Angel's Whispers ~天使のささやき~ Secondary Works

 『ここはグリーンウッド』 After Story Vol.3

 寮長にはその任期中に一回、「緑林寮・寮祭」と言うものの実施・統括・指示などをひっくるめたリーダーとしての仕事がある。そしてその寮祭は、三年に一度、寮長が高校二年の時にやってくる一大イベントだった。

 今回は当然、蓮川一也がその寮祭の指揮を執ることになっていた。


「失礼します。緑林寮の寮長ですが、寮祭を行うことについて、相談に参りました」


 寮長はまず、学園長から寮祭の許可を得て、どの範囲でどこまでその寮祭を実施していいものかなどを学園長と確認を行うことから始める。

 その範囲が確定してから、寮の掲示板に寮祭の詳細が張り出され、寮長にどんなグループでどんな出し物を行うのか、と言うことを報告などして、寮祭の準備は進んでいく。


 その寮祭から数えること一か月強まえに、一也と巳夜は付き合い始めることになる。

  そして、この二週間ほど、電話で話はしていたが、会えない日々が続いていた。と言うのも、一也が寮長を務めている関係上、突然の不在となったとき、寮祭の 準備全体が場合によっては滞ってしまうからである。その辺りのことを踏まえて、少し我慢して、自分も変わる、と言ったのは意外にも巳夜のほうだった。その 間に一也は寮祭の準備、実行をするようにとの巳夜からのお達しでもあった。

 この時期は、女人禁制なれど、業者などで担当が女性の場合は寮母確認のもと、入寮している姿も見られる。

「ついでに五十嵐も連れ込んじまえよ」

と言ったのは誰でもない、光流だったが、その辺りはあくまで寮長として仕事に徹する一也が断固として転がり込ませないようにしていた。


「・・・・・それ、お・・・あたしも行っていいのか?」

 寮祭もあと二日と迫った日のこと。夕方近くに、一也は巳夜に電話をしていた。そこで、寮祭に来ないかと巳夜を誘い、巳夜からこんな言葉が出てきていた。

「うん、模擬店が中心になって、部屋には入れないけど、食堂なんかの大きい場所では、ステージとかも作って出し物をしたりしているから、楽しいと思うよ」

 一也が言うが、電話の向こう側で巳夜は何かに悩んでいるような感じが一也にはした。

「何か問題でもある?日曜だから巳夜も休みかと思うんだけど。…例の光流先輩のところに転がり込んだことを気にしてるのか?…だとしたらそれは杞憂だとおもうよ」

「きゆう・・・?」

「ああ、考えるだけ無駄、そんなに思い詰めても仕方がないって意味。なにせ、寮母には俺と光流先輩がこっぴどく叱られてるから、巳夜のことは改めて説明するさ。それで巳夜が怒られるようなことはないから安心して」

 一也は巳夜がまず「杞憂」のことを聞いたと同時にそれが分かった時点で次に出てくる言葉の意味を素直に説明する。それを聞き、電話の向こう側ではなにか考えるようなしぐさがあった。だが、しばらくして巳夜からの返答があった。

「当日、一也は駅まで迎えに来てくれるか?」

「かまわないよ。じゃあ、二日後に、ね」

「うん、楽しみにしてる」



 そういって電話を切った巳夜は後ろで頬杖をついてこちらを見ている母の視線を感じた。

 電話の取次ぎ、学校への交際許可などについて、今まで典馬の名になっていたものは、徐々に一也の名前に代わっていった。それをよく思っているのか、悪く思っているのか、巳夜には母の気持ちがわからなかった。

 だからこそ、今日は自分を見つめる母の姿に対して、その辺りのことを確認しようと、母の前に巳夜はきちっと座って見せた。

「…蓮川とはうまくやっているよ。蓮川が言うには、あたしと典馬は欠けたものがあって、そのうちの一つが『あたしが典馬に嫌われないことに恐れながら一緒にいる』ことで、あたし自身を表に出すことができなかった、と言うことなんだって言うんだ。

