Route / Rea-01.『ファミーユへ の転属』


 その日、玲愛はキュリオの 制服姿、仁はファミーユの男性用の制服を着て、ブリックモールへと出勤した。昨晩は結局、玲愛に実家に連れていかれて、玲愛と由飛の両親と夕食を共にして、玲 愛と共に寝たと言う、強引極まりない状態で仁は気の休まる瞬間が全くなかった。

「取り敢えず・・・玲愛は板 橋店長に挨拶してこないとまずいよな」

 仁がキュリオの制服姿の玲 愛を見て、次の行動を口にする。

「制服も返さないといけない し…ファミーユでも制服は作ってくれるんでしょう?もちろん」

「当然だろう。キュリオの昼 用制服ほどすっきりした制服と言うわけではないけど、着てもらわないことには、玲愛が転属したことにならんからな」

 仁がファミーユの店内をち らっと見てみる。キッチンの方で二つの影がいつもの通りに動いているのがまだ暗い、フロア側にを照らす蛍光灯の光でよく見えた。

「・・・あとで、ゆっくり話 はするつもりだけど、私にばかり気を遣っているわけにはいかないでしょう?…何のことを言っているか、わからないなんて言ったらここで思いっきり蹴りが炸裂す るわよ?」

「ああ、そっちの方について は俺も玲愛の協力無くして成功するとは思っていない。…アイツは嫌がるだろうけどな」

 玲愛が意味深に仁に質問を 投げかけると、仁もそれについては重々承知していると言いたそうな表情で玲愛に正面を向いて、返答する。

「取り敢えずはお互い、現在 所属のお店に出勤と言う感じか。姉さんがなんて言うかわからないけど、取り敢えず大騒ぎすることだけは間違いない。…少ししたら俺も板橋店長のところに行くか ら、玲愛は…しばらくはまだ、キュリオのチーフとしての働きの方に重きを置いてくれ」

 仁が外から再びファミーユ の店内の影を見ると、未だに忙しそうに立ち回っている二つの影が見える。玲愛は玲愛で、まだ誰も来ていないと思わせるようなひっそりとしたキュリオの店内を見 る。電気の類はついていないが、多分、全員が玲愛の到着を今や遅しと待っているに違いないと思うしかなかった。

「ま、チーフも…次期チーフ は瑞奈が担当になるんでしょうけど、みっちりとチーフとしての仕事を叩き込んでやるわ」

「…その辺、少し手を抜い て、ファミーユに有利にしてくれると嬉しいんだが・・・」

 玲愛が次期チーフについて 話すと、仁は何となく、玲愛をヘッドハンティングして得たファミーユにさらに有利に動くようにと玲愛にこっそりと耳打ちをするが、真面目が服を着て歩いている と言う形容がしっくりくる玲愛が手を抜くはずもなく。

「何言ってんの、敵がそれだ け強くなれば、自然とそれに対抗するファミーユだって強くなるに決まっているじゃない。それに、私が何か小細工を使わないでも、板橋店長が仕掛けてくるのは目 に見えているんだし、機動力に於いては私がファミーユでチーフになるんだから、今までの無駄時間なんて一切認めないからね」

 玲愛が意気込んで仁の提案 を真っ向拒否する。だが、それでもファミーユの方が上にあると言う意識があるのか、自分がファミーユで辣腕を振るえば、自分が抜けたキュリオがそうそう簡単に ファミーユ相手に勝負を仕掛け、勝ってくるなんてことはないと言うような感じで、玲愛はポンと仁の方を叩いた。

「よし、それじゃあ、お互い にバツの悪い報告でもしに行ってくるかぁ」

 仁が何となく、ファミーユ には入り難いと言いたそうなセリフを吐くと、玲愛は満面の笑顔で仁の背中を叩く。

「ちゃんと、私の居場所も用 意しておいてよね、店長!!

 そう言いながら、玲愛は恐 らく全員が何かを仕組んでいるであろうキュリオの店内に入って行った。

「俺も、あれがダメ、これが ダメなんて言ってる場合じゃないな。玲愛を少し見習わないと。よし、行くか!!

