その翌々日のこと。

 こぞって写真週刊誌が発売される曜日。週刊誌はもとより、スポーツ新聞の芸能欄にまで、七海が見ず知らずのマンションから出てきたと言う写真が掲載され、たまたまそのマンションにはあるプロデューサーの家もあると言うことで、ふたたび炎上し始めてしまっていた。

 その 情報を彩音が知ったのは、七海からの電話だった。いろいろと週刊誌やスポーツ新聞を読むと、間違いななく七海が彩音の部屋を去った時間に取られたであろう 写真が掲載され、たまたま住んでいたと言うプロデューサーと言うのが「仕事の代わりに一日の時間を自分に費やせ」と言い、ためらいもなく了承していたなど と、事実無根な記事まで乗せられていた。

 七海からは一生懸命に誤りの電話が入っていたが、それ以上に七海がどんどんと汚名を着せられることの方が、彩音にとっては腹立たしかった。


「七森さん、本当にすみません、こんなことになってしまって」

「いや、俺は無傷ですから問題ないですよ」

 再び三度と言ったように七海から謝罪の電話が来る。なにも七海が悪く感じる必要はない。なのに矢面に立ってしまっているのは誰でもない七海の方だった。

「・・・南野さん、少し荒療治しましょうか。ちょっと南野さんの評価はまた落ちてしまうんですが…」

「何を考えているんですか!?

「ちょっと、危ない橋を渡ってみようか…と」


 彩音 はある場所に七海と七海のマネージャーを呼び出す。そして『荒療治』の内容を話す。それは七海だけでなく彩音までもが被害を被ることになってしまうのであ るが、それでももう、彩音の心は決まっていたし、それを曲げる気は全くないと、七海とマネージャーの説得をする。マネージャーにとっては七海の汚名が広が ることより、その汚名が無くなることの方が今必要とされている解決法だったので、最終的には彩音の意見に賛成する。だが、七海は彩音まで巻き添えにするの は絶対嫌だと言って、彩音の意見には乗ろうとはしない。だが、ここで早めに手を打たなければ、彩音と一緒のマンションにいると言う大法螺吹きがありもしな いことをどんどんと広げてしまうであろうことは確かだった。その辺のことを繰り返し、七海に説明してようやく七海からも了承を得ることが出来た。


 その問題のマンション。

 もちろん彩音は住人故に出入りすることは当然と言うまでもない。だが、一緒に明らかにそれが南野七海であるとわかるような隠しもしない、隠れもしない姿で、彩音とともに彩音の部屋に行くことにしたのであった。

 当然 マスコミは相手の違う男をつれている七海、と言うように感じるわけだが、七海の家はこのマンションではない。しかもその七海が連れている男というのは業界 とは全く関係のないおとことあって、マスコミが色々と混乱を始める。彩音が狙ったことはこの「混乱」だった。それから七海がこのマンションに頻繁に出入り するのをマスコミは嗅ぎつけるわけだが、そのたびに連れているのが、問題になったプロデューサー氏ではないことで、徐々に七海がそのプロデューサー氏と関 係を持っていたことに疑問をマスコミは持ち始めることになる。


「…悪いね、無理やりにこっちの方からの通勤を南野さんにさせて」

 彩音はしかし、マスコミが混乱し、写真週刊誌が色々な記事をのせ、過去のことなどでも、確たる証拠がなく、関係者の証言だけしかないことにまで疑問を持ち始めていた。

「いえ、私は大丈夫ですが…彩音さん、最近お仕事、休まれているそうじゃないですか」

 七海は自分のことは常に二の次で考える人のようで、故にこの混乱を生じさせることも、その中で彩音のプライベートにまで害が及ぶことを心配しているのだが、彩音もその辺りは覚悟の上だったし、いま聞かれたことの真偽も七海には今まで言わないでいた。

「…ええ、休んでいます…と言うか、元々、仕事には出てはいけないような状態だったんです。…うつ病で…ちょっと苦労はしているんですけど、おかげで南野さんとこうして色々とお話しが出来るんで、あまり問題はないですよ」

 彩音はそう言って笑っているが実際の彩音は放っておけば一日中でも眠りこけてしまう程度には症状は悪い状態にあった。


 それとはべつに、七海もここまでする彩音の行動欲と自分に対する気持ちと言うのが全く分からなくて苦労していた。ほんの数日前の泣いていたのを介抱した/されただけと言う関係なのに、なぜここまで彩音がするのかがさっぱりわからないでいた。

 彩音本人に聞いてもどこかはぐらかして、「南野七海と出逢ってしまったから」とだけしか言わないでいた。その言葉の真意がどこにあるのか七海はわからないでいた。


 そんな七海はマスコミに追われる日々、彩音はマンションから時々姿を見せる七海に対しての謎の人物として、マスコミは扱うようになってきていた。そして、それは突然やってきた。礼のプロデューサー氏が彩音と同じエレベーターに乗り合わせていたのだ。

 エレ ベータを下りた先には七海が待つ。そこでこのプロデューサー氏がどう動くか、そして七海の即興の演技力が試される時だった。エレベーターが空き、プロ デューサー氏が大きな声で「七海」と呼び、以前のようにまた抱かれに来たと思わせる作戦だったようだが、その奥からは「謎の存在」になっている彩音の姿も 見える。プロデューサー氏が七海の名前を呼ぶと、七海は嬉しそうな表情を浮かべて、手を広げたプロデューサー氏に抱き付くように小走りをする。これでプロ デューサー氏に七海が抱かれれば、過去の記事の裏が取れ、マスコミにとってはスクープの種だった。