前 にお母さん言ったよね、守ってくれる人より、自分を表現できる場を作る人だと。はすか・・・一也はそう言う場を作るのは確かに上手だと思う。だから、あた しはあたしでいられるし、一也に嫌われるという恐怖を感じないで一緒にいられるんだ。…お母さんも気づいてるよね、その辺り」

 巳夜はそう母に言うと、相変わらず両手を組み、顎を乗せたままの巳夜の母はにっこりとわらって、巳夜を見つめた。

「巳夜ちゃんは典馬くんに嫌われたくなかったの?」

「… 違うんだ。自分にとって、自分の逃げるための傘みたいなものが必要だったんだ。それを典馬が作ってくれてると…勘違いしていたんだ。一也も傘を作ってくれ る。でも、音を上げても自分がやるということは、最後までやらせてくれる。典馬には逃げ道を求めていたんだけど、一也は自分で逃げ道を、最終的には一也が あたしを一也のところに導いてくれる、その差が多分、典馬と一也との差なんだと思う」

 巳夜はうまく説明できないなりにも、母の質問に的確に答えるよう努めた。そんな巳夜を見ながら、巳夜の母は表情をあまり変えずにこちらを見ていた。そして、巳夜の言いたいことを一つ一つ考え、かみ砕いていった。

「蓮 川君は巳夜ちゃんにとっては、必要とか、導く役とか、そういうものではなく、蓮川君無くして、飾っていない巳夜ちゃんはいないようね。お母さんね、典馬君 に巳夜ちゃんの何になりたかったの?って一度聞いたことあるんだけど、典馬君、その答えには答えられなかったのよ。典馬君にとって巳夜ちゃんは都合のいい 女の子で、典馬君自身、いい子を演じていたようね」

 巳夜の母が巳夜の答えに、きちんと答えを出してくれた。今までは一也の話をしても、巳夜に対して笑顔を見せても、あまりあれこれと意見をすることはなかった巳夜の母だったが、今回は違っていた。

「巳 夜ちゃんが家でも、学校でも、自然にふるまえている、そして、私とこうして話ができるようになった、それは蓮川君あってのことのようね。…いままでごめん なさいね、巳夜ちゃん。蓮川君と正式に付き合いなさいな。そのことに関して、なにかあれば口をはさむかもしれないけど、典馬君と付き合っていたころのよう な口のはさみ方をする気はないわ。…学校の交際許可証も蓮川君の名前に変わっっているんでしょうし、なにより、巳夜ちゃんがこうして、お母さんと向き合っ て話をしてくれるのは、典馬君の影響もあったでしょうけど、ちゃんとした答えを出せたきっかけは蓮川君でしょうから。お母さんは必要ないかもしれないけ ど、相談なんかは喜んで受けてあげるわ。蓮川君と仲良くね」

 今までの態度がうそのように、巳夜の母は一也との交際をすんなりと認める。確かに、交際証明小泉典馬から蓮川一也に代わっているが、それを含めても、巳夜の、一也に対するおもい、そして巳夜自身の変化を巳夜の母は見ていたということだったのだろう。

 いろいろあった一也と巳夜の母との間だが、それも溝はほぼ埋まったと言ってもよかった。


「お母さん、今日、一也の寮で寮祭っていうのをしているそうなんだ。一也ができれば来ると言いって行ってくれたんで行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいな。…ただ、以前不法侵入した寮でしょう? 大丈夫なの?」

「…一也、実は寮長だから、その辺りはちゃんと寮母さんに話をしてくれているって言ってたから大丈夫」

 巳夜がそこまで言うと、いつもより明るく巳夜を見つめて、嫌みのない笑顔で巳夜を送り出してくれた。

 巳夜が外に出ると、偶然なのか、それを装ったのか、向かいの家に住む小泉典馬が出てくるところだった。巳夜はあまり関心がないように典馬のほうを見ないで門扉を開けて歩き出そうとしたが、典馬のほうから声をかけてきた。

