巻ノ零


 今日現在の京都に平安京と言う都市のあった刻(とき)

 広く信じられていたのは物の怪やそれに対抗しうる能力を持った人間たち。その人間、多くは「陰陽師」と呼ばれ、その技術は遠くは唐から伝わったとも、そのさらに先から伝わったとも言う、秘術を使って人々を災厄や物の怪の呪いなどから救っていた術だと言う。


-それらが文献として残っているのは今のお話。そして、刻の陰陽師として能力をふるっていた、特に陰陽師として力をつけていた者の中に、安倍晴明(あべのせいめい)と言う人物がいたというのも今のお話。

その刻とはちょっと時間軸と歴史の軸がずれている刻のお話。そんな、パラレルワールドでは、実はこんなことで、伝説は紡がれていたとも言われていた-


「晴明、また朝廷から魔除けの依頼が来たぞ」

 平安 京の北東に、安倍晴明宅はあったと言われている。その北東と言う位置は俗に『鬼門』と呼ばれる、方位として良くない事、災いなどがやってくる場所だと信じ られていた。そこに自らの邸宅を作り、平安京に鬼門から入ってくると云われていた災いなどを、自らの力で排除している為だと言われていた。


 まだ、安倍晴明が結婚もしていない、若かりし刻、しかし、その名は誰もが一目を置く、しかし偉大な陰陽師として名を馳せている頃。

「・・・麒麟、なぜそんなに魔除けをしなければならんのだ?そもそも、麒麟の世界では、そんなに人間は憎まれているものなのか?」

 邸宅内に、人間は二人。

 一人は言わずと知れた安倍晴明その人。そしてもう一人、安倍晴明よりもはるかに年を重ねていない、年にして156程度の少女が一人。その少女を晴明は「麒麟(きりん)」と呼んでいた。

 晴明 はそんな質問をしながら、適当に座っていた居住まいを改め、当時は失礼に当たらなかった胡坐をかく形で麒麟に相対して言葉を発する。その少女、麒麟は晴明 のそれとは違い、丁寧に正座をして、晴明の方を向き座る。そして、晴明の質問に対する答えを探すかのような風を装う。

「んー、 実際、私たち物の怪は特別、悪さをするために人間界にやってくるわけではない。いや、その気があって来る馬鹿者もいるのは事実で、だから私のような、馬鹿 者に接近できそうな人間の近くに居座るものもいるわけだが…。晴明には悪いが、晴明自身が作る護符に、私が馬鹿者たちが近寄りがたい呪詛を吹き込まねば、 効き目はないがな」

 麒麟はそう言って、いつも晴明が護符として使っている、お守りのようなものを晴明に手渡す。

「…と言うことは、物の怪に対し、我々人間は無力だと…?」

「無力 とは言ってない。だが…晴明、もしものことがあったら私の後ろに隠れるのはできる限り避けろ。そういうところを見られでもしたら、陰陽師・安倍晴明の名が 廃るぞ?…と、話がずれたが、人間が物の怪に対して有力であるという部分はその信心深さかもしれんな。だから、晴明、お前は私、五芒星の中心をつかさどる 化身であるキリンと契約を結ぶことができた、とも言えなくはない」

 そう言いながら、麒麟は晴明に少しばかりの苦言を言う。


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 人の考え方や宗派、それ以外にもいろいろな解釈があるが、本来、四神と言う、方角をつかさどる聖獣が存在するというのは、この世界でもよく知られていた。

 東に青龍、南に朱雀、南に白虎、北に玄武。

 だが、一般に言われる「五行説」を唱える者にとっては、木は青龍、火は朱雀、土は黄麒、金は白虎、水は玄武、と言ったように四神に一神加えて五神(または五獣)とする考えもある。そのうちの黄麒を、ある文書や信仰する人によっては「麒麟(キリン)」とする者もいるという。

 ここにいる麒麟は、安倍晴明の使う印の形、五芒星にそれぞれ、青龍、朱雀、白虎、玄武が存在し、それらの頂点に立ちし者と自らを呼んでいる。

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 麒麟の苦言に晴明は「そこまで言わずともわかっている」と言いたそうに胸を張って座り直すが、麒麟はそれが半分は去勢であるということをよく知っていた。

 と言 うのも、この世の安倍晴明は麒麟が居て初めて「陰陽師・安倍晴明」を名乗っていた。その、晴明の陰陽師としての力の大半は、麒麟が陰から晴明を手助けして いたものに他ならないのである。…だが、その麒麟の力は誰からも確実な呪詛であり、魔除け、悪霊払いなどの仕事を確実にこなしていたのである。普段は晴明 が使役する「式神」と名乗っているのだが、安倍晴明が晴明の名を轟かせているおおもとの能力の持ち主は実は、麒麟だったということなのである。


