修行/緋村剣心、「こころ」 師匠/第十三代目「比古清十郎」

 神谷道場を出た剣心は、昔、自分が短いながらも飛天御剣流を習い会得した場所を目指す。

 東京の中心地から遠く離れた山の中のまるで狼煙を上げているかのように、遥か遠くに一筋の煙の上る場所がある。剣心はその煙の出る方向へと道なき道に歩を進める。


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 自分 がどこで生まれ、どうして今馬車に乗っているのかはわからない。その馬車は人が乗るための馬車ではなく、荷物などを運ぶための古い馬車だった。何日乗って いたかはわからない。突然の出来事で何が起こったかわからなかったが、馬車に乗る人々が自分の姿を隠すように覆いかぶさって、何かから守ってくれているの が分かった。

 大騒 ぎになっているその場所で、しばらくの間、悲鳴や大声で叫ぶ声が続いていたが、自分の姿がさらされる前に、それらの声が止む。馬車に乗っていた人たちが覆 いかぶさる状態から姿を出すと、辺り一面が屍と血の海になっていた。その時になってようやく自分のことが分かったような気がした。

 少な くとも自分は人買いに売られた身であるのだろう、顔も覚えていない両親がわずかな金のために自分を差し出していると言う様子はかすかながらに覚えている。 そしてそれ以外の屍はおそらくこの辺りを根城にしている野党たちだったのだろう。そして、その中に一人だけ白いマントを身に着け片手に長めの刀身の刀を持 つ、背の高くがっちりとした男が立っていた。

「…一応、お前がいることを確認したうえで、こいつらは全員成敗したが…馬車の中は野党たちの手がすぐに及んだようだな。…このまま山を下りろ。途中の家でも町まで出てでも助けを求めろ。なんとかしてくれるだろう」

 そう言うと、その男はいずこかへと去っていく。


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 ふと、剣心はそんなことがあったことを思い出す。口元に何となく皮肉のこもった笑みをこぼすと、少しの休憩のはずがいつの間にか寝ていた自分に気付き、ふたたび歩き出す。

「…最近、山の中を駆け回ることはしていないから、相当体力が奪われてるな。あの場所までは今の私じゃ何日かかかるな。急いでいるっていうのに」

 剣心はそんな独り言をつぶやきながら先へと歩き出す。


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!?…おまえ、人買いだけじゃなく野党のものまで墓を作ったのか!?

 数日後、ふたたび長い刀を持った、そして野党を切って捨てた男と出会う。

「…あ なたが斬らなかったのは人買いで私はその人買いにどこかへ連れてがれる途中だった。野党が来た途端、その人買いたちは馬車をそのままにして逃げて行ったか ら馬車の中は野党だけがすべての人間を斬っていただけ。…私はみんながかくまってくれたから何とか生きていたけど…」

 そこまで言うと、その男は手に持っていた酒を目の前にある三つの石にかけてやる。

「これは…一番年が近かった人たちなんだけど…私に良くしてくれた人たち。名前までは聞けないうちに亡くなっちゃったから、世話になった分だけ良い石ではかをと思ったんだけど…このくらいしかなくて…」

「男だろうが女だろうが、旨い酒を嗜む前に死んじまうのは余りに残念なことだ。ところでお前、名前は?」

「名前は『こころ』。だけどそれ以上のことはよくわからない。いまが何歳だかと言うのも」

「…女に教える馬鹿は俺くらいかもしれねぇがお前がどこまで色々を吸収して剣客になれるか楽しみだ。こころ、お前は優しすぎる性分にあるようだが…これからは『剣心』と名乗れ。お前には俺のとっておき(飛天御剣流)を教えてやる」


*****


 二日掛けて、山林の中を進みようやく煙の上がる正体(陶芸用の窯)を見つけ、その前に一人体躯のいい男が座っているのを確認した剣心は、できる限り音を立てずに居合いでその男に斬りかかる。男の方もすでに気付いているがあえて動かなかったと言うように、タイミングを合わせて剣心の剣筋から逃れる。

「山奥で何となく自分の趣味にふけっていると言うのに、いきなり斬りかかるとはひでぇやりかただ。…久しいな、バカ弟子」

「お久しぶりです、師匠」

 剣心 が斬りかかったのは剣心にとっておきと言って飛天御剣流を教え込んだ第十三代目比古清十郎その人だった。元々、飛天御剣流自体、その存在を確実に知る者は 少ない。剣の腕の立つものでもその存在に対して疑いをかけるものさえいるほどだった。そして、その飛天御剣流を誰がどこでどのように伝授しているのかもま た、不明だった。

