Route / Rikako-01.『今度こ そ、本当の恋人同士』


 その日、里伽子は数年ぶり にファミーユの制服に袖を通した。いま、由飛が着ている赤いタイの制服だったが、こちらはベースとなっている茶の部分が赤み掛かっている。それが何を意味する のか。…この制服が里伽子が以前のファミーユで着ていた、すべての制服の原点、プロトタイプの制服で、里伽子が自分用にと作った制服だった。

「…不思議だね、あの頃はま だ特別な感情らしい物もなくて、だけど周りは付き合ってるって言われて…色々あったけど、今こうしてまたファミーユの制服に袖を通して。やっと、帰ってこれた んだって思う。ファミーユにも、仁の所にも」

 そう言いながら、暗いフー ドコートを眺められるガラス面を鏡代わりにしている、里伽子に言う。

「これからは、影の参謀とし て、キュリオ三号店打倒のための秘策、どんどん提案してくれ。…俺は里伽子自身の左手になって、店長も頑張って、大学にも復学して。里伽子が呆れるくらいに里 伽子を構ってやる」

 仁はそう言って、里伽子の そばに来ると、そっと頭に手を這わせ、優しく自分の胸に里伽子を抱き寄せる。


 里伽子の左腕。肘から下の 感覚がマヒしてしまっていて、左手を動かす事が今は出来ない。元々左利きの里伽子にとっては致命傷だった。

 その左腕のことを医者に根 掘り葉掘り聞いて、どの程度まで回復するのかなどを聞き、里伽子が絶望に暮れているところを救い出そうとし始めたのが仁。

『里伽子が呆れるくらい、里 伽子を構ってやる』

 最近になって仁がよく言う ようになった言葉。今までは左手のこともあり、どちらかと言うと閉じ籠りがちだったが、仁はそれを良しとはしなかった。『お前の左腕はココにある』そう言った 仁は自分を指さして断言する。『里伽子の左腕の変わりは俺がやる』それが仁が今まで里伽子の異変に気付くことのできなかった懺悔とも取れる行動だった。

 里伽子の左腕の神経は、全 くのマヒ状態で動く見込みがない、と言うわけではなく、リハビリと何度かの手術で再びその腕を動かすことができるようになると言う。仁はその数%か も知れない可能性に掛けた。それまでの左腕の代わりは仁がなると言ったのだった。


「なに恥ずかしがっている の?着替えを手伝うんならば、私の下着姿ぐらいで顔を赤らめている場合じゃないじゃない。…今度からは、仁が想像もできないような格好とかしてやるんだから」

 里伽子がプロトタイプの制 服に着替える時に仁に言った言葉。右腕だけでは着替えもままならない。まして、利き腕ではないのだから、着替えは相当大変だったに違いない。それを考えると、 ファミーユの制服を着せる作業と言うのは、構造などを知っている仁にしてみれば思ったよりは簡単なことだった。だが、どうしても下着姿の里伽子を正面で見つめ られず、恥ずかしくなってしまう。それもきちんと理解の上で着替えをさせろ、と里伽子は言う。一切の妥協や甘えは許されない。

 仁にとって里伽子は厳しい 面もあるのだが、どうしても仁自身が出来ない物がある場合、里伽子は仁のお願いには弱い。その時に決まって出る言葉『もう、しょうがないなぁ。…仁は』。最後 の切り札としてしか使えないが、それは里伽子自身も承知のうえで厳しくきちっと指示をしているのだった。


 これからは里伽子もファ ミーユの一員として、指示役に回ってもらおうと言う事を仁は事前に里伽子に言ってある。里伽子も制服はどうなるかわからないが、オーダーを確認するウェイトレ スとしてようやく芽の出てきた由飛、由飛以上に行動力のある明日香、そして厨房とフードコートを一手にまかなうマルチプレイヤーのかすり。この三人のフロアと フードコート全体の動きと、厨房での恵麻のケーキの追加や美緒のコーヒーのオーダーの優先順位などを里伽子が指示する、と言う半ば無茶苦茶な仁の願いも、笑っ て答えてくれた。それは、里伽子がまたファミーユに戻ってくる、何よりそのことが一番の証明であり、嬉しいことでもあった。

