Angel's Whithpers ~天使のささやき~ Primary Works Vol.5


 深夜二時。

 バブル時代はあちこちがきらびやかにネオンが輝いていて「不夜城」と言う名前がまさにあっていた。それから十数年経った今でも場所的には不夜城の名残はあり、主に居酒屋などがそのネオンや町の明かりに貢献していた。


 七森彩音(ななもりあやね())は、本来であれば早々に帰宅できるはずだったが、直属の上司から、徹夜しても終わらなそうな仕事を押し付けられて、休憩も取らずに仕上げた時間。

 不夜 城にあふれるのはまだ週の半ばだと言うのに羽目を外し、明日の仕事がどう言うスケジュールだか考える必要もないような陽気なサラリーマンたちであふれか えっていた。彩音も一杯引っ掛けて行きたいと考えたりもしたが、今日仕事のことでダメだしされるのが目に見えてわかっているので、早めの出勤が強いられる ことを考えると、駅前でタクシーを拾って、さっさと帰るのが一番利口だと考えられた。

 そん なこんなもあって、彩音は敢えて酒場が目に入らない、裏通りを足早に駅へと向かって歩いていた。あちこちに自分のキャパシティーをオーバーしているサラ リーマンが先輩だったり後輩だったりに介抱されて休む姿が目に入る。まぁ、表通りで突然のリバースをするならば店の裏手で同じ目に遭っていた方がなんぼか ましだろう、そんなことを思いながら駅まで急ぐ。

 彩音 の最寄りの駅には、すでにホームの明かりが間引かれてほのかに浮かぶホームと、シャッターが固く下ろされた駅改札が見え、そこに合わせて作られているタク シー乗り場に数台のタクシーが止まっているのが見えた。「待たずに乗れる」と感じた彩音はそのタクシー乗り場まで小走りに行こうとしたが、妙な場所にうず くまる女性の姿が目に入る。飲み屋街から駅までは100m位離れていて、明らかに酒で調子を崩したものではないのは確認できた。何より、介抱する人間がいない。周辺には彩音ひとりしかいななくて、周りは静まり返っている。女性一人をそこに置いていくには少々危ないとこの時の彩音は考えて、その女性に声をかけていた。


「…大丈夫ですか?何かあったんですか?」

 大 方、酔っ払いの類だろうとは思っていた彩音だったが、声をかけるとその女性は瞬間、顔を上げる。その上げた顔は泣きはらしてた赤くなっている瞳と、散々流 したのであろう涙の跡がうかがえた。そして、声を掛けられたとわかったその女性は彩音が様子を瞬間的に伺う時間をわずかしか与えず、いきなり抱きついてき た。彩音的にはなにがなんだかわからなくなって、思わずその女性を抱き寄せてしまった。だが、それもおかしいとすぐに離れようとしたが、その女性は思った より力強く彩音の首に腕を回して、自分の手で両腕を掴みちょっとやそっとでは離れないと言った覚悟のようなものを彩音に見せる。

「ちょ、ちょっと…すみませんがせめて離れてくれませんか?」

 彩音 はそう言うのが精いっぱいだったが、その抱き着いてきた女性は彩音の肩に顔をうずめたまま、泣いているのがわかる。「まいったな…」と言い、彩音は歩道の 端の方で立ち尽くすことになる。だが自分も帰らないと翌朝の始業時間までには会社に行く必要があったので、このまま長引いて泣かれているわけにもいかず、 だが、放っていくわけにもいかなくなってしまった。

「…せめて離れてください、逃げたりしませんから。お話、聞きますから、ここでよければ座って話しましょう」

 彩音は帰宅のことは半ばあきらめて、その女性に言う。言ったものの、その女性は「えっ、えっ」と嗚咽のような声とともに涙を流しながらただ泣き続けるだけだった。

 冬の午前二時。酒を呑んで楽しんでいる連中はアルコールで温まっているだろうことで、平気で外をうろついたりしていたが、彩音と泣いている謎の女性はどんどん寒くなっていくのがわかる。

「…離れてくれませんか?」

 彩音 は三度、同じことを聞くが、返事は一向に帰ってくることはない。…と言うことはおそらくは否定しているのだろうと言うことが分かった。駅前ロータリーであ るこの場所の近くにとりあえず、寒さをしのぐだけでもできるものがないかと彩音は探すと、近くに二十四時間営業のファミレスがあるが、そのファミレスに誘 導しようとしても、その女性は明らかに行くことを拒否する。それこそ困った彩音はどうしたものかと色々と悩んでみたが、やむを得ず最終手段に出る。