 改めて仁は背筋を伸ばし、 深呼吸を一回して、ファミーユの入り口を開けた。


 ファミーユの厨房の中で は、案の定と言った光景が広がっている。ただでさえ破格の値段設定で売っているケーキが次々に売れて無くなっていくのは、もうすでに旧ファミーユどころかキュ リオでさえライバルと呼べないと言った域に達している。そんなケーキたちを焼くのはパティシエで総店長、仁の義姉の杉澤恵麻と同じくパティシエの涼波かすりの 二人だった。

「あっ、仁くん、おはよー」

 カウンター越しにパティシ エ二人がてんやわんやの状態でバタバタしているのを少し眺めていた仁にかすりが声をかけた。

「ああ、じんくん、良いとこ ろに!!卵の方、全然手が付けられないの、報告したいこともあるで しょうけど、今はファミーユが通常営業することだけを考えて!!

 余談ではあるが、仁がこよ なく愛するもののうちに『卵』がある。それは食べるのももちろんだが、それ以上に卵の扱い方については、どんなパティシエたちも真似できないと言うような扱い をする。ランチメニューとして、オムライスがあるが、これは仁自身の得意中の得意とする卵料理で、とろふわな卵が食べる時にケチャップライスを包み込む、それ だけでも美味しさが倍増すると言うものだが、それを一回食べると、病みつきになる人が数多く居ると言う程のものだった。

 そんな仁は、パティシエの 二人がケーキを焼くときにはあまり卵のことであれこれ言っていたり、ケーキ用にと卵を溶くことはあまりないのだが、今日は既に修羅場を何度となく、恵麻とかす りは経験してきている様子だった。

「よっしゃ、わかった!!

 仁はそう言って更衣室に入 ると瞬時に着替えを済ませて、腕まくりすると次々に巨大なボールに卵を割り入れて行く。そして、恵麻たちが必要としているだけの卵を割ったら、ここからが仁の 真骨頂、その卵を慣れた手つきで混ぜ始めて行った。

「いやー、さっすがは仁く ん、その大きなボールで卵を易々と扱うあたり、惚れちゃうなー、何度見ても」

 手は動かしながら、かすり が仁の様子を見て、見たままの感想を、少々の余計な言葉を含めて褒めてみせる。だが、この状態に突入した仁には、余り周りの声が入ってこない。一通り、卵の準 備が終わった時、何かを覚えているかと聞かれると、大体は覚えていない。それが、卵に向き合う仁のスタンスだった。

 そんな三人の大乱闘を、あ とからやってきた由飛と明日香、美緒が自分たちの身支度を終えて開店準備をしながらめちゃくちゃになっている厨房を覗いてみたりしていた。そんなドタバタ劇の 中、フロア組はそれぞれに任された開店準備をして、無事、ファミーユの開店となった。仁としては、朝礼の場で、玲愛が今度からフロアに入ると言う事を話すつも りでいたが、ギリギリの時間までケーキの焼きに入っていた恵麻とかすりを見て、朝礼での報告は出来ないと悟り、フロア組と簡単に朝礼を済ましていた。


 一方の玲愛の方だったが、 誰も居ないように見えてすでに施錠は解除されているところを見て、フロア組が何かを考えていると感じ、慎重に入っていく。すると、案の定と言った感じで、数々 のクラッカーとバズーカタイプのクラッカーが打ち鳴らされる。玲愛も予想していたことだけにあまり仕掛け人たちにとっては面白味のない玲愛の登場に、口をとが らせてブーイングをする。

「・・・で、開店前にこんな に散らかして誰が片づけるの!?

 笑顔の玲愛はどんな時より も怖い、一番怒っているタイプと言われることがある。そして、今の玲愛はこめかみに青筋を浮かべて話をするくらいなのに、顔は満面の笑顔だった。それを見た川 端瑞奈、成田芳美、長谷川ひかりの三人は慌てて掃除道具を取りにバックヤードへと走っていく。三人の姿が消えたその場所にはまだ、一人の姿がある。何となく、 面白くないと言った表情を浮かべて玲愛の方を見ていた。

「何の御用ですか?店長」

 玲愛が優しい表情ながら青 筋を浮かべるその姿が、店長である板橋には面白くないと言う事なのだろう。

「ちぇ〜、高村君も同伴出勤 してくれると思っていたのになぁ」

 理由はどうあれ、ウェイト レス達が口を尖らせたのと同じように、板橋も口をとがらせて玲愛に言う。

「同伴って、ここはお.酒の提供はしていません。それと、あくまで私たちはウェイトレスであっ て、同伴出勤がどうとかと言うようなこともしていません。…お酒が必要であれば、本店か二号店にいらしてはいかがですか?」