「だけど、俺たちの前にある 本当の壁はそこじゃない」

 仁は少しばかり気分的に気 持ちのいい時間を過ごしたが、それをあえて自分から突き破る。仁の言葉に里伽子もコクンとうなずいて何気に左腕を挙げる。

「この腕、動くようにならな いとね」

 里伽子はそう言ってあまり 自由の利かない腕をみて呟いた。仁はそんな里伽子の左腕を優しく包むと、「大丈夫、きっとよくなる」と呟きながら、自分の胸に抱き寄せる。それを見て里伽子は 少しばかり意地悪する感じで仁に言う。

「あたしは抱いてくれない の?」

 言われて仁は、悪戯した子 供に脅かさず怒るような表情を見せながら、そっと里伽子の後頭部に手を当てて、優しく抱き寄せた。


 夜半過ぎ。仁と里伽子は警 備員しか残っていないであろうブリックモールを後に、仁の部屋に戻る。里伽子は何度となく仁の部屋に入り込んだことはあるが、仁を恋人と見たうえで仁の部屋に 入るのはもちろんこれが初めてだった。

「綺麗に片付いているもんな んだね」

 感心するように里伽子が言 う。

「汚れていた時の方が少な いって。基本的に掃除はしているからな」

 そう胸を張って仁はつぶや いた。

「なんだか懐かしいな…ほん の数日前にも来てたはずなのに…」

 今の里伽子にとっては、仁 の部屋のすべてがなぜか新鮮に見えた。仁はどうにもやり場が無くて、里伽子の後ろでウロウロしていた。

「落ち着きが無いなぁ。もう さよならとは言わないってば。私にとって仁は恋人以上に落ち着く場所なんだから。ブリックモールにあまり姿を見せなかったのは、他の女の子たちと話をしている 仁を見たくなかったからと言うのと、この左腕がばれないように、と言う事だったんだよ」

 そう言って里伽子が仁を優 しくなだめる。その言葉を聞いて、仁は少し面を喰らったような表情で里伽子を見直した。

「変なことじゃないでしょ? 恋人同士になったのに、その直後にさようならなんて言えないって。それに、私が抱く仁への気持ちは誰にも負けないんだぞ、本当は。こっちに負い目があったか ら、プッシュしなかっただけで」

 当然だよ、と言うような説 得力のある言葉を里伽子は言う。仁は里伽子に近づくと言う事が何気に厳しいことだと言う感じが身についてしまっていて、一人、ここにいる女を自分のものにして いいのかと言う事を気にしていた。だが、里伽子自身の方から一人占めするのが当然、と言うことを言われたため、仁は思わず驚いた表情を浮かべてしまったのだっ た。

「このくらいの部屋だった ら、同棲もできる感じだね」

 突如として、里伽子の口が 飛び出した、仁にとっては最強の武器とも言える言葉。本当は里伽子に確認しようとしていたのだが、里伽子の方が一歩上を進んでいたようだった。

「…同棲は良いんだけど、そ うなると今、里伽子が居る部屋は引き払うことにするのか?」

「それはそうよ。だって向こ うに部屋のある理由なんてないじゃない。学校にも近くて、ブリックモールにも近い。それを考えたら仁の部屋が一番いいわよ」

 仁が少々震えているような 声で同棲を承認したが、それまでの里伽子の部屋については、里伽子本人が契約しているわけで、そこにあったものは引き払う必要が出てくる。その辺り、里伽子は どう考えているのだろう、と言うのが仁が知りたいと思っていることだった。だが、以心伝心とでも言うように、里伽子が続けて口を開く。

「あ、私の方は、必要な荷物 だけをこっちに持ってきて、特に必要のない物については全部実家に送っちゃうから大丈夫、仁の部屋がパンクすることは無いって…ベッドだけはあたしのにしよ う。セミダブルだから、シングルでパイプのベッドよりは安定しているはずだしね」

 これからをどうしていこう か、と言う事を話そうとしたとき、里伽子はその辺もすべて決まっていると言いたそうに仁に言った。その瞬間、不意に里伽子が仁の胸に顔をうずめる。

「仁にはひどいことばかりさ せちゃったね。ブリックモール店のフロアチーフも出来ないし…それ以上に着替えもできず、あたしも隠せるものならば隠し通そうとしたもんだから、そこでよりこ じれちゃって…」

 里伽子が涙声になりながら 仁に懺悔とも取れる言葉を言う。仁はその時、何かを言おうとしたが、それを飲み込むと、そっと里伽子を包み込むように抱きしめる。

「今からそんな話してどうす んだよ、俺たちはまだ、先の長い道に差し掛かっただけだぜ。今までは一人ずつで歩いていたけど、今度は二人。お互いが助けあえる。まだまだこれからこれから」