「…タクシーになら乗っていただけますか?」

 ここ までがっちりと首を掴まれてしまっていては彩音もどうすることも出来ない。となれば後は、この女性もろとも帰宅するしか方法はないと考え、彩音は最終手段 に打って出る。すると、その女性は首から手を離し、彩音の腕を抱きしめるように抱え込み彩音が歩き出すのと一緒についてくる様子を見せた。

 タクシーで小一時間。彩音の住むのは少し高い家賃の1LDKの部屋だった。そこに泣いたままで相変わらず腕を取ったままで話すことをしない女性を連れ込む。…連れてきてしまったことに一抹の不安と罪悪感を持っていた彩音だったが、その女性は彩音の部屋に入ってもまだ泣いたままで腕を離そうとしなかった。

「とりあえずここは自分の自宅です。夜なので大声上げられては困りますが、泣きたいようならば泣いてくれてかまいませんよ。…話がしたくなったら話してくださいね」

 彩音は腕から離れない相手にタオルを渡してそう言うと、腕を離さないままの女性とともに並んでソファーに座る。すると、その女性は腕を離しはしたものの、今度は手をきつく握ったままで、空いた手にタオルを持ち、相変わらず泣き続けていた。

(明日は貫徹状態で仕事か…まいったな、体調も良くないってのに・・・)

 彩音はそんなことを思いながら、しかしこの女性も放っておくわけにはいかないと、仕事とこの女性とのはざまで悩むことになった。

 時計は午前三時を回ったところだった。


 彩音 はハッとして目を覚ます。冬の空に明かりがさしてきていた。時計を見ると、午前七時を回っていた。そして、隣にいるはずの女性はさすがに泣き疲れたのか、 「すーすー」と寝息を立ててはいたが、タオルで涙を拭っていた仕草と、彩音の腕を取って相変わらず離していない様子を見て、どうしたものかと色々と考えを 巡らす。

 それ 以前にこの女性はなぜ駅前ロータリーであんな深夜に一人、泣いていたのだろうと考えてみたりしていたが、その真相を昨晩の内に話してくれなかったのは事実 で、今もって泣いていた、そして彩音の手を取ったままで眠っているこの女性の様子を見て何から考え始めたものかと感じていた。

「…起きません…よね?起きてても狸寝入りでしょうし。…追い出すなんてことはしないし、話したいことがあれば昨晩も言いましたが聞きますから、せめて自分に行動させてくれませんか?」

 ダメ元で彩音はそう言うと、握っていた手から、女性の手が離れた。だが、顔はタオルでおおい、両手で隠したままでいた。彩音はとりあえず顔を洗って、今着ているスーツを脱ぎ、ラフな格好に着替える。リビングのソファーでは女性が微動だにせず座っている様子があった。

「…話は聞きます。…時間、かかりますよね?」

 彩音 がそう申し出ると、タオルで顔面を覆っていたタオルから目だけを見せて彩音の様子を伺う。彩音自身は年齢の割に若く見える容姿で、いかにも喧嘩ややんちゃ のできない優男と言う感じだった。そして、優しいのだけはよくわかる容姿をしていた。そんな綾芽を見て、先程の質問にこっくりと一回頷いてみせる。

 時間 が時間だけに、まだ会社には誰もいないだろうと言うのはわかっていたが、「調子が悪い」旨を申告すれば案外易々と彩音の場合は休みが取れる。…本来、残業 禁止、徹夜なんてもってのほか、場合によったらフレックスで帰宅しなければいけない、と会社付きの産業医からは言われていたが、直属の上司と言うのはその 情報が入っていないようで、彩音の様子もお構いなしにぎりぎりの期限を設けて仕事の依頼をしてきていた。そんなことを産業医に言われるほどの病気…じつは 彩音は鬱状態でなんとか会社に来ている、それが不思議なくらいには病状は悪化している状態だった。


 一通り、自分は仕事のスタイルから、部屋着に着替えてふたたび女性のとなりに座る。

「…顔洗います?」

 彩音が聞くと、やはり目だけをみせて首を振る。顔を見せるのが嫌な部分があるようだった。どこからどう切り出していったものか、どうすればスマートに話ができるかを考えたが、どうにもその辺り頭が働かないのが実情だった。

