Angel's Whispers ~天使のささやき~ Secondary Works

 『ここはグリーンウッド』 After Story Vol.4



  寮祭は、グリーンウッドの敷地内、芝生などの多い場所で開かれる。一部の寮内では、ステージなども催されていて、単なる寮だけで行われるまつり、と言うよ りは、ご近所ひっくるめて、寮に関係、無関係の方々まで楽しんでいただける会にしようというコンセプトで行われている。


 緑林寮最寄りの駅で落ち合った、蓮川一也と五十嵐巳夜。

 巳夜の出かけにちょっとした事件があり、巳夜が一也の姿を確認したら、今まで我慢してきた涙が一気にあふれ出てしまったと言う状況で、一也は巳夜が落ち着くまでのしばらくの間、人目から巳夜の泣いている姿を隠すようにして、落ち着くのを待っていた。

 巳夜も落ち着き、一也は巳夜の手を取って緑林寮へと歩き出す。何となく、巳夜の様子も気になったが、巳夜がその気配で、"気にしないでほしい”と言っているような気がしたから、一也は特別気にすることなく巳夜と手をつなぎ、緑林寮に向かっていた。

「おいおい、おせーぞ、蓮川。五十嵐迎えに行っただけだろうが」

 やっと帰ってきやがったか。そう言いたげな光流の言葉に、突然だった巳夜が一也の後ろで肩をすくめる。

「勘弁してくださいよ、光流先輩。こっちにはこっちの事情だってあるんですから、それに寮祭開幕まではまだ15分あるし、俺のやるべきことは、あとは寮祭開始の挨拶くらいでしょう?」

  光流がぼやきながら一也に文句を言うが、一也も巳夜のいる分、巳夜をかばいつつ巳夜が原因ではないとちゃんとフォローを入れるような言葉で光流に反論す る。そんな光流と一也のやり取りを聞いていた巳夜だったが、隠れていた一也の背中から一也の横に出ると、光流に向かって頭を下げる。

「池田先輩、蓮川を叱らないでください、あたしが駅で蓮川を引き留めていたんです、原因はあたしなんで反論があるのならあたしが受けます」

  今までは、典馬がこう言ったことはすべて処理していた。誰かと会ったり、何かの問題があったら、典馬が前に出て、巳夜は典馬の陰に隠れて、ことが収まるま で待つというのが基本的なスタンスだったが、一也と色々と話をしているうちに、自主性的なものが生まれてきたのか、ただ隠れているだけではなく、きちんと 自分の原因であることの報告と、それに対しての対処を自分にするよう求めるようになってきた。

「…五十嵐…が原因?いや、別に蓮川をとがめるつもりはねぇから、安心しろ。…にしても、そうやって自分から謝れるようになったのは、ずいぶんな進歩だな、五十嵐。…スカの努力も報われてるんじゃねえか?」

 とても今までの巳夜ではそうすることなどなさそうな態度だったので、光流もうれしそうな顔をして、一也の頑張りを褒めてみる。一也は何となく照れ臭くなり、巳夜は恥ずかしくて一也の後ろに隠れてしまう。

「それはそうと、寮長、全体把握しねぇと始めるったって、無理があるぞ、五十嵐の相手は俺がしててやるから寮内走り回ってこい」

 そんな一也たちに光流は珍しく「寮長」と言う言葉を使って、一也にはまだ仕事が残っていると指示を出し、その場に立ち尽くしそうになった巳夜のことも頭の中で気にしながら、指示を出した。

「…しかし、墨女(墨の華女子高等学校)の五十嵐が、ずいぶんとまぁ穏やかになったもんだな」

 光流が巳夜のところに来ながら、そう言う。それに対して巳夜はなんとも言えず、棒立ちになってしまう。

「からかってるわけじゃねぇから安心しろよ。でも、蓮川のことが好きになるなんて、お前も変わったやつだな、お前を好きになる蓮川もだけどな」

 光流が笑みを浮かべて巳夜に近づく。少し巳夜は恥ずかしそうに肩をすくめた。

「どうだ?蓮川と更生の道をあるくのは?」

「…べ、別に悪ぶってただけで、不良ってわけじゃなかったですよ。…でも、蓮川に言った『ちゃんとした人間になりたい』って言うのは、蓮川が少しずつ、導いてくれてます。おかげで最近はこんな格好(今日は白のワンピースに細めのベルトを無造作に腰にかけ、カチューシャをつけて小さなバッグを持っていた)も普通にできるようになりました」

 巳夜は何となく居場所の悪い感じで、光流の顔もなかなか見られないままで何となくしゃべっていた。光流はそんな巳夜をみて、「ずいぶん女の子に戻ってきたもんだ」と思いながら、そんな巳夜を見つめていた。