 その 実、飛天御剣流は時代の陰で隠し名の元、代々の比古清十郎が見込んだ相手に飛天御剣流を伝授していた。そして、剣心に飛天御剣流を教えたのが今、目の前に いる第十三代目になった比古清十郎だった。ある期間名乗った名前は「比古清十郎」の名とともに違う名を名乗り誰にも知られることなく伝授をしてきた流儀 だった。…逆を言えば伝説とまで言われた「飛天御剣流」は剣心の元で実在する剣技の流派だと言うことを知らしめることになっていた。

「…突然どうした、お前がわざわざここまで来る必要はもう無くなったんじゃねぇのか?それとも、何か今になって忘れ物でも思い出したのか?」

 比古はそう言いながら、登り窯の近くにあった酒瓶から酒を注ぐと、一回あおって、剣心の方を向いて近くの倒木に座り込む。

「ええ、忘れ物を取りに来ました。師匠、お願いがあります、飛天御剣流奥義を今、お教え願いたい」

 剣心 は腰に帯刀していた刀を外し、片膝をつき頭を下げて比古に何も隠さず、「忘れ物」と称した奥義の伝授を願い出る。その様子を見て、比古は何となく訝しげに 剣心を見て、その様子を探っていたが、剣心の決心は強いものらしく、比古が返事を返すまでは頭を下げ続けるつもりと読むことが出来た。

「フ ン…そんな忘れ物か。お前と俺は喧嘩別れしたんだぜ、それに飛天御剣流の伝授そのものを放棄して出て行ったのはお前の方だろう?…切羽詰まってここまで来 たと言うのはまぁわからんでもない。これだけの山奥だと言うのに、登り窯の煙一つで俺が確実にここに居ると確信してきたんだろうからな。…いいだろう、暇 つぶしにバカ弟子のお前が約二十年間、どこで何をしていたのか・・・」

 比古はそう言って剣心の方に歩み寄ると地面に置いてある逆刃刀を手に取り、鯉口をきってその刀身を確認する。

「俺もうわさには聞いていた、緋色の髪、左頬に十字傷の男がおかしな刀で東京の街の中で何かと騒いでいると言うのをな。このおかしな刀で、俺の知らない二十年を語ってみろ」

 比古はそう言って、剣心に逆刃刀を投げて渡すと、草むらの中をガサガサと探り、程よい長さの太めの木の枝を広い、一回軽く振って見せた。剣心と比古の間はそこそこの距離があったが、比古の片手だけで振るう一振りは剣心の髪をブワッとなびかせる。


 改め て、剣心は帯刀して逆刃刀を抜刀する。比古は先ほどの棒切れを構えると、何の合図もなしに突然の斬り合いを始める。「神速」を謳う飛天御剣流の剣は素早い 身の動きだけではなく、一つの技、刀の一振りまでもが神速となるように昇華されている剣だった。その使い手同士がいったん剣を交えれば、その殺陣はすさま じく早いものになる。

 剣心は比古に押されてはいた。いくら剣心が強いと言っても比古は剣心の師であり、それ以前に体格で元々女で小柄でしかない剣心と、恵まれた体躯の比古とでは明らかにその力、技に乗る重みなど交える「剣」は明らかに違ってくる。

 剣心 は飛天御剣流ではその神速でわざわざ名まで明かさない数々の技を駆使していたが、逆刃刀で振りぬくのは木の棒で振りぬいてくる比古のそれとは明らかに違 う。やむを得ず御剣流の中で、正式に伝授されながら「異端、邪道」とされる『影技』に分類される、徒手空拳をも駆使して比古に挑む。それでも比古の剣筋と 比古までもが影技を使い始めたとあっては小柄の剣心は吹っ飛ばされることもしばしばあり、なかなか比古に対して確実に打撃を与えることが出来ないでいた。

「…ど うした、もう終わりか?剣心。お前の飛天御剣流がどんなものかと力比べをしてやっていたが…まぁ、いい線まで行っていると言ってもいいが、俺に確実な一撃 を叩き込むことが出来ないと言うことは、少なくとも俺が当時に教えた飛天御剣流とはどうやらその性質が違ってしまっているようだな」