 丁寧な言葉の節々に怒りが 込められている玲愛の言葉に、板橋は全く動じることもなく、玲愛に質問で返してくる。

「昨日のことは、ファミーユ も含めて知っているよ。…ヘッドハンティングしたのならば、その当人が一緒でも構わないんじゃないかな?」

「ファミーユの方にも説明が 必要ですし、高村店長も朝の時間は忙しく動き回っています。落ち着いたらこちらに足を運ぶと言っておりましたので、それまでご辛抱いただけませんか?」

 板橋が不満全開で玲愛に文 句を言うが、玲愛も負けじと質問で返してくる。しかし、玲愛の方が正当な答えを述べているのを板橋もわかっている以上、この展開では玲愛に勝機があるとしか考 えられなかった。

「じゃあ、高村君が来たら呼 んでね」

 板橋はぶつくさと文句を言 いつつ、玲愛に一言残して、バックヤードに姿を消す。その様子を見守り、ふと、お隣さんであるファミーユを見ると、由飛を初めとしたスタッフたちがやはり開店 準備に追われているのを見て、どこかホッとしたのと、これからの職場がファミーユに代わることに期待しながら、玲愛は瑞奈たちがクラッカーの紙くずを片づけて いるところへと小走りに近づき、片付けを手伝う。

「…ところで瑞奈、昨日本店 で起きたことをキュリオはともかく、ファミーユのメンバーまでもが知っているって言うのはなんで?」

 何気なく玲愛はいつもの調 子で瑞奈に訊ねる。瑞奈はびくっと身体を震わせ例の方を向く。

「別にもう怒ってなんかない わよ。その位の事は一番長く付き合ってきた瑞奈が良く知ることじゃないの?」

「いや、そりゃそうだけど… その、ファミーユにまでばれていると言う事を聞くと、やっぱ怒るのかなって思ってさ」

 その辺りは素直に、瑞奈は 自分の考えを玲愛に伝える。玲愛自身も原因については大体の予想と言うものは出来ているので、今更隠されても逆に困ると言う状況だった。

「怒りはしないわよ。で、… そもそも本店に主犯が居るってこと・・・あ゛!!

 昨日の流れを振出から、玲 愛は考え直す。散々、仁に文句を言った後、結局は玲愛を騙していたと言う事を隠していた仁を許す形になり、今までの懺悔を仁は玲愛の前で行った。そのあとはす ぐに行動が起こされ、二人はキュリオの本店に向かう。そこに居たのが、本店でチーフを務めている大村翠、その人だったことを玲愛は今になって思い出す。

「翠さんが全部仕組んだん かぁ・・・で、おしゃべり好きでファミーユとも仲のいい芳美辺りが写メを見せて、ファミーユのメンバーにも伝わった、と言うところね。…間違ってる?」

 大体のあらすじを読んで、 玲愛は瑞奈に事の真偽を問う。瑞奈は大きく首を振って、その通りだと肯定する。こうすることで、悪事を働いたのが芳美一人になり、自分には害が無くなると読ん だ瑞奈の行動だったが、この件に関して玲愛は、どこかいつもの『鬼チーフ』の玲愛とは違った雰囲気を醸し出していることに気付く。最終的に、芳美に雷が落ちた かと言うとそんなこともなく、トントンと朝礼の準備まで進んで行ってしまった。

(ちっ、わざわざ芳美一人に 罪をかぶらせようと思ったのに・・・)

 心の中で瑞奈が言った。


 そんなファミーユとキュリ オの最繁時間帯はオープンから15時位になる。スタッフが気の抜くことのできる唯一の時間かも知れない。特にファミーユはランチに名物となったオムライスを提 供しているので、仁だけが忙しいわけではなく、それを持ち運ぶ、そしてオーダーも取る、と言う作業が頻繁に発生する由飛、明日香、かすりはフードコート内を飛 び回って何とか回すことが出来ていた。

