Angel's Whispers ~天使のささやき~ Secondary Works
『ここはグリーンウッド』 After Story Vol.6
今を遡ること、数ヶ月前。
突然その「嵐」はやってきた。緑林寮に無断で入ろうとする女子がひとり。柄が悪く口も悪い。そのうえ、寮母にケンカまで仕掛けていた。たまたまそれを見た 池田光流がその女子を呼び止め、男子寮に泊めるのは不可能であることをその女子に話していた。時の寮長、蓮川一也はそんな光流と問題の女子の話を聞き、追 い返そうとする光流を止め、その女子を自分の部屋に止めることにした。その女子こそが、五十嵐巳夜、その人だった。
話によると、どうやら隣駅にある学校のワルたちの目があるところで、巳夜の学校の女子たち(と言っても巳夜の学校は女子高だが)が、何かをやらかしたようだった。その落とし前をつけようと相手のワルたちに狙われたのが巳夜だという。特別巳夜はワルだということはなく、たまたま、巳夜の通う高校の学生が巳夜の名前を出してしまったが故の、ある意味事故だった。
そんな話をしながら、ちらちらと一也の様子を見る巳夜の顔はどこか不安気な顔をして、光流と話をしていた。
結局その日は、光流が巳夜を追い返そうとしたのを一也が強行し、自分の部屋に巳夜を泊めることになる。
これが一番初め、蓮川一也と五十嵐巳夜の出会いだった。
翌日、巳夜は光流と一也と放課後に合流することになっていたが、こたつに二人で寝ていたせいか思いのほか光流の風邪が悪化し、巳夜を一時間ばかり長く待た せてしまう。一也が慌てて巳夜を迎えに行ったとき、一也の姿を見た巳夜がどこかほっとした表情を見せた感じが一也にはしていた。そして、再び寮に戻り、こ れからの行動を確認しようとしたが、巳夜は自分から寮を出ていくという。が、それで素直に帰らせることができなかったのは、意外にも光流ではなく一也の方 だった。
なぜ一人家を出たのか。光流によると、実はその時、巳夜は一人暮らしをしている状態だった。父親のいないシングルマザーの家で一人っ子の巳夜の母が、急遽 海外に一年ほど赴任することになり、高校生にもなった巳夜は一人で自宅で過ごすことになった。だが、巳夜自身が恐れていたものがある。「霊」の類だった。 夜になって、ピシピシと廊下や屋根から音がして、それが例の類ではないかと怖がっていたのだ。だがそれを訊いた一也はあっさりと「それは家鳴りではない か」と、どうして音がするかなどを説明する。そして最後に「ここ(緑林寮)には本物もいっぱいいるしね」と付け足す。それを聞いた巳夜は慌てて一也の方に身を寄せてしまう。
「なるほど…確かに不良やるには向いてないね。オバケ怖かったら夜遊びなんてできないもんね」
思わず一也もいたずら心でそんなことを口走る。それを聞いた巳夜は一也に反論するが、威勢が良かったのは最初だけで、今は見分けのつく…当時はなぜそんな 顔をするのかわからなかった…泣く寸前の顔になってしまう。そして、とうとう、巳夜はその場で泣き始めてしまったのだった。
その時になって、一也は巳夜の見せる「違和感のある表情」が、泣き出しそうなのを何とかこらえていたのだと気付いた。
話すことは話したから帰る。巳夜はそういうが一也の一言で立ち止まる。「夜道を一人は怖いでしょ?」
そうして巳夜を送ることになった一也だったが、その帰り道には例の隣の学区のワルたちが待ち伏せていた。
巳夜は一也を巻き込まないようにと、その場から走って逃げて行ったが、一也は持ち前の俊足で緑林寮に慌てて戻り、光流に事の次第を伝える。
事の次第を聞いた光流は、(得意の?)女装をして、五十嵐の助っ人に回り、相手と対峙するが、忍と瞬の機転もあり、緑林寮生全員と見るからに悪そうな(実際は全然ワルではない)緑林寮OBをつれて、「墨女の五十嵐」のところに加勢に来たと告げる。「待たせたな五十嵐!加勢に来たぜ!!」そこに集まる兵隊役は100人前後と思われ、忍は仲の悪い姉までもを招集、本物のやくざと勘違いさせて、相手に数で勝るようにした。
「墨女の五十嵐」にはバックが大勢ついていることが確認できると、相手は一目散に逃げて行った。光流は「これで"墨女の五十嵐”には当分手出しはされないだろうよ」とポツリつぶやいていた。
そんなこんなで再び緑林寮に戻された巳夜だったが、そこに現れたのが小泉典馬だった。
典馬は仰々しく光流に挨拶をすると、巳夜の手を引き帰ろうとする。だが、巳夜は一言だけ「…あ、あんたの名前
・・・」と一也の名を聞き出そうとしていた。だが、それもかなわず典馬にひかれて巳夜は自宅に送り返されることになった。
その時、巳夜は名残惜しそうに、一也の方を見て、あの、泣き出す手前の表情で一也に何かを言いたそうにしながら、帰っていった。その時、一也の中に何か違和感が現れる。そして巳夜の心にも。それは鈍感同士が感じあった、恋心の芽生えだった。
