Angel's Whispers 〜天使のささやき〜 Secondary Works Vol.1

 『ここはグリーンウッ ド』 After Story



「まだふられていません!!

(なのに、なんが「ごめん」なんだ!?



「帰ろう、巳夜(みや)ちゃん」

「・・・・・・」

「…五十嵐さん……なんで逃げるんだ!?五十嵐!!


(おれ、あいつから逃げてるのかな?あいつから?違う、 なにから…

 これ以上好きにならなければいいんだよ

 今までのままでいい、お母さんとも典馬(てんま)とも 争いたくない

 忘れてしまえ 忘れてしまえ

 二度と会わなければ大丈夫

 意気地がなくて泣き虫で、いつもいつも逃げてばかりい たよ

 それじゃ何もできないんだってわかったはずなのに −−−−−−−−−−)



「気にすることはないよ、巳夜ちゃん。ぼくが巳夜ちゃん のこと一番わかっているからね。

 これからだってずっと巳夜ちゃんを守ってあげるから、 巳夜ちゃんは今まで通りでいいんだよ」

「でも、おれ…あいつのこと好きなんだ」

「…そう…それで?」



「典馬とも喧嘩しちゃった。お母さんは夕べから口きいて くれない…。

 でも…でもね、おれ、お前に会いたかったんだ。

 それで、もっとちゃんとした人間になりたくて…お れ…」

「大丈夫、俺がついてるよ…!!



 私立緑都学園高等学校。全国でも有数の進学校とあっ て、全国から入学希望者が受験に来ることで有名。そんな遠方からの生徒たちのため、またはそれぞれ抱える事情のために、この学校付属の寮が作られている。緑都 学園・緑林寮。通称「グリーンウッド」。

 そのグリーンウッドの寮長と言うものが、三年進級時に 現寮長が二年の寮生を指名して、次期寮長が誕生する。現在寮長を勤めるのが「蓮川一也(はすかわ かずや)」。最近、緑都学園および緑林寮を騒がせた人物。


 一也には、最近になって出来た彼女がいる。名を五十嵐 巳夜(いがらし みや)。

 不良ぶっていたために喧嘩などにも巻き込まれていて、 実際はそんなことをしたくはないのに、自分の態度の所為でそうなっていることを承知して、なおも悪ぶっていた。だが、相手がグループで現れた時にはさすがに身 の危険を感じたのか、中学校の先輩である、緑林寮寮生、池田光流(いけだ みつる)を頼って突然緑林寮に現れたのが、一也と巳夜が初めて顔を合わせた時だっ た。

 この時は光流と、生徒会長で光流と同室の手塚忍(てづ か しのぶ)の機転で、一人で相手のグループに対抗しようとした巳夜を、緑林寮の寮生全員が仲間だと偽り「加勢に来た」と言って、相手を追い返したことも有っ た。

 そんな巳夜には幼馴染の小泉典馬(こいずみ てんま) がいた。何かと巳夜のピンチに助けていて、巳夜もそれが当然になり、高校に入って、余りにべたべたとしているのもと考えた巳夜が悪ぶってわざと典馬から離れよ うとしていたのだった。

 だがそこに一也が現れ、一也自身が曲がったことが嫌い な性格もあってか、巳夜にいくつか正すようにと言っていたことがあった。それを聞き、巳夜も今の自分がどういった状況なのかを改めてはっきりと見出した瞬間で もあった。

 紆余曲折はあったものの、そう言った点で一也も巳夜も お互いが一目惚れしたと言っても過言ではない感じだった。


「瞬 (しゅん)、明日は一日俺いないから、なんかあったら頼むな…」

「おっ、 スカちゃん初デートかぁ。どこかに行くプランとか練ったわけ?」

 緑林 寮は基本、同学年同士で二人部屋で過ごすことになる。一也の相方は如月瞬(きさらぎ しゅん)、一見すると女の子のように髪を長く伸ばしている。しかも顔立ち までもが女子系のものを持っているので、女に間違われることが多い。瞬曰く「綺麗な髪だから伸ばしているだけ」なのだと言うが、実際のところ、実家の方針に関 わることだったと言うのは、皆が承知してる事だった。

