Angel's Whispers 〜天使のささやき〜 Primary Works Vol.4


こんにちは、胡桃です。

前回はちょっと切ない話でし たけど、いかがでしたか?逝ってしまった彼女と、そんな彼女を見守った彼とがそれぞれ良い方向に進んで行ければと思いますけどね。

さて、今回はそんなに切なく もないお話です。

と言うより、こんなことをし てしまうと、訴えられたらどうするんだと言う位、危ない(かも知れない)お話です。彼女の行動力には頭が下がる思いですが。

それでは、本編をお楽しみく ださい。



 私は今、ある女性と向き 合っている。問答無用で一発ビンタを喰らわせたのだ。相手は何が何だかわかっていない表情で戸惑っている。それもそうだろう、私と彼女は初対面で、その頬に手 を当てて茫然としている女性を私が一方的に知っていると言うだけだからだ。


 今をさかのぼること数日。

 たまたま彼のパソコンを使 わせてもらい、仕事をしている最中だった。特にパソコンのディスクの中身などを見てはいけないと言うお達しは無く、むしろ勝手に好きなところにアクセスしてい いよ、と言う位の懐の深さだった。だから、私からすると、『実際の感触』として受けられる状態であるにも関わらず、世の男性が持っていると言う映像データがあ ると言うことも承知していた。

 その中に、年号が西暦 199*年と記されたフォルダを見つけた。中にはメモ帳で作られた一ファイルだけが保存されていた。古くから取っておいたものなのだろう、私は念のため、この ファイルを見て良いかを訊ねると「それ、見ても面白くないと思うよ。興味があれば見ていいけど」と、少々意味深にも取れる返事がかえってきたので、私は遠慮な くそのファイルを覗かせてもらうことにした。


 中にはたぶんブログに使っ たのであろう、文字だけのデータが入っていた。

 色々な情景を色々な言葉で 表現して、その色々が記憶に残っている、そう言った内容がいくつかの段落でまとめられていた。そして、そのすべてのまとめとしてこう書かれていた。

『ここまで忘れられない。し かしもうあなたが振り向くこともない。自分がどんなに好きでも。…だから、好きなその分だけ、あなたを一生恨みます』

 しめくくりが随分重たいと 言うか、ある意味の憎悪とも取れるようなこの文章を読んで、なにがどういうことなのかは大体想像できた。

「な、面白いもんじゃないだ ろ?俺もちょっと固執し過ぎだとは思っているんだよ」

 私の右肩に自分の顎を乗せ て、何となく「馬鹿馬鹿しいだろ?」と言う位の言葉で、私にそのファイルのことを言ってくるのは、今現在、私が付き合っている皆槻楓(みなづき かえで)だっ た。「んー」と唸りながら、私はそのファイルのスクロールバーを上下させて遊ぶくらいの気分でそのファイルを見ていた。

「そもそも、奈琥が付き合っ てくれてるから、もう消しちゃっていいんだけどね」

 そう楓は私、綾姫奈琥(あ やひめ なこ)に言ってきた。

「随分古いファイルだけど、 これってもしかして、時々話す、初カノの事?」

「うん、そだよ。だけど、今 更じゃない?本気で恨んではいるけどね」

 私が軽い気分で訊くと楓は 何となく笑みを浮かべながら、だが重い言葉を返してきた。

「今でも恨んでいる、『あな たを一生恨みます』か。それだけ好きだったと言うことは良く伝わってくる。…けど、私がその代わりと言うか、楓を満足させられてると言うことでいいのかな?」

 単刀直入に、その初カノと やらと私自身を比べ、楓に訊ねる。すると、優しく私を背中から抱きしめてくれる。そして、私の左の薬指に光る、決して大きくはないダイヤの指輪を見ながら楓は 言う。

「超えないで、ダイヤの指輪 なんかあげないよ。…その意味は奈琥だってよくわかったうえで、指輪、しているんだろ?」

 楓に言われて、私はコクン と一回頷く。

 今の楓は無職。私と表面上 は同棲しているように見えるが、ウィークデー、楓は実家で過ごしている。私は大手の会社でコンピュータプログラムを手掛ける部署で、平社員ながらトップを行 く、いわゆる技術系のOL。