「そっか。蓮川と出会えたのはいいきっかけだったのかもしれないな」

 光流が言うと、か細い声だったが、巳夜は感謝するように「はい」と返事をしていた。そんなところに寮内から放送が入る。

『本日の寮祭に参加のお客様、および関係者は全員、食堂までお集まりください』

 その声が一也の者だとわかり、顔を上げると、光流が手を巳夜のほうに差し出してくれていた。

「寮祭開始の挨拶までは、蓮川はちょっと戻ってこれないから、俺があいつの代わりに一緒にいてやるよ」

  光流が言うと、巳夜は一回うなずいて、だが光流の手は無視して寮内の食堂と言うところに光流と一緒に向かった。寮の食堂には、寮生の姿はもちろんあった が、どう見ても寮生でないと感じる人や、女性の姿も見え、巳夜は何となくホッとすることができた。一通りの挨拶の後、一也が音頭をとり、乾杯する。

「ここに居な、蓮川呼んできてやる」

 光流はそう言うとまだ壇上で話をしている一也に声をかけ、巳夜のほうに来るよう声をかける。

 巳夜がどこにいるかが確認できた一也は、慌てて巳夜のところに来る。

「…一人にしてごめん、大丈夫だった?」

「うん。池田先輩がいてくれたから。…さすがは寮長、みんなに人気なんだな」

 挨拶の後、光流が行くまで一也がいろいろな人たちに囲まれている人を見て、巳夜はそんな感想を持っていた。

 巳夜と一也は合流したのち、巳夜自身が行きたいところがあるから案内してほしいというところがあった。

『管理室』

 そこは寮母がいつも詰めている場所で、巳夜が光流を訊ねてきたとき、怒鳴りあった寮母自身が知る場所だったが、今日はさすがの寮祭でその場所に寮母の姿はなかった。

「ま、当然と言えば当然なんだがな」

 そんな独り言をつぶやきながら一也は巳夜の手を握って、人ごみの中を歩きだす。近所の人から、寮関係者、OB、寮生の家族まであらゆる人が入り乱れる中、寮母をピンポイントで探すのは難しい、それは一也も感じていたことだが、放送設備などは極力使いたくない。周りの参加者に変な勘繰りをさせてしまうからだ。その辺りは寮長として冷静に判断しして、人ごみを歩き回る。

 玄関近く。

 学園長と、一也の実兄で緑都学園の保険医、蓮川一弘とその妻、すみれ、すみれに抱かれている緑の姿があった。

「ああ、いたいた。寮母さん」

 一也は、学園長に会釈を、実兄には軽く手を上げ、話に割り込むよと無言で許可を得る。

「どうしたの、蓮川君」

「この娘が寮母さんに謝りたいって。…五十嵐巳夜、以前、光流先輩を突然訪ねてきた娘ですよ」

 一也はそう言いながら巳夜を自分の横に来させるが、手だけはつないだままでいた。

「あっ・・・あのっ、以前はすみませんでした。お・・・あたしの勝手で突然男子寮に入り込もうとして」

 ペコペコと頭を下げ、少しの冷や汗をかきながら、巳夜は寮母に挨拶する。すると寮母はそんなこと気にしていないと言わんばかりに、巳夜が頭を下げるのを止める。

「ああ、あの時の。今日はまたずいぶん雰囲気が違うのね。…本当ならば絶対に許せない行動だけど、池田君と蓮川君に免じて大騒ぎはしないでいてあげましょう」

「本当にすみませんでした」

「…五十嵐さんもこう言っているし、僕も寮の方の監視をしっかりしますから、ここは穏便にお願いしますね」

 寮母が機嫌よく巳夜の謝る姿を見ながら話をするが、巳夜は何度も頭を下げつつ、謝るばかりだった。そんな様子を見た一也が(結局、自分で寮内に連れ込んだわけだが…)寮母に不法侵入をしないように注意するとフォローを入れる。

 それでひといきついたのか、寮母は学園長と一也の兄夫妻にお辞儀をして、その場を離れる。

「ついでだから紹介するよ、こっち、実兄で蓮川一弘、奥さんのすみれさん、甥の緑。…正月に迷惑をかけた張本人の五十嵐巳夜」

  一也はその場に立っていた兄夫婦にも巳夜を紹介する。何度かの電話や正月早々の雨の中の失踪など、何かと一弘には迷惑をかけているから、一応はあいさつ程 度、巳夜本人の口からはともかく、紹介だけはしないとと、一応と言う形で紹介する。巳夜は小さな声で「初めまして」とは言っていたが、一弘たちに聞こえた かは不明だった。