「さーて・・・どっちから始 めるかなぁ」

 一息ついたのは仁は、伸び をしながら厨房からフロアの方に出てくる。そこではまだ、客の絶えない状態が続き、フロア組はまだまだ飛び回ることを余儀なくされていた。

「…キュリオの方が話しがし やすそうか。ファミーユは…と言うか、両店ですでに知っているような空気だけど…いや、絶対にどこかのルートで昨日のことはばれているな。板橋さんに話を聞け ば、大体のことはわかるだろう」

 仁はそう呟くと、「休憩し ます」と総店長である恵麻に一言告げて、キュリオへと向かう。

 おんなじような…と言う か、メイド喫茶、と言う形を取っている両店に違いがあるとすれば、それは制服とそれぞれの守備範囲くらいだろう。なので、キュリオの店内が静かであるはずもな く、みんながバタバタしていたが、一人悠然と仕事をこなす姿を仁は見つけると、「外に出てこい」と言ったようなジェスチャーを示す。悠然と仕事をこなす玲愛は それを見て、小さく手でOKサインを出すと、持っていいた物をひと まず置き、瑞奈に一言告げてキュリオの店外にくる。

「お疲れさん。板橋さんはい つもの所だろう?」

 出て来てすぐに仁は玲愛 に、板橋店長が居るであろう場所の確認を取る。玲愛は「店には姿が無いから、他に居る場所は決まっている」と言うような返答をすると、二人でブリックモール内 の喫煙所に向かう。案の定、その喫煙所には煙に巻かれている板橋の姿を確認できた。

「板橋店長、ちょっとお話 し、よろしいですか?」

 いつになく、仁は丁寧な態 度で板橋を少し離れた柱の陰に呼ぶ。

「もうすべてご存知なんで しょうけど、改めて、報告させていただきます。本人とキュリオ本店の人事の方には承諾を得たので、あとは辞令が出ればそれで事は澄むのですが。花鳥玲愛さんを ヘッドハンティングして、これからはファミーユの従業員になってもらうことになると言う話をして、その了承を得たので、キュリオさん側で引継ぎなどが終了した 時点で、花鳥さんにはファミーユの店員と言うことで、仕事をしていただくことになりました。…大事な戦力でしょうけど、こちらにとっても玲愛みたいな人間がい ると、もっと動きが良くなってくるはずなので、玲愛だけは外せないと思っての転属願いです」

 仁が一応の形を取って(宣 言とは言ったが、正しい体裁を取っているわけではなかった)、板橋に言う。板橋は仁がそんなしっかりとしたことを言うとは思っていなかったようで、少々面を喰 らったような表情で仁と玲愛を交互に見返す。

「一応、仁とは話して、二ヶ 月くらいはキュリオで、次期チーフに仕事を叩き込みますので」

 玲愛はまだ身内である板橋 にいつも通りの接し方をする。

「それはそれで構わないし、 ヘッドハンティングの話も、本店から聞いているから大丈夫だよ。ただ、カトレアくんが居なくなるのはちょっと痛いけどなー・・・」

「板橋店長の口からそんなセ リフが出ると言う事は、玲愛はそれだけ重要な地位…ようは、店長不在でも店が何の支障もなく営業できている理由をもぎとられる、と言っていると言う事ですね」

 仁がいらぬ突っ込みをして 見せるが、板橋的にはやはり、玲愛の機動力と言うのがものを言っていたと言うのは事実だった。

「だって仁、私は一人で2.5/月 でカウントされてるのよ?それだけ、私が動いていたと言う事なんでしょうけど、後任がそれだけできるかどうかと言うのは、私が仕事を叩き込んだ後にどれだけの 機動力を発揮するか、と言う部分にかかってくるわけで、それは…」

「まず、ありえない」

 玲愛が説明をして、その言 葉の重要な部分でいったん言葉を止めると、それに続けて仁が最終的な決断とも取れる言葉を口にした。それを改めて思い知った板橋は脱力する感じで玲愛の方を見 る。

