3.動き出した全ての歯車
玉座の置かれた広い部屋。どこかの城の謁見の間。
右往左往する自分は、どうしても落ち着く事が出来なかった。「落ち着かないのもわかりますが、一度、玉座につかれて、一息お入れになってはいかがでしょうか?」
謁見の間に居合わせる全ての人間が、その言葉に頷く。言われて自分がうろうろとしていた事を再認識し、座る事で落ち着きを取り戻そうとする。しか し、座っているその時間さえ、普段の数倍の遅い時間の流れで過ぎているような気がしてならない。そして再び立ち上がると、先ほどと同じように、玉座の 前、謁見の間を所狭しとうろうろし始める。
どのくらいの時間が経ったかはわからない。ほんの数分にも、数時間にも感じられる。
そして、待ち望んでいた声が、階上から慌てて降りてきた者からかけられる。「お生まれになりました!!」
その声を聞き、慌てて階上に続く階段を駆け上がる。その一室では、妻がベッドに横になり、そしてその横で泣きもせずにすやすやと寝息を立てる赤子 を見つめていた。
「・・・よく、頑張ったな」
妻に声をかける。
「ええ、あなた。この子も先ほどまでは、元気な泣き声を上げていたんですよ」
その言葉を聞き、ただただ頷くだけしか出来なくなった。
「この子に・・・良い名前をつけてあげたいのですが・・・」
妻の言葉に「うむ」と短く返答すると、しばし腕を組み考える。だが、あまりネーミングセンスと言うものは持ち合わせていない。あまり良い名前が浮 かばず、どうしてもただ強い名前ばかりを求めてしまう。
「…お前はなにか、良い名は考えていないのか?」
あまりに可愛げな赤子の姿と、それには似合わない名前が浮かんでしまい、どうにもならずに妻に助けを求める。
「あら、あなたでしたら、良い名をつけて頂けると思ってましたのに」
「私はあまり、この子に相応しい名と言うのが思い浮かばないのでな」
困ったように目を泳がせながら、妻の言葉にそう答える。
こう見る限り、母子ともに健康そうで、数日もすれば、妻は動き出せるであろうと感じられた。そんな妻は、求められた問いかけにしばし考え込む。「・・・でしたら、『リュカ』と言うのはどうでしょう?」
妻から出た言葉に少し意外そうな顔をしてしまう。
「リュカ…か。確か、ある世界の昔話で、女性であり、新たな命を育む中で、伝説の勇者を育て上げ、同時にその勇者と共に、はびこる邪悪を退けたと言 われる、別名「聖母」とも呼ばれたと言う方の名だな」
「ええ。この子には如何なる試練にも耐え、あなたの様な立派な王になってもらいたいですからね。いまから試練などと言う事を口にするのは、良くない ことかも知れませんが」
妻の少し自重する言葉に、少し不安がよぎるが、その昔話のようになろうとも、幾多の困難を乗り越えて欲しいと願わずにはいられなかった。
「お前がそう言うのならば、その名が良かろう」
笑顔を妻に返し、眠っている子を起こさないように抱き上げる。
「よし、お前の名はリュカだ。元気な子に育つのだぞ」
高く掲げ、陽の光に当てるかのように窓の外から差し込む陽光に触れさせる。しかし、眩しかったのか、ピクッと小さく身体を震わせたリュカは、ぐず り始め、泣き出してしまう。
「おぅ、すまんすまん、眩しかったか?」
リュカを手元に持ってきて、あやしてやるように身体を軽く左右に揺らす。
「まぁ、あなたったら・・・・・・ごほっ、ごほっ」
リュカをあやす姿を見た妻だが、少し体調が優れないのか、咳き込み始める。
「大丈夫か?」
リュカをベッドに寝かせ、妻の様子を見る。「大丈夫ですよ」と語りかけるような目をして、妻はこちらを見返した。
それから数日後、城ではリュカのお披露目をする事になり、城内は数多くの人に溢れた。そして、新たに誕生した後継者の誕生祝いにと、無礼講として 駆けつけた皆に祝い酒を振舞った。
だが、その異変は日が暮れたときに起きた。