「とり あえず、俺は七森彩音って言います。…サラリーマンですけど、色々と崖っぷちまで来ていてやばい状態です。今日はもう、仕事は諦めますから、ヤバさはワン ランク上になったことになります。…見ず知らずの貴女をここまで連れてきたんですから、それなりの話をしてくれないと困りますよ」

 そう言いながらその女性に替えのタオルを渡す。その時、ようやくタオルを顔からはなし、泣きはらしていた目で彩音の方を向いてくれる。その顔を見て、彩音はどこかで見たことのある顔だと言うのを感じていた。

「…ご迷惑をおかけしてすみません。私、南野七海(みなみのななみ())と申します」

 最近はテレビもまともに見ていないので、先端の芸能情報は彩音は疎い方だったが、南野七海の名は聞いたことがあった。


「で、何であんな時間にあんな場所で泣いていたんですか?」

 彩音は七海に直球で話を始める。と言うより、今はからめ手で話をしていても、素直に答えてくれるか、はたまた自分に理解のできる範囲の話なのか、と言うことを考えるとこういう質問の仕方しかなかったのだ。

 彩音 もこんな直球で、七海が答えるとは思っていなかったが、どこからどう話を進めて行ったらいいかと言うのもなかなか苦しいものがあった。だが案の定、七海は 名前を名乗っただけでまた口を噤んでしまう。彩音は口をへの字にしてまいったと言いながらキッチンの方に姿を隠し、甘めに作ったカフェオレを七海の前にだ し、自分もいつものマグカップでカフェオレを飲み始める。

 南野 七海と言うと、彩音の記憶では最近になって色々とバッシングを受けているところのある女優だった。バッシングの内容は、女優にしてはあまりに演技が下手だ と言う話やあまりよくないバイトをしていると言うな話が浮上している女優だった。また、一部では仕事のためならばどんなこともする、「汚れた女優」と言う 別名までついていた。

 世間 の噂はあまり信じない。彩音はいつもそんなスタンスでいる人間だった。噂ではなく本人の口から出た言葉は信じざるを得なかったが、あまりに汚いことをしゃ べる場合は、それもあまり信じる方向では物を考えることはなかった。だからか、南野七海と言う女優の名を聞いても、特に毛嫌いすることもなかったし、逆に あんな場所で一人、冬空で泣いていて、そんな汚れた噂がどうのこうのと言っている暇でもなかった。

 二時 間、彩音は七海の横でカフェオレを飲んでいたが、時間が出勤時間になったので、とりあえず昨日の残業が響いて、とてもではないが仕事に行くことが出来な い、と伝え有給を使うことにした。カフェオレを七海の前に置いてからやはり二時間。七海は少しは口をつけたが相変わらずぐずっている様子で、タオルで顔を 覆ったままでいた。彩音はどうしようかと色々と思案したが、結局は七海の方から自主的にしゃべってもらわないとどうにもできないのは変わりなく、あきらめ た表情で隣に座る七海の顔をうずめた姿を見ていた。

 が、彩音が七海のことを見て、それが「心配」と受け取ったのかはたまた、彩音が「興味本位」で自分を見ているのかとちらりと彩音の方を七海は見る。だが、七海にとって七海を見つめる彩音の瞳が七海にとって納得できたらしく、おもむろに顔を上げる。

 相変わらず泣いていた分の涙の筋と腫れぼったい瞼、赤い瞳だったが、涙自体は止まっていて、ただタオルに顔をうずめるだけで彩音のことを見ていたようだった。

「…ようやく話をしてくれる気分になりましたか?」

 七海 が顔を上げたことでその顔を見ることが出来た彩音はあまり脅かさないように、控えめな声を出して、七海に訊ねる。七海はそんな彩音の様子をやはり伺ってい るが、今度は顔をきちんと突き合わせてみていたので、彩音にとってもいくらかは気分的に落ち着いた様子で質問することが出来た。

「…彩音さん、と言いましたか?…すみません、何もしゃべらなくて。でも…私がどんな女優かはご存じでしょう?」

 七海はしゃべり始めたが突然、例の七海の「噂」の部分に、確信に触れる話に転換とされた。だが、彩音としては、別に七海がどんな女優でも今は昨晩から泣いていた一人の女性、でしかなかった。

「…いえ、テレビとかあまり見なくて、特にワイドショーなんかは嫌いなので、南野さんの話は世間で軽く言われている内容でしか知りませんよ。それ以前に、『自分の口から、その証明』をされない限り、あまり噂とかは信じないようにしているんです」