「今更戻ってくれ、なんてカ トレアくんには言えないしなぁ」

「言ってるじゃないですか。 もちろん答えはNOです」

 板橋のボヤキに対して、玲 愛はきっぱりと自分がファミーユに転属すると言う事を告げる。

「カトレアくんがいるのは千 人力なんだけど、敵に回した時、一番怖いのもまた、カトレアくんなんだよねぇ、何とかならないかなぁ?高村君」

 今度は標的を変えて、仁に 玲愛の転属を何とかしてほしいと言ってくる。だが、転属そのものを言い出したのはここにいる二人であり、仁の態度が変わることは無かった。

「ダメに決まっているじゃな いですか。何のために玲愛をファミーユに呼ぶか十分にわかっている人のお言葉とは思えませんね」

「それと、私は『かとりれ あ』です。カトレアって言うの、止めていただけませんか?」

 仁と玲愛から攻撃を受けた 板橋は、ぐぅの音も出ないと言うように腕を組んだまま、黙り込んでしまう。

「カトレア…いや、花鳥くん は次期チーフ候補を本当に二ヶ月で育てられる?」

「次期チーフにその気があれ ば。難しいことは何一つとして無いわけですからね…今までウェイトレスをしていた限りは。それに、ファミーユだって、絶対的な敵になると言っているわけではあ りません。お隣同士、うまく助けていければ良いとは思いますし、高村店長とも話しましたが、お互いのフォローはきちんとしていく、と言うのは、高村店長と私が ケンカしている最中でもしていたことですから。それをやめるなんてことはいまさら言いませんよ、ね?店長?」

 そう言って玲愛は仁を見上 げる。それについては全く問題ないと言いたそうなくらいはっきりとした態度で頷き、玲愛の言葉を肯定する。

 それを見た板橋は何となく うなだれ気味に玲愛を見て、はぁと溜息をつく。不意に玲愛が「そんなに仕事するのが嫌なんですか?」と聞いてしまったほどに今の板橋は気力がなくなっているよ うに感じられた。

「そりゃー、仕事なんかしな くったって、責任者と言う肩書だけでブリックモール内を闊歩できれば、その方がいいに決まってるじゃないの。カトレアくんが居なくなっちゃうと、肝心な選択が 必要となった時の指示者が自分になってしまうのが、なんともね・・・」

 玲愛が思わず「言ってはい けない」と思ったことだったが、珍しく板橋は悪態などもつかずに本気で思っているであろう、今まで玲愛が居たおかげで出来ていたことが奪われることへの悲しみ を玲愛と仁に言ってのける。

「いっつも喫煙所でキュリオ の店長を見かけると言われていたりするのもご存じではないんですね?その様子だと」

 何気に、無礼ついでに仁が 板橋に訊ねると、板橋は突然気分が変わったのか、軽く笑って仁の質問に答える。

「そんなこと、知らないはず ないじゃない。だけど、ボクだって姿のない時間はあるんだよ?」

「…店長、そんな噂が出てい るとは私は知りませんでしたが、それでもなお、喫煙所に居ると言う行為はよろしくないですね。できれば別の場所でタバコは済ませて頂きたいと思うのですが。私 の仕事の最後がこんな注意で終るなんてことの無いようにしてください」

 半分呆れてれ玲愛が言う。 だが、玲愛に少しの怒りが見え隠れしていても板橋はそんなには意表を突かれたとか、玲愛の雷が落ちるとか言ったことを気にもせず、次の煙草に火をつけて、その 紫煙をゆっくりと吐き出す。

「ボクだって、カトレアくん が居なくなったらどうしたらいいんだかを考えてるんだよ。…考え事するのに、煙草が一番集中できる方法なんだよ。その辺は…カトレアくん、高村君ならわかって くれると思うんだけどなぁ」

 ぬけぬけと板橋は同意を求 めるようにして、煙草をくゆらしながら仁と玲愛に言う。玲愛は半分呆れた顔をして、板橋の煙草を吸う様子を眺める。

「いや、煙草の話じゃなく て。…本店から転属の許可は出ていると言う事でいいんですね?」

 思い出したように玲愛は板 橋に言うと、板橋は少し驚いた表情を見せて玲愛の方を向く。

NGだっ たら行かないの?」

「いえ、そんなことは無いん ですけどね。それに本店で話を済ませているので、後任に仕事を覚えさせたら、ファミーユに転属と言う事で、板橋店長は了解している、と言う解釈にしておきま す」

 玲愛はそれだけ言うと、仁 のシャツの袖を引っ張って喫煙所から姿を消した。

「…転属がどうのこうのって 言ったって、もうファミーユに行くことは絶対でしょうに。キュリオ本店からNGの お達しが来ているとだましたところで、自分の任務を遂行完了したら、ファミーユの店員になっている、そんな花鳥くんの姿は…なぜか、違和感なくイメージできて いるんだよなー、あー、残念だ」