 麒麟の苦言を聞き流そうとしながらも、晴明はどうしても気になって仕方ないようで、自分が五芒星と呪詛を書き込んだ、麒麟曰くほぼ無力とされる札を眺めながら、憮然とした表情で札と麒麟をいったり来たりしながら見ていた。

「まぁ、 そんな顔をするな。そもそも、先人たちが物の怪に能力を借りようと、『道』を開けてしまったことで、良きも悪しきも区別なく、その『道』を通り、この人間 界にやってきてしまうのだ。私の言う馬鹿者たちとて、人間を食い物にするのが一番、自分たちの物の怪の能力を上げるのに適しているから、やってくるのであ るからな。それを退治せんとする者…私のような者も居れば、物の怪と契約を結び、悪しき法術を使う人間もいる。その際には、晴明、お前が私の能力を使っ て、確実に退治せねばならんのだ。護符はその第一歩。晴明が人間として能力を宿し、私が物の怪として法術を仕込む。今のところはそれで済んでいるが、その うち、晴明が逃げ出したくなる者が現れる可能性とてある。…その護符がほぼ無力だからと嘆く必要はない」

 麒麟はそう、晴明を諭す。いまいち納得のいかない晴明は、目の前のたかが15,6の小娘に言われたことを少々根に持ちつつ、軽くため息をついてみせる。そのため息の意味は、麒麟にとってはすべてお見通しであることも晴明はわかりつつ、ため息をつかずにはいられなかった。


 そして、その護符の能力を吹き込むことになる。

 いつもの形…晴明がその護符をもち、呪詛を吹き込む。それを麒麟は斜め右に正座して見守る。この儀式において、麒麟が直接その護符に何かをすることは全くと言っていいほどない。晴明自身が、護符にきちんと魔除けたる呪詛を吹き込み、必要とされる護符の形を作り出す。

 麒麟はその晴明自身の能力をはじから見つめ、後押ししているに過ぎない。…人間が必要とする物は人間の能力を持って、仮にその延長上に物の怪、化物がいるならば、その時こそが麒麟の出番と言うわけである。

 晴明 も麒麟との付き合いははそう長くなく、自らが安倍晴明と名乗り朝廷を出入りするうち、化物と運悪く出くわしたときに麒麟が手助けしたのがきっかけだった。 出会いは至極簡単なものではあったが、麒麟は晴明の能力を見抜いたのか晴明について回るようなり、今の形が出来上がったと言っていい。晴明自身も麒麟には 恩義を感じていてまた、化物・物の怪に対して自分の力が無力であることは麒麟の化物を退治するその姿を見ていて重々承知してることだった。

 護符に晴明が印を組んで依頼者から頼まれたものを退治するにふさわしいと思われる言霊を送り込む。

「今回の魔除けはこんなものでよいか。なぁ、麒麟」

「…まぁ、思念だけが付きまとっている分には十分すぎる護符だな。それで十分であろう。…人間と言うのはしぶといな、晴明。思念体になってもまだ、自分のにらんだ相手にとり憑こうとするのだから」

 晴明 が護符の状態を麒麟に尋ねると、拍手こそしないもののさすがは安倍晴明と言わんばかりの出来だと麒麟は言ってみせる。…言い方はぶっきらぼうではあった が。そして、麒麟は人間と言うものが自ら物の怪と名乗る自分にとっては、少々、理解しがたいと言いたそうな言葉を続けた。

「朝廷 に絡んでいる人間は、少なからず、誰かの恨みを買わずには朝廷での仕事を続けてはいけまい。それを考えると、思念になってまで固執したくなるという人間も 居ようもんだぞ。それに、人間と言うのはより高みを目指そうとするが、それに邪魔が入れば成敗してでも先に進もうとするものだからな」

 麒麟が難しそうな顔をしながら晴明に尋ねた言葉を、晴明は顎に手を当てながら考え込むかのように意味深に言葉を紡ぐ。麒麟にその真意が伝わったかは分からないものの、晴明は自分の言葉を告げたのち立ち上がると、その護符を懐にしまい、麒麟に言葉をつづけた。

「これからこの護符を届けるが、麒麟はどうする?」

「…晴明一人の時に物の怪がお前の能力を刈り取りに来てしまっては、この先の陰陽道を往く者の未来が閉ざされるからな。護衛も含め同行するさ。その方が晴明も安心だろう?」

 麒麟 が皮肉一杯に晴明に言うと、晴明は少し怒ったような表情をして麒麟をにらむが、物の怪だという麒麟にしてみれば、たかが人間の眼光などは光らせるだけ無駄 とでも言いたそうな感じであっさりとそれを笑みを浮かべて往なしてみせる。その様子を見た晴明は軽くため息をつきながら、麒麟の同行をそのまま願い出た。

 そうして二人は夕刻に差し掛かり薄暗くなった町の中へと姿を消していった。

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