「ほほぅ、この娘が五十嵐さんか。一也はおくてだし、五十嵐さんには相手がいるような話だったから無理かと思ったんだが…結局一也の勝ちか」

「弘兄(ひろにい)、そんなこと言うなよ、俺も巳夜もお互いを必要と感じて今に至ってるんだから」

「悪い悪い、まぁ、時々へまをするが、一也をよろしく」

 一弘はそう言ってすみれを促し、寮内に入っていった。

「さてと、俺たちはどうしようか。光流先輩たちと一緒に回る?それとも・・・」

「…寮祭自体にも興味があるんだけど…今はなんか騒ぐ感じの状態じゃないな…」

 出てきて、一也のところで泣いてしまった巳夜は、どうにもワイワイと騒ぐ感じにはなれなかった。それを感じた一也は巳夜の手を引いて寮内に入っていく。

「本当はNGなんだけど、ね」

 そこは「関係者以外立ち入り禁止」と書かれたふだと、ロープの張ってある場所だった。それを一也は躊躇くなくくぐると、巳夜のほうに手を差し出した。

「だ・・・大丈夫なのかよ?いくら寮長だからって、本来行っちゃいけないところに行くのはまずいだろう?」

  心配そうに、巳夜が言うと「まぁ、そうなんだけどね」と言いたげな一也の表情と、それとは裏腹に入っちゃえばどちらでも問題ない、と言う一也の差し伸べら れた手があった。巳夜はしばらくその場で思案したが、一也の手を握ると、あえて、一也を立ち入り禁止箇所から引き出す。

「・・・巳夜?」

「ここは入ってても大丈夫なんだろ?人が頻繁に通るわけでもなさそうだから、ここでいい。座って少し話したい気分」

 そういって、ロープぎりぎりのところで、壁側に背中をつけて、座り込むと、一也にも隣に座るように促す。それに応じて、一也も巳夜の隣に座り込む。

「…一也の観察眼と言うのはすごいもんだな。典馬と一緒の時から、おれが泣く一歩手前の顔だというのを確認してからはずっとそのことを心配してくれていたんだろう?」

「観 察眼、と言うほどのものでもないけどね。巳夜を初めて泣かしちゃったときに、巳夜の表情がどう変わったら泣いちゃうのか分かったから、しかもそれが目の前 だったからね。印象としては強いものだったんだよ。それを見てからは、小泉典馬と一緒の時の巳夜は、必死に嫌われようとして、だけど嫌われないよう我慢も して…それは逃げだったのかも知れないけど、それで泣きたくなる手前でなんとかこらえていたんだ、と言うのをいつも感じて…それに気づかない、だけど優越 感にだけは浸っている小泉典馬が俺も許せなくて」

 一也はそこまで言うと、自分の右手と巳夜の左手でつないでいた手を見て、巳夜の手を引き寄せると、両手で包むように両手で巳夜の手を包み込んだ。

「も う人を殴ったり、握りこぶしで何かをすることもしなくていいんだからね。そういうのは俺の役目。…女の子は泣き虫でもいいんだよ、我慢しなくてもね。それ と…もっといっばい、お互いのこと、何かあったこと、話をしよう。それでまた何か問題でも出てきたら二人で解決すればいいんだから」

「…うん。なぁ一也、変わっていくのは少しずつでいいか?おれも極力『あたし』ってことばとか使うようにするけど・・・」

  一也がどういう意味を持って巳夜に言ったか、巳夜自身には痛いほどに伝わってきた。痛いはずなのに、それがどこか心地よいところでもあった。そこで、自分 の「無理してしまうところ」と言うのが分かったというように、一也に質問する。その質問が、一也にもどういう意味かは十分に分かっていた。

「ああ、すぐに何かを変える必要はないよ。まずは巳夜が変えたいところから順を追って変えていけばいい。初めは一人称から、だけでもいいんだから」

「そうだよな。…一也は単に優しいだけじゃないんだよな。すぐ変われとは言わない。だけど『そのままでもいい』とも言わない。…そこは典馬と大きく違うところで…あたしが一番望む形かもしれない」

 巳夜は天井を仰ぎながら、一也が包んでいる左手を自分の右手できゅっとにぎり、自分の意思を確認した。

「巳 夜ちゃんは今のままでいいんだから、か。それじゃダメなのは自分が一番分かったし、一也と光流先輩をみて、やっぱりお…あたしも変化しないとと思ったら、 一也に対しての気持ちが大きくなって。でも、一也が『俺がついてる』って言ってくれた時はすごく、安心できた。だから今、典馬じゃなくて一也のところに居 られる」

 そういって天井を見ていた顔を一也のほうにむける。一也はずっと巳夜の横顔を見つめていてくれた。巳夜もそれは十分に分かっていた。そしてそれは本当に不意だった。巳夜はスッと一也の顔を覗くようにするとそっと唇をかさねた。

「…巳夜に先越されたなぁ。巳夜にとってのファーストキスは俺が奪うはずでいたのに」

「一也のファーストキス、おれが奪った?」

「恥ずかしいことに・・・」

 そう言うと一応周りを確認して、誰もいないのを確認すると、二人抱き寄せてもう一度、キスをした。