 二人の消えたその場所で、 板橋は既に根元まで燃えて来ている煙草を見ながら、玲愛の絶対的な態度を見て、手放すしかない人材だと言う事を改めて理解したようだった。


 キュリオへの顔出しは終わ り、そのあとは閉店間近で駆け込みの客がファミーユにもキュリオにも押し寄せて来ていた。そのため、ファミーユでの玲愛の転属の話はまだできないでいた。

 そして、ブリックモール全 館の閉店時間になり、ファミーユの面々はようやく解放される。

「毎度毎度のことだけど、駆 け込みでケーキを買いに来るのだけはやめてほしいと切に願うよ…」

 かすりがいつもの制服に着 替え、由飛の動きを指示しながら最後にやってきた客を対応して、ようやくその場に倒れ込むようにして呟いた。

 そんなかすりの様子を見 て、あっちはあっちで大変なんだろうな、などと言う事を思いながら仁はフードコートを挟んで対面しているキュリオの方を見つめた。玲愛は営業時間が終わったら ファミーユにやってくると言う事だったから、なおさら気になってキュリオから出てくる姿が無いかを見ていたのだった。

「仁く〜ん、もう帰ってい い?今日の報告は明日の朝礼で〜」

「ダメです、一応終礼もしな くちゃだし、話があるんですよ。姉さんも含めて、かすりさんたちだって十分にその『話したいこと』が何だか知っているでしょうに」

 何とか起き上がったかすり はそれでも、床にぺたんと座り込んだ状態で仁に退勤を願い出る。だが、それは仁自身許可を出せるものではなかったし、終礼をした後には、仁も混ざって、恵麻と かすりの三人で明日のケーキの下ごしらえをしなければならない。そう言う観点からも、いまかすりに帰ってもらっては困るのだった。

 「う〜」と唸る声をかすり は出したままだった。仁に対してのささやかな反抗心がそうさせているのだが、当の仁はそんなことはお構いなしでキュリオの方を見ている。すると、大急ぎでキュ リオの制服を身にまとったままでこちらにやってくる玲愛の様子を確認することが出来た。

「はいはい、かすりさんもき ちんと立って。終礼しますよ〜」

 仁がようやく終礼の指示を 出す。同時にファミーユの入り口のドアには玲愛が駈け込んで来た。

「仁、ごめん」

「いや、いいよ。こっちはま だ、明日の仕込みがあるから・・・それじゃー、わざわざ言う事でもないとは思いますが」

 仁がそこまで言うと、今日 は学校が長引いて欠勤している明日香を除き、恵麻とかすり、由飛、美緒が仁の前に少しばかり乱雑に並ぶ。

「フロア組に朗報です。今 度…キュリオから花鳥玲愛さんがファミーユに転属してきます。…転属と言うと籍そのものがキュリオにあるみたいですが、悪い言葉を使うと、ファミーユに鞍替え すると言った感じです」

 そう言って玲愛のほうに目 配せする仁。それを見て、玲愛が一歩前に出て丁寧にお辞儀をする。

「今度…二ヶ月後くらいにな ると思いますが、ファミーユでお世話になることになりました、花鳥玲愛です。ファミーユ流と言う点では至らないところもあると思いますが、ウェイトレス経験は ファミーユの誰にも負けません。が、ファミーユのやり方がわからないので、ご指導のほど、よろしくお願いします」

 挨拶の言葉を言って、玲愛 は再び頭を下げる。

「…はーい、仁くんしつも〜 ん」

「はい?何ですかかすりさ ん」

 疲れて手を挙げるのも面倒 と言うようなかすりが仁に質問と言う事で手をだらんと力を入れずに上げる。それを見て仁は「少しはしっかりしてくれ」と言いたいのをぐっとこらえてかすりの質 問を聞く。

「玲愛ちゃんのポジションは どこになるの?」

「そりゃー、フロアチーフで すよ。こうすれば、駆け込みでどうしてもあと一回ケーキを焼かないといけない場合、かすりさんは厨房に戻れます、フロアはチーフで玲愛、あとは由飛が入ってい れば、問題ないと思います」