気がついたとき、その場にいた全員が眠っていた。自分もいつの間に眠ってしまったのかわからないほどであったが、それほど酒を飲んだというわけでも なかった。それと、ここに集まったのは全てが大人と言うわけではない。酒を飲めぬ子供らもいるが、それら全ての人間が一様にして「眠って」いた。全員 が全員、と言う事態が明らかにおかしい事を物語る。妻とリュカは別室で休んでいるが、二人がどうなったかわからない。慌てて起きて、二人の居る部屋に 駆けつける。ドアを開けようとしたとき、中からは明らかに人間の物ではない邪気が感じられた。
二人が狙われている。
それを理解するまでに、そう時間はかからなかった。念のためにと持ってきた剣に手をかけ、ドアを開け放つ。二人もまた眠っているらしく、リュカは ベッドに、妻はそのリュカを抱きかかえんとするように手を伸ばす形で眠っていた。そして、その二人を見下ろす影。「ほぅ…薬に耐えて、起きられる人が居ましたか。…いえ、あなたならばきっと、私の気を嗅ぎ付けて起き出すのでしょうねぇ、パパス王」
その影は人間のものよりは一回り大きく感じられた。だが、発せられた言葉は意外と丁寧であったが、それが慇懃無礼極まりない口調である事は、全て を聞かなくてもわかる。
「何者だ、貴様・・・」
「…名乗るほどの者ではありませんよ。ただ…この子供は少し危ないですねぇ。本当はあなたの妻に用事があり、ここへ来たのですが…。面白いものを見 つけたので、こちらも一つ、贈り物をして差し上げましょう。この子の誕生記念に、ね」
影はそう言うと、リュカに手を伸ばした。そして、その掌から禍々しい、黒紫の光が発せられる。その光はリュカを包み込むと、少しずつリュカの全身 に染み渡るように、吸収されていく。
「リュカ!!」
「ほっほっほっ…、大丈夫ですよ、傷つけたりはしませんから。ですが、目覚めて困るものは封じさせていただきますよ」
その影はそう言って、光が完全にリュカに染み込むのを確認すると、満足そうにこちらを見る。中性的な顔立ち、異様なまでの白い肌、全身には赤茶色 のローブを身に纏い、頭にはフードをかぶっている。不気味に自分を見て、影は口元をゆがませる。
「…リュカに何をした!?」
その問いかけに答えようとする仕草も無く、黙々と自分の仕事を片付けようとする影。その影はリュカを見て再び満足そうに笑うと、妻の身体を軽々と 抱え上げる。腰の辺りを抱え、妻の力の抜けている身体はくの字に曲がっている。
「妻を、マーサをどうするつもりだ!!」
口は動くのだが、剣の柄を握った手は、踏み込もうと力をこめた足は、影を止めようとしている身体は、しかし全く意に反して動くことはなかった。そ れが恐怖や怯えなどによるものでないことはわかっている。となれは、答えは一つ。目の前の影が身体の動きを封じているとしか考えられなかった。
「…マーサはこちら側に頂いていきます。それと、リュカと言うのですか、この子供は。子供にもある種の呪いをかけさせていただきましたよ。見た目に は大して変化はありませんが…まぁ、後はゆっくりと眺めてあげてください。…能力を封じるには、本来の姿を奪えば良いそうですから、人間の場合。可愛 い子供は、さらに可愛くして差し上げましたよ」
影はそう言う。動けない自分に対して、絶対優位を確保しているが故に、慌てる様子などかけらも無い。
「マーサを離せ!!そして、リュカの呪いを解いてもらおう!!」
「・・・聞けぬ話ですね、どちらも。しかし、この子供の身体に秘められた能力と言うのはわかりませんね。それとも、あなた方一族に何か関係があるで しょうかね、パパス王」
窓から飛び降りる仕草を見せ、しかしそこで立ち止まって振り返り、話を続けてくる。
「マーサが何かしらの能力を秘めているのは認めよう、そして、貴様がマーサを欲するのもその能力があっての事だろう。…だが、リュカには関係ない事 だ。マーサの能力を継いだとしても…だったら、マーサと共に連れて行くだろうからな」
悔しいが、今はただ動かすことのできる頭と口だけで、なんとか時間を稼ぐ。誰かが気付き、ここに駆けつけてくれれば。淡い願いを抱いて、影と話を 続ける。
