「でも、本当にやめた方がいいって」

 彩音はノックアウトされたものの、でも七海のような女優と付き合うなんてことはできないと断固として言い張った。

「…なぜ?鬱病だから?こんなマンションに居ながら、実は自転車操業で厳しいから?それとも別に女でもいると言うの?」

 七海はそれまで、彩音と言う人間に付いて、会社を通じて(本来は会社的にもご法度だが)身辺調査をしていて、彩音に対する大体のところはつかみ切っていた。それをいま、本人である彩音に突き付ける。

「…女は居ないけど、それ以外は当たりだし、いかにも格好つけているけど、間もなく無職になるし、無貯金だし、鬱って病気持ちだし。それに七海さんに釣り合わない、色々な面で…」

 そう言って、抱き付いている七海を見ながら遠慮がちに彩音は言う。すると、次の文句もちゃんと用意しているとばかりに的確に質問を返してくる。

「釣り合わないのは体形?」

 言いながら七海は中年太り気味の腹の出てきている彩音の腹をポンポンと軽くたたく。

「それとも、年齢?23歳と41歳。たかだか18歳差じゃない。そんなの今のご時世当然の年の差だって。それに同い年とか年上より、彩音は年下のほうがお好みなんでしょ?」

 言いながら意地の悪そうな、いわゆる小悪魔な笑みを七海は浮かべる。それに対し、彩音はなんとも反論できないところまで来ていた。

「…私は別に、彼氏が『ヒモ』でも大丈夫だよ?最低、私と一緒にいてくれさえすればね」

 どこかの芸能人が同じようなことを言っていたなぁと思いながら、彩音はここまで論破されてしまってはぐうの音も出なくなってしまう。

「・・・知らないよ?一蓮托生なんて言ってて、数年で自己破産なんてなったりしても」

「あ。それなら大丈夫。これからでもそれなりに仕事は来るだろうし、その前に随分貯金はしてあるから。大人二人で大体五年は生活できるくらいには貯金してある」

 彩音が半分冗談で言って見せるが、その本気度は誰にも負けないと言いたい位の勢いで、七海はすべての質問にきちんと答えてみせる。ふぅ、と困った表情を見せながら、彩音は抱き付いて離れない七海の両肩に手を当てて自分と七海の間に少しの空きを作る。

「…俺は意外と女々しいぞ。ちょっとやそっとじゃ離れないぞ。それでもいいんだな?」

「…大歓迎。一途で優しくて、ちょっと頼りないけど、奇抜なことを実行しちゃう素敵な私の彼氏さんになって」

 お互いの最終確認だった。七海はまた涙が出てきたが、すぐに抱き付くことでその涙を隠す。彩音も涙が流れたのには気付いたがあえて、涙のことは何も言わないことにした。

「七海の彼氏が務まるかどうかはわからないけど、よろしくな、七海」

「んふふ~、やっと呼んでくれたね、七海って。…大丈夫、私は彩音は私とずっと一緒にいないといけない人だから。こちらこそ、よろしくね、彩音」


 十分くらい、お互い抱き合っていたが、七海の方からスッと離れる。彩音は、離れてから周囲を見渡す七海に首をかしげる。

「彩音、引っ越ししよう!!ここはもうばれたし、私のところもばれてるから、全く新しい場所に」

 突然のカミングアウトだった。七海はこの場所から別の場所に引っ越すと言い出した。

「…引っ越し?別にマスコミにはばれてるんだし、七海のプロダクションが俺と七海が付き合うことについて許可が出ていれば問題ないんじゃないのか?」

 彩音は逆に場所がばれていることから、堂々と一緒に居ても大丈夫だと感じていた。だが、そこまで言ってふと気が付く。

「って、一緒に住むのか!?