 比古はそう言いながら、吹っ飛ばして片膝と逆刃刀を地面に突き立てて、肩で息をしている剣心に言う。そんな比古は息を一つとして乱すことなく、剣心の方に確実に近寄ってくる。剣心は「くっ」と歯を食いしばり、比古の御剣流に対抗してやろうとする意気を見せる。

「…飛天御剣流は自由の剣だ。人々を時代の苦難から救うためだけに使い、決して権力には与さず。それがこの流儀での理だと言うことは何度も修行中に言ったはずだ」

 比古は伸びをしたり、肩を回したりしながら剣心に歩み寄る。一方の剣心もゆっくり力を込めながら立ち上がる。

「その権力には与さないと言う理をお前は破り、倒幕勢力に力を貸した。…お前自身、抱いた邪心か?それとも野心か?」

「邪心でも野心でもない、あれは私なりに人々を苦難から救うために意を決して行動した事!!

 剣心 はそう言うと、改めて逆刃刀を握りなおして比古に斬りかかる。徐々に神速の剣は技を出す大きな型から、確実に急所をねらっていくわずかな剣閃での攻防に替 わっていく。だが、お互いが影技で確実に相手を吹っ飛ばすと、神速を活かしまだ吹っ飛んで空中にいる状態の相手に、龍槌閃や、超低空から放つ龍翔閃にス イッチしていく。また、それら突進からの技に入る型から続き影技でかかと落としを腹部に出したり、無理に剣で吹っ飛ぶのを止めると同時に袈裟や逆袈裟に切 り込むと言った剣の基本に近い部分にまで技の叩き込み合いは移行していた。

「何度も言ったのは理だけじゃない、剣は凶器、剣術は殺人術、どんな綺麗事やお題目を口にしても所詮はそれが真実、だと」

 お互いが吹っ飛び、泥だらけになっていたが、それでも比古の方に分がある。剣心は上半身がすでに片腕が地肌をさらし、傷だらけになっていたがそれでもまだまだ立ち上がり、刀を構える。

(身体はすでにボロボロで、技の切れも多少は劣っていると言うのに、先を見据えるその眼だけは変わりがないな…)

 比古はそんなことを思いながら口元に笑みを浮かべて、多少の距離がある剣心に向かってその場で跳躍すると、何度となく放っている龍槌閃を繰り出す。剣心は慌てて逆刃刀を頭上で一文字に構えたが次に来た痛みは左の腹部だった。

「影技はお前も何度となく出しているはずだ、刀を振りかぶったからと言ってそれが絶対に龍槌閃やそこからの派生技になるとは限らないんだぞ」

 比古はそう言って剣心の胸にぐっと木の枝を突き付ける。剣心は逆刃刀を返してその枝を切ると、すぐさま刀を返して瞬間的に比古の背中を取るように踏み込むと、龍巻閃を出すが剣心の獲物が「逆刃刀」であることをすでに重々知っている比古は(本来の影技であれば白刃取りで凌ぐところを)片手の平で止めてみせると、剣心の腹部に蹴りを力強く入れてみせる。剣心は再び吹っ飛ばされて、ゴロゴロと地面を転がる羽目になる。

「…変わらんな。お前はまだ、墓を作ることしかできない子供のままだ。昔の修行時代があっても…その修行の成果は生かされていない。お前の飛天御剣流を確認してよかったな、そんな腕で奥義が会得出来るとでもおもったか?」

 比古はそう言いながら剣心の方に近づく。いつの間にか違う木の棒をもち、剣心の方に構えると、わざと挑発して早くかかって来いと手招きしてみせる。

「くぅ・・・おおおおおおっ!!!!

 剣心 は振り絞るように声を出して、ふたたび比古に挑んでいく。今度はがっちりと鍔迫り合いの状態で、力勝負になる。いままで比古に投げられ、飛ばされ、転がさ れていた剣心だったが、鍔迫り合いは多少背が低く小柄なせいで、比古が上から押さえつけるようになっていたが、それでも剣心の刀がそれ以上下に下がらず、 一定の位置で保っていた。

「…ただ己の身を鍛え、技のみを研ぎ澄ませ!!

 比古 が心底「楽しい」と思い始めているのか、本気を出しているのはわかっていたが、剣心が子供の修行時代に子供であっても負けないと言った意気込みを見せたそ の頃に戻ってきたのを確認すると、徐々に比古と剣心の技のスピードや精度、何より一つ一つの動きのキレが早くなってきていることに比古はうれしくなってき ていた。だが、それでも小柄の剣心は、比古が不意に出した影技で膝を鳩尾に入れられるとそのまま顎に強烈な龍翔閃を喰らう。

「あのころは何度も向かってきた。…打たれても、倒されてもなぁ!!