その後、しばらく一也と巳夜は会うことはなかったが、その騒ぎのあった数週間後の年末。
巳夜の地元=光流の地元で巳夜と一也は再会する。
その時、巳夜の隣には典馬の姿があった。光流と一也、典馬と巳夜。そんな状態で、典馬は「光流に」騒ぎの一件について謝罪するように巳夜に促す。だが、巳夜の方は光流にはきちんと礼をしたのち、一也の方にもよっていく。
「あの人は?」
「ウチの寮長。礼ならあいつにすべきだな」
典馬が何となく、巳夜の方から一也に近づいていくのを見て、面白くないと言った感情を持ちつつ、光流に一也の存在を確認する。巳夜は一也の目も見れず、なんて言っていいかもわからず、小さな声で「…ごめん…」とだけ言うのが精いっぱいだった。
その帰り道。一也はもともと鼻の血管が弱いのか鼻血を出すことが多々あったが、興奮したりするとその傾向が顕著に表れることが多かった。そして、この時も鼻血がでてしまっていた。
「先輩…あいつを見ると、なんだか悔しくて・・・・・・」
数回、一也が巳夜に片思いしていることが確認できるできことがあったが、この時のこのセリフで、一也はもう、引くことのできないほどに足を突っ込んでしま うほどの想いを巳夜に抱いている、ということが光流にはわかった。と、同時に、巳夜が典馬から離れるかどうか、また一也の気持ちに気づき、答えるか、がカ ギと感じていた。
「恋の病で風邪をひく」
時々そんな古い言葉を言うことがあるが、実際に一也は風邪をひき、実家で寝ていた。光流が多少のお節介を承知で巳夜の家の電話番号を教えていたが、巳夜の ほうが電話を拒否して、話はできていなかった。そして、風邪が治って開口一番、光流に「五十嵐さんの住所、教えてください」と出る。ラブレターまで考え ず、いきなり家を訪ねようとしていた一也だった。
「お前、振られたんじゃなかったのか?」
同級の友人から言われる。
「まだふられてません!!俺はまだ何も言ってないんだ、なのになんで、なにが『ごめん』なんだ!?」
一也はそう言って握りこぶしを机にたたきつける。
結果がどうであれ、自分の気持ちを伝えないことには、まだ終わっていない、それが一也の言い分だった。だが、忍曰、「突然女性の家に押し掛けるのは非常識というものだぞ。だが、学校があるだろう。校門で待てば彼女は朝夕必ず通るはずだ」とのことだった。
忍の助言を受け、数日、一也は巳夜の学校の校門で待つことを繰り返すが、そこに現れたのは、期待してい居た巳夜の姿ではなく、典馬の姿だった。
話を聞くと、スキーに行ったときに腕を骨折したそうで、かばんを持ったりするのに不自由な巳夜に代わって、典馬がかばんを持ったりしているのだそうだっ た。そして、この学校での交際は、それぞれの親の許可が必要で、それがないと注意を受けると言うのであった。そんな一也と典馬の修羅場に出てきた巳夜は、 とりあえずという形で典馬の方に行く。
「帰ろう、巳夜ちゃん」
典馬が言うと自宅に向かって歩き出す。そんな巳夜に思わず一也は声をかける。
「五十嵐さん・・・」
だがそんな一也の言葉もむなしく、巳夜はその場を駆け出し逃げるように去っていく。
「…なんで逃げるんだ!五十嵐!!」
巳夜の耳に届いたはずの一也の怒鳴り声だったが、巳夜は振り返りもせずにその場から去っていった。
巳夜の帰宅路には地下鉄があり、かばんから定期を出してもらい、典馬とホームへと行く。
(おれ、逃げてるのかな?あいつから?違う、何から…
これ以上好きにならなければいいんだよ 今のままでいい、お母さんとも典馬とも争いたくない
忘れてしまえ 忘れてしまえ 二度と会わなければ大丈夫
意気地がなくて泣き虫で、いつもいつも逃げてばかりいたよ
それじゃ何もできないんだってわかったはずなのに----------)
ホームで電車を待つ間、巳夜は葛藤してた。…巳夜自身、典馬とでは成しえることのできないことがあるし、自分は典馬から離れたい、典馬と居たのでは今まで となにもかわらないし、自分も変わることができない。うすうすそれは感じ取ることができていた。そのためにわざと悪ぶっていたのに、典馬は一向に自分から 離れてくれない。だが、最近は一也のこともあり、典馬や母とも争いの火種ができてきてしまっているのも事実で、そんな状態から争いは起こしたくないとも感 じていた。心の葛藤がしばらく巳夜の中で続いているとき、典馬はこういった。
「気にすることはないよ巳夜ちゃん。僕が巳夜ちゃんのこと一番わかってるからね。これからだってずっと巳夜ちゃんを守ってあげるから、巳夜ちゃんは今まで通りでいいんだよ」
典馬はそう言う。『守ってあげるから、今まで通りで…』、巳夜はその言葉に引っかかる。今のまま…意気地なしで泣き虫で、逃げて逃げ回っている自分のままでいい?そう悟ることができる言葉だった。
(典馬と居ても、今のままでは結局何も変わらない。おれはいまのおれのままでしかない。だけど、おれだって変わらなきゃいけない。そのためにはどうしたらいい!?)