 仁はそう言って、玲愛の方 を見る。玲愛は自信満々の笑みで仁に応える。

「…そっかー、チーフって名 ばかりだと思ったけど、指示役となれば由飛ちゃんの指示や居れば明日香ちゃんの指示が出来て、当人もフロアを立ち回れるってことか」

 納得するように、かすりは ふむふむとうなずきながら玲愛がチーフとしてファミーユで働くことの有用性について考えていたことを口にした。

「そ、かすりさんが今想像し た通りフロアは玲愛を中心に、厨房は姉さんとかすりさんで対処できるというわけ」

 みんなを納得させるだけの 言葉を仁は言い、玲愛がファミーユにとっては肝心かなめの人材であることを強調する。そして、その考えの店長の説明に反対する者はいなかった。

「どちらにしても、玲愛が来 れば、指示を飛ばしながら玲愛自身も動けて、有効な人材になると思うんだ。…総店長、報告が前後しますが、花鳥玲愛さんの登用、許可していただけますね?」

 仁が恵麻に言うと、複雑な 顔をした恵麻が仁をじっと見つめていた。

「俺もなかなか兄離れできな かったけど、姉さんは弟離れもしないといけないって、色々な意味で」

 困ったな、と言う仕草をし ながら仁が恵麻に言う。半分泣き出しそな恵麻を見てビクッとした仁だったが、それでもやはりここは、総店長としての決断をもらっておきたいことだった。

「…じんくんは姉ちゃんなん かもういらないんだ。厨房でケーキだけ焼いてればいいって言うんだ」

 とうとういじけはじめる恵 麻を仁は本当に困った顔をして、玲愛に「こんな姉なんだ」と言うような目配せをして、恵麻の方に行く。

「誰もいらないなんて言って ないでしょ。ケーキだって、姉さんの味が好きだからリピーターが結構ついているんだし」

 その、リピーターと言う言 葉に恵麻が反応する。

「ホントに!?リ ピーターついてるの!?

 恵麻がそう言って仁に詰め 寄り、同時にかすりと由飛の方にも視線を向ける。三人は三人ともうなずき、リピーターが出来、ファミーユを利用してくれていると言う事の証明をする。

「だから、姉さんは今以上に 良いケーキを焼いてほしいんだよ。それにはかすりさんのヘルプがあった方が効果的だし、フロアでチーフ役をしていたかすりさんの代わりに、徹底的にこのブリッ クモールのキュリオ三号店でどうウェイトレスを動かせばいいかを見てきた玲愛がチーフに入れば、これ以上に良い布陣は無いんだって」

 そう言って、恵麻を励ます ようにして、実は玲愛のことを言葉の陰に隠しながら納得させる。

「よし、明日から姉ちゃん、 頑張るからね!!

「…いや、玲愛が来てからで 良いけど・・・と言っても聞かないか。かすりさん、フロアのフォローは俺がしばらくするから・・・」

 そう言っていきなり元気の 出た恵麻を見て、仁が困ったようにかすりに恵麻のヘルプを要請する。そして、自分がフロアに出る、と言おうとしたとき・・・。

「待て待て待て。じん、あた しらだっているんだぞ、由飛ちゃんだって初めと比べれば随分と重複しているオーダーだって厨房に伝えたりできるようになったし、コーヒー系については事細かに あたしにオーダーを教えてくれてるんだ、もっと、店員に期待して良いんだぜ」

 そう言ったのは、普段は厨 房の端でコーヒーメーカーやコーヒーミルと闘っている美緒だった。そして、その美緒に名前を出されて、由飛もガッツポーズしてみせる。

「と言う状況だけどさ、玲愛 ちゃんもできたら早くキュリオからファミーユに移ってきてくれよな」

 肝心の最後を決めようとし たとき、先に言葉を発したのは美緒だった。

「美緒さん、俺の言葉を返し て・・・」

「何言ってんだ、最初から頼 りない店長が、彼女の前でだけ、格好良くしようったって、そんな世の中甘くないぜ?」

 イヒヒと笑いながら美緒は 仁の言葉を否定する。

 こうして、玲愛の転属は正 式に認められ、キュリオで新チーフの育成が完了した時点で、キュリオは自己都合退職、そしてファミーユへ入社、と言う手順を踏むことになった。

「ありがとうございます、私 がファミーユに来たらフロアのことは任せてください。精一杯、売上を伸ばすように頑張りますから!!


To Be Continued...

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