 そう言いながら、少し離れた場所で立ち上がる剣心にふたたび手招きでかかって来いと笑いながら楽しみ、比古は剣心に『久々の稽古をつけていた』。


 何 回、比古に蹴りで、刀代わりの棒で、剣心は吹っ飛ばされたかはわからない。だが、比古は剣心が本来の剣客としての緋村剣心に戻り、修行時代のキレと技の精 度が上がってきたのを確認すると、とてつもない一撃を繰り出す。もしここで剣心が対抗する力があれば、すぐにでも奥義を伝授するつもりがあった。仮に剣心 が比古の剣から逃げる一方であれば、その時点で奥義の伝授はないものと思っていた。

 飛天 御剣流でも、特別、別の流派の技でもない、鳩尾だけを狙った突きを神速で放つ。剣心は比古が期待していたようにそれをよけて見せたが、比古はそこから突然 の龍巻閃に切り替えると、剣心は瞬間振り返り、逆刃刀で龍巻閃も止める。さらに比古は影技で先ほど狙っていた鳩尾につま先から蹴りを入れに行くが、そこか らフェイントを使って、龍巣閃を剣心に一歩踏み込んで、超至近距離で放つ。さすがの剣心もここまでの連携は読めなく、最後には龍巣閃を喰らう以外にはな く、鋭い剣撃に剣心はその場に倒れ込んだ。

「…少しばかりきわどかったか…が、龍巣閃はおまけだ、それまで読めていたお前は十分に飛天御剣流の使い手だ・・・が、それと奥義の習得はまた別問題。さて、どうするか」


「オイ剣心、いつまで寝ているつもりだ?」

 気絶していた剣心が少しだけ動いたのを確認した比古は剣心にそう投げかける。ガバッと起き上がった剣心は全身が痛むことで、最後に龍巣閃を喰らったことを思い出す。

「なかなかきわどいが、読みとしてはいい勘をしていた。流れをきちんと読めていたんだからな。一応、お前の今の実力は見定められた。…が、『稽古』はここまでだ」

!?稽古?」

「お前 が世の中に身を投じてから、どのくらい飛天御剣流を昇華していたかを試していたんだが…久々に獲物を振るっているうちにお前が少年時代に稽古していたのを 思い出してな、思わず本気で稽古をつけちまった。全体的に飛天御剣流の剣技および影技は問題ない。だが、俺が相手だとして、絶対的な一撃は実のところ入っ ていない。…次で絶対的な一撃を入れられなければ、奥義伝授の話は無しだ」

 比古 はそう言って、ふたたび木の棒を構える。だが、その覇気は今まで稽古をつけていたという比古のものとは違って鋭いものに変わっていた。比古の最後の連携技 が読めていた、その声は微かだが聞こえていた。と言うことはそれよりも激しい剣撃にするか。もしくは一撃必殺の御剣流を放つか。剣心は迷っていたが、心が 決まると逆刃刀をきっちりと構えなおす。

「・・・行きます」

「おう」

 剣心は助走から地を蹴って飛び上がる。比古もそれを追うようにして飛び上がる。

 剣心は龍槌閃、だが単なる龍槌閃ではなく、形こそ龍槌閃だったが、鞘を瞬間的に抜くと比古の刀代わりの棒を止め、逆刃刀で小手を狙って剣撃を放つ。

 比古は純粋に剣心を倒しに行く形で龍翔閃を放つ、だが剣心の『異端』の技までは、さんざん剣心に打ち込みしていた比古も予想がつかなかった。そして、剣心の剣撃は比古の小手の部分にヒットする。

「…お前の『異端』が出たな。あえて言うならば御剣流でなんと名乗る?」

「龍顎閃・紫電(りゅうがくせん・しでん)とでも言いましょうか?」

 剣心はそう言いながら逆刃刀を持つ手から力を緩める。

「お前 が御剣で補えない分の技として編み出した『影技』に続き、本家御剣流の龍顎閃にも派生技を作るとは…お前は本当に『異端の剣客』だな。だが、師が使えもし ない御剣流を生み出すと言うのはなかなか面白い。お前がどこまでの剣客に育つか試してみたいと思い『こころ』、お前に剣心と名乗らせて剣客をさせた が・・・」