 楓のご両親と私の両親、公 認で週末だけ同棲をしている感じだが、楓はそろそろ結婚してもいいかも、とも言う。だが、楓自身、持病で仕事は暫くできない。それで私は楓の気持ちを承知した うえで、私がせめて、楓一人だけでも養えるようになったら結婚したいと話をしているのだが、最近はそのラインを割って、結婚して二人で色々と苦労していくのも 悪くないかと、楓がそろそろ結婚してもいいかも、と思うのと同じような感触を持っている。

「奈琥には随分と世話になっ ちゃってるからね、俺も仕事をとは思って、話をしたリワークだとか、カウンセリングだとかも組み入れて、主治医とは解放…寛解に向かうようにしているんだが なぁ…自分の努力だけでどうにかなる物だったら今の今まで、こんなに苦しみはしていないか」

 楓が色々と苦労しているの は十分に承知している。良くなる時はとても病人とも思えない状態にまでなるのだが、調子と言うか気分と言うか(本人は心模様、と表現する)があがらないとき は、布団から出られなくなったりもするそうなので、仕事をと言ってもそうそう簡単に仕事に行くようにはなれないのだそう。何度かパートで仕事に入ってはいるそ うだが、結局休みが重なってしまえば、クビになってしまう、そんなのの繰り返しなのだと言う。

「まぁ、楓が何かを努力する にしても、気と心と身体がばらばらな状態なんじゃ、なかなか思うようにはならないって。焦らんでもいいからね」

 焦らせてしまっては、ここ まで何とか回復してきたことが全て水の泡にもなりかねない。それは避けないとならないし、楓の主治医からも、その辺の調整は面倒を見てやってくれとも言われて いる。

「…じゃあ、私はそう言う意 味も含めて、楓のことを満足させられている…と?大切なことだから二度訊くけど」

「ま、ね。だから、その初カ ノは恨んでいるけど、だからと言ってその人に現を抜かすと言う訳じゃないし、今は奈琥が、一番近くに居てくれる大事な人だよ」

 話を元に戻すように、私が 訊ねると、楓は私の頭をポンポンと叩きながらいまの楓の気持ちを語ってくれる。

「・・・その、初カノと別れ たのが病気の原因?」

「うんにゃ、そうじゃない よ。少なくとも自分ではそう思っている。別れて…しばらくは仕事して居たもん。一年以上はしていたと思うよ。俺は単純にオーバーワークが原因だと思ってる」

 楓は言う。だが、ほんの少 しの隙間に、初カノとか『あの人』と呼ぶ存在が介在していない、と断言するのは少しばかり難しい。だが、それを証明するには、素人の私では到底無理。深層まで 記憶をとどめているのだろうし、病気のことがあるから、自分でも相当混乱しているのだろう。それこそ、暗示でもかけて深層から記憶を引っ張り出さないと前後の 感覚はわからないのだろうと思う。

「ねー、楓。この人の住所教 えてよ」

 私は突然そんなことを口に した。それを聞いて、楓は目を丸くして私の方を向く。

「住所なんて知って、どうす るのさ」

「恨みの一割程度、感じても らわないと楓が可哀想だ。それと、ちょっとした礼をね。その人が楓を振ってくれなかったら、今こうして楓と一緒に居られると言うことは無いんだから」

 そう言う私に楓は考え込 む。

「そんなことしなくてもい いって。もう忘れたいわけだし、その色々なパーツはその人から奈琥に切り替わっているんだから」

 と、楓は止めるが私はそれ では納得できないと言いたい目つきで、鋭く楓を見つめる。

「…あまり行動意欲を出し過 ぎて、事件とか起こさないでくれよ?」

「大丈夫だよ、ビンタ一発で 勘弁してあげるつもりだからさ」

 楓が何かを私がやらかすと わかっている様子で、近くのメモを取り、住所を書きながら色々な意味で心配をしてくれる言葉を私にかけてくれる。そのあとの言葉を聞き、驚いた顔でペンが止 まってしまいはしたものの…最終的には住所を教えてくれた。