「やぁ、巳夜ちゃん、久しぶりだね。こんなに巳夜ちゃんと会わない期間が続くことになるとは夢にも思わなかったけど」

 巳夜はのそ典馬の言葉を無視して、さっさと駅に向かおうかとしたが、周りにでも聞こえるかのような大きな声で典馬は巳夜を呼び止めたので、無視するわけにもいかなかった。

「…全部、あたしのことをわかっているから、そう典馬は言ったけど、自分で付き合う相手を変えて、変化していく様を見ていると、典馬があたしを守っていたように見えて、実は違っていたことに気づかされたよ」

 巳夜も典馬も前を向いているので、お互いどんな顔をしているかわからなかった。だが、巳夜の言葉は少し、荒げられた口調になっているのが自分でもわかっていた。

「そう。…で、蓮川とか言ったっけ、巳夜ちゃんが初めて僕に逆らったときに出てきた相手の名前。それから上手くやってるの?翌日には緑都学園まで行ってたそうだけど」

  典馬のほうも声を半分荒げ、半分嫌味っぽく巳夜に食って掛かっていた。巳夜はいつ典馬に殴りかかろうかと考え始めたが、それではせっかく一也と少しずつで も普通の人間になるという目標が達成できなくなる。握りこぶしを作りはしたものの、典馬のほうには振り向かずに典馬の質問に答える。

「おかげさまで、蓮川とはお互いがいい距離感で付き合えているよ。…蓮川が前からあたしに気をかけていたのは、一目惚れもあったそうだけど、後から聞いた話では典馬との付き合いの中で、違和感があって仕方がなかったんだっていうんだ」

 こんなことをいま、典馬に伝えたところでよりを戻す気など巳夜にはなかったが、確実に決別したい気持ちがあり、あえて典馬の話に乗ることにした。典馬の様子は見えないが、多分すました顔か眉間にしわを寄せてにらみを利かせているかだろうと想像はできた。

「へぇ・・・おばさんも似たようなことを僕に聞いたけど、何が違和感だったんだって?」

「… あたしが無理をしている、そのことにあたしが気づけていなかったんだそうだ。…蓮川一也と会って、あいつと光流先輩に世話になっていた時に、徐々に蓮川と 居たほうが楽に感じられて、同時にあたしのことを典馬よりもよく見てくれていることに気づいて、典馬には『あいつのことが好きなんだ』って伝えたんだよ」

 巳夜は典馬と話していると、無理をしてどこか泣き出しそうになる自分がいることも、一也と付き合うようになり、指摘された一面だった。だが、今日は泣いているわけにもいかなかった。…典馬に負けるわけにはいかなかったからだ。

「なるほどね。いまは巳夜ちゃんは無理してないわけ?」

「無理も虚勢もない。蓮川と居ると、今までの自分が嘘のように感じられるんだ。…だから、悪いけど典馬、これ以上あたしに干渉しないでくれるか?」

 ここまで言うのが精いっぱいの巳夜だったが、なんとか振り絞り巳夜は典馬にそう告げる。

「…わかったよ、もう何があっても赤の他人、顔を見たってあいさつなんかしないから」

「むしろそのほうがありがたい。…じゃあな」

 それだけ言うと、巳夜は瞳に涙をいっぱいにためて、駅に向かって歩き出した。

 典馬はそんな巳夜の後姿を見送るだけになった。


 そして、一也が待つ駅に到着した時には、涙の堤防は決壊寸前、一也の姿を見た瞬間、巳夜は思わず抱き着いて泣き出してしまった。何事が起ったのかわからなかったが、一也は巳夜が泣き止むまで軽く抱きしめ、頭をなでながら、落ち着くのを待った。