「自画自賛ではありませんが、私なりの緋村剣心を名乗るようにまでにはなりましたよ、師匠」

 剣心は再び女声で「こころ」と呼ばれても否定せずに比古の言葉に続けた。

「なかなかきわどかったが、一撃を加えたことに間違いはない。約束通り飛天御剣流の奥義の伝授、してやろう。だが、今日は遅いし、お前の身体もボロボロだろう?俺は鍛えてるからな、例えお前の影技を喰らってもそう苦戦はしない。一晩ゆっくり休め」


******


 その夜、剣心は外で逆刃刀を抜き月明かりの元で逆刃刀を振り、飛天御剣流の型をいくつか確認していた。奥義がなる、それには飛天御剣流の何がきっかけとなり派生する技なのか、それを少しでも探ろうとしていたのだった。

 しば らくそうしていたが、まだ奥義としか伝え聞かない技故に、どれもが未知数だった。剣心は半分あきらめるのと、身体中の痛みを軽減しようと比古の小屋で一休 みしようと中に入る。中では比古が粘土状の泥を形作り、器を作ったりしていたが、剣心が入ってきたのを確認すると、それを置き、器に酒を注ぎ一口飲む。そ して、ふたたび二杯目を注ぐと剣心の方に差し出す。

「飲むか?俺の作った器だ」

 比古はそう言って、酒の入った器を剣心に手渡す。

「なぜ師匠は陶芸の道を?比古清十郎の名を隠すにはこの場所も、全く関係ない陶芸も隠れるには一番とは思いますが…」

 剣心は何となく比古にそんなことを質問していた。

「ん?さぁな、強いて言えば、自分の作った器で自分の為だけの酒を呑む。その程度のことだろう」

 比古は多くは語らなかったが、もともと人付き合いは苦手と言う話を昔聞いたことのある剣心はそんな答えでもどこか納得できる感じがした。剣心は器を受け取った状態で、小屋の入り口の方に歩き出す。

「そう言えば師匠はよく言っていた。春は夜桜、夏には星、秋に満月、冬は雪。それを愛でるだけで酒は十分旨い。それでも不味いなら、それは自分自身が病んでいる証だと・・・」

 剣心は昔、子供だった頃に酒をよく飲む師匠からそんなことを聞いたと思い出す。そして、グイッと比古から受け取った酒を煽る。

「俺から訊いてもいいか?」

 剣心が外を見ていた時、比古は声をかける。ふと振り向き、剣心は小屋の中の座れる場所にきて、器を傍らに置き、比古の質問を待つ。

「その頬の傷。幕末、京の都を震撼させた人斬り抜刀斎。伝え聞くその残虐さとその頬の傷は俺の知っている『こころ』とはどうにも結びつかない」

 比古はそう言いながら、剣心に質問をする。剣心はその質問を聞くと、複雑な顔をして困ったような仕草をしてみせる。

「…酒を嗜むようになったのは、この傷をつけられてからです。その頃は何を呑んでも血の味しかしなかった・・・」

 剣心は比古の言葉に正確に答えることはなかった。だが剣心の言葉をきき、そのあとに続いた言葉に何となく、剣心の決心を聞くことになった。

「・・・もう私は人を斬りません」

「その誓が、そのおかしな刀になったわけか…」

 そう言いながら、剣心の持つ逆刃刀を見て比古はつぶやく。

「…維新志士に限らず、幕府方の人間まで斬られているそうだな、しかもその刺客、数十とも数百ともいるなんて噂を耳にした。…片っ端からお前が叩き斬って、その間に警察が捕縛する。それだけで何とかなるのか?」

 比古 は今でも下界との交流はあるようで、剣心が何のためにここに奥義を会得しに来たかを大体の予想をつけながら、奥義の伝授を願い出に来たかわかっていた。そ れに少しばかり剣心は驚きを隠せないと言う様子を見せたが、比古のこと、その辺りは聞き及んでいるのが普通かと剣心は思った。

「刺客の数はわかりません、が多分指示者はいると思います。…その指示者がどの程度の剣客かはわかりません。ただ、斎藤一の連絡網に引っかかった情報ですと幕末の動乱を切り抜けた人斬りの一人だと言うことは聞いています」