 「ス カちゃん」は瞬と隣部屋にいる先輩、光流が呼ぶ一也のあだ名だが、肝心の一也はあまりその呼ばれ方を好んではいないが、先輩には逆らえず定着してしまった。

「・・・ どこかに行くと言うのは決めてない。まずはまぁ、昼飯食べながら…五十嵐がどんな風に『ちゃんとした人間』になりたいのか聞かないとな。それに、多分明日の 朝、五十嵐は結構つらい状況で家を出ることになるだろうし」

 一也 はそう言って、(特別誰が見ているわけでもないが)何となく難しい顔をしていた。

「…つ らい状況って?」

「小泉 典馬とケンカして、母親が口をきいてくれなくなってから、まだ一週間経たないんだよ。そこで、俺に会うって言って出てくることになるんだろうから、親は余計に 警戒するだろう?恐らく、っていう可能性だけの話だけどな」

 一也 はそんな一抹の不安を瞬に吐露する。

「んー。 五十嵐さん次第なのかもしれない話だけど、スカちゃんまでも悩んでいたら、五十嵐さんが罪悪感を持っちゃうかも知れないね」

 ふと 口にした瞬に、一也は「そうなんだよ」と同意をしてから言葉を続けた。

「俺が からかわれて挫けてる場合じゃないんだよ、今は。だからせめて、俺だけでもしっかりしていないとな。つい言っちゃった言葉だけど…俺がついてるって言うのを五 十嵐は感じて欲しいし、何かあったらすぐに助けを求めてくれていいんだと思うんだよな」

 簡単 には解決しない話、だと一也は感じ、瞬も迂闊なことは言えない状態なんだと言うことだけは自覚出来た感じはした。


 一方 の五十嵐家では、冷戦のような状態になっていた。

 何を するにも、巳夜に興味はないと言わんばかりの母親の無視のしようで、巳夜自身くじけそうにはなっていたが、どこかで一也と一緒に居ればそのうち、なんとか取り 戻せるのではないかと言う気持ちでいられた。

「…今 日、これからあいつ・・・・・・蓮川に会ってくる。…たぶん、典馬が来るんじゃないかな、出かけた後に。そこで『本当』のことを聞かされると思う。けど・・・ それじゃダメなんだ。典馬じゃダメだったんだ。いろいろ悩んでいたんだ。そんな時に池田センパイと蓮川に会って・・・・・・」

 そこ まで言って、巳夜は言葉を止める。巳夜の母は興味なさそうにだが、巳夜を見据えていてくれてはいた。それを確認した巳夜は、それ以上は特に何も言わなくてもわ かるだろうと納得して、身支度を整えると、一也と待合せた場所に向った。


 待合 せは巳夜の地元でも一也の地元でもない、少し離れた沿線の駅にしていた。一也が、周りの目を気にして、巳夜に対して変な噂などが出ないようにと考慮した結果の 決断だった。時間通りに二人は駅に着く。どうやら同じ電車に乗っていたらしいのだが、改札でばったりと言う状態で会って、ようやく気付く…まだ、二人はそんな ちょっと離れた距離感があった。

『おは よう』

 二人 が同時に挨拶を交わして、しばしの沈黙。普段は光流や忍、瞬に振り回されてばかりの一也だったが、巳夜の前では自分が引っ張らないと、と言う気持ちがあって か、どこかいい場所は無いかとあたりをきょろきょろしていた。

「…で きれば、余り周りの目の気にならないところの方が話ししやすいだろ?」

 何気 に一也が話しかけ、一瞬巳夜の身体が硬直する。それをみとっただけで、普段の巳夜がどれだけ周りを気にして、目立たないようにしたくて…でもできなくて、そん なことに苦しんでいたかと言うことを一也は実感する。