 彩音はそう言ってスッとソファらか立ち上がると、七海の前のマグカップと自分のマグカップを持ち、再びキッチンの方にいき、少しの時間キッチンで何かをしていた。彩音が戻ってきたときは、コンビニのサンドイッチと、昨晩から作っていたカフェオレが並べられていた。

「もう九時を回ります、朝ご飯くらいは食べたほうがいいですよ」

 彩音 はそう言うと、自分の前にも持ってきていたサンドイッチを開けると、カフェオレを飲みながらサンドイッチにパクつき始める。それを見てた七海のおなかも 「くぅ~」と微かな音を立てる。彩音にも聞こえただろうが彩音は気付かないふりをして、自分の分のサンドイッチを完食すると、カフェオレを口に含み一息つ く。七海も遠慮なくサンドイッチとカフェオレをもらい、いくらか昨晩よりは沈み込んだ様子がなくなってきていた。

「顔、洗ってきたらどうですか?」

 彩音はそう促して、七海を洗面台まで連れてくる。七海は何となく彩音に対して疑心暗鬼な表情を見せながら顔を洗い、再びちょこんとソファの上に座って見せた。

「…別になにか悪いようにするなんてことはないので安心してください。ただちょっとお節介なだけなんで。…それより、昨晩から同じ質問をしていましたすが、なにかあったんですか?話を聞くくらいはできますよ」

 彩音はそう言って七海に語り掛ける。七海は先ほどの疑心暗鬼な表情が少し消えて、彩音が少なくとも自分を売るような人間ではないだろうと言うことが、自分の中で納得できたようで、マグカップを両手で持って手を温めるようにしながら、話し始めた。

「仕事 でちょっと嫌なことがありまして…私の噂、誰とでも寝るって話があるんですけど、ある局の人から、ドラマに抜擢してあげる代わりに自分と寝ろと言われて。 それが一人だけに言われたのだったらなんとか我慢してスルーもできたんですけど、その局の当該のドラマにかかわる人間から次々に言われて、最後には『その くらいのことでもしなきゃお前はこの業界では生きていけない』とまで言われてしまって…」

 七海がそこまで言うと、慌ててマグカップをテーブルに置いて、傍らのタオルを取って顔をうずめる。彩音の観察眼からして、相当のショックをうけていることだけは…特に彩音の観察眼でなくとも簡単に確認することが出来た。

「だけ ど、実際の南野さんはそんな汚れた女優なんてことはないし単なるうわさ。と言うことなんですよね。う~ん、そのことについて何かの手助けなんかが出来れば いいんでしょうけど、世界が違って、業界は孤立した世界ですからね…。いまの自分が手を出せるような感じのこと何もありませんが…」

 彩音はそう言って七海の方を向きつつ、力になれないことを少しだけ後悔しているのと、力になってあげられないことに少しばかりの残念さを感じていた。

「どうしたら、南野さんにとっていい環境になれるんですかね?一番なのは出所を叩くというものですけど、週刊誌沙汰にも少しなってしまっているところを見ると、肝心の『出所』がわかりませんしね…」

 彩音はそう言って自分のことのように考え始める。この辺りが彩音が「おせっかい」と言われる所以なのだがこれは今に始まったことでもないので仕方ない。

 七海の方も真剣に考えてくれる彩音を見て、少し気持ちが和らいだと言う表情をタオル越しに彩音に伝える感じになってきた。

「南野さんの所属しているプロダクションなどは手を打ってくれないんですか?」

「その辺りは四方八方手を出して、払しょくしようと仕手暮れてはいるんですけど、噂の方が独り立ちしてしまっていて南野七海=寝られる女優みたいな構図が、芸能界ではできているんです。もちろん、彩音さんのように親身になって考えてくれる人もたくさんいますが…」

 彩音の言葉にぼそぼそながらも七海は今の状況を話す。だが、七海がいったん言葉を止めたその先が彩音にはわかってしまった。

「…払拭に手を貸すと、自分まで巻き添えを喰らう。だから深いところまでは話には乗れないし、逃げていく一方…と言う訳ですね」

 典型的ないじめの構図だった。「ったく、ガキの喧嘩じゃあるまいし」そんなことを七海に聞こえないように(実際は聞こえてしまっていたが)彩音は独り言をつぶやいた。彩音自身が介入することで解決の糸口でも見つかれば、彩音は喜んでその場に突入するだけの覚悟はできていたが、さすがに庭が違いすぎる。彩音も手を拱くしかなかった。