 剣心も自分がこの山に奥義会得のためにきた理由を話す。

「…斬らずに勝てる相手なのか?」

「わかりません。それゆえ…命を捨ててでも奥義を会得せねばならないのです」

 剣心の決意を聞くと比古はため息をつく。

「愚かな…」

 比古はそうつぶやくと、バンとその場から立ち上がると、囲炉裏にあった炭用の鉄箸を手に取り、剣心の首に突き付ける。

「ならば死ぬか?今ここで。…時間をやる。いまのお前にかけているものが何なのか、そのバカな頭で証明してみせろ。もし、それがわからぬなら、お前はここで命を落とすことになる」

 比古 に鉄箸を突き付けられても剣心は微動だにせず、多少の傷もかまわないと言った様子で比古の方を向く。剣心の目は死んではいない。それは比古も確認できた。 だが、肝心の『奥義を得るための証明』は全くわかっていない、そう感じた比古はこの晩で、剣心にそのかけているものを見つけ出せと言う。

 剣心はそう言われ、逆刃刀を手に外に出る。「私に欠けているもの…」そう呟きつつ逆刃刀を抜刀して、ふたたび飛天御剣流の技の型などを確認し始める。



 翌朝。

 比古は近くの竹林の中で剣心がやってくるのを待っていた。そして、逆刃刀を帯刀して剣心はやってきた。

「・・・で、『こころ』、お前に欠けているものが何か、わかったのか?」

「いいえ」

 比古が訊ねると、剣心はただ短く答える。剣心は昨晩、それこそ比古の言ったくらいにバカかどうかはともかく馬鹿らしくなるほどに考えを巡らせていた。だが、剣心自身、それがわからない、と言うのが事実だった。

「そうか…見出せない、そこまでの成長しかできなかったと言うことか、『こころ』よ」

 比古は残念そうに言う。剣心はそれでも何が欠けているかがわからない。比古がこだわる理由が。

「少し奥義について話をしてやる。最後の機会をあえて与えてやる。形の中だけでも欠けているものがわかればそれでよし、仮に欠けているものがわからなければ、お前はここで本当に死ぬ」

 比古はそう言うと、昨日までは木の棒だったのを、今日は愛刀を抜き、真剣で剣心に稽古をつけることになる。

「いいか剣心。最後の奥義、これを会得すればおそらく俺に匹敵する強さを得ることになる。…だからと言って自惚れるな・・・」

 言いながら比古は愛刀の波紋を眺めて、剣心に言葉を続ける。

「お前ひとりがすべてを背負って犠牲になる位で守れる程、明治と言う時代は軽くないはず。そして同様に人ひとりの幸福もお前が背負おうとしている時代では軽くないはずだ。仮にこのまま欠けたものを見出せないでいれば、お前の死で悲しむものとて現れよう」

 すぅ・・・と、正眼に刀を比古は構えると、剣心に向け、自分の言葉をかみしめろと言うように剣先を微動だにせずに構えていた。

「覚えておけ、どんなに強くなろうともお前自身一介の人間、仏や修羅になる必要はないんだ…これらの言葉をじっくり考えてみろ。そして、次の技をもって欠けたものを見出せ」

「師匠・・・」

「ほぼ破門同然の喧嘩別れをした弟子に、ここまでの大きな手掛かりを教えてやって、もし見出せなければ殺すぞ、剣心」

 比古 はそう言いながら徐々に目つきが鋭くなる。そして、真剣で剣心に向かって攻撃を始める。剣心は慌てるようにして逆刃刀を抜刀すると、自らが作ったとする影 技とともに異端の剣客は師である比古清十郎とほぼ互角の斬り合いを繰り広げる。そして、一瞬二人の動きが止まったとき、比古は今までの神速とは違う超神速 で突然技を放つ。剣心は初めて見る技で、気づいた瞬間に比古の姿は自分の後ろにあった。

「簡単なおさらいと、実践だ。どの流派のいかなる技であれ、斬撃そのものは九つの斬り方以外になく、防御の型もまた、この九つの場所を防ごうとする。だが、飛天御剣流の神速を最大限に発動して斬撃と同時に打ち込めばいっぺんに防ぐことは不可能。これが飛天御剣流『九頭龍閃(くずりゅうせん)』。形はわかっただろう?俺に打ち込んでみろ」

 突然のことで剣心は何が起こっているかわからなかった。だが、「うち込め」と言われて、自分が九頭龍閃を放てと言うことだと瞬時に確認すると、剣心も正眼の構えから、九頭龍閃の型を確認する。そして飛天御剣流の神速で打ち込む。その瞬間、九つの急所を狙う技は発動する。

 だが、剣心が放つ九頭龍閃に満足そうに笑みを浮かべた比古は剣心とほぼ同時に九頭龍閃を放つ。

 九つの斬撃がお互いにぶつかり合う。

 そして、弾かれたのは剣心の方だった。

「なっ・・・九頭龍閃自体は・・・」

「ああ、九頭龍閃は完璧だったぞ。だが、俺とお前とでは体格差、力の差、ほかにも剣心が俺に勝るものはほぼ皆無」

 比古は容赦なく、剣心にこう告げる。それは・・・。

「私では…特に女で軽量のこの体では師匠の九頭龍閃にはかなわない!?