「…取 り敢えず、ファミレスで何か飲みながら話そうか。五十嵐も言いたいことは色々あると思うし」

 そう 言って一也はスッと一歩を踏み出す。それに慌てるようにして巳夜が続く。

 近場 のファミレスに入ると、極力率先して一也は行動するように心がけていた。そうして席に着き、一通り注文を澄ますと、向かい合っているその状況に一瞬一也は恥ず かしさを感じた。が、巳夜はそれもあるが、どうしたらいいのかよくわからないと言った感じで、俯いて座っていた。

 どこ か男ぶって見える巳夜だったが、今日は上はラフなブラウスにカーディガンを羽織り、下は白系のロングスカートをはいていた。

「五十 嵐は洋服とかは…その、スカートとかは今まではいたりすることってあった?」

 ふと した質問だったが、それだけで硬直する巳夜を見て、少しやりづらさと言うものも感じずには居られない一也だったが、きちんと向き合うと言うことを自分に誓って もいたので、巳夜が自然と話が出来るようになるのを待つスタンスを取るようにしていた。

「なん で・・・?」

「い や、今日のその恰好も十分に女の子だし、普段ガラのわるい態度を取っているのも疲れるんじゃないかなって。本当はそう言う格好でいた方が楽なんじゃないかって 気がするんだ」

 巳夜 が不思議そうに訊き返したのを請う感触ととらえた一也はその話でなんとか輪を広げられないかと感じていた。

「そう か・・・スカートとかも嫌いじゃないけど実は持ってないこともないんだ。だけど、おれが穿いて今更合うものなのかって感じがして、なかなか外では穿けなかった 感じはあるな。制服だって別に抵抗なくスカートは穿いているし。家ではスカートで過ごすことも多い」

 少し だけ、自分のことだと話がしやすいのか、言葉多く話す部分が見受けられた。

 そん な服の話などをしていた時。

「・・・ 蓮川はおれって言うのは当然…だよな。おれがおかしいんだよな?」

 ふと 考え込むようにして、巳夜が一也に訊ねてくる。それからすぐに巳夜は考え込む。

「あ・・・ あたし、って言うのが普通の女子なんだよな?」

「ん・・・ そうだね、男は大体俺だけど、女子はあたしが多いんじゃないかな」

 訊か れて一也もその意見に同調する。

「蓮川 と一緒になっておれが『おれ』って言うのはおかしいよな。…これからは極力あたしって言うようにして行ってみる。…こういうところからでいいのかな?ちゃんと した人間、って。お・・・じゃない、あたしもあの時はただ、お前に会いたくて、きちんと話がしたくて校門で待ってて。出て来てくれたらもうとにかくそのことを 伝えないといけないって思ったら、ああいうこと言ってて」

 少し 和んだ巳夜は、以前、告白の場所となった緑都学園の校門前での話をする。確かに、あの時は巳夜は当然だろうが、一也もそれなりに緊張はしていた。そんな巳夜は 緊張と興奮とで色々としゃべっていたようで、今考え直すと無茶苦茶になっていたのではないかと感じていたらしい。

「そん なにかしこまらなくても、五十嵐だって学校で普通に過ごしている女子は見られるんだから、その辺りから真似をしたり、相談できる人がいるなら相談してみてもい いかも」

 なん となくの感じではあるが、巳夜は学校の女子生徒と全く交流が無いと言うわけではないようだった。また、実際に学校の校門で待ち伏せをしていた時も、巳夜のこと を教えてくれた生徒がいるくらいだから、嫌われていると言うほどのことは無いのだろうと感じられた。

 まだ 慣れきっていないのか、時々挙動不審になる巳夜を見ながら、一也は何をどう話していったらいいものかと考えていた。

「五十 嵐の言う、ちゃんとしたって、どういう事なんだろう?なにか見出す姿があるのかな?いや、なければないでそれでいいんだけどさ」

 ふと お互いの目が合った瞬間に一也が話しかける。それを聞き、巳夜が考え込む。

「悪 い、あの時はとにかく…って、さっき言ったな。無我夢中だったもんだからさ。お・・・あたしがどうしたらいいのか…普段の生活から何から、蓮川が思うことを聞 かせてほしいんだ。出来る、出来ないはそれからでも大丈夫だろ?」

