決別/比古清十郎、こころ

 江戸のとある山の中。

 二人の人影があり、片方は酒瓶を片手に酒をあおっている。もう一人はまだ、幼さの残る顔をして、年端も行かぬ少年のように見えた。

「さ て、剣心。お前はこの時代が変わるやもしれない世の中で、人々を助けずに何の剣術か、と問うたな。…だが、俺たちの知る剣術は、ひょっとしたらとてつもな く危ない剣術だ。それこそ、時代の流れさえも変えてしまいかねない危険な剣術だ。それでもお前は、市井で暮らす人々を助けたいというのか?」

 酒をあおりながら、一人の男が少年を剣心と呼び言葉を続ける。その剣心は問われた質問に対して、力強くうなずいて見せた。だが、男の方は、そのうなずきとは裏腹に厳しい視線で剣心を見つめた。

「…お前は市井の人々を助ける、と言うが、実際にはどちらかの権力に助力することになるんじゃないか?人々を助ける、それはすなわち今起こっている動乱の時代を早く鎮めたいと考えるということ、すなわちどちらかの権力に加担することに変わりはないんじゃないか?」

「…確かに、師匠の言う通りです。人々を取り巻くものから人々を守るには、それしかないのではないでしょうか?」

 男の質問に剣心は「師匠」と男を呼び、自分の意見を答える。男は厳しい顔つきをしたままだった。

「俺 がお前に教えた剣術は自由の剣だ。だが、さっきも言ったように危険な剣術だ。…人々の側に立って、どちらの勢力からも守る、そんなことは考えられんか?… 否、考えられんな、今や日本全体でこの動乱は起きている。どう考えても、その『勢力』に加担して、動乱自体を止めねば、日本は救われないのかもしれない な」

 深くため息をついて、男は剣心の考えを見抜いている風で一人しゃべっていた。だが、剣心もそのことについては肯定すると言いたそうに真剣な目つきで男の言葉を聞きながら都度うなずいて見せていた。

「人 々を守る、それが全く出来ないとは言いません。ですが、日本全国で苦しむ人々を助けなければならないのです。そう考えると、仮に私が師匠にも手伝いをお願 いして、市井の人々を守っていく…それが出来るのはほんの一握りの町や村だけ…それではほかの人々を救えないのです。それとも師匠は一握りの人々だけを守 り、そのほかの人々を見捨てろと言うのですか?」

 剣心はそう言って、師匠と呼ぶ男に質問する。だが、男の方はしばし考えこみ、すぐに剣心の質問には答えなかった。酒を何回かあおり、沈黙がしばらく続く。

「・・・そう言う考え方はしたことがなかったな。人々を守るために片方の権力に汲みする。だが…そうすることでも、敵方に回った『人々』を見捨てることになる、と言うことに気付いているか?」

 男はそこまで言って再び酒をあおる。

「もちろん…わかっています。ですが、戦に巻き込まれる可能性のある市井の人々を守り、戦を早めに決着をつけるというのは可能であり、私のできる人助けではないかと思います」

 剣心は真剣な顔をして、その少年のような瞳の奥に強い意志のようなものを炎のように燃やしていた。それを見とる男は少しばかり口元に笑みを浮かべて、剣心を見やる。

「なかなか面白い考え方だ。あえて権力に加担して、片方を勝たせることで、犠牲者を最小限にとどめる。そういう考え方は俺もしたことはなかったな。何せ、何事があろうとも権力には従わないと言うのは、この剣術の理(ことわり)の一つだからな。それをお前は破ってでも戦に巻き込まれる人々を守るために自ら剣を振るうか」

「はい」

 男が少し笑いつつも剣心の考えを見抜いたとでも言いたげな顔で問いかける。その男の顔に対し、剣心はそれが自分の決めた道とばかりに力強くうなずいて見せた。

「ふむ・・・そうか。なぁ、『こころ』。ここからは剣の理だ、危ない剣術だというのは「なし」にして話そう。…お前は今の幕府方と倒幕派と、どちらが優勢で、その先の世の中をどちらがどう導くと考える?」

  男は今までの厳しい気の膨張を剣心から解き、同年代の人間と話すかのように砕けた物言いに代わってきているように感じた。こころ、男は剣心をそう呼ぶ。そ して、師匠と呼ぶ男が是が非でも止めようとしていた鋭い気から解き放たれ、嫌な汗を今までかいていたのがスッと引いたような感じを剣心は受けた。

「…その名で呼ぶのは反則ではないですか?…でも、師匠と弟子ではなく、お互いが見据える姿を縛りなく話そうと言うことで構わない、と言っていると解釈しましょう。私は…あくまで想像ですが、倒幕派が勝たねばこの国は終わると考えています」

「その、理由は?」

  剣心はこころと呼ばれても「反則」としか言わず、特に嫌がる風を見せるでもなく、その名のままで話を続ける。質問に神妙に答えると、間を置かずに剣心に師 匠と呼ばれる男は質問を返してきた。今までは、練習用にと使っていた木刀を手に、胡坐をかいていた剣心だったが、こころと呼ばれて、居住まいを整え、その 場に正座をして、男の質問に答える。

「ご 存知の通り、黒船が来航して以来、開国を要求する諸外国と、鎖国を続けようと意地になっている幕府。そして、列強各国に追いつくために例え不平等条約で あっても締結し、日本を侵略しないという確約をつけて開国すべきとする討幕派。…幕府方の考えではいずれ、日本は各国の侵略によって、果てはなくなる道を たどると考えています」

 正座をして、剣心はそう意見を述べる。その意見を聞き、酒を一回あおり少し「解せない」と言った表情をして、男は剣心の言葉に自分の言葉を続ける。

「なるほど。確かに、鎖国をし続ければ、まずは出島で貿易の許可をしているオランダ辺りがその出島を拠点に殴りこんでくるやも知れんし、それを突破口に次の国々が出島から日本侵略を企ててくるかもしれんな」

 妙な納得感を得た男は、口元に笑みを浮かべて、剣心の言葉を待つ。剣心はそれがわかっていて、あえて少しの時間沈黙をして、自嘲するように口元に男と同じような笑みを浮かべると、ようやく次の言葉を紡ぎだす。

「…ならば開国をして、諸外国の求めるもの、日本が得るものを相互に取り込んだ方が得かと思います」

「…なるほどな。そのためにも、幕府方はつぶす必要がある、と。しかしまだ年端も行かぬお前がどう対応していくんだ?刀一本振れるのか?」

 男はそう言って立ち上がると、部屋の片隅に何振りかある刀の中で、比較的短めな、小太刀(こだち)を持ってくる。

「こいつならば振れるだろうが…あとは、お前で何とかしろ」

 男は剣心に刀を放る。

「…俺が助けられるのは、お前の意見とその先を見据えた考えだけだ。だからお前は、『飛天御剣流』に於いて異端でしかないと言うんだ。俺がお前を助けたときから、俺がお前を異端に育てたのかも知れんがな」

 男はそう言いながら、こころと呼んだ剣心の両肩に手を置いて、頭を下げる。

「…あとは好きにしろ、バカ弟子め」

 男はそう言うと、剣心をさっさと家の外に出し、硬くその入り口を閉ざす。剣心はどういう状況になったのか一瞬わからなかったが、ほぼ破門されたのと同じものなのだとわかり、小太刀を腰に差すと、入り口に向かって、一礼した。