「うん。私は早い段階から同居したいと思ってるんだ。いつでもそばに彩音がいてほしいから」

 どう やら七海は同居希望で、マスコミからも逃れようと言う魂胆らしい。だが、いきなり同居と言ってもそう簡単に許可するわけにもいかないと彩音は思っていた。 それに、お互いばれているならば堂々としていればそれはそれでなんの問題もないと感じていた。七海にはその旨を説明するが七海自身は首を縦には振らなかっ た。

「一緒にすごすのは嫌?」

「嫌とか言う問題じゃなくて…ここか七海の今の住居にどっちかが身を寄せるのでも良いんじゃないのかなと思うんだよ。…それとも同居NGなのに、同居に踏み切ろうとしている?」

 七海の単刀直入な質問に、彩音は半分ドギマギしながら答えてみせる。

「同居はNGじゃないよ。同列の娘で堂々と同居している娘もいるし、事務所の方は別にその辺り、NGにはしていないから。だけど、彩音の言うようにどちらかに身を寄せるとなると、また、ありもしないことを週刊誌なんかに書かれるのもどうなんかなと思ってさ」

「…通い妻、なんて言葉もあるし…どっちかがどっちかの部屋でいいと思うんだけどなー…」

 七海の少し焦り気味の発言に彩音は疑問符をつける。どちらにしても同居となった場合はまたマスコミが殺到するのだろうから、それならば公然と付き合ってしまえばいい話だし、住居がどうの、と言う話であっても、どちらかの部屋に身を寄せればそれでいいと感じていた。

 一方の七海は新たな一歩を踏みたいと考えている節があり、できれば新居で二人暮らしを始めたいと感じているようだった。

「それに、私のところも1LDKだけど…家自体が狭い。寝室一つ作っちゃうと後はリビング、ダイニングキッチンだけで、手狭になっちゃうんじゃないかなと」

「俺は別に部屋は必要ないよ?リビングでも、パソコンを置かせてもらえる場所さえあれば」

 早速引っ越しの話になってしまったのだが、彩音は今のままで、どちらか一方に集約すればいいと言うのだが、七海がそれではあまり納得していないようだった。

「んー、欲張りなんだけど、一部屋、衣装を置かせてもらいたいんだよね。普段はリビングで過ごして、寝室で寝る。…今までの衣装で気に入ったものは買い取ってるんでつい衣装がいっぱいになっちゃうんだよ…」

 七海がもう一部屋必要と言うことを要求する理由は、今までの衣装の置き場の為だった。確かに色々とおしゃれなども七海はしていると思われるし、買い取りと言うのはおそらく、ファッション誌のモデルをしている七海自身がそろえたものに違いないと予測はできた。

「…2LDKか。でもそうなると家賃だって高くなるぞ?そこまでして、七海に負担はかけたくないんだが…それは無理な話?」

「常に一緒に居てくれるんじゃなかったの?」

 彩音が言うと、七海は涙を浮かべて訴えてくる。彩音はこの先、この涙に何度となく妥協や諦めを要求されるのではないかと思っていた。

「…七海はどのあたりに物件を見つけているの?」

「隣県の〇〇って市。ここならば新幹線の駅もあるし、マネージャーも新幹線通勤はOKしてくれたから。それにそこならば、そんなに金額がかさむことなく要求の部屋は見つかるんだよ。…下見済みで二人で内覧して、決められればと思ってるんだ」

 彩音が訊ねると、七海はもう確認済みだと言う。だが、実際彩音と七海が出会って一週間~十日、その間に物件探しなどしている暇もないだろうし、なぜそこまで決めてあるのかと訊ねる。

「…もともとは一人でそこに住もうとしていたんだよ。衣装の問題で。彩音は荷物的にはパソコンと四季の服、あとは特別持ってくるものってあるの?」

 七海にそこまで言われると、確かにそんなに大きなものを持ってくる必要はなかった。衣裳部屋を作るのであれば、一通りの服はその衣裳部屋にタンスでも置かせてくれれば問題ないだろうし、パソコンは別にリビングの片隅にでも置かせてもらえばいいだけの話だった。