 緊張 がほどけたのか、巳夜が少しリラックスして話をし始めた感触を一也は感じた。巳夜もそれは一緒で、典馬と一緒だった時とは違う、安心感みたいなものを持った感 じがして、自然と会話に乗ることが出来たと感じていた。

「んー。 こんなことをすると言うことは特別ないんじゃないかとは思う。家ではお母さんの前で、わざと悪ぶった態度でいることはないんでしょ?」

 なん となく、一也は普段の巳夜の姿を思い浮かべて訊ねる。

「・・・ 家ではどちらかと言うと静かかな?服なんかも結構地味めな恰好をしていると思う」

 今 日、挨拶を交わした時の巳夜は緊張で硬直していると言ってもいいくらい、かちんこちんだったが、今は女の子らしい仕草も出て来て、一也の前でそれをしているこ とに気付いていない感じだった。…この場合、巳夜はなにも考えなくても自然と振る舞う時に、女の子っぽい仕草であれば、特別一也が助言をする必要などないの だ。自然にそれが出来る状態にあれば、それで十分なのだから。

「五十 嵐は気づいていないと思うけど、今無意識に、随分と女の子らしい仕草とかしてるよ?」

 一也 が少し悪戯っぽく巳夜に言う。それを聞き、巳夜は耳まで真っ赤になって、うつぶせに顔を隠してしまう。クスリと一也は笑みを見せて、そんな恥ずかしくて隠れて しまって居る巳夜を優しい目で見つめていた。

「落ち 着いた?」

「う、 うん。…あたし、自然とそんな感じの仕草を取っていたんだ…」

 暫く して、巳夜が頭をあげる。

「突 然・・・だけど。お・・・あたしのこと、これからずっと『五十嵐』ってよぶのか?あたしは…できれば、『一也』って呼びたい。べ、別に典馬のような接し方を望 んでいるわけじゃないんだけど…でも、やっぱりあたしのことをいつも見ていてくれて、あたしがごく自然に振る舞えるのは…今のところ、一也の前しかない、か ら。典馬の前でも結局なにかを装っていたんだって、意識しないときにそれらしい仕草をしていたって聞いて、そう思ったんだ」

 テー ブルの上に両手を重ねるように置いて、だが、顔は伏せている感じで、時々上を見上げるように一也の様子を伺うようにとちらちらと視線をあげて、巳夜はいま思っ ていることを打ち明ける。それを聞いて、どこか満足げな笑みを巳夜に見せた一也は答える。

「別 に、抵抗があったりとか、言えないからとか言う訳じゃないんだよ、巳夜。ただ、巳夜がそう言うのってどう考えているのかなって思うとつい『五十嵐』って呼ん じゃうって言うだけであって。…巳夜がそれでいいのならば遠慮なく呼ばせていただくよ」

 一也 はそう言って、テーブルに挟まれて少し距離のある巳夜の頭を軽く、ポンポンと撫でてそう言った。不意に頭を軽く撫でられた巳夜はまた、顔を真っ赤にして、一也 に抗議しながら顔を伏せてしまう。

「そ、 そう言う事するなぁ〜・・・嫌いじゃないけど」

 最後 の言葉は一也には聞こえないくらいの小さな声でポツリと呟いていたが、一也の方は何となく、何を言っていたのかはわかっていた。

 しば らくしてハッと何かを思いついたように突然ガバッと頭をあげた巳夜は一也に突然迫る。

「か、 一也、やけに女の子の扱いが上手そうだけど、あたしで付き合ったのは何人目だ!?

