある鈍く光る剣が現れ、直前にまで迫っていたスライムの一匹を真っ二つに切って捨て た。

「・・・!!」

「大丈夫か、リュカ!?」

 一人苦戦していたリュカの隣には、その使い込まれた剣を構え残ったスライムの出方を伺いながらも次の一手を確実に仕留めんとする、鋭い目つきで睨 みつけているパパスの姿があった。

「まだ一人で外を出歩くのは早い。気絶する前でよかった・・・」

 パパスはそれだけ言うと、残っていた二匹のスライムの一匹を剣を振り下ろして斬って捨て、そのまま返す剣で最後のスライムも刻み取っていた。

「父様・・・」

 ホッとしたリュカはフラッと気を失いそうになる。それを慌ててパパスの逞しい腕が包み込み、リュカは倒れずにとどまることが出来た。パパスは空い た左手をリュカの額にかざすと、口の中で何かを呟いた。

「…ホイミ」

 わずかだが傷ついていたリュカの身体の傷が癒える。同時に、突然の出来事に慌て刻々と変わる状況を判断しようとして消耗したリュカの気力も回復す る。中途半端に気の張っていたリュカは、パパスの治癒呪文で戦いを始める前の状態に戻る。同時に、パパスが安心したような笑顔を向けてくれている事に 気付くと、リュカは慌ててその場に直立してパパスに頭を下げた。

「父様、ごめんなさい。一人で出てきてしまって」

 自分のした事を素直に認める。それはパパスと共に旅をする間、しっかりと躾けられた事の一つだった。パパスは小さなリュカの頭を撫でて、頷き返し てくれる。

「うん、気絶して倒れる前でよかった。だが、いくら他の子供たちより戦闘経験があるとは言え、平原に出る魔物はまだ、今のリュカの手に簡単に負える ものではない、装備も完全ではないしな。少しずつ経験を積んで、慣れていくようにするんだぞ」

 怒られると思っていたリュカだったが、パパスはそう言って先に待つ旅の中でどうして行くべきなのかをキチンと教えてくれていた。

「はい、父様」

 リュカはパパスの言葉に元気良く答えた。調子良いと自分でも感じたが、しかしパパスはそんな元気なリュカを見て、頼もしそうに笑って見せた。
 ビスタの港から歩き始めて暫くは特に魔物も出ずに、仮に出てきても時々のリュカの攻撃と、パパスの桁違いの攻撃に、この辺りに居る魔物たちはあっけ なく倒されていく。そんな中、リュカは時々「ふぅっ」と落胆しているような溜息をついていた。初めのうちはパパスと自分との戦闘経験の差を見て落胆し ているのかと、パパスは思っていた。これまでの旅の中でも、リュカはパパスに追いつき剣はもちろん、体術そして呪文に長けたマルチプレイヤーとして父 を助けたいと考えていたりしていた。だが、まだ子供のリュカはその差の大きさに良く溜息をついて、そんな時はリュカ自身が出せる精一杯の力で魔物たち に向かっていた。だが、どうも今のリュカの溜息は戦闘や技術量の差を見て溜息をついていると言うわけではなさそうだった。

「…どうかしたのか?」

 溜息のタイミングなどがまちまちで、一概には「力と技量の差」に溜息をついている様には見えないリュカに、パパスは訊ねる。

「…あの、父様」

 少し遠慮がちに、リュカはしかし訊かれる事を待っていたとばかりに話し始める。船中で女の子に見られなかったことは、実を言うとリュカは少し慣れ ていた。どこの街や教会などでも、大抵リュカは男の子と間違えられていたからだった。自分は女なのにどうしても間違えられる、仕草などを女の子っぽく しても良く間違えられる、そう言った事をここぞとばかりに父に話す。

「そうか。確かに外見は男の子のようにも見えるが…リュカ、一つ質問するぞ」

 リュカが頬を膨らませながら訴えた後、パパスは少し神妙な顔つきになった。そこまで思いつめていたわけでもなかったリュカは、パパスの真剣そうな 顔つきに少し戸惑う。

「仮に、自分が女ではなく、男だったとしたらどうする?」

 冗談などは滅多に言わない父が、真剣な顔をして、だが到底ありえないことをリュカに訊いた。「なんの冗談を…」と言おうとしたが、真剣な顔のパパ スにリュカは不快感を感じていたが、そこまで真剣に話すつもりのない話題を、真剣に考える事になった。

