2.使命の子

 大海原を駆けるように航走(はし)る一隻の船。定期船ほど大規模、大人数を乗せるほどのものではないが、その船は個人で所有するには大きいと思われ るほどの規模だった。その船室の一つで、一人の男が古びた日記帳を眺めていた。比較的軽微な装備をしているが、その装備に対して、十分すぎるであろう 体躯は、一介の戦士と呼ぶにはあまりに出来すぎた、しっかりとした体躯をしている。
 二の腕を取り巻く筋肉にも無駄は無く、隆々としていながら、嫌々しさも無く見るものを引き付けるようながっしりとしたもので、同じように筋肉のつい た胸板も、そこらの剣士など到底かなわぬほどに鍛え抜かれたものであった。それらの全身の筋肉には、古傷が刻まれていて、それがまた、この男が並みの 戦士ではでは無い事を物語る。鎧もそうだが、使い込みそして、自身の手にしっくり来ているであろう、その剣も、飾りなどの無い簡素なものだったが、見 かける剣のどれよりも、この戦士にあったものだと思われる。
 ふと、その男は目を細めて同室内にあるベッドに目をやる。昼寝の程度なのか、マントなどの装備はそのままに、ベッドに横になっている小さな身体。少 しうなり声を上げて、小さく寝返りを打つ。ちらりと見えたその子の耳には、全ての光を飲み込むような漆黒の石のピアスがついている。彼はそのピアスを 見ると、不快そうな顔をする。そして、再び日記帳に目を戻した。
 順調に航走る船の速度が少し変わったように感じ、上のデッキでは船員が慌しく動き回っている足音がした。その音に反応したのか、またはわずかに傾い た船体が気になったのか、ベッドで寝ていた子が目を開き、起き上がる。

「…起きたか、リュカ」

 きょろきょろと見回すリュカと呼ばれた子は、声の方を向き、にこやかに笑ってみせる。

「おはようございます、父様」

 ベッドから降り、丁寧に挨拶をする。そんな我が子を見て、しかしどこか陰のある複雑な笑顔を男は返して見せた。リュカはなぜそんな複雑な顔をする のかまでは気付くことなく、父の様子を見て、無邪気に笑う。
 だが、その笑顔がすぐに引く。機嫌が悪いというわけではないようだが、なにか釈然としないものがあるように、父には見えた。どうした、と問いかけよ うとしたとき、リュカはその父に話しかける。

「こんな事を訊くのは変な事かも知れませんが…父様は本当はどこかの王様なのではないですか?」

 突然リュカがこんな質問を投げかけてきた。面を食らったような顔をして父は驚いて見せたが、すぐににこやかな顔を見せて答える。

「なぜ突然そんな質問をする?なにかそう思わせるような事でもあったのか?」

 逆に父が訊くと、リュカは少し複雑な表情を見せて、意を決したように話し始める。

「わたしがそんな願望を抱いていたりするのかも知れません。…が、先ほど夢を見たんです。父様が玉座の前で右往左往されている姿、そしてその階上で 産まれた子供に『リュカ』と名付けているところを」

 その言葉を聞いて、父は眉間に皺を寄せる。が、それもリュカに気付かせない程度の瞬間的なもので、すぐに元の表情に戻る。

「・・・ほう、そんな夢を見たのか。夢は往々にして心の想いを映すと言うからな。リュカがそれを強く願っているのかも知れないな」

 父にそう言われて、リュカは恥ずかしそうに目を伏せた。

「なに、恥ずかしいことではないだろう。お前だってそう言った高貴な位に憧れたりするだろうし、そうする事が悪い事ではない。それと、夢の内容をそ こまでしっかり覚えているのは良いことだな。何かを具現する能力は、例えば呪文などに応用が出来ると聞く」

 父にそう言われて、リュカは嬉しそうな笑顔を見せる。だが、それだけでは満足した様子を見せず、リュカは言葉を続けた。

「そうですね、父様。呪文の使い手としては、秘めたる能力があるのは喜ばしいことだと思います。ですが、わたしは剣術も身につけたいと思っていま す。自分の身は自分で守らねばならないでしょうから…」

 リュカがはっきりと自分の意思を伝えるその姿に、父は満足そうにうなずいて見せた。まだ年端も行かぬ子供だと思っていたが、一緒に旅をする事で、 旅人としての心得を自分なりに解釈して、必要な事を身につけている我が子を頼もしく感じた。

「そうだな、身一つ守れないでは、旅をする者としては頼りないからな。そういうことであれば、この父が手ほどきしてやろう」

「本当ですか!?ありがとうございます、父様。わたしも自分で出来る事はしていきたいと思っています。でも…」

 リュカはそこまで言うと、言葉を詰まらせる。何を言おうとしているのかは父にもわかったが、あえてそれをさらに掘り下げようとはせず、話題を切り 替える。

「…そろそろ、ビスタの港につく頃だろう。デッキの方も忙しく動き出したようだ。リュカ、仕事の邪魔にならないように、今までお世話になってきたク ルーのみんなに挨拶をしてきなさい」

「はい、わかりました」

 父の言葉にうなずくと、リュカは一礼して、船室から外へ出た。小さなその背中をリュカの父−パパス−は見つめていた。

「産まれたときの記憶…か。リュカ、お前は本当のお前を知ったとき、どうするんだろうな…。血を残し、血を導く使命の子よ・・・」


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