 幸い テーブルの上には何もなかったので、巳夜が乗りだして来て、一也の胸倉をつかんでも、何かがこぼれることは無かった。が、突然近距離で胸倉をつかまれた一也は 少しびっくりした表情を見せて、慌てるように答える。

「・・・ み、巳夜が初めてだよ。ホントに」

 そう 言ってなんとか巳夜の剣幕から逃げ出そうとした一也だったが、初めてと聞き、どうもしっくりこないのか、巳夜は少しだけにらみを利かせて、一也にその言葉の続 きを聞きだすようにしていた。一也はそれを見て、「全部話さないと納得できないんだな」と言う結論に行きつき、言葉を続ける。

「中学 卒業して緑都に入って巳夜と会うまでは、…いや、今もだけど、目立たない平凡な学生でしかなかったからな〜。緑林寮に入って、光流先輩や忍先輩、瞬なんかと一 緒になってようやく目立ち始めてきたって感じだから。女の子の扱いになれているのは光流先輩の方かよっぽどだよ。俺がそう言う事を出来るのは単純に俺がたまた ま、そう言う考えに行きついたから、ってそれだけの話だよ」

 まっ すぐ、巳夜の視線から自分の視線を外すことなく、理由を述べる。納得したのか、巳夜は一也の襟から手を離すと、ストンと自分の席に戻る。

「・・・ そう言う事って、自然と考えて思い浮かぶものなんか?」

 まだ 巳夜の誤解が解けていない様子を見ながら、一也は巳夜の容赦ない視線に苦笑いしかできずに、質問に答えて行く。

「大体 の男子は出来るんじゃないのかな?そのスペシャリストと言えば光流先輩だったりするけどね。…俺も光流先輩流、忍先輩流の、女の子に対する仕方は見て来ている わけだし、多少そう言う行動がとれると言うのは変なことじゃないと思うんだけどな」

 一也 はそう言って巳夜を納得させる。何となく面白くないと言う感じで巳夜はふくれっ面をしていたが、それに気づいた一也はまた、ポンポンと巳夜の頭を撫でた。

「大丈 夫だよ、巳夜以外にはこんなことしないから」

 ごく 自然に髪を撫でて、頭を撫でてくる一也の行動に一応納得したのか、少し口をへの字にしながら巳夜は頷いた。

 その 日はそんな話をする程度で、後は何となく話を続けた。


 一也 と巳夜がそんな時間を過ごしていた頃、巳夜の家には不機嫌そうな典馬の姿があった。

「突然 だったんですよ、巳夜ちゃんが『あいつのことが好きなんだ』って言ったの。僕はいつでも近くに居られるのに、わざわざどこの奴かも知らないのを好きになるなん て」

 クー ルにことを成す感じの典馬だったが、この時は妙にイラついているようだった。

「だけ ど、その相手の男の子…蓮川一也、とか言ったかしら?彼は中学の時の池田光流君の後輩らしいじゃない」

「そう なんですよ、その辺が絡んでいるようなんですけど、実は巳夜ちゃん、学校じゃ結構なワルと呼ばれていて、近隣の不良たちからも結構絡まれるような態度でいたん です、知ってました?おばさん」

 突然 典馬がカミングアップすると、巳夜の母は少し驚いた表情を見せた。

「家 じゃ素直な子なのに…」

「どう も、ぼくと一緒にいるのが恥ずかしいとかで、ワルぶっていたらしいんです。時々、帰りが遅いのも、そんな不良グループに絡まれていたりしたときだったんです よ」

 典馬 はそう言って、あることないこと、すべてをひっくるめて巳夜の母に話をする。典馬にとっては憂さ晴らしであり、巳夜の母が味方をしてくれるものだと感じていた ようだっだが、話を聞くに従って、巳夜の母は何となく、今の典馬の行動が気に入らないでいるようだった。

「…巳 夜ちゃんは典馬君になんて言って、その蓮川君に話をしに行ったの?」

「なん でも『ちゃんとした人間になりたい』って。僕じゃダメらしいんですよね」

 そこ まで聞き、巳夜の母は少し考え込む。最近になって、巳夜が一人称の言葉を使うようになっていることに気付く。典馬と一緒だった時は、滅多に一人称を使って自分 のことを話したりはしなかったが、今は『あたし』と自分のことを呼んでいると言うことに気付く。