「…小泉典馬だね?何があったかわからないけど、話して落ち着くなら話を聞くよ。場合によっては寮祭はいかなくてもかまわないし」

  一也が言うと、巳夜は泣きはらした瞳で一也を見る。そこには心底心配してくれている一也の顔があり、その瞬間に典馬だったら・・・と考えたりしてしまう と、泣かないわけにもいかなかった。少なくとも典馬は心配そうな顔をして抱き寄せてはくれないだろうと巳夜は感じていた。巳夜がいること、それは同級や少 し上の年齢で彼女のいない相手に対しての優越感でしかなかったとしか、巳夜は感じられなかったからだ。多分、心配「そう」に慰めながら心の中では笑ってい た、そんな典馬の姿しか今は考えられなかった。一方、一也はそんなことはかまわず、巳夜第一で色々を考えてくれる。それが良いことなのか悪いことなのかは わからないが、少なくとも巳夜にとっては一番心地いいと感じられる場所であり、巳夜も一也を第一に考えるきっかけになっていた。

 しばらくの時間、その場で泣きつきしていたが、静かに泣く方の巳夜は、あまり人目に引っかかることもなく、逆に抱きしめている一也のほうが、人通り激しい中で彼女を抱きしめていると堂々としていると思われがちなパターンではあった。

「落ち着いた?」

「…ごめん、ありがとう」

 そう言って一也から離れた巳夜はもう、泣いていたことも感じさせないような、すっきりした表情に変わっていた。

「話したくなかったらそれでもいいけど、話聞こうか?」

  さすがの一也も突然泣きつかれては、心配で仕方ないのも無理はない。巳夜は一也の心配が、痛いほどに伝わってきて、それが典馬の時には感じられなかったこ とで、また改めて、典馬が自分を隣に置いておくことで、優越感のようなものを味わっていたかったのかと言うのがひしひしと伝わってきた。

「… 出かけに典馬と会ったんだ。…待ち伏せしていたのか、偶然かはわからないけど。二、三嫌味を言われたりしたんだけど、その中に一也のことも含まれていて… あたしのことはいいんだ、確かに裏切ったような感じになったというのも事実だし。だけど、一也のことを言うのは間違いだろう?だけど…自分のこと、一也の ことを言われて悔しくて、殴りたくもあったけど…我慢してここまで来たんだ。…一也のいつもの姿を見たら安心して思わず泣き出しちゃったんだ。…ごめん」

 巳夜は何とか我慢して、そこまで耐えた、そうして一也最寄りの駅まで来ることはできたということを話す。

 すると一也はもう一度、巳夜を軽く抱きしめて、頭を何回かポンポンと撫でた。

「よ く頑張ったね、巳夜。俺の前で泣くのはかまわないから、泣きたいときには遠慮せず泣くといいよ。…小泉典馬と一緒だったときは、いつも巳夜は泣き出す一歩 手前の顔をしていたんだ。…だから、本当に小泉典馬と一緒で巳夜が幸せなのかと疑問をもって…。そんなところも、巳夜が心配で、小泉典馬から離れさせよう としていた理由の一つなんだよ」

 一也が言うと巳夜の瞳にまたいっぱいの涙があふれてくる。

「…一也はそんなところまで見てくれていたんだ・・・」

「グリーンウッドで家鳴りの話をしたときとか、実際に泣いちゃったときをみてから、巳夜のなく寸前の表情が分かるようになっちゃったから…。最近はそれもなくていい感じかなと思っていたんだけど…相手が小泉典馬じゃ、仕方ないよね。…意外と口悪いし、あいつ」

 一也はそんなことを口にしながら、肩に巳夜の顔を引き寄せて、涙が収まるのを待つ。静かに涙を流すタイプの巳夜の泣き方だが、一也にはそれがどれだけつらくて、いつもどれだけ静かに泣いて日々を過ごしていたのかが分かった。

「ありがとう、一也」

 すっと一也の肩から巳夜が頭を上げる。涙の後もなく、安心した顔になっていた。

「多分、巳夜のお母さんも味方になってくれると思うし、何かあったら、寮に電話してきていいから。すぐ駆けつけるよ」

「…でも、外出許可とか…」

「その辺は寮長の強み、グリーンウッドを任せることのできる人は、光流先輩とか、瞬とかたくさんいるからね。安心して」

 一也がそう言ってほほ笑みかけると、巳夜もぎこちなくだが笑顔を見せた。

 そうしてようやく、寮祭に向けて、緑林寮に向かって歩き出した。