「素晴らしい推理力です。ええ、この子供がマーサと同じ能力を持っているならば、二人連れて行きますよ、その方があの方にとっても良いですからね。 ですが、マーサとは違う能力。そして、危険としか感じられない能力…いえ、この子供の存在自体が危険です。だから、リュカと言う子供は存在しても、産 まれたものではない姿になっていただいたのですよ」
リュカが直接見えるわけではない。だが、何かをされているのは間違いないだろう。殺されていないだけでも良いものではあるが、だからと言って、手 放しに喜べるものではない。
「…ええ、そうですよ。しかし殺してしまっては、あなたの苦しみがきっと薄れるでしょう。それをバネにされても困りますからね。自分がいかに無力か と言うのを実感していただくと同時に、この子供自身にも苦しみぬいて頂かなければ。そうする事で、マーサはより役に立ち、あの方へもまた、よい捧げ物 になるのですから」
こちらの考えを見透かすようにして、影は言った。そして、人差し指を上に向ける。小さな光の玉がその指先に出来る。自分のほうにその指を振り出す と、その光の玉は一直線に自分に向かって飛んできた。
腹部にのめり込むようにその光の玉はぶつかってきた。短いうめき声を上げ、倒れこんでしまう。それを見て、影は満足そうに笑う。「ほっほっほっ、明日までゆっくり寝ていなさい。妻と子供に起きた事を明日の朝確認して、絶望するが良いでしょう」
そう言い残すと、窓から外へと飛び出した。その瞬間、自分は気を失った。
翌日、目が覚めたとき、見た事の無い女性が自分と隣に眠るリュカを見つめていた。まだ成年していないような顔立ちと、幾分ボリュームのある髪を後 ろで一つにまとめ、その髪を隠すかのように布で頭を巻いている。何より目を引くのが「二本の剣」をその背に身につけていることだった。剣に盾と言うの がスタンダードだと思っていただけに、盾を持たずに剣を二本装備するのは、聞いた事はおろか、見た事も無い。
「気付かれましたか、パパス王。…突然の不法侵入はお許しいただきたい。…あたしの古い親友の血が脅かされている事に気付き、どうしても駆けつけね ばならないと思って来たのですが…少し、遅かったようですね」
少し残念そうに、その「少女」と「女性」の中間に居る容姿の彼女は呟く。その言葉には悔しさも聞いて取る事が出来た。
身体を動かそうとするが、全身が強い筋肉痛に襲われていて思うように動かない。「…昨晩、あなたが対峙した影は、持っている邪気の全てをあなた方夫婦、親子に向けました。パパス王の身体の動きを封じていたのも、強力な邪気によ るもの。…この王家、あなたとこの子の血が聖なるものであるが故、邪気による行動の制限は、より強大に働きます。今、肉体に跳ね返ってきているその威 力は大きいでしょう。無理をして動かれないほうが良いかと・・・」
彼女は丁寧に言葉を選び、そう語りかけてきた。…話している口調から、自分の血筋などを知っているようだが、あいにく、自分は彼女を見るのは初め てだった。
「あたしの名前はティラリークス。ティラルと呼んで下さい。素性の全てを明かす事は出来ませんが・・・」
その名前には聞き覚えがある。確か、この城の古書室で歴代の王たちの書物を読んでいたときに出てきたような気がする。
「・・・待て、ティラルと言ったか?!」
自分の問いかけに、彼女は静かに頷く。少し慌てている自分の姿を見て、彼女は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
「・・・私の一族の始祖の『右腕』と呼ばれていた方に確か、ティラルと呼ばれる方が居たはずだが・・・」
「…ええ、そのようですね」
短く返答をした。馬鹿にしているわけではなく、状況を楽しんでいる、そんな風に取れる口元の笑みは消えない。彼女が一人の「女性」に見えないのは 顔立ちもそうだが、口元に浮かべた笑みなどが無邪気でまだ、子供のような影を見て取れるからだった。そのため、次の彼女の言葉を聞いても、どうしても 信じる事は出来なかった。