 もと もとは典馬と一緒にいると言うことも偶然が重なった結果だった。幼稚園時代からの付き合いだし、その頃から、巳夜は典馬に守られて『居るように見えた』。だ が、巳夜の母は典馬は守っていたのではなくて、たまたま近くにいた子だから一緒にいたと言うだけだったのではないかと感じざるを得なくなってきていた。確かに 自宅にいるときは巳夜の母にとっては模範的ないい子、と言うのがしっくりくる様子だったが、典馬と一緒にいるときはどうも違うらしい。そして、その姿から 『ちゃんとした人間になりたくて』、蓮川に助けを求めた、と考えるのが一番、まっとうな考えのように聞こえた。

「・・・ ねぇ典馬君。あなたは巳夜ちゃんの何になりたかったの?」

 突 然、巳夜の母親が不思議とも思える質問をしてきた。典馬はその質問を聞いて、一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。

 巳夜 のどんな存在になりたかったか…、典馬自身あまり考えたことが無かった。巳夜の母に聞かれ、次の言葉に困ってしまう典馬を見て、巳夜の母は納得したように軽く 溜息をついた。

「おば さん、典馬君がいるから、巳夜ちゃんが良い性格に変わってきているのだと感じていたのよ。だけど、今の典馬君の話では、巳夜ちゃんの学校や外での様子はそれと はかけ離れている感じのようね。…巳夜ちゃんにとって必要だったのは、過保護にすることではなかったのかも知れないわ。…典馬君の巳夜ちゃんに対する態度も過 保護になり過ぎていたのかも知れないわね。…今日、出かけに巳夜ちゃん、普段使わないようなポーチをもって、スカート姿で出て行ったのよ。…回転のいい典馬君 だったら、これが何を意味しているか、わかるわよね?」

 巳夜 の母が典馬にそんなことを言う、それ自体典馬は誤算だとしか感じなかった。いつでも巳夜を守ることで、巳夜と巳夜の母から全幅の信頼を得て、ある意味自慢でも するかのように巳夜と一緒に居られる、そんな安心感を得るようになってしまっていたのだと、今頃になって気づいたのだった。

「僕の 存在はもう、必要ないと言うことですか?」

「…少 なくとも巳夜ちゃんはそう考えているんでしょうね。わざわざ緑都学園まで蓮川君に事の次第を話しに行って、彼に言ったんでしょうね、ちゃんとした人間になりた いって」

 典馬 はそこまで考えられなかった。巳夜がわざわざ緑都学園まで行ったと言うこと自体、信じられないことだったし、それをしたと言うことは初耳だった。一也が好きだ と言って巳夜とケンカしたときから、巳夜の動向は全くつかめなくなった。理由は簡単だった、巳夜が自分の母までもを敵に回しても、一也と一緒に居て、巳夜の思 う『ちゃんとした人間』と言う姿を取り戻したいと考えている、それを巳夜の母までもが意外に感じていたから、そして巳夜の母も巳夜が一也と連絡を取っているこ とを把握できていないからだった。

「…巳 夜ちゃんは何を考えているんだろう、いったい」

「ねぇ 典馬君、その言葉は既に巳夜ちゃんを突き放したと言う言葉とほぼ同意だと言うことに気付いて言っているの?」

 巳夜 の母は少し俯きながら、だが、内情がここに典馬が居ると言うことで知ることが出来た時から、巳夜がどういう態度で外で過ごしていたのかと言うことがようやく見 えてきたのだった。

 同時 に、典馬も巳夜の母からの指摘で初めて、自分が巳夜を理解しようとしているわけではなく、巳夜を単純に取り込もうとしている、自分の思うように行動させて、典 馬自身の考えの中に押し込めていたと言うことに気付いた。

「…残 念だけど、この状況になって、典馬君の味方にはなれないわ。そもそも、今までの典馬君も巳夜ちゃんがいたから、私の前でいい顔をしていたと言うことなのかも知 れないわね。…しばらくは巳夜ちゃんの好きなようにさせてみようと思うわ。…悪いけど、そんな巳夜ちゃんに手を出したりしないでね。仮に・・・仮に本当に、巳 夜ちゃんに必要としている姿を取り戻すために必要な人が蓮川君じゃなかったとしたら、次の誰か、もしくは典馬君の元に戻ってくるかも知れない。…けど、その可 能性については、直接会ったことのある典馬君の方が良くわかるでしょうから、これ以上のことは言わないわ」