「…仁ってポジティブなんだ ね。私は・・・」

 仁が里伽子に言うと、里伽 子はどんどん声が小さくなっていく。仁はぎゅっと抱きしめると、すぐに抱きしめるのをやめて、自分の顔の前に里伽子の顔が来るように少しの間合いを取る。

「なにをするにしたってこれ からだよ。里伽子がそんな弱弱しい感じじゃ、俺はどうすりゃいいんだよ。ポジティブかどうか、それは里伽子が一番知ってるはずじゃないか?」

 仁の言葉に少し驚いた感じ の表情を里伽子は見せたが、クスッと笑ってみせると、自分に軽く、げんこつを当てる。

「しょうがないね、二人と も」

 『しょうがないなぁ、仁 は』と言う言葉は、里伽子がどうしても仁に妥協しなくてはならなくなった時に言う言葉だった。それがどんな状況なのかと言うのは2人ともよくわかっているの で、その場で里伽子は自分たちに対して、そんな言葉を言って見せた。里伽子は自分の瞳から涙の流れた跡、それを隠すことなく、いまだ流れる涙のままで、仁は十 二分に根拠のない強がりを見せて、しかし二人は笑っていた。


 少しの時間が長く感じる仁 と里伽子だったが、長いのならばその長く感じる時間、一緒に居ることを伸ばしていこうとお互い思っているようで、抱き付いたままで時間は過ぎる。とは言え、 カッコつけて里伽子に強がりを言って見せた仁と、泣き顔を見せてしまって少々ばつの悪い感じの里伽子はただ仁の胸に顔をうずめ、仁はそんな里伽子を優しく抱き しめていた。

 そして、どちらからともな く離れると、「そうだ」と里伽子は小さな声で言う。

「引っ越しもそうだけど、仁 は復学もでしょう?その間、ファミーユは恵麻さんに見てもらうの?」

 里伽子が現実的な話を始め る。「コイツはこうでなくちゃ」と思っていた仁は、里伽子の言う質問に答える。

「一応昼間の時間は姉さんに 任せるよ。なので、当分の間、ファミーユのランチは無し。その間に俺と里伽子は勉強に励む、と。大学から帰ったら、里伽子の状況次第でファミーユへ。」

「復学して、学年が一個違う からと言ってだらけてたら、今までの遅れが取り戻せないぞ?」

 少しずつ、本当は明るい里 伽子が自分の前に帰ってくる。ツンデレと言うわけではないが、里伽子自身、仁に依存していると思うところはあった。だから、仁の前では巣の自分が出せる、それ はちょっと甘えたがりの女の子で、だが、芯のしっかりとした面も持つ娘だった。

「大丈夫だよ、自分の勉強は 超強力な家庭教師が居るからな」

「…あんまり頼っちゃダメだ よ。自分の課題は自分で片づける。それはちゃんと約束しよう?」

 里伽子がそう言うところが 堅物、と言われそうなことを約束事として提案してくる。何となく仁は残念な気がしてならないが、里伽子が言ったからには、家庭教師はお願いできそうになかっ た。

 暫くそのままの時間が過 ぎ、どちらからともなく離れると、夕食の支度に入る。里伽子は右手だけで器用に野菜を切ったり鍋を使ったりしていたが、いくら何でもそんなことまで里伽子にさ せることはできないと、仁は里伽子から刃物と鍋一式、フライパンと言った両手で使うのが主用の調理器具をすべて取り上げた。

「ちょっとだけならできるか らそんなに心配しなくても…」

「これ以上、俺にどんな罪を 背負わす気だ!?

「…傷害罪と、場合によって は殺人未遂?」

 里伽子は仁の冗談の質問に 対して、真面目な顔で答えてくる。「おいおい」と突っ込むまでは里伽子は本気であるかのような振る舞いで、仁とキッチンに居た。

「どうしても料理をするのな らば、安全なものにしてくれ。…ポテトサラダ作るとか、お玉を使っての盛り付けだとか。そう言うの」

 さすがに片手だけだと危な すぎる。理由のわからなかった以前は里伽子に食事を作ってもらいもしたが、それがファミーユ本店の火事が原因と分かった今、里伽子に料理はさすがにきびしい。 また、その原因がわかってしまったとなっては、本来であれば火災保険の中から里伽子の腕が動くなるようになるまでの治療費なども出す義務があるのかも知れな い。里伽子は断固として受け取らない、と言うが。