「あ の・・・七森さん。それより…昨日は声をかけてくださってありがとうございます。もう、あまのまま凍え死んでやろうかなんてことを考えていたんですけど、 実際、関東の気温じゃ、史上最大の寒波でも死ねないですよね。…少し自粛しようかなとかとは考えているんです。だけど、自粛は自粛で週刊誌は面白おかしく 記事にしてしまうんでしょうから…それもちょっと納得できないし」

 彩音 に初めて七海が礼を言う。ただ、やはり七海が悩んでいたのはその噂の方で一人弾かれるような気分になっている七海を、彩音は放ることもできなかったし、昨 晩の様子からすればとても一人ほったらかしにはできないことは彩音自身にも感じていたので、一晩の宿でも泊めてもらったことについては七海は感謝意外には 出てこなかった。


 しばらく沈黙が続く。

 だが、こうして考えても何の解決にもならない。彩音は近くにあったメモ用紙を手元に寄せると、そこに携帯の番号、携帯とパソコンのメールアドレス、チャット型メッセンジャーのIDなどを記していく。

「きょ うは俺も休みを取りましたし、お仕事に支障のない範囲でここに居てくれてかまいませんよ。それと力になれるかわかりませんが、俺の連絡先です、なにかあっ て、業界人に相談できないこととかあったらここに連絡ください。…迷惑とか思わないので遠慮なく。…社交辞令も嫌いなので、ほんとに困ってしまって時に は…話はきけますか・・・・・・」

 彩音がそこまで言うと、突然七海が飛び込んでくる。体制の悪かった彩音だが、何とか七海をキャッチすると、ソファの方に体重移動してそのままソファに倒れ込む。

「南野さん・・・?どうしたんですか?」

「ここまで親身になってくれる人なんていなくて…七森さんが初めてで…」

 そういうと再び泣き出してしまう。今度はタオルではなく彩音の腕の中で。彩音もその辺りはどうしたらいいのかということは全く無知ではない。そっと七海を抱きしめてやる。少しずつ、七海の鳴き声も大きくなってきていたが、時間も忘れ、彩音は七海を抱きしめていた。


「…ご、ごめんなさい、突然泣き出してしまって」

 七海は小一時間くらい泣いていたか、彩音に抱きしめられていたのが気持ちよかったのか、それまで離れることはなかった。ふと我に返るまで時間はかかったが、顔を上げたときには瞳いっぱいに涙をためていた七海がいた。

(さて、連れてきちまったからには関わらないわけには…ま、無視すりゃ出来ないこともないが…お節介焼の性格が放っておけないと言ってるんだよなぁ)

 彩音はそんなことを考えながら、七海の様子を探る。七海はまたタオルに顔をうずめて泣いては居ないだろうが、バツの悪そうな瞳でちらっと彩音を見たりしていた。

「んー、こうやって沈黙を保っていても仕方ないんですけど…その『噂』ってのはどの辺まで浸透している者なんですか?」

 彩音は我慢しきれなくなったのと、何かの突破口を見開こうとして七海に問いかける。七海の方も今度は質問をスルーする様子もなく、ふと考える仕草をしてみせる。

「多分 ですけど、各局の現場スタッフは大体。演者の方は噂と言うことで聞いたことはあるんでしょうけど、それ以上は突っ込んでくるような人はいないです。その大 雑把さを取り除くと、演者さんたちは逆に七森さんのように親身になって話を聞いてくれる方がたくさんいるので、よほど意地の悪い相手じゃない限りはそんな ことは言われません。…局のスタッフ、中でもプロデューサーとかディレクターなんかの上の人たちがなれなれしくしゃべってきます」

 七海はありのままを彩音に告げる。それを聞き彩音はなにか、どうにか出来ないかと考えを巡らせる。

「七森さん、そんなに真剣に考えないでください…。こう言っては申し訳ないのですが、七森さんでは及ばない部分です…なんとか私自身が変われればそれで済むんですから…」

 そう 言って七海は彩音が考えてくれたことを無下にしてしまうことを残念に思いながら、肩で大きなため息をつく。その日、七海はポツリポツリとだが現状のこと と、これからどうしていきたいかということ、それに対して、一般視聴者からはどう見えるのかなど確認して、七海は自宅に戻った。