それまで抱いていた、自分の葛藤が真実へと変わった瞬間だった。その時、巳夜の背中を何かがポンと押した。巳夜はそんな気がした。そして、火種を作っている争いに決着をつけようと、巳夜自身、自分の気持ちを素直に伝える。
「でもおれ……あいつのこと好きなんだ」
あいつ、誰でもない、蓮川一也のことだった。典馬はそれが一也だとわかり、少し腹を立てるようにして、巳夜を見つめる。
「…そう、…それで?」
ちょうど電車がホームに滑り込む。だが、巳夜の声は典馬に届いているようだった。
「典馬じゃダメなんだ、典馬じゃ近すぎるし、おれみたいな中途半端な女を連れて歩いても何の得にもならないんだ」
「僕は巳夜ちゃんのことを思って、なにがあっても巳夜ちゃんの味方で、巳夜ちゃんのことをまもって・・・・・・」
「だから、それがだめだっていうんだ。おれ本位で話を進めるのはやめてくれ!!典馬と一緒で今まで通りのおれじゃ、おれは意気地なしの泣き虫、逃げるだけしかできない弱虫でしかいられないんだ!!!!」
そのあとしばらく二人は言い合いを続けていたが、何本か電車をやり過ごした後、典馬と巳夜は怒鳴りあうのをやめ、典馬は巳夜をにらみ、巳夜のカバンをホームにたたきつけると一人で電車に乗り込んだ。巳夜はしばらく、ホームに崩れ落ちると、とにかく泣いていた。
帰り道、先に通ったであろう典馬の後を巳夜は泣きはらした目で歩く。
そして家に入ると、何も言わない母の姿があった。巳夜は典馬との事の次第を話したが、母は何の反応もなく、巳夜とも視線を合わさずに話を聞いていたが、巳 夜が話し終えても、微動だにせず動くことをしない。それが巳夜に対してどういうことであるか-母なりの無視の仕方-、わかった気がすると、自由の利かない 手を使いながら、その晩は孤独な夜を一人送ることになった。
翌日、巳夜が起きていくと、いつもは用意されている朝食もなく、母の姿もなかった。それが怒っている、その表現であると巳夜は感じた。食事を作ることもま まならないので、途中のコンビニか何かで買うとして、制服に着替えて何も言わずに外に出る。いつもであれば、典馬がそこにいるのだが、昨日の怒鳴り合いで 多分、典馬とも争いの状態に入っていると感じられた。
一日、とりあえず授業を受けた巳夜は、その足で緑都学園に向かう。
「なぁ、瞬。どうだったんだよ、俺、上手く行った方に千円張っちゃったんだぞ」
「うまくいったのか、それだけでも教えろよ」
一也のクラスメイトで同室の瞬に人が集まる。
「うるさいな!!!!静かにしてよ!!!!!!」
さすがの瞬も、最後に一也が怒鳴った一言で、そのあとに何がどんな展開で今日を迎えているのかわからなく、しかも外は雨が降り出していた。その雨がまた、一也にとっては不吉ともとれるような雨になる。
だが、校舎下からざわつく声が徐々に上がってくる。
「門の前に女の子がいるぞー!!!!」
その声を聞き、慌てて一也は傘も持たずにかけていく。(こっそり瞬が一也に傘を持たせる。)
「この間と、電話の時とその前の電話の時のこと、ごめん」
「う、うん」
一也はこの時、まだ心の準備もできていないままで飛び出してきていたので心拍数が異常に早く感じられた。が、巳夜の顔を覗くと、それはあの、泣きだす一歩手前の表情だった。
「今日、学校の先生に怒られた」
「・・・あっ、ごめん、俺校則のこと考えずに・・・」
「典馬ともケンカしちゃった。お母さんは昨夜から口もきいてくれない。でも…でもね、おれ、お前に会いたかったんだ。それでもっとちゃんとした人間になりたくて…おれ…!」
「大丈夫、俺がついてるよ!!」
巳夜は状況を話しながら、涙が出ていたがそれでも、顔を上げて一也に訴えるように「ちゃんとした人間になりたくて」と伝える。一也も巳夜のその決心がどれ だけ今現在、辛いものかが分かったうえで、いつでも巳夜の味方になる、だから「俺がついてる」と断言することができた。
そんな巳夜は、一也のその一言だけで、自分は少しずつでも自分のなりたい自分、硬派ぶってワルぶっている自分からもっとちゃんとした女の子としての自分に なれることを確信した。そして、頬を伝っていた涙は大粒になり、片手で一也の肩に寄り掛かるようにして抱き着いてしまった。そんな巳夜を一也は優しく抱き とめていた。
その日、不幸の星のもとに生まれた地道な少年が勝ち取った一生一代のハッピーエンドのおかげで、緑都学園は何年かぶりに近所からの苦情を受けることになった。
そうして、一也と巳夜の交際は始まる。