「・・・と、言うより、この地にあなた方の一族が落ち着いたとき、この国の建国に携わり、後の国の基礎をその始祖−あたしの親友と共に築き上げたと いう「ティラル」と言うのは、あたし自身です」
いとも簡単に、さらっとそう言ってのける。だが、すでにこの国が建国数百年と言う歴史を築いているというのに、その始祖と共に国の基礎を作ったな どと、誰が信じられようか。なにより、目の前に居るのは、どう贔屓目に見ても17、8歳にしか見えない女性だ。そんな彼女が数百年を生き抜いているな ど、到底信じられるはずもない。だが、そう困惑している自分の様子を当然と見ておきながら、しかし気にかける様子も無く、彼女は言葉を続けた。
「始祖の代から、ずっとこの国を見守ってきていたのですが、肝心なとき…この事件が起きたときに限って、あたしはあなた方を守る事が出来なかった。 申し訳…ありません」
自分の過ちであったと言い、素直に頭を下げる彼女。昨日の事でさえまだ整理も出来ていないのに、突然こんな事を言われて、納得しろと言うほうが無 理だが、彼女はその辺りのことは一切無視して、今の話を続けていく。
「昨日、マーサ様を連れ去ったヤツは、今まで姿を消していた、あたしが追っていた敵だったのですが…どこから現れ、どこに消えたのか、わからないん です。そして、今ヤツとマーサ様がどこへ行ったのか、見つける事が出来ません」
悔しそうに奥歯をかみ締めながら、彼女は呟いた。その言葉は追っていた影を取り逃がし場所がつかめないことよりも、マーサをさらわれ、追う事が出 来ない、居場所がつかめない、その事に悔しい気持ちを持つとしか思えないような口ぶりだった。
「・・・マーサの事は、今はいい。何かのために連れ去られたようだから、すぐに殺される事は無いだろう。時間をかければ、見つけ出すことが出来ると 思う。それより…」
「リュカ、ですね」
自分の言葉に、彼女は少しホッとしたような、安堵の表情を浮かべた。そして、自分が何を心配し、気になっているかも見透かしたような言葉を続け る。
「影が言っていたと思いますが、この子には強い呪いがかけられています。それも、俗に邪悪と呼ばれる者たちが得意とする、怨念や邪念、憎悪と言っ た、黒く禍々しい能力、ただひたすらに邪悪の者達が喜び、欲する能力を使ったものです。神や天使、妖精と言った聖なる力を司る者にとってはこれ以上に 無い、邪悪の力を結集した呪い・・・」
彼女は影の事も、そしてあの影がどのような存在かも知っているような口ぶりで話を続ける。そして、昨日リュカにかけたと言う呪いについても、丁寧 な言葉を使い、しかし聞いた事も無いような単語を並べ、話を続けた。
「この子の左手の甲には、ヤツらが『封霊紋(ふうりょうもん)』と呼ぶ呪詛の紋を、そして、能力を発揮するために、その気が流れる要の一つであると 言う両耳には、魔石の中でも最もその色が濃いといわれる『黒霊石(こくりょうせき)』で出来たピアスを付けられています。無理に外せばこの子の命は絶 たれてしまうでしょう。ピアスとは言っても、付け外しの出来るものとは違っていますし、おそらくこの黒霊石にはすでに、この子の血が流れています。ヤ ツらにとってはむやみに外すことでこの子の命が失われることもまた、喜ばしい結果には違いないのでしょうけど」
身体が自由に動かない自分に見えるよう、リュカの小さな身体を優しく抱き上げ、彼女はその左手に刻まれた、刺青とも違う決して落とせぬような紋章 と、小さな耳たぶに痛々しく刻まれた、全ての光を吸収しそうな漆黒の石のピアスを見せてくれた。
「この子には、この国に継がれた血が眠っています。そして、あの影はそれを見抜きました。その血を目覚めさせないために、このような呪いを使って、 封じ込めたのです。封霊紋、黒霊石。どちらも身体などに物理的に働くものではなく、霊的…呪文などを使うときに必要な霊力や聖力、場合によっては魔力 と言った目に見えないもの、そして先天的に身についた能力を、文字通り霊のレベルの力で封じるためのもの。この子自身の深い部分に眠る能力は、呪いに よって発揮できないと思われます」