 だ が、プロデューサー氏の思うようにことは運ばない。笑顔を見せて抱き付いたのは彩音の方だった。そして、七海は彩音に抱き付いたままで後ろを振り返り、舌 を出して、あっかんべー、としてみせる。そこには唖然とするプロデューサー氏とマスコミがいたが七海はその全員が唖然としている様子を見ると突然笑って見 せる。

「あっ ははは、マスコミ関係者の皆様、お疲れさまです、そこに突っ立っている男とは何の関係もありませんよ。私は彼の部屋から出てきたのを写真に撮られただけ で、その後もこのマンションには彼の部屋に遊びに行っていただけ。皆さんが思っている以上に南野七瀬は演技力に長けてるんですよ。…それと今後は『噂』だ けじゃなくて証拠をもとに記事を書いてくださいね♪」

 七海はそう言うと、彩音にとってはびっくりすることを七海はしてみせる。このマスコミたちの前で七海は彩音に口づけをして見せた。

「ただいま、行こっ」

 そう言うと七海は彩音の腕を引いて、エレベーターに乗り込む。

 後に残ったのは、キツネにつままれたような表情のプロデューサー氏とただ唖然とするしかないマスコミの取材班だけだった。


「…大成功、ですね」

 七海は彩音の部屋にきて、荷物を置かせてもらうと、いつもの控えめでどこか陰のあるような七海に戻る。それはいつものことだったが、今日に限っては何となく、その影があまり見えないような気がしていた。

「…それにしても、彩音さんはシナリオ作るの、お上手ですね。下にいたみんなが唖然としていましたし、何よりあのP氏の唖然とした顔。いままでここに出入りしていたことも知らなかったんでしょうに今になって突然名前を呼ばれたって抱き付くはずがないじゃないですか、ねぇ」

 そう言って七海は彩音をほめて、ほかの関係した人間をけなしてみせる。

「…でも、あっちも色々と仕事だから」

「ええ、バカにするつもりはないです。…今日だけ、それも今だけです。…彩音さん、こんな私のために大芝居まで打ってくれてありがとうございます。あの、泣きはらしたよるからまだ一週間くらいしか経ちませんけど…こんなに親身になってくれて。感謝しています」

 そう 言った七海の瞳に一週間ほど前に見た涙がいっぱいにたまっているのが見える。慌ててタオルを取りに行こうとした彩音の腕を七海は取ると、くるっと彩音の身 体を反転させると、涙を溜めた瞳のままで首の後ろに腕を回して、口づけてきた。彩音は何事が起きているんだかわからないと言った様子でいたが、スッとタイ ミングよく離れる七海の表情で、我に返る。

「み、みなみ・・・!!

「南野さん、じゃなくて『七海』って呼んでください。ちょっと鈍感な彩音さん」

 七海はそう言ってクスクスと小さく笑ってみせる。そこまで来ると我に返ったはずの彩音はまた、何事か頭が混乱し始める。

「こんな私のために大芝居まで用意して、少なくとも直近の嫌な噂を払拭してくれるなんて。素人さんには危ない船でしたよ?」

「そのときは、みなみ・・・七海さんと一蓮托生ですよ」

 七海 は彩音がどういう理由で大芝居まで打ったのか、実はまだよくわかっていない。お人よし、なのかもしれないし、単にそう言う危ない橋を渡りたがるだけ、また は目立ちたがり屋でマスコミに自分の姿をとってほしい、などなど色々と考えられたが、七海が考える、今の気持ちはただ、自分より人のことを心配する優しい 人だと言うことだった。

「…でも、突然何で七海さん・・・!!むーーーーー」

「『七海』です、七海さんではなくて」

 七海は話を始めようとした彩音が丁寧に「さん」をつけることを、口をふさいで制止する。

「で、 なんで突然七海なんて呼ばせるか、ですか?理由は簡単です。…何度も言いますが、こんなに私なんかのことを心配してくれて、すっごく彩音さんのそばにいる のが温かいんです。それまではみんな疑心暗鬼で誰も信じられなかった…だけど、彩音さんがすっごく親身になって心配してくれて、こんな自分のことが世間に 知れるかもしれないことまでして・・・でも、そんな彩音さんに私は救われました。御恩は返さないといけないと思うのですが、一生かかっても返せるかどう か…」

 七海派そう言って、じっと彩音の方を見て言葉を続ける。

「なので、疑心暗鬼だった私の心を溶かしてくれた彩音さんに、一生の恩返しをしたいんです。…彩音さん、私とお付き合いしてくださいませんか?」

 しきりに「七海」と呼ばせようとしているのはつまり、そう言うことだった。

 それを聞き、綾芽は突然両手を振って、それを否定するような態度を示す。

「だ、ダメですよ、俺みたいな病人なんて。それにこれ以上は七海さんに迷惑しかかけられません、おれなんかやめておいた方がいいです、本当に」

 彩音はそう言って、七海から距離を取ろうとしたが、七海はそれでもズイッと彩音に近寄ると、反論の言葉をかける。

「…もし、沈没しそうな船だと言うのならば、私は彩音と一蓮托生。一緒に沈むところまで沈むよ。まだ彩音の身辺についてはは完全に調べ切ってないけど、いまの彩音がいてくれればそれだけで七海は幸せだし」

 そう言いながら七海は彩音に抱き付いて、うれしそうな表情を見せる。彩音はその笑顔にノックアウトされた気分だった。