Angel's Whispers ~天使のささやき~ Secondary Works

 『ここはグリーンウッド』 After Story Vol.5



『ひんぽーん』

210号室の蓮川君、玄関にお客様です、すぐにお迎えに出てください」

 寮母さんの放送で、一也の名が呼び出される。

 今日は日曜日。それも意外と早い時間。一也はすでに身支度も整え、その放送を待っていた。

「ん~、スカちゃん、今日もデート?…精力的だね・・・ぐー」

「話をしながら寝るな、瞬。…何かあれば遠慮なく携帯呼んでくれてかまわないから、何かあったときの初動頼むな。光流先輩にも・・・」

「おう、しっかり頼まれてくれてやったぞ、あとできっちり返してもらうからな」

「駅前の食べ放題に瞬と忍先輩と四人で行きましょう、全員分持ちますよ。じゃあ、お願いします」

 そういって、一也は部屋を出て寮の玄関に向かう。玄関には当然と言えば当然だが、いつぞやからすると、表情がより可愛く感じられるようになった巳夜の姿があった。

「おはよう、巳夜」

「おはよう一也、毎回悪いな、お・・・あたしの勝手で早い時間から連れ出したりしてさ」

  玄関まで一也が行くと、まだどこかぎこちなく女性ものの服を身にまとう巳夜の姿があった。だが、四方八方から手を出して自分を変えるよりかは、一つずつ変 えたいと言う巳夜の希望が含まれていた。だがその中でも服装と言葉遣いは最優先で「変えたい」自分が、巳夜の中にいるということを巳夜自身が言って、少し ずつ、一也と一緒に変化をつける努力をしている最中だった。

「で、今日はどうする?あまり買い物しても巳夜の財政も厳しいだろ?」

「まあ、正直厳しいな。だけど今日は一也にお礼の分も含めて服…より、小物を買いたいんだ。・・・できれば・・・・・・」

「できれば?」

「ここまで言ったら察しろよな、一也の鈍感」

  一也が靴を履きながら巳夜に今日行きたいところを聞くとこんな答えが返ってくるが、一部、巳夜自身、あえて声には出さない部分があったりしたが、一也も一 也で天然なのか、聞こえない部分をストレートに聞き返し、巳夜から半分鉄拳制裁を食らうような羽目にあったりしていた。


「ほぅ、それで寮長仕事を蓮川と変わってやったと」

 211号室、そこには光流と忍がいて、忍は窓から外を眺めながら、光流が一也から寮長の仕事を引き受けたことを聞き、半分は関心、半分はあきれながら、光流に言う。

「…蓮川のことが気にならないわけでもないが、五十嵐がどこまで蓮川の生真面目に付き合うか、本気で完全に更生するか、その辺が見ものと思って、俺も半分はあきれつつ、蓮川と五十嵐の付き合いを見守ってやろうと思ってるんだよ」

 光流は忍とそんな話をしていると、緑林寮の玄関から、一也と巳夜が出てきたのを確認した。が・・・。

「オイ光流。招かれざる客も今日は一緒みたいだぞ」

 忍のその言葉を聞いて、光流が慌てて窓まで駆け寄る。忍の言う招かれざる客。それは・・・。

「…小泉典馬!?なんで今頃」

 と言いつつ、光流は玄関まで駆けだしていた。同時に、瞬が隣の210号室から211号室に駆け込んできた。

「光流先輩ってあれ?入違っちゃったか。忍先輩も知ってるんだよね、小泉典馬」

「ああ、直接見たのは初めてだが、それがあんな容姿の男だということは、言われんでも大体わかる。光流は多分仲介に入るつもりで駆けだしたんだろうが・・・」

「忍先輩としては過保護すぎる…と」

「ああ」


 一也と巳夜が緑林寮の門扉を過ぎ道に出たところにいたのは、忍と瞬、光流が確認した小泉典馬だった。無意識のうちに、一也は自分の後ろに巳夜をかくまうようにして、典馬と対峙する。

「…奇遇だな。以前の場合とは逆だけどな」

 一也が典馬に言うと、典馬は屈託のない笑顔を見せた。一也の言ったことについてはあまり重要ではないと言いたげな感じでいる。

「別に奇遇でも何でもないさ、僕は池田先輩に用事があってここまで来たんだから」

 典馬がそういうが、一也にはわかっていた。

「そんなウソ、誰が信じるか。素直に俺か巳夜に用事があると言った方がいいんじゃないんか?」

 一也が言うと、典馬の表情から笑顔が消える。

「・・・最近は巳夜ちゃんと会うのもご無沙汰でね。今日は偶然、巳夜ちゃんのあとに僕が外に出たから、ついてきてみたんだよ。…仲、よさそうで何よりだけど、前も言ったように巳夜ちゃんは僕のだよ、返してもらいに来た」

 典馬が言うと、スッと一也の後ろから巳夜が前に出ようとするが、一也はそんな巳夜を手を出して制止する。

「悪いがそのつもりはないな。それに、直接言われたんだろう?」

 静止している右手の後ろに巳夜がいたが、右手の延長線上には、光流の姿もある。だが、一也はその光流を制止させるつもりで腕を上げて、巳夜と光流を制止していた。

「…どうも分が悪いな。そこまで知っているんだ。じゃあ、巳夜ちゃんのお母さんが軟化しているのは当然知っているだろうし、最近は僕と会っても会釈くらいしかされないことは、後ろの巳夜ちゃん自身が知っているだろう」

「… だから何だっていうんだ?そんな愚痴をこぼすためにわざわざグリーン・ウッドまで足を運んだんじゃあるまいし、光流先輩に会いに来たというのだって嘘だと いうのはバレバレだし。…何がしたいんだ?巳夜を力づくでも引っ張って自分に服従でもさせるつもりか?生憎だが、お前の言葉を借りれば、巳夜はもう、俺の ものだよ」