「わたしが男であるはずはありません。身体的特徴にしたって…その、男とは違っています。例え仮の話でも、そのようなことは無いと思っています」

 リュカは少し怖い気持ちになったが、自分の主張はしっかり伝えることをその場ではしていた。パパスはそんなリュカの顔を見て、どことなく切ない表 情を浮かべた。

「リュカ、未来に何が起こるかはわからない。だが、自分の身に起こることはキチンと受け入れるんだぞ。それが、リュカが生きているという証拠なのだ から」

 突拍子もないこと、だった。未来の話をされ、だがその未来は少し否定されていた。
 ふと、リュカは自分の左手を見る。
 物心ついたときから身につけている、父からは「お守り」と教えられたバロッキーと呼ばれるアクセサリー。必要以上にそのバロッキーは外すなと父から はきつく言われているため、リュカ自身がこのバロッキーをはずすことは少ない。
 だが、時々バロッキーを外すと、その下、左手の甲には、刺青とも違う紋章がある。中は漆黒とも言える色で書かれ、血の様な毒々しい赤い縁取りがされ ていた。これが何であるかは、父からは一切教えられていない。だが、リュカ自身に関わる「何か」であることだけは、渋々ながら父は認めていた。それ以 上は、どんなに追求しても教えられることはない。

「左側が、呪文などを生み出すに当たり、重要だということは知っているか?」

 リュカの仕草にパパスは気付いたのか、突然こんな質問をされた。

「人間にとっての要は三つ。全てを司る脳、身体を支える”要”である腰、そして、その生命の脈動を司る心臓、です。心臓は例外を除いてほぼ全ての人 間の左胸にあります。その左胸、左肩から伸びる左腕は、自分の精神の具現や生命を現すとまで言われる重要な部位。その事から、左側と言うのは、特に精 神の具現である呪文などに於いては発動するのにもっとも重要視される場所」

 リュカは物心がつき、呪文の勉強などもしてきた。その中で学んだことを淡々とパパスに言う。
 これらのことは、普段何気に呪文を駆使する魔法使いであっても滅多に意識することのないことだった。仮にこれらの知識を知る者がいれば、それは賢者 や仙人などと呼ばれる特に知識を持つ者たちが多いのは間違いない。だが、リュカはそのあたりのことは独学の範囲内で可能な限り覚えるようにしていた。 今話したのは、そうした勉強の中から学んだことであった。
 だが、そもそもこのようなことは呪文を使う上では特別必要とする知識ではなかった。リュカはすでに回復呪文である「ホイミ」と、真空系呪文「バギ」 を習得していた。リュカはこれらの呪文を、並みの子供としては異常なほど早く習得していると言えた。そして、それが『何か』の理由で自分の中にある呪 文を使う能力が高いことを証明していた。リュカは他の子供と自分を比べたことは無かったが、それでも旅をしているためその適応力が高いものだと初めは 思っていたが、次第にそれが別に原因のあることだと感じるようになってきていた。
 言い終えたリュカは再び、左の手の甲を覆うバロッキーを見つめ直した。

「今のお前に話しても、受け入れがたいものだろう。それに、私が説明してもお前は理解しきれないとも思う。だから、それを知るのはまだ先だ。…リュ カのその左の手には悪と聖とが宿っている」

 やはり突拍子のないことを言われ、リュカは納得しようとしてもなかなかそこまでの思考が追いついては行かなかった。

「悪がそこから目覚めることはない。聖なる『モノ』が守っているから。が、リュカ自身が不幸に苛まされるとしたら、きっとその悪が悪さをしたもので 間違いはない」

 どこか空虚とも言える、説得力もなければ納得することも出来ない、掴みどころのない話をパパスはしていた。こんな話をするパパスをリュカは見たこ とがない。リュカはパパスに、自分に、過去何かがあったに違いないと言うことだけは理解することが出来た。それは、マーサ、リュカの母の誘拐とは別の 理由で起こった事件なんだということも。

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