「…リュカに継がれた血?それはこの国に関係のあるものなのか?」
自分の戸惑いの様子を見て、彼女は困ったような表情を見せたが、もう一度自分の目を正面から見据え、静かに頷いた。
「この国に関係のある事、ですが、正確にはその始祖が眠らせた血です。『ドラグレイエム』と名づけた一族に継がれた血です」
ドラグレイエム、それはこの国の一族のセカンドネームとして、しかし決して外すことは許されない名前。自分にもこのドラグレイエムの名は付けられ ている。
「始祖の血が眠る…?なにか使命でも背負っているのか?」
自分の声が震える。生まれながらにそのような使命を掴まされていて尚、邪悪に邪魔をされるなど、許されるものではない。
彼女も同じ考えなのか、終始悔しそうな、そして自分に向ける瞳は申し訳ないと言う様な複雑な表情で話を続ける。「…使命、と言えばそうなのでしょう。しかし、この子一人では成しえる事の出来ない使命です。始祖はそれに気付いていたのか、この子にその使命の全 てを「遺伝」させては居ないようです」
「全て、ではない・・・?」
話が複雑になっていくにつれ、理解の範疇を超える。リュカが継いだ使命と言うのはそんなにも数多くのものなのか。戸惑いと迷い、同時に今ある、理 解の許容数を超える言葉の数々。彼女はどう説明したものかと、視線を軽く、天井に巡らせて、困ったような表情で自分を見返した。
「…この子の使命は二つ。血を残す事、そして残した血を導く事」
「血を残す?導く…?」
単純な言葉を、彼女はあえて選んだのだろう。だが、事の事情を理解していない自分には、どんなに簡素でも、逆に複雑でも、理解は出来ないような事 態であるように感じた。
「…この国の始祖は、あたしと共に『この時空』に来ました。そして、あたしは始祖を導き、始祖はその仕事をしました。この子はちょうど、その時のあ たしと同じような使命を帯びています。そして、おそらく更に濃い血が数代後、または仲間として現れるのではないかと思います。…ただ、あたしにも、未 来を読む能力はありません。時が過ぎ、この子がたどる未来で何かがあるということだけ、それしか言えません」
時空、そんな言葉を普通耳にする事は無い。だが彼女は簡単に言ってのける。しかし、今大事なのは、その時空と言う言葉より、リュカに課せられた使 命のほう。
「…私に出来る事はあるのか!?」
「…この子の呪いの本質は、ご自分で確認してください。まず、あたしが出来る事、それはこの子の呪いを少しだけ無効化して、年を負うごとに染み込む 呪いを食い止める事。…左手の甲の封霊紋に対して、このバロッキーと呼ばれるアクセサリーを付けてあげてください。これは、あたしの能力を使い、邪悪 なる気を押し留める働きをします。封霊紋が及ぼす能力を留められます。これがあれば『導く』使命は達成できます。呪いが元で死に至る事もないし、使命 を邪魔する事もなくなるはずです。もう一つの『血を残す』使命は…このバロッキーだけでは、解決できないようです。正直、予想外でした。時間をかけ、 あたしがなんとかします。少し、時間をください」
そう言い、小さな宝石箱のようなものの中に収められた、バロッキーと呼ばれるアクセサリーを見せてくれた。
「本来、バロッキーと言うのは、指輪と腕輪を一つにした物なのだそうです。が、これはそれにあたしの能力を宝玉の中に埋め込み、甲の封霊紋に対して 聖なる能力が発動するよう、そして、この子がその封霊紋を隠せるように細工しました。一度付ければ、その子の成長と共に、このバロッキーも成長してい きます。取っても構いませんが、基本的には付けているようにしてください。…もし、マーサ様のことを託したりする気なのでしたら、特に」
彼女はまだあどけないとも取れる目で、真剣に自分を見つめ、力の篭った言葉でそう言い残す。いま、頼れるのは彼女しか居ない。言われなくとも、そ のバロッキーはリュカに身につけさせるつもりだった。
