confessions 告白 その三

翠紅の内面の美玖です。
うつ病になってみて、翠紅が色々と経験していたことを少しずつ、詳しく書いてみようと思います。

ということで今回のお題。
「焦るな、急くな、慌てるな」

調 子のよかったころ…去年の今頃から今年の新年くらいまでですが、その間、親方である父にいつも言われていたことです。焦っても急いても慌ててもいないつも りの翠紅ですが、(美玖もその辺は感じていませんが)どうも両親から見ると、いろいろを早合点したりしているそうです。

父の仕事を手伝い をしているときは、重たい道具箱を持って、父の作業するポイントまで行くという感じで行動していました。まぁ、仕事自体似たようなことをしている場合があ るので、この時はこの形で進んでいくんだな、と頭では想像していました。生憎…と言うか、自分は現場見習いと言う訳ではないので仕事をするのは父の作業、 その間、翠紅はその作業の様子を見ている。というのが基本スタンスです。ただ、場合によっては、天井裏に脚立で登って行って、暗い中でヘッドライトを使っ て作業をすることもあります。そんな時は工具が足りない時などは、翠紅にそれを取る(取りに行く)ことをしていました。
そんな作業をしている中 で、クライアントが見学しているときが時々あります。そういう時は翠紅は困ってしまいます。また、父も自分の使っている工具なので、「こんな感じの」と か、柄が緑のものを「青」と言ってみたりしていて、正直慣れない工具ばかりで翠紅自身はすぐに見つけることができません。そうすると、天井裏から催促が来 るわけです。どの辺の、どの辺りに入っている、という催促です。が、工具ですから、使ったりすれば、当然場所がずれるので、「柄の青の細いドライバー」と 言われると、柄の青いドライバーを探すわけですが、当然それは柄が「緑」なので見つかるはずもなく。結局「見当たらない」と報告すると、やむを得ず父が天 井裏から降りてきて「これ」と見せるのですが、なんども書くように、それは「緑」の柄のドライバーだったりするわけです。
「何をそんなことで焦るんだ?」
と思われる方もいると思いますが、「お客さん見学中」の場合はスムーズな仕事が要求されますし、例え居なくても父としては仕事といえど、短時間で済ませたい部分があるようなんのです。なので催促などをされると慌て、焦るわけです。
荷 物が多い時は高めの脚立を肩に担いでお客さん宅内に入っていくわけですけど、なかなかこれも、家財に傷をつければ当然失態なので、極度の緊張と事前に「気 をつけろよ」という父の指示と自分の身長よりちょっと高い脚立を持つことで、焦らずも、急くもない代わり、父についていかないと、他人の家ですから場所が わからなくなるので、慌てるような形で父について行って、要は「迷子」にならないようにくっついていくわけです。

さて、この現象ですが。
翠 紅が焦り、慌て、急ぐのにはいろいろと理由がありますが、大半がサラリーマン世代のトラウマであったり、実家に帰ってきてからの立ち居振る舞いが、病気前 と相当変わっているのでしょう、両親が「前はそんなことなかったのに」というほど、社員寮で暮らして、仕事に行っているときの癖というのが注意されたこと とかがあるわけです。
一番初めは、某SS社がネットワークで各工場をつないでいるものを監視して、回線が寸断した場合には、すぐに業者に入っても らい、回線の復旧を待つわけです。が、ここで…回線が寸断しているということは、業務のうち、バッチシステム(大半のプログラムを動かす中枢のようなも の)がホストコンピュータで処理されても、それが本社に、別の工場に送信ができなくなるわけで、最悪その日一日の作業工程が逝くわけです。それがないよう に線が切れたらとにかく早く、代替えの回線を用意するか、故障個所を探し回線を復旧させることが必要なのです。
もちろん自分たちはそのバッチにつ いては見ないどころか概要もわかりませんから、どれが最重要バッチかなんてわかりませんし、回線切断の時に、いろいろなキャリアとやり取りするときはバッ チなどが動くのを監視する、コンソールからは離れています。ですが、そのバッチを確認してうまくいっていないときはコンソールを見ているオペレータから、 回線管理をしている翠紅達に「早く直せ」と叱咤をいただくわけです。そうなると、場合によりますが、あらゆる場所に電話をかけて、回復状況などを確認し、 自分たちがそうされたように、回線業者を急かすわけです。
その結果、自分は慌ててホストのプログラム停止、通信の停止時間を少しでも早くするた め、慌てるわけです。もともと翠紅は(私も当然そうですが)叱咤激励(場合によっては叱咤)が大嫌いなのです。(余談ですが、社交辞令という言葉も嫌いな ので、「今度、一緒に夕食でも」と会社や客先の関係者でも(男でも女でも)いつかは一回でも食事できるものだと信じ込みます)。そのような経緯もあり、仕 事は慌て、急いて、焦り、ビクビクしながら、サラリーマンをしていたのです。
サラリーマンは大体10年ほど経験しましたが、そして、部署も回線の 部署から、ある大きな施設の出向までこなしていました。が、どの職場も、焦らずとも、急ぐ案件というのはどこにでも存在していて、結果的には先ほども書い た、慌て、急いて、焦り、上司の目を伺いながら仕事をしていたものです。

正直、鬱になった最たる原因は、この「慌て、急いて、焦る」ことが要因だったのでは、と疑わざるを得ません。ただ、自分でいつぐらいから本格的に仕事が休みがちになって、人事部長に強制休息命令を出されたのすが、まったく日程というものがわからなくなっています。

あ る人はうつ病になる前に付き合ていた彼女に振られたから、鬱になったと言い張りますが、これは断じてそんなことはない、と言い切れます。仮に当時彼女がい たなら出張を断りますし、振られたから調子が悪くなったというのも、振られてから仕事をしていた過去は存在します(当時の仕事履歴があります)。
とにかくこのようなブラフが飛び交うような中で、鬱になっていくのもひどくなっていく。

「とにかく早く仕事に戻らないと」
というのがこの頃の至上命題。リワークなるものを前の主治医に教えてもらい、試しに申し込みをしてみる。初めはカウンセリングのようなものをして、そこから何が問題かを探す…ものだという風に聞いていたが、実際はそうでもなく。
『職務を病気休暇していて、再び同じ部署、同じ職務に復帰を手助けするプログラム』
というのがリワークで、あくまで会社を辞めたから障害者向けの仕事をあっせんするわけではなく、元の職場に復帰することが最低条件だった。
この頃も焦っていた感じがする。「一週間後にプログラムを作っていきましょう」と担当の人に言われたが、その一週間というのが待てず、数回「仕事に早く戻りたい」と言ったのを覚えている。
この時点で、自分が焦り、急いて、慌てているのが克明に見えていたのだが、誰もその状態に気づくことはなかった。

改めて振り返ってみると、翠紅も随分と「うつ病時にでる行動」を順を追ってしていたものだと思う。
今はとりあえず、失っていた車を両親に無理を言って買ってもらい、自分が不足だと感じる身の回りの物についてはそろった感がある(2017年05月現在)。
ただ揃ったとはいえ、それで満足するかと言うとそういうわけでもなく、気持ちと行動と感情はバラバラな状態のままなのである。
まとまったとき、果たして鬱が寛解するのか、それは予後経過を見てみないとわからない。