 なので、仁の目の届く範囲 で何かをしようとしている様子があったら、それが安全かどうかを確認してから、里伽子には行動させようと言う仁の気持ちがあった。

 そうして、いくつかの里伽 子の危なっかしい行動があったが、無事に夕食もできて今に座る。だが、仁はまず里伽子優先で夕飯を食べるようにと二人刃織のように里伽子の後ろに座ると、「ま ずはどれからだ〜?」と言って、里伽子の食事の手だ駆けをする。

「ね、ねえ仁。これ、結構恥 ずかしいんだけど…」

「だけど、これでいいと言っ たのも里伽子だぞ?」

 どうもいまいち何かが吹っ 切れないような状態の里伽子に、元をただせば里伽子のリクエストだったと言うゆるぎない事実を突きつける。

「右手だけでも食べられる し…仁とは向かい合って食事がしたい。右手で取れないものについてはお願いするから、テーブルの向こう側から私にくれない?」

 確かに里伽子の言うよう に、無理に里伽子の後ろで食事をさせなくても大丈夫ではあった。だが仁は頑として動く気配を見せない。

「里伽子と抱き合える時間が 減るじゃんかよ」

 つまりはそう言う事だっ た。里伽子は少しばかり困った表情をして、だが、自分の案を飲んでくれないとこっちも動かない、と言いたそうに固まっていた。

「ちぇ、そう言うんなら従う か…」

 仁は里伽子の前に箸をそろ えておくと、向かい合うようにして座る。

 こうしてようやく夕食の席 に着くことが出来た。


 食事、風呂、寝る支度が出 来、早々に休む。

 ベッドに入った時間から、 二人が眠る時間までは意外とある。それはどんな内容であれ、話をしているからだった。

「ねぇ仁。この腕、治るって 言う確信みたいなものって抱いていたりするの?」

 今日はなんだか里伽子は不 安に苛まれているような感じで話し始める。

「確信しか持ってない。…実 際、マッサージとかしてみて、指先にちょっとした痺れが来ているんだったら、間違いなく里伽子の左手は動くようになる」

 仁までもがネガティブに なってしまうのも問題なので強がりのようなことを発したが、実はこのセリフ自体、きっちりと確信を持っていた。

 神経のあるところと言うの がある。たとえば肘などはぶつければジーンとした痛みを覚えるが、今の里伽子は何かあったかなくらいにしか感じられないそうだ。だが、何かを感じているという ことは、そこまでの神経は生きていることが証明されたと言う事。それはどの外科の先生も口をそろえて言う事だった。

 焦る必要はない。少しず つ、里伽子が実感を持ち始めてから、もっと実践的に腕の神経を復活させればいいだけの事。そこまでがわかっている仁は、里伽子の質問には「確信しかない」と答 えるのは当然だった。

「きちんとその手で、自分の 子供を抱いてもらうぞ。そのためには少しずつでいいから、痺れとか感触の感じる部分から、少しずつ範囲を広げて、手を動かせるようになればいいんだ」

 仁が珍しく力説する。こ と、里伽子の腕のことについてはどこの誰にでも力説しているのだが。そんな仁を見て、里伽子は何となく自分の弱さと言うのを感じずには居られなかった。だが、 そう感じていても、仁が近くに居る、そのことは確かで今度こそ、突き放されないと言う確信があるから、好きなだけ甘えられると言うのは間違いが無いと感じてい た。

「…私たちの子、ちゃんと抱 くからね。大丈夫、私には仁がついていてくれるんだから。他のどんなものでもなく、仁と言う存在が今の私の支え。もう、突き放さないよね?鈍感にはならないよ ね?」

 自分で意を決して言ったの だろう言葉だったが、言っているうちに不安を感じたようで、再確認を里伽子がしてくる。仁はそんな里伽子の頭を優しく抱きしめて。空いている右手で頭を撫でて みせる。

「大丈夫、今度は里伽子のそ ばにいる。里伽子から離れない。…そのかわり大変だぞ、子供と俺の面倒を見なくちゃいけなくなるんだからな」

「・・・なんで仁の面倒まで 見なくちゃいけないのよ!?

 仁が答えを示し、それを理 解してくれているか、途中に変な言葉をはさんで里伽子の突っ込みを待ってみたりする。だが、その遊びのようなものがあるから、お互いの距離感をしっかりと確認 することが出来るのだった。

 その夜はそんな言葉遊びを しながら、どちらからともなく眠ってしまい、二人とも静かな寝息を立てていた。


To Be Continued...


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