「…話が遠回りになるのはあたしの悪い癖だな…。失礼しました、パパス王。さて、本題のあなたがこの子に出来る事ですが…」
そこまで言って、彼女は口を閉ざす。自分の何かを確認しようとしている様子だった。不思議な瞳を向け、自分の瞳の奥を覗き込んでいるようだった。
「…マーサ様を放っておく事はしないですね、やっぱり」
「当然だ。私一人ででも探し出して見せる」
彼女が言った言葉は確認の意味があったように取れた。間髪おかずに自分は彼女の言う事を肯定した。
「…一人で、などと言わないでください。可愛い我が子を血縁者であれど、実の親以外に任せるような事をあなたはしないはず、そしてしないでくださ い」
彼女は、今まで幼いとしか感じられない表情で語りかけていたその顔を、突然、見る者誰もが安心する聖母のような優しい笑顔に変え、自分に言う。
「あなたが旅に出るのでしたら、この子も一緒に連れて行ってあげてください。あなた自身が経験する『旅』を、この子にも経験させてください。そし て、何事にも負けない、強い子に育ててあげてください」
彼女は自分にそう言った。自分より年下としか見えない彼女は、妙に説得力のある声で、言葉で、自分とリュカがどうして行くべきかを指し示してくれ ているようだった。
「母が行方不明になり、父までもが一緒に居ない不幸を背負わせるのは、リュカにとっては過酷過ぎる現実だな。…私一人で出来るものでもないだろう し、私の一生だけで妻を捜せる保障はない。…が、希望は捨てずに前に進む事を教え込みたいものだ」
自分は彼女の言った事に対して、今出来る事、これから出来る事を確かめるように言う。それでも、彼女が知っている範囲のわずかな部分でしかないの は、わかりきっていた。彼女が手を差し伸べてくれなければ、一人で突っ走ってしまった可能性は否めなかった。
「…君は一体・・・?ティラルとは・・・」
言葉を続けようとして、だがそれが理解の範囲を超えてしまい、二の句を継ぐことが出来なくなる。そんな自分に彼女は先ほどの聖母のような笑みを返 して見せた。
「あたしは…ドラグレイエムの血を、自分の意思で見守る者。始祖には特に願われたものではありませんが、それでもその始祖が出来なかった事を、成し える者が現れるまで、現れたらその者を導き、場合によっては助力をする者。…別の時空では、精霊などと言う、あたしにはもったいない呼ばれ方をしてい た者です。まだまだ、精霊と呼ばれるには甘い存在ではありますけど…あなたとこの子、そしてこの子から別れた血が目覚めたときに、あたしは全力でドラ グレイエムの血を支えます」
悔しさ、甘さ、未熟さ、そして希望と成すべき使命。彼女はそれらを持ってここに来て、この先も見守ってくれると言う。
「…本当に、始祖の右腕と呼ばれる、あのティラル…なのか?」
何を言って良いのかわからない。疑問が口をついて零れだす。
「…ええ、ですけど、そんなに凄い存在でもありません。現にこうして、後手を踏んでしまうような未熟な存在ですから。でも、追いかける事は出来ま す。あたしは追いかける事を諦めるつもりはありません」
彼女はそう言うと、一度目を伏せる。そして、再び目を開ける。その瞳には強い意志が読み取れた。
「では、あたしはあたしの仕事をしに、行きます。またいつかお会いしましょう、パプスエリケア・ドラグレイエム・グランバニア陛下」
真剣な顔を見せた彼女は、丁寧な一礼とともに、自分のフルネームを呼んでみせる。初対面でこちらは名乗った覚えもないのに、彼女はそれを知ってい た。
ドラグレイエム・グランバニア。この地に歴代産まれた一族が名乗る、始祖から受け継ぎし名前。国と同じ、治める一族の名と、彼女がそれよりも大切だ と言いたそうだったセカンドネームの存在。まだこのとき、リュカ達にかかって来る運命と使命は、何一つとして明らかにされていなかった。
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