 剣心、名は男ながら、十三代目比古清十郎の気まぐれもあって、女の『こころ』に飛天御剣流を伝授したのだ、それは女の体格で比古には到底「かなわない」と言う、最後通告をしたうえで伝授されたものと同じだった。

「師匠・・・私では…」

「今の『こころ』では、俺の九頭龍閃にはかなわん。…だが、もし俺の九頭龍閃にこころがかなう技があるとすれば、それこそが飛天御剣流奥義『天翔龍閃(てんしょうりゅうせん)』しかない」

「なっ・・・九頭龍閃は・・・」

 剣心は急ぐあまりに九頭龍閃が奥義だと思っていた。

「俺は一言も九頭龍閃が奥義だとは言ってないぜ?」

 つまりはそう言うことだった。九頭龍閃にかなう技、それは九頭龍閃を理解してからわかる、奥義の型だった。

「そも そも九頭龍閃は、奥義伝授のために生まれた技。実践でも使うことはできるがどちらかと言えば実践的ではない。あくまで奥義の型を生み出すための前段階の技 でしかない。だが…九頭龍閃をも上回る技が天翔龍閃とわかればおのずとどの型から派生すればいいかわかるだろう?…で、欠けたもの、なんだかわかったの か?」

 比古の説明の後に突然現実に戻され、自分に欠けたものが何であったかを考える余地もなかった。だが、いま改めて考えてもそれがなんであるのかわからない、と言った表情をしてしまった剣心だった。

「…わからぬのならば、九頭龍閃の餌食になるだけだ」

 今まで気づかなかったが、比古はまだ白マントをつけたままで『稽古』をつけていた。だが、最後の言葉ののち、比古はその白いマントを取ってみせる。重々しいガシャッと言う音とともにマントが地面に落ちる。

「通 常、比古清十郎が飛天御剣流の力を抑えるためにつけているマントだ。そうでもしなければ、抜刀斎以上の斬殺とて可能になるほど、比古清十郎の名の下で振る う飛天御剣流は昇華されたものだ。…欠けているものがいまだ見出せぬお前に奥義は使えないだろう。そして、心に住み着く人斬りに屈服するしかなくなる。そ うなれば、お前は苦しみにさいなまれ、また人を斬る。ならばいっその事、奥義の代わりに人斬り抜刀斎と言う化け物に引導をくれてやるのが、師匠としての最 後の務め・・・」

 ヒュンと言う音がして剣心は瞬間的に比古を見る。比古は軽く愛刀を振っただけだったが、それでも辺りにあった竹の枯葉はいっぺんに無くなる。そのくらい、枷のない十三代目比古清十郎の力は大きなものだった。

「覚悟はいいな、剣心」

 比古が本気になるところを剣心は初めて見る。とてつもない覇気と剣気、何より体躯がずば抜けてしっかりとしている。この師匠の姿に剣心は身震いするのを感じないわけにはいかなかった。

(震えている、恐れているのか「比古清十郎」を、いや、その先にある絶対の「死」を!!)

 剣心はじりじりと間を詰めてくる比古にまず、九頭龍閃に勝る型を瞬時に読み取り、刀を納刀する。飛天御剣流の神速抜刀術で九頭龍閃と同等かそれ以上の神速を使えば、九頭龍閃は回避できる、それが剣心の答えだった。

「命に代えても、奥義を会得しなければ・・・」

 剣心は自然とそんなことを言っていた。

「いくぞ、剣心」

 比古の言葉を聞き、九頭龍閃のモーションに入った瞬間、剣心は自ら死んだと勘違いするほどだった。だが、その瞬間、また別の思考が頭をよぎる。

(いや、死ねない、死なずに戻らずして誰がこの先の幸福を守っていくんだ!?)

「死ねない!!私はまだ、死ぬわけにはいかないんだ!!