 そこまで一也が言うと、一也に制止されている巳夜が、一也の腕越しにいう。

「それ以上、一也に文句を言うな、文句だったらおれが受ける。もともとは、おれと典馬の確執の問題なんだからな。おれに戻って来いと言っても無理だよ。典馬じゃ無理な部分を一也がたくさん教えてくれるからな。一也から離れる気なんてさらさらない」

 巳夜が一也の制止を振り切ろうとしながら、典馬に言うと、典馬の表情に再び笑顔が戻った。

「そうだよね、"五十嵐”さん。もう、赤の他人のはずだからね。…でも、僕だってただでひきさがるつもりはないんだ」

 そういった瞬間だった。突然典馬は一也のほうに向かってくると、右のこぶしを振り上げていた。そして、その瞬間に三人、一也と巳夜、それに光流が動いたが、一也は巳夜と光流を制止したままで典馬がしようとした、一也への鉄拳制裁を受けてみせる。

「一也!!

「蓮川!!

「大丈夫だよ、巳夜。光流先輩。…こんなもんで俺が引くとでも思ったのか?としたら大間違いだな、余計に巳夜をお前から守る必要が出てくる。…喧嘩慣れしてないとでも思ったのか?としたら目測違いだな。喧嘩の経験はないけど、それでもお前よりは頑丈だよ」

  典馬は一発でも殴れば、一也がひるむと思っていたのか、渾身の力で殴りにかかったが、意外にもそれを、そうそう喧嘩などしない、喧嘩慣れなどしていない一 也は受けて見せた。…それはそれだけ巳夜のことを自分で守るという表れでもあったのかもしれない。一也は右の頬を殴られたが、そのまま右目の眼光鋭く、典 馬に言った。典馬にとっては誤算だったようで、これで一也が本当に引くと思っていたようだったが、逆に一也は巳夜を守るようにして、怒らせてしまったと、 殴った後から典馬は気が付いた。

「…光流先輩ならすぐそこにいるよ、用があるんなら行ってくればいい。…俺は何があっても巳夜を守る覚悟はできてるからな、お前がちょっと何かをしたくらいで巳夜を放り出すと思ったら大間違いだ」

 一也が言っている最中に光流が寮の敷地から出てくる。そして、典馬の方をみて、珍しく怒っているような表情を見せていた。それも含め、一也の行動が一番意外だったようで、典馬は少しずつその場を退くと走って三人の前から姿を消した。

「大丈夫か、一也」

「・・・蓮川、大丈夫だったか?まともに殴られたことなんてなかろうに」

「巳夜も先輩も大袈裟ですよ。確かに人生初で殴られましたが、非力な小泉典馬のパンチくらいはどうということはないですよ」

 巳夜と光流が心配して一也により近づくが、一也は珍しく口元だけに笑みを浮かべて、完全に怒っていると思わせる表情で、巳夜と光流に言った。


 その様子を忍と瞬も見ていたが、さすがの二人も一也が殴られた瞬間、駆けだしそうになった。だが、忍は一也が巳夜も光流も制止するようなしぐさを見せる瞬間、瞬の腕を取り駆け付けるのを止めた。そして、忍と瞬は寮内から一部始終を見守ることになった。


「・・・かっこつけて言ってるんじゃないだろうな?」

 一也の言葉に、異常性がないとわかるとすぐに、巳夜はいつものちょっと悪ふざけの入った性格に戻し、一也に聞く。一也はその様子を見て、どこかほっとした表情を見せる。

「そんなはずないだろ。…痛かったのは痛かったよ、一応口の中は切れてるしね」

 そう言って一也は口の中の血を道のわきに吐き捨てる。

「でもまさか、蓮川が小泉に殴られてやったとは、人間進歩するもんだなぁ。これからはみっちりしごいてやるか。すれば俺に及ばなくても五十嵐程度のワルにはなれるぞ」

「池田先輩!!一也をワルに育てないでください。…いまの一也が一番なんですから」

 そんな冗談を言いながら、小泉典馬のいなくなったその場所で少しの時間、三人は話をしていた。

「それに…おれは別に不良をしていた覚えはないんですから。典馬と離れるのに反発していただけですし」

 巳夜が少しうつむいて、本音を言う。それょ聞き、光流はちょっと踏み込んではいけない部分に入ってしまったかと慌てるが、一也はそんな巳夜の頭ポンポンといつものように撫でるとそれ以上は気にしなくていいと言いたそうな優しい目で巳夜を見つめた。

「それより、光流先輩に用事って何だったんでしょうね?」

 わざとらしく一也は典馬が言った一言を思い出して口にする。

「ばーか、口実に決まってるじゃねーかよ。緑林寮で自分の味方に引き入れられるのは俺しかいねえんだからよ」

「…仮に、小泉典馬から巳夜を奪い返してくれと言われたらどうしました?」

 あきれるようにして光流は一也に答えた。そんな光流に対して、少し真剣そうな表情を見せて、光流に訊ねる。

「…さあな、ただ・・・」

「安心しなよ、すかちゃん!!ぼくたちはすかちゃん側の人間だからさ」

 光流が何かを言おうとしたとき、聞こえていないであろう瞬が、なぜかはっきりと、一也の味方になると断言した。それを聞いて光流も『取り上げられるはず、あるわけねぇよ』と言いたげに口元で笑って見せた。

 そうして、突然の訪問者は去っていったが、あとには口の中を切って食べるのに支障が出た一也の傷だけが残っていた。