 巳夜 の母が半ば苦しそうな表情で言葉を振り絞って、だがそれは巳夜を一番と考える母としての言葉として、典馬に言ったものだった。

 典馬 はその言葉を聞いて、怒りがこみあげてくる。だが、巳夜の母はその怒りが自分の思うようにいかない、ただそれだけの問題から出て来ていることだと理解されてい るとわかってしまい、もう、巳夜に手を伸ばしても掴んではくれないものだと確定するほかなかった。

「…近 所づきあいと言うことなんかを考えたうえで言っているんですか?」

 典馬 はそんな言葉を発した。自分でも少し驚いていたが、怒りが勝手にしゃべらせていると言う以外に、理由はなかった。

「…近 所づきあいは、典馬君とだけしているわけではないし、仮に典馬君がこの周辺で何かを吹聴したからと言って、私や巳夜ちゃんが窮地に陥ることは無いわね。典馬君 自身がそれはよくわかっているんじゃない?それにもし、本当に巳夜ちゃんが蓮川君を必要としているのならば、ここから逃げ出してもいいのよ。別に後ろめたいこ とはなにもないんだから」

 自分 でも気付かないうちににらみつけるような視線になっていた典馬は、ここで初めてケンカを売ってしまったと言うことに気付いたが、巳夜の母はそんなことは全く構 わないと言いたそうな言葉で典馬に返答してきた。

 いよ いよ窮地に立たされたのは誰でもない、典馬の方だった。


「ただ いま」

 そん なときに限って、運悪く、巳夜が返ってくる。

 リビ ングで典馬と母が何か話をしていた様子だった、と言うのはその時間を一緒に過ごしてなくても良く分かるような状況だった。

「典 馬・・・」

「…巳 夜ちゃん、今日はどうだった?」

 典馬 の姿を確認した巳夜に、母が突然問いかける。だが、今朝の様子とは違って、いつもの感じの母の姿に感じられた。

「…蓮 川と会って、色々と話してきた。お・・・あ、あたしはあたしのままでいいって、自然に自分を表現すればいいんだって言ってくれた。だから、次に会うときは買い 物とかしたいって話して、蓮川も買い物に付き合ってくれるって言ってた。…お母さん、怒ってるよね?典馬はそれ以上に。でも、蓮川みたいなヤツのほうが、多分 あたしは自分の殻に閉じこもらなくても大丈夫でいられる気がした。一日一緒に居て、そう思った」

 巳夜 が少し緊張しながら、今日のことを簡単に話す。そして、一也と一緒だった時間のことも話す。それを聞いて、巳夜の母は笑みを浮かべる。巳夜はそんな母の表情に びっくりしていた。

「…そ う。巳夜ちゃんにいま必要なのは、守ってくれる人よりも、自分を表現するための場を作ってくれる人のようね。つらいことがあったら話してくれていいのよ?」

 突 然、何を理解したのかと疑いたくなるくらいに、巳夜の母は巳夜に理解を示す。最後の一言を聞き、巳夜は少し戸惑う。目の前に都合の悪い典馬の姿があったから だった。だが、巳夜はその典馬の姿をあえて確認しながら、母の言葉に自分の意見を述べる。

「つら いことは無い。蓮川と一緒の時は気が楽なんだ。だから、あたしもびくびくしたり、守りに入らなくても、蓮川は必要な範囲で接してくれて、あたし自身でいられる んだ」

 巳夜 のその言葉が何を意味しているか、巳夜の母と典馬が理解できないはずもなかった。典馬はゆっくりと立ち上がると、瞬間、巳夜をにらみつける。だが、巳夜の方も 逆に睨み返す。その時点でどちらが優位で、どちらが現状を良い環境とできるかが一目で分かった。