 そして、今、楓の初カノと 言う女性の前に立っていると言う訳だ。

「初めまして、お姉さん。突 然の一発で失礼。…と言うか、もう頭の中が沸騰して、倍返しぐらいのことをしてやらないと我慢出来ないくらいには怒ってるのかな?例え、自分の失態が原因で 『頬をひっぱたこうと思ってた』と言われても、やり返さないと気が治まらなくなるくらい執着するような人だと言うことだからね。その、ひっぱたかれる相手が好 きな男性だったとしても、ね。そして、場合によればそこで縁が切れる…と」

 私はそう言って、暗に楓の ことを意味してしゃべるが、多分相手は何のことを言っているか全くわからないだろう。おそらくは…楓のことは自分の中に封印…楓と同じ心境変化…してしまって いるだろうから。

「あ、あなたは・・・?」

 相変わらず唖然として頬を 手で覆ったままの相手が私に私の名前か、それともどういう存在なのか、関係性なのかを聞きたいのだろうと思うが、これ以上は私も話をする気はない。

「ま、お気になさらず。…… ただ、あんたに深い恨みを持つ者だよ、それは間違いない」

 凄むように、相手に少しだ け頭を寄せて少し乱暴な言葉を使って、彼女に言う。

「恨み・・・?」

「だから、気にすんなって。 私もこれでお暇するから、ひりひりする頬を撫でててあげな」

 傍らに止まるのは私の愛車 のバイク。車の免許も持っているが基本、車の運転は楓に任せている。バイクは楓もわたしと同じものを持っている。私はさっとヘルメットをかぶり、グローブをつ けると、その相手が何か言おうとしているのを無視して、バイクでその場を走り去る。生憎だが、バイクのナンバーはこんな時のためにガムテープで隠している。少 し離れたら外すが。


 その週の金曜日。

 私は楓に本気でビンタ一発 をお見舞いしてきたことを言う。すると、楓は呆気にとられたと言いたげに、食事のために手を伸ばした状態で固まった。

「って、奈琥は大丈夫だった のか?あの人はやられたらやり返さないと気が済まないタイプだって…」

「うん、だから、突然現れ、 ビンタして、さっさと帰ってきたよ。ナンバーも隠してあったから何より『大宮』ナンバーだと言うことは見られなかったと思うよ」

 優々と私はその時にどれだ け早くその場を離脱したかを楓に語る。

「ホントは楓の名を名乗りた かったけど、それはやめた。楓に害が及ぶのはごめんだからね」

 そう言いながら、サラダを 口に運ぶ。楓は呆れたとばかりに軽い溜息をつきながら、「まぁ、奈琥に何もなければそれでいいけどね」と言って、私をしばらく見つめた。

「…そんな行動力が・・・」

「あっちゃダメ。楓が楓でな いと、今こうして一緒に食事をしているこの瞬間が無くなっちゃうんだから。楓は楓のままでいいの」

 そう言いくるめて、私は悪 戯をした子供の如く笑みを浮かべた。

 それを見た楓は「まった く…」と相変わらずあきれ顔で、食事を進めた。


 それから数か月。

 私たちは晴れて結婚した。 私が外で仕事をして、楓はもうしばらく職を見つけるまで、同棲していた部屋で自由な時間を過ごす、と言うことで、お互い了解していた。

 正直なところ、まだ楓を 養った上で、二人生活が出来るかと言うとちょっと難しいところはあるが、それでも、何かお互いが助け合って居られれば、障害があっても乗り越えられる。それは 二人がほぼ同じタイミングで言った、結婚後の一言だった。



再び胡桃です。

さて、今回のお話はちょっと 非難が来そうな内容ですが…『あなたを一生恨みます』というのは相当、気持ち的につらいと言うか、強い好意があって、だけど、それを悉く潰されてしまったと言 う感じなのかも知れませんね。

判断として、こういう事をし ていいのか悪いのかと言うのは、結構問題ではないかと思いますが、あくまでフィクションですから。

今回はここまで。それでは、 次回のAngel's Whispers Vol.5でお会いしましょう。


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