 剣心はそう言った瞬間に、自然と身体が動き、九頭龍閃を回避し同時に天翔龍閃を放っていた。



決心/緋村剣心、第十四代目「比古清十郎」 師匠/第十三代目「比古清十郎」

 剣心は九頭龍閃の放たれた、自らに死の迫った瞬間に天翔龍閃を発動し、比古に対してその足を止めることに成功する。

「そうだ…それでいい」

 比古は立ち止まったその状態で剣心に告げる。

「人を 斬り、あまたの命を奪ったお前はその罪悪感ゆえに自分の命を軽く考えようとする。だがお前の命もまた一人の人間の命。それに目を伏せていたお前は真の力を 使えずに中途半端な飛天御剣流と人斬りとしての自分に自由を与えてしまう。それを克服するには、今お前が理解した生きようとする力が絶対なんだ」

 そう言って比古が振り返る。その比古の優れすぎた体躯には右切り上げの形で着物がちぎられていた。それを見て、剣心はあまりにもそのすさまじさに驚きを隠せなかった。

「愛しい者、弱き者を助けるのが飛天御剣流の理。だがそれはあくまで一人の人間が振るう剣で守るもの。お前が修羅や仏、挙句人斬りになったところで、誰にも幸せは訪れん。生きようとする意志は何より強い。それを決して忘れるな」

 比古がそこまで言うと、少し顔をゆがめる。剣心は何かの違和感を感じずにはいられないでいた。だが、比古は言葉を続ける。

「これからお前は天翔龍閃を自在に操り、自分の中の人斬りに自由を許すことはないだろう」

 そこまで比古が言ったとき、剣心の感じていた違和感、比古のゆがむ顔の正体がわかる。剣心が放った天翔龍閃の傷が徐々に広がっていったのだ。

「師匠!!

「気にするな・・・天翔龍閃は飛天御剣流最強の技。弟子は師の命の代わりに天翔龍閃を会得するんだ。…これで俺が御剣の何たるかを教えるのは最後だ」

 そこ まで比古は言うと、そのまま倒れていく。剣心はその様子を見て信じられないと言った表情と、比古を助けなければならないと感じた。慌てて比古の腕を肩に担 ぐと、小屋の中に連れていく。そして、水で傷を洗い、少しばかり荒い息遣いの比古の状態を見守るしか、剣心には出来なかった。


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「オイ剣心、何をのんきに寝てやがる」

 突然頭を蹴られ、剣心は何事かと刀に手をかける。だがそこが比古のいた小屋の中で目の前には間違いなく比古清十郎が経っていることを感じた剣心は、ほっと胸をなでおろす。

「師匠!!

「ったく、今生の別れのはずが、俺を生き延びさせやがって。…だが、これで奥義の伝授は終了、あとは流浪人(るろうに)のお前が強弱緩急を自在に操り、天翔龍閃を昇華しな」

 比古はそう言って剣心に少しばかりの笑みを浮かべて伝える。

「…でも、なぜ…私は何もしていないのに・・・」

「生き 延びたかって?一つはこの逆刃刀だな。目釘が今にも抜けそうになっている。その分刀が衝撃を吸収したんだろう。あとはお前自身だ、こころ。お前が初めて繰 り出した天翔龍閃は形こそ確信しても、全力ではない、そのうえ、お前が女であることで、小柄な体に体重も軽い。どんなに最高の力を出しても逆刃刀に力が完 全に乗らなかったんだろうな、俺の人選に間違いなかったと言うところか」

 比古はそう笑いながら、剣心に微妙なところで助かったと言うような瞳で見つめてくる。

「…さて」

 比古はそう言って白のマントを自分からとると、剣心に手渡そうとする。

「受け取れ、比古清十郎の名とともに引き継がれた白マントだ、お前にはその資格がある」

 比古はそう言ってマントを剣心に持たせる。

「…つけることはしませんが、『お預かり』します」

「返してもらう気はねぇよ、第十四代目『比古清十郎』。おまえは緋村剣心の名を名乗り『比古清十郎』の隠し名で継ぐべき飛天御剣流を伝授されたんだ。…が、この先の世で御剣が必要かはわからん。その辺も含めてお前が考え、行動しな」

「…はい」

「・・・・・・よし、約束しろ剣心。お前の命も一人の命、決して無駄にはしないこと」

「心得ました。…では師匠、お世話になりました」

 剣心はそう言うとわざわざ再修業を世話し、奥義の伝授までを付き合った師匠に頭を下げる。