 典馬 は悔しそうに両手で拳を作ると、そのまま巳夜の家を後にした。

「…典 馬、あたしが普段、どんな感じの学校生活だったかとか話したでしょ?」

 典馬 の姿がなくなったあと、巳夜は少し怖がるようなしぐさを見せつつ、母に質問した。その母は怒った様子はなく、(残念ながら喜んでいるようでもなく、)巳夜を見 つめていた。

「え え、聞いたわ。だけど、巳夜ちゃんの行動の理由までわかっちゃったから、それについて何も言う事はないわ。…学校に彼のこと、きちんと伝えるのよ」

 巳夜 の学校はお嬢様学校ともいえるような学校で、交際には許可証が必要と言う、少々時代錯誤した感のある学校だった。今までは典馬との交際と言うことで許可を得て いたが、母の方から、一也との交際に変えることを容認してくれるような言葉を話してくれて、巳夜はペコリと頭を下げると、部屋に戻って行った。


 一 方、寮に戻った一也を見届けた光流はすぐに一也と瞬の部屋に来ていた。

「で、 どうだったんだよ。五十嵐、相変わらずスカに変な態度取っていたりとかしたのか?」

 そも そも、一也が巳夜を、巳夜が一也をお互いに意識していると一番初めに感じたのは誰でもないこの光流だった。だから、と言うわけではないものの、二人の同行は見 届ける必要があると光流自身感じていた。

「い や、至って普通でしたよ。カチューシャしていたり、ブラウスにスカート姿だったりと、普通に女の子でしたし。俺よりも、家のお母さんと小泉典馬の様子が気には なっていたみたいですけど、そんなに気にするなとは言いました。今は結局、俺の所か光流先輩の所に逃げ込むしかないでしょうからね」

 そう 言いながら一也は余所行きの身支度から部屋着に着替えて、一旦落ち着いたと言う感じだった。

「そっ か・・・五十嵐も別に何から何まで突っ張っていたわけではないってことか」

 一也 の言葉に光流は納得するようにして、誰にでもなく言葉を呟く。

「…今 度、寮祭があるじゃないですか。そこに呼んでみようと思っているんですよ。み…五十嵐も改めて光流先輩に礼が言いたいと言うようなことは話していましたから」

 と、 一也は光流に、いまの五十嵐の状況を伝える。

「そっ か、逆にスカが丸め込まれちまうんじゃないかとも思っていたけど、それもないみたいだな」

「ま だ、多少の緊張はあるみたいですよ、五十嵐。それは俺も一緒ですけどね」

「とこ ろでスカちゃん、今五十嵐さんのこと、『巳夜』って呼びそうになったでしょ?なに、もうそんなに中が良くなっているんだ?へぇ〜、スカちゃんもやる時にはやる もんなんだね〜」

 そん な話をしながら、緑林寮の夜は更けて行った。


 それ から数ヶ月後、緑林寮は学園長のお墨付きで、緑林祭と言う寮内でのお祭りが開かれた。

 それ までも、ほぼ毎週一也と巳夜は会っていろいろなはなしをしていた。その中で、巳夜自身は詩然と女の子な仕草が出来るようになってきていたし、一也との接し方も 緊張が無くなってきていた。一也の方も「からかわれているくらいでくじけてる場合じゃないんです!」と断言して、巳夜を巳夜自身が望む姿に近づけていくように 色々と努力した。だが、一也の努力なしでも、巳夜は自然と女の子を取り戻していた。

 寮祭 で光流や瞬がみた巳夜はかつての凄みを利かせるような感じもなくなっていて、すっかり毒抜きされた女の子になっていて、二人とも驚かずには居られないと言った 感じだった。


「まだ 普通に振る舞うってことが出来ないけど、これからもよろしく、一也」

「あ あ、何かあれば遠慮なく頼ってくれていいからね、これからもよろしく、巳夜」

 寮の 建物の陰で、二人は夜空を見上げながら、お互いにそんな言葉をかけていた。

To be continued


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