 それを聞き、七海はそれ以上に何か問題でもあるかと訊ねてくる。そうなってしまうと彩音が文句を言うだけの理由は無くなってしまう。確かに、今の部屋でも十分すぎて物の置いてない場所が出てきているのも事実だった。七海はその辺りも考慮した中での話をしていた。

「すぐに引っ越し、と言うのはちょっとまってくれ。どれを持って行って、どれが処分するものかを一緒に考えたい。実際の配置を考えながら。どう?」

「ん、別にそれは問題ないよ。じゃあ簡単な部屋の図を描いて後で持ってくるね。その間は…必要な場合以外はこっちに来てても良いかな?」

 七海 はもう、一緒に住むことについては自分の中で完結しているように話を進める。…とても一晩中泣いていた、そして何を言っても答えなかった女性だったと思え ないくらいに色々を話しする女性だった。それだけ、傷ついていたと言うことなんだろう、彩音はそう思って納得することにした。


 ちょうどその頃。

 各週刊誌は七海のこれまでの噂に対して、何の物証(とくに写真)が なく、噂話だけで、それが事実だったのかどうかと言う疑問符を付けた記事を大々的に掲載するようになってきた。それは特に彩音が打った大芝居の影響が大き く、偶然居合わせてくれた問題のプロデューサー氏に七海が完全無視を決め込み、このマンションの一住人と逢瀬を繰り返していたのであろうことが確認できた ので、それまでマスコミも面白おかしく書いていた七海の記事について、取り消しや嘘であることを認めるしかなくなってきていたのだった。

「…ねぇ七海さん、新聞記事みた?」

「七海さんじゃなくて、七海」

 スポーツ紙を読んでいた彩音が七海に語り掛ける。もう七海は完全に通い妻状態で彩音の部屋に帰ってくるようになっていた。

「どれどれ・・・」

 七海は彩音から新聞を取り上げると、そこに半面程度を割いて書かれている七海のこれまでの話と今回の出来事の整合性がどうとか言った話を展開していた。

「…このくらい、どうってことないよ、傷ついた私からすればね」

 七海はそう言いながら新聞をぐちゃぐちゃと丸め込むと、ゴミ箱に捨ててしまう。彩音も別にほかに読む記事も無く七海と自分のことがどう展開されているのかと言うことを見たかっただけだった。


「で、これが簡単な図として。いまのこの部屋で必要と不必要を分けるとなると…」

 それからさらに数日。

 七海が引っ越し先の物件の簡単な図を不動産屋からもらってきた。まずは彩音の家にある必要なものと不必要なものを分けることになった。実際、彩音の部屋から持って行くべきは本当に自己利用しているパソコンとパソコンの音楽をデジタル再生するためのAVア ンプくらいで、他は小物と洋服くらいだった。それらの配置を確認すると、七海はすでに大方記入している自分の荷物の場所を確定させていく。そして、大まか に配置図が出来ると、あとは引っ越し日程を決めていく。同時に彩音の方が不要な荷物が多く出たので、それらのリサイクル業者の売買なども考えていくことに なった。



 そうして数日後に新居を構えた彩音と七海は、しばらくの間、マスコミからの猛追を避けて過ごすことが出来るようになった。

「…でもまさか…たったあれだけのことをしただけで、七海が交際まで申し込んでくるとは思いもしなかった」

 彩音は言うと、ソファに二人並んで座っていて隣にいる七海の肩を抱き寄せる。

「…ほんとに一目惚れだったんだよ。それに、あんなにやさしくされたのは初めてで。一気に落とされたって感じだったんだよね」

 こつんと彩音の肩に七海は自分の頭を乗せると、それだけ彩音には感謝と言うか救ってくれた救世主的な存在だったと言うことを彩音は隠れるような仕草をしつつ、満足そうに笑みを浮かべていた。

 七海の変な噂もほぼなくなり、彩音と七